もういい。書いてやる。 - 2004年06月29日(火) まず前提として、今はわたし自身、就職のことと論文のこととプライベートのことでそれぞれ悩みがあって、あまり調子がよくない、というのを憶えておいてください。さらに前提となる情報ですが、「ゆう」も、どうやら今はあまり調子がよくないようです。あくまでわたしの印象ですが。 で、ここ最近の出来事を、時系列に沿って書いてみたいと思います。 ◆20日(日)◆ 自分も調子が悪いにも関わらずわざわざ時間を作って会ってくれたヨウさんを相手に、イライラして癇癪を起こして帰宅、自分に嫌気がさして完全にへこむ。 ◆21日(月)◆ ゆうからサークルの仕事についてのメールが来る。わたしは完全に弱っていて、ついうっかり、少しだけ弱音を吐いてしまう。普通程度の付き合いの部員に言うようなことではあったが、「どうしたの?俺に話したくないなら別にいいけど…。」と返ってくる。 しまった、と思い、以後触れずに終了…したはずだったが。 ◆24日(木)◆ 週末のサークル行事の打ち上げのことでゆうに相談をしなくてはならなくなる。単なる打ち上げではなく、上級生がしなくてはならないことがあったから。わたしは自分がすり減りそうな気がして打ち上げにはあまり行きたくなかったし、それを言うのも憚られたが、きちんと言わねば話にならないので、仕方なくそこも説明。すると次のように返ってくる。 「すり減るって何が?…まあ言いたくないならいいけど…久しぶりにあんなメールがきたから、俺にも何かできるかと思って少し嬉しかったけど」。 ゆうには、何も言いたくないというより、もう無理やり心を閉じているから、何も出てこない。何か返さなくてはいけないんだろうと思いメールを作ってみるが、文章がまったく出来上がらない。いくらなんでも、何らかのかたちで力になろうと思ってくれているらしいゆうに対して、本音は言えない。だって、ゆうを見なくて済むことが、わたしにとってはいちばん楽なことだから。 ◆25日(金)◆ 結局何も書けないので、もうこれが事実だから仕方ない、と、「何か言おうと思ったけれど何も言えない、またいつか話せるときがあれば。」と書いてメールを返す。 ◆26日(土)◆ ゆうから4通のメールが来る。趣旨は次のような感じ。 「自分がしたいのはあなたの心配をすることではなく、あなたの力になることで、もし力になれるのなら、自分が多少つらい思いをしてもいいと思っている。別れてもあなたが大事な人であることにはかわりないし、あなたが決めたことなら、自分たちの関係がどうなろうと構わない。だからあなた自身を大切にして欲しい」。 なんだか知らないが、とても素直なメールが続けて届くので、さすがに心が無視できない。しかし返信もできない。自分本位のことしか言えないから。なのでもう、返信をしないことに決める。 ◆27日(日)◆ サークル行事、その後打ち上げ。打ち上げで少し問題が起こる。気にはなったが、わたしでは対処できないので静観する。 ◆28日(月)◆ 前日に起こった問題について、どう対処すべきかという相談のメールがゆうから届く。こんな相談はとても珍しい。ああこの人やっぱり弱ってるな、と思いながら、相談に対し返答する。 ◆29日(火)◆ 結果的にゆうがどうしたかを報告するメールが来る。そして最後に書いてあったのがこれ。 「余計なことだけど、しばらく俺のことは放っておいてくれ。余裕がないのはあなただけじゃない」。 ……はぁ? わたしはもうここ半年程度、あなたのことは放っておいているんですが? むしろあなたはいないものと思って活動しているんですが?…まあそこは無理やりだっていうのは否定しませんが。でも放っておいてるのは事実ですよ。あなたの、オフィシャルな場におけるプライベートな行動は批判的に観察していますし、気分も悪いですが、それを一度でもあなたに向かって伝えましたか?サークル運営に関係すること以外では、ここ半年、一切話していないはずですが? 4通来た時だってその前だって、本当は、「わたしの前から消えてほしいっていうのが本音」って書きたかったですよ。無理なのはわかってます。むしろそれなら自分が消えればいいって話ですからね。でもやっぱりそれが本音なんです。 それでも、メールにもここにもそれを書かなかったのは、そもそもわたしが口を滑らせたのがいけなかったんだと反省したし、あなたが少なからずこちらのことを考えてくれているんだと思ったからです。それなのに。 ああ、苛々する。 動揺した自分が馬鹿だった。 相手は何も知らないんだから仕方ない、と思うだけの余裕は、ない。 だから無理やり思い込むしかない。 - だめだ、疲れた - 2004年06月27日(日) さすがに。 