渇望 - 2004年02月29日(日) 本当はお昼ごはんに誘われていたのだけれど、誘われていることに気づいたのが、既に15時をまわった頃だった。時すでに遅し。もったいないことをしてしまった。 昨日からヨウさんにかまってもらいたいと思っていて(どうにも調子が上がらない)、ヨウさんが夕方から行くというライブに「いっしょに行くか?」と言ってもらっていたのだけれど、相変わらず声が出ないのと、会っても満たされないまま帰ることになってしまう気がして、それでは忙しいヨウさんに迷惑がかかると思い、観念してずっと家にこもっていた。 すると18時頃にナイトさんからメールが入って、今から家に行ってもいいかという。 ずっと働きづめで家は荒れ放題だし、わたしの家で話したらナイトさんの本当の用件は聞けないだろうと思ったので、外に出るかナイトさんの家に行きますと言ったら、外にいるから外で会おう、ということになった。ナイトさんからメールが来るということは何か連絡があるんですね、とメールで言ったら、いや心配してるだけだ、と返ってきた。驚いた。 話した内容はいつも通りではあったけれど、ナイトさんはナイトさんのやり方でわたしを心配してくれていることがわかったので、そのことは素直に嬉しかった。 でも、ナイトさんに会ったことで、やはり、ヨウさんに電話をかけずにはいられなくなってしまった。こんなときに電話で話してもさっぱり満たされないし、何よりヨウさんにとっては大迷惑だということは、よく知っているのに。それでも、どうしても、話したくなってしまった。 他の誰でもなくヨウさんにしてほしいと思うことが、この時期は、多すぎる。望みすぎていることも、知っているのだけれど。 - 存在感 - 2004年02月28日(土) 飲み会のほうの追いコンでの話なのだけれど、うちの大学の先生でもある人が、ちょっとしたつながりで、追いコンに参加していた。わたしは今回初めて話したのだけれど、あちらは、皆のことをよく見ているという感じだった。 その人から言われたのが、「きみはエレクトーンに座ると大きく見えるよね」という言葉だった。 わたしは背が小さい。本当に小さいので、集合写真などはまず前のほうにいるし、人と話すときは大抵相手を見上げている。それをふまえての、その言葉なのだろう。目立ちたがりやにとって、それは、誉め言葉だ。そしておそらく、そういうものは、他の部分でも発揮されている。 ステージを遠くから見ている人は、わたしたちが思う以上に、いろんなことを読み取るものなんだなあと、改めて思った。 - 追いコン - 2004年02月27日(金) 今日は、サークルの、追い出しコンサート・追い出しコント・追い出しコンパの日だった。 これまでの活動の中で思い入れの強い一曲を演奏するのがひとつと、後輩がギターを弾き、わたしが歌うのが一曲。この後輩も卒業生。二期生だけで演奏できて嬉しかった。 数日前から声が枯れていて、これが歌の練習をしたからかというとそうではなく、その前からおかしかった。 あまりにも戻らないので、自分でもこれが本当の声なんじゃないかと思い始めたが、母と電話で話したら「声が変だよ?」と言われたので、やっぱり変なんだ、ともういちど気づいた。歌うのに支障があってはならないと思ってなるべく話さないようにしているのだけれど、元来おしゃべりな性格、さらに接客業のバイトをしていては、ちょっと無理があったらしい。 前に扁桃腺を化膿させてしまってから、すぐに声が枯れるようになってしまった。 とか何とか言いながらも、歌は無事うたいきりました。音も外してない、と思います。さてどうだったんでしょう。 泣かずに帰れたので上出来。 近いうちに、HPのほうに、大いなる私信を上げようと思っています。 - こわいと言われた - 2004年02月26日(木) ここ最近、自分でも、雰囲気が刃物のようになってきていると感じる。 誰かを傷つけようとしているつもりはないし、たぶんそういうことではないと思う。原因も自分ではわかっている。余裕のなさというよりはむしろ、人に対する自分の姿勢の問題だろう。仕事先で、学生バイト全員に対して、基本的にシビアな視線を向けなければならないからだ。基本的には一人ひとりについて、働き者かそうでないか、どんな性格でどの部署・どのポジションが向いているかを考えることも、わたしの仕事である。 一昨年と昨年も同じ状況だった。だから、毎年この時期はサークルには顔を出してこなかった。おそらく普段とは別人のような顔つきだろうから。でも、今年はどうしても、追いコンに出たい。そのために練習も必要だ。だからサークルに行く。 そして、やはり、雰囲気がこわいと言われた。 けれど、仕事先では、わたしがこわくても関係なく、みんなかなり仲がよい。 トップがこわいのは、常識なのだ。 - あーあ。 - 2004年02月21日(土) この時期はやっぱりバイトのことが生活のすべてになってしまうんだなあ。 他の何事も、両立できない。わたしにはその力はない。 そもそも体がもたないもんなぁ… でもここでふっと一息入れたら、絶対に風邪をひく。そして迷惑をかける。ジョノが言っていたことはわたしにも当てはまる。 もちろん、わたしがいなくても動く。自分にしかできない仕事をしていると自負するのと同時に、自分がいなくても問題なく動くとも思っている。 それでも、休むわけにはいかないのだ。 - 受け身 - 2004年02月13日(金) きちんと言えないのだけれど、 「誰か」が、「何か」を、わたしに差し出してくれるのを 待っている。 なにかわからないけれど、 そんな感じがする。 誰が、いったい何をくれれば満たされるのか、 さっぱりわからないのだけれど。 - 一人称 - 2004年02月08日(日) たぶん、HPに別の日記をつなぐようになってからだと思うのだが、WEB上での一人称が変化した。 それまで「あたし」だったものが、「わたし」になったのである。 それでも、メッセやメールなど、より私的な意味合いの強いものに関しては変わらず「あたし」としていたのだが、それも最近は、違和感を感じる。 「私」というのも、ワタクシと読めるので、なにか違うと思ってしまう。やや男性的だと感じているのかもしれない。 けれど口語においては「あたし」と発音して話している。わざわざ「わ」を発音するよりは、楽な「あたし」でいたいらしい。 以前にも書いたことがあるが、わたしは言霊信仰の持ち主だ。 何が変わったのかは、今はよくわからない。 - 仕事場で。 - 2004年02月07日(土) わたしがバイトに入った年にトップだった、まことさんが来た。 まことさんは、去年は卒業学年だったので働きにきてくれて、繁忙期の早朝出勤のときには車に一緒に乗せていってくれたり、少し暇な時期には息抜きにご飯を食べようと誘ってくれたり、元トップならではのケアをしてくれた。 トップならではの苦労話で盛り上がってから、もう一年経ったんだなあと改めて思った。 今年は、わたしの頭の中がバイト一色にはなっていないからかもしれないけれど、去年に比べてかなりのんびり構えている。 どこを押さえれば大丈夫なのかがわかったからだと思う。 それに、いちばん責任を負っている者が精一杯の表情をしているのは、やはりよくない。そう思って気をつけていても、やはり周りには何となく伝わってしまう。 今年は、たぶん、それはない。 今日、まことさんから言ってもらった。 「なんだか、きみが去年より大きく見えるよ」。 悪い癖がでた。 「いえいえ、そんなことないです」と返してしまったのだ。 「ありがとうございます」と言えばよいではないか。 思っても、もう遅い。 でも退勤時に気づいた。 去年、繁忙期の真っ最中にヨウさんから「よく頑張ってるじゃん」と言われたときは、「本当?ありがとう」と返したのだった。そして帰宅してからぽろぽろ泣いた。この仕事のことで褒めてほしい人はたった一人なのだ。 - はぁ。 - 2004年02月06日(金) そうなんじゃないかとはずっと思ってたんだけどね。 本気になるのがこわいんだ。 近くにいる人ばかりが見えるのは、わたしもあの人も、そしてあの人も一緒だから、今は、心穏やかでいられるんだ。 - なきむし - 2004年02月04日(水) ヨウさんに会った。 大学院に進学してから、会う頻度が増えた。たぶん、ゆうと別れてから増えたんだと思う。 今日はもうずいぶん整理できていたから、落ち着いて話せるだろうと思っていたわたしが甘かった。ヨウさんらしいコメントが聞ければそれでいいと思っていたのは、甘かった。 わたしがヨウさんを呼び出すときは、いつも、わたし自身が疲れているときや、何か相談があるときだ。それをヨウさんも知っていて、でも、物理的に会えないとき以外は、一度だって、断られたことはない。 初めて会ったのは、学部一年の、ちょうど今ごろだった。出会ったときから、今も変わらず、好きだと思っている。でも、この「好き」な気持ちがどういうものかを説明することは容易くない。ヨウさんの状況も、わたしの状況も、変わり続けていて、その中でたったひとつだけ確かなことがあって…でも、それすらも、何か言おうとすると、見えなくなってしまう種類のことだから。 そんな気持ちを抱えていることを、わたしはもしかしたら、忘れていたのかもしれない。 一度は我慢できた。 でも二度めに、ああ危ないな、と思ったときはもう遅かった。 よりによってお店で、男の人とふたりでいるときに……ひどく泣いてしまった。 ヨウさんの前で泣いたのは初めてだと思う。 もう決めたことなのに、どうして、こんなふうになってしまうのか、わからなかった。 決めたことなら頑張れ、と言われた。 本当に決めたのなら、思う通りにできるはずだとわたしは思っている。 だから、結局いつも通り、どれだけ本気かが試されているにすぎない。 それは自分でもわかっている。 何か新しいことが聞きたかったわけじゃない。ヨウさんは、決めたことを言わなきゃいけない人のひとりだったのだ。 勝手な思い込みかもしれないが、この間柄に冗談は存在していない。 冗談のように話してはいても、すべて本気だ。少なくともわたしの側は。ヨウさんとわたしはそういうところが似ていると思うから、ヨウさんