ケーキ。 - 2005年12月22日(木) 誕生日。 なっつからケーキが来た。 このひとはケーキのプレゼントが多い。 一緒にいるときもよくケーキを食べたし、 お祝いにケーキをくれたのは、憶えているので今回が3回目だ。 どんなことを考えているのだろうと思う。 たぶん今年こそきちんと修論を書いているのだと思うけれど、 何を思ってケーキなのか、 何を思ってメールだけなのか、 何を思って何も言わないのか、 当然だけれど、わからない。 - こわい - 2005年12月18日(日) おそらく年明けから会社に戻ることになるのだと思う。 診断書は今月いっぱいで、延ばすことができないというわけではないけれど、1月から復職するという方向で話している。 周囲のいろんな人にも、年明けから戻ることになるだろうと話している。 そしてだんだん、12月の終わりが近づいてくる。 なんだかんだ言っても、やはりこわいものはこわいのだ。 だって結局、自分はもともとそういう性質を持っているということが、ここではっきり示されてしまったということだから。 そうかもしれないと思っているのと、はっきり突きつけられるのとでは全然違う。 復帰するということは、めでたいことのようだ。 友だちが、復帰おめでとうと言ってくれた。 その場はなんとも思わない。むしろ嬉しい。だから善意なのはじゅうぶんわかるし、逆の立場でも同じことを言うだろうと思う。 でも、最後にいきつくのは、こわいという感覚なのだ。ここに書いても書かなくても、こわいものは、こわいのだ。 今年のお正月、どちらも実家に帰らずに、ただ二人で少し一緒にいて、少しだけのんびりしていたことを、きょう思い出した。夢に見た。誕生日まで待ったら、何かいいことがあるのだろうか。それとも、「傷は浅いほうがいい」のだろうか。飾った写真が、何かの代わりに見えてくる。 - 先生のこと - 2005年12月13日(火) 後ろめたくて近況を報告できずにいた恩師がいる。 わたしが大学から出たことも、知らせていない。 会社を休むことになって、部屋を片付けて、院試に受かったときのお祝いの手紙を、もう一度読んだ。 「生きがいというのは いかに苦境を克服していくかという点にあるのではないかと 最近は考えたり致しております。」 高校と大学の先輩にあたる先生は、本当に先生と呼びたくなる先生だ。先生にとって教師という仕事が、生活していくための方法でしかないというのも事実なら、先生が本当に教師として生きてきたのもまた、事実だ。 わたしはここでまだ何もしていない。世界も知らないし、自分をひらくことすらかなっていない。当然のことだ。そして何もかもが中途半端なまま、ここから出て行くわけには、いかないのだ。 戻りたい場所はある。生きる道は、本当はあそこにあると思う。でも、あのままいるわけにはいかなかった。わたしのひとつの「時代」は、あのとき終わったのだから。今は、そこに辿り着くために、準備をする時間だ。 好きなことだから、好きなように、やりたい。そう話したら、わかってもらえるのだろうか。大成することだけが成功ではないと、今ははっきり思う。 <業務連絡> Homeのアドレスを現在のサイトに直しました。気ままにやっていこうと思います。 - ピース - 2005年12月10日(土) 部屋に写真をひとつ飾った。 なっつと写っているもののなかで、いちばん好きな写真だ。 彼が部屋に飾っている集合写真と同じ日に撮られたもの。 やっぱりあの日が、ある意味ではいちばん幸福だったのかもしれない。 心の平穏は別の人間から得ようとしている。 たぶんまだわたしのほうが重たいけれど、今はこれで満足だ。 もっと頼ってくれないかなと、さいきん思うようになった。 ゆうがずいぶん昔にわたしに言ったことを、ときどき思い出す。 -
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