メール4通は勘弁して欲しい… 既にパンク気味なのに、これ以上…もう勘弁して…でも向こうは何も知らないんだから仕方ない…でも… 返信しないのが最後の理性としか思えない自分が嫌。 こうなるとなっつに会いたくなるのは本当に不思議だ。 - 夢を見た - 2004年06月24日(木) 高校時代、軽音楽同好会に入っていた。 思うところあって途中で辞めたが、そこで出会ったひとつ上の先輩たちと、私的にもバンド活動をしていた。 よねちゃん、ケイさん、塁さん。よねちゃんはなっつのクラスメイトでもある。 軽音と合わせて、月に一度はライヴをしていたと思う。 二年生のときに高校の文化祭のテーマ曲を作ったのも、このメンバーだった。 塁さんは他校生だったのに、応募の音源にはコーラスとギターで参加していた。 このバンド「ダンプカァ」のメンバーは、全員同じ小学校の出身だった。 だから全員の家が近所にある。 練習帰りにも学校帰りにも、よく、メンバーの家に寄った。遅くまでいろんなことをした。 親にはいつも怒られた。わたしだけがジョシだったからだ。 当然彼らはわたしよりも一年早く高校を卒業し、そろって千葉に行って「サムライピンク」の名前でバンド活動を続けていた。 わたしが欲しかったのは一緒にやっていく仲間だったけれど、彼らにとってはそうではなく、「演奏技術のあるドラマー」だったらしい。 音楽で食べていこうと思うなら、それも仕方ないのかもしれない。 いや、仕方ないのだろう。 バンド仲間のつながりというのは意外に侮れないもので、いろんな噂があっという間に広がる。ごくごく小さな世界ではあっても、「ダンプカァのドラム・amitee」で通じてしまったり、ライブハウスで声をかけられたりということもある。 そんな中で、軽音でも先輩にあたる「よしひささん」の評判は、芳しくなかった。 いろんな人が、いろんなことを言っていた。 わたしが一緒に組んでいたメンバーも、いろいろ言っていたのを、知っている。 でも、よしひささんは本当は、悪い人ではなかった。 わたしが軽音を辞めたときも、いちばん親身になってくれたのは、ダンプカァのメンバーではなく、よしひささんだった。 よしひささんは、現役で大学に行き、演劇を勉強しながらバンド活動もしていると聞いていた。 そのよしひささんと、よねちゃんが、けさ、夢に出てきた。 サムライピンクは本気でプロを目指している。 だから、お前もこっちに来て一緒にやらないか、なんでいつまでもそんなところにいるんだよ、と言われた。 よねちゃんには、ほらよしひさもいるから、と言われた。 よしひささん入ったんだ、仕事は?と尋ねたところで夢は終わった。 サムライピンクがプロを目指しているのは本当だ。 気になってサムライピンクのWEBに行ってみた。 本当に、ベースが入れ替わり、よしひささんが入っていた。 あんなに欲しかった「仲間」、わたしはこの場所で手に入れた。 もし、サムライピンクのメンバーが本当に仲間になれるなら、プロになることもあるかもしれないと、少しだけ思う。 わたしがキーボードアレンジもした「春爛漫」。 塁さんにも、よねちゃんにも、あんな曲は、もう書けないはずだ。 わたしはあの曲が好きだった。 - unknown - 2004年06月22日(火) しばらく携帯でしかエンピツを見ていなかった時期に、その日記は突然消えた。 モバイルエンピツに示された「指定されたIDは存在しません」の文面。 本当に、存在がなくなっていた。 当たり前だが、パソコンから見ても、同じだった。 そのエンピツ作家さんは、いなくなってしまう少し前に、自身の日記について「ひどいものだ」と自己評価していた。 掲示板では何人ものひとが「そんなことはない、自分はこの日記が本当に好きだ」という趣旨の書き込みをしていたし、そのことは、何よりカウンタの数字が示していたと思う。 愚痴でも、好きな人のことでも、おかあさんのことでも、本当にどんなことでも、読んでいて気持ちが染み込んでくる日記だった。 たとえリアルでの知り合いがひとりも見ていなかったとしても、わたしには、あんな日記は書けない。 視点を変えれば、あれほど自由な、しかし自己を束縛していた日記もなかっただろう。 それゆえに、多くの人が集まり、またそれゆえに、そのエンピツ作家さんは苦しかったのだろうと思う。 作家さん宛てに何度も書きかけたメールは、全て書き終わらないうちに消した。 いなくなったのには何か理由があるに違いないのに、何も言わなかったのだから、こちらからそういう行動に出て、知らないうちに返事を強要することになるのは嫌だと思った。 でも、unknownになっているそのマイは、削除することができない。 准さん。 たぶん去年の秋、一度だけ、なっつと、准さんのことを話したことがあります。 だから、これが初めてではないことも聞いています。 もし、もしも、准さんがこれを見ていたら。 何も言わなくていいです。 でももし、戻ってくるときがあったら、何かで、教えてください。お願いします。 来年からはわたしも東京です。 もしかしてどこかですれ違っているのかもって、余計に思ってしまいそうです。 わたしは准さんの書いたものが好きです。 それは同時に、准さんという人が好きだってことです。 そこは、間違ってない自信があります。 だから、日記を書いていたことも、日記を消したことも、ぜんぶ准さんだから、このunknownはそのままです。 むかし彼に言ったことがあります。 一緒にいることでどれだけ苦しい思いをしているとしても、自分が選んでいるんだから、これは絶対に幸せなことなんだ、って。 たぶん強がらなければ言えなかった正論です。 でも今でも、間違っているとは思いません。きっとこの先も、間違っているとは思いません。 なんでここに書こうと思ったのかな… でも書きたくなったので書きました。 上見るな 下見るな 誰もがそう言うけれど 憧れ 裏切られ 傷つかない方法も 身につけ 乗り越え どこへ行こうか? 夢追い虫です。 羽なら絶対に生えています。 - どうしよう - 2004年06月21日(月) 「変わったことはないですか?」 「いえ、特には…ない…ですね。」 嘘ついてるよ… 苦しい。 - 神経衰弱 - 2004年06月20日(日) この感覚は久しぶりだ。 わたしがあなたの顔を見ないで話していることに、やっぱり気づいてたね。 「俺には言ってないでしょ?」って言ったもんね。 そうだよ。あなたには言ってない。 だってどうせ何を言っても聞かないんでしょう? それなのに「なんで逃げるの?」って迫られるのはもうたくさんだよ。 逃げていると思われてももういいよ。 もう、いいよ、放棄で。 やっぱり変わってないじゃん。 全部聞いても、わかってたら絶対に出てこない返事だったもんね。 きちんと受け止められてたらあんなことは言わない。絶対に言わない。 彼女が頑張っていたからわたしもいくつか言ったけれど、 たぶん、 もう二度と言わないから。 あれだけ力のある言葉を前に、その返事はないよ。 言っても無駄。 それはあなたの台詞じゃない。わたしの言葉です。 この無力感。 あそこまで味わわされたのも、もうずいぶん前だ。 *********************** 自分にできることも、どうすればいいのかもわかってるよ… 言ってほしかったこともそのとおりだよ 時間つくってくれたこともわかってる 相変わらず忙しいんでしょ でも議論したいわけじゃないんだよ なんかわけわかんないけど…なんだろ ああたぶんやさしくしてほしいだけなんだよ いやたぶんじゃなく絶対そうなんだよね でも大事じゃん 気を遣うのもあたりまえじゃん だからさぁ…そうやってぜんぶ諦めるのやめようよ… 痛い…… - さて困った。 - 2004年06月18日(金) こんなところに意外な落とし穴があったなんて。ぬおっつ。 いや「ぬおっつ」なんて自作のふざけた感嘆詞使ってる場合じゃないんです。 本当にへたってます。どうしよう。 じっくり考えるよと周りには言いながらも、実際はこれから大急ぎでいろいろ考えなければならないようですが(しょ・しょるいが…)、気になっていることだけ書こうと思いました。 そもそも、この金曜日の面接を受けに行くかどうかでとても迷いました。 実際は「面接」ではなく「面談」だと、既に内定を受けている後輩から聞いていました。 内定を出すことはその前の役員面接の結果で決まっていて、それを伝えるために呼ばれているだけだと。 その面接へという連絡が来たのは水曜日で、電話を取ったわたしは「次の選考へ」と言う採用担当者に対しそれを受諾しました。 しかしそこで、交通費の話が一切出ませんでした。 前回の面接で既に交通費が支給され、そのときには領収書の宛先もしっかり指定されたので、当然今回も出るのだろうと思っていたのが、話題が及ばないまま電話は終わりました。「持ち物はありません」なんてどうでもいいんですよ。ええ。 でもまさかこちらからきくわけにもいきません。 仕方なく後輩に、交通費が支給されたかどうかきいてみると、支給されたとの返事。 でも実は、後輩とわたしでは受験している枠が違うのです。地域型の彼と全国型のわたしで、地域型には交通費を出して全国型には出さないということもないだろうとは思いましたが、「仮に交通費が出なかったとしても受けに行くのか?」という問いは、わたしを悩ませるのにじゅうぶんでした。 でもその時点で、なぜ迷っているんだろう、という話にもなるわけです。 先に内定をもらった企業が第一志望だったはずですから。 もし第一志望にそのまま入社する意思が強いなら、交通費を自分で出してまで別の会社の内定をもらいに行く意味はないはずです。実際に交通費が出るのかどうかは、行かない限りわからないのですから。 でも結局、行ってきました。 行ってますます、迷っているわけです。 内定理由も聞きました。 面接でこちらの話を聴いていないような態度を取っていた理由と、それを踏まえてのわたしの評価も聞きました。 性格的なもの以外での自分のいちばんの強みと理解してきたこと、これまで意識してその能力を伸ばそうとしてきたことを面接で試してきたのですが、それをきちんと評価してもらっていると感じました。 今さらながら気づくのは、先に内定をもらった会社の面接では、素直で正直な気持ちを前面に出し、展開を論理的にすることでじゅうぶん伝えるよう心がけたのに対し、この会社では、いかに論理的に自分の考えを示すか、切り札となるカードをいつ出すかに心を砕いてきたということです。頭だけで話してきたと言ってもいいでしょう。 ただ、大事なのは、やはり最終的には自分がどう働きたいかという気持ちと、その会社でそれができるのかどうかということです。 その気持ちと、会社の印象や自分がどう評価されたかということはまた別でしょう。 また、自分で考えても見えることと、自分で考えていては決してわからないことも、分けて考える必要があるでしょう。 これらを踏まえ、もういちど問いを立て、考えることで整理しなければなりません。 来週は少し忙しそうです。 長くなっていますがもうひとつ。 この会社の前回の面接の際、そのとき一緒に面接を受けた人と、面接の後で数時間話しました。連絡先も交換し、お互い面接の結果を教えようということになりました。 彼も、わたしと同様に、面接官の一貫した態度には疑問と不信感を抱いていたらしく、面接を重ねても疑問が払拭できないと言っていました。 そのせいもあり、話を聴いていない態度の面接官にカチンときていたようです。 話しているときも、そのことはずいぶん口にしていました。 どうやら彼は不合格だったようです。 わたしは、最後の受験自体を迷っていたこともあり、内定をもらってから、そのことを彼に連絡しました。 すると、いろいろ返ってきたなかに、「受かるためにはテクニックも駆使しないと…」という言葉がありました。 わたしのはテクニックだったのかな、と思うと違和感をおぼえました。 自分を受け取ってもらっていない気がする面接でも、面接官が戦略的にそういった態度に出ることもあるのだから気にすることはないと、数人から言われました。 しかしわたしは、どうしたら相手が満足・納得してくれるのか、どうしても考えてしまいました。 だからテクニックではないと思っているのです。 それともこれも、テクニックだったのでしょうか。 核となる気持ちがないために、まとまりのない文章になっています。そして長い。 次回はすっきりいきたいものです。 - 光明 - 2004年06月10日(木) わかった…ようやく、わかった。 ずっと考えていた。 もしも去年トップじゃなかったとしても、きっと今年のほうが、うまくやったと思う。 経験だけじゃない、何か違いがあると思う。 その理由を、考えていた。 そこに大事な答えがあると思ったから。 もう5年。 仕事はずっとおもしろかった。 ものすごく情緒不安定になっても、いろんなものを犠牲にしても、 やっぱり仕事はおもしろかった。 なんでこんなことしてるんだろうと悔やんだことは一度もなかった。 お金を稼ぐためだと思って我慢したことも、一度もなかった。 幸せだったと思う。 でもこれまで、「仕事はおもしろい」と言ってしまうには、少しのプライドが必要だったと思う。 だってやっぱり、苦しかったから。 今年、声が出ないのはストレスのせいだと病院で言われたことを、仕事先では、ヨウさん以外の人には言わなかった。 そのことを知っても、ヨウさんは後から「仕事してるときに情緒が安定するようになったね」と言ってくれた。 その意味を、考えていた。 自分を信じること。 一緒に働いている人たちに信じてもらうこと。 一緒に働いている人たちを信じること。 お客さまに信じてもらうこと。 意見のやりとりをすると喧嘩ばかりになってしまう学生委員。 その彼らの間でも、わたしは 「はっきりものを言うけれど、学生委員以上に熱い人」 で通っているらしい。 ほしかったものは、とっくに手に入れていた。 - 変わってないって言われても。 - 2004年06月07日(月) もうあなたに向かうこころは閉じたのです。 あなたに遣るこころは持ち合わせていません。 変わってないのはあなたですよ。 やさしい言葉がほしかったなら、 強がらずに素直に言えばいいじゃないですか? そこまで読み取らせる関係にはないはずですよ。今は。 きちんと言わないくせに、 わかってもらえないと言って他人のせいにする。 それがおかしいと言ったのは、誰ですか? わたしはきちんと言いましたよ。 今の自分があなたに対してもてる最大のやさしさをもって、 がんばって、と。 悪いけど、わたしに向かっているのかもしれないあなたのこころは、 わたしには伝わりません。 だから、悪いけど、何も思わない。 そしてあなたがわたしを同じ目線で見ている以上、 わたしのこころはあなたにはひらかない。 だからわたしのこころもあなたに伝わらない。 それを選んだのは、他でもない、 わたしたち自身なのです。 それとも、わたしが、 大きくなればいいのですか? そしたらあなたも大きくなりますか? 伝わりますか? だからあなたが嫌いなんですよ。今。 - 洋志さん言うところの「ショッカツ」 - 2004年06月04日(金) 本格的に活動を始めたのが四月の半ばだったことを考えれば、順調だろうと思う。 しかも受験した会社の数は、両手の指の数に足りないほどだ。少ない。 次回が最終選考で、日程の決まっている会社が、二社。 志望度に差はあるが、行きたい会社しか受けていないから、問題はない。 まだきちんと準備をしていないから、不安だ。 面接の前で準備がまだできていないときと、結果の連絡を待っているときは、不安なのだ。 もうひとつのほうの日記には書いたのだが、 「面接が始まった途端に突然ものすごく緊張した会社」があった。 それがその二社のうちの片方だ。 この会社、突然緊張したときの次の面接が前回だったのだが、今度は、こちらの話をきちんと聴いてもらった感じがしなかった。 質問に対してとんちんかんなことを言ったとも思わないし、気持ちや考えの部分で嘘はついていない。 でも「聴いてもらっていない」と感じるから、追加して話してしまうし、 面接官の話を聴くときは「対お客様レベル」で「聴いています」のアピールをしてしまう。 印象の良し悪しもあるだろうから、聴いている姿勢を見せるのはまあいいだろうが、無駄に話すのは逆効果だ。 …と、気づくのも、面接の後。 なぜか、自分をしっかり見せてきたという気がせず、帰りの新幹線の中でもずっとその理由を考えていたが、わからなかった。 なのに、通った。 ヨウさんはかなり酔っぱらいながらも「面接官のリアクションが少なかったからじゃない?」と言った。 わたしと同じく活動中のなっつは「不満の残る面接ほど通ったりするものだよ」と言う。 確かに、これまで見ていて、その会社の面接官は一様に、こわいというか、鎧を身につけているような雰囲気があったし、思い返せばこちらの話に対するリアクションもあまりなかった。 もう一方の会社の面接が「お話ししてきた」という感じだったから、余計ギャップを感じるのかもしれない。 加えて、わたしは数を多く受けていない。 別段首をかしげることはないのだろうか。わからない。 就職活動はつらくない。鬱にはならない。 こんなふうに、外から多くの問いを与えられ、自分でも多くの問いを見つけられ、自分をじっくり見つめることのできる機会は、そうそう多くない。 だからこれをずっとやっていてもいいとは思わないが、就職活動、悪くない。 研究職という道もあった。とても迷った。 休学してじっくり考えようと少し思った。 でも、あの夜、ここから出て行かなくてはならない、自分をひらこう、と、抗いようもなくはっきりと思ったときのあの感覚は、まだ、失くしていない。 だから、就職とは何か?という問いに答えることは、簡単だ。 こんなこと書いていて、また一からスタートになったら馬鹿だけど。笑。 - 嘘だ - 2004年06月03日(木) ああ、「変わってほしいなんておこがましいことは思ってない」なんて、嘘だ。 わたしが見たいのは、あのひとの、自由なこころ だ。 何か始まるかどうかもわからないのに、始まるとしたら、それはあのひとが自由なこころを手に入れてからだから、そうならないうちは、わたしが望む結果がやってくる可能性はない。まったく、ない。 初めに思った以上に自分へのダメージが大きい。 だから相手を苦しめているであろうことまで頭が回らない。感覚としてのそのことが理解できない。 でも苦しんでいないかもしれない。 その場合、わたしの言葉は、何の意味ももたなかったということだ。 だとしたら、こっちのほうが、絶望だ。 どっちがマシだ? 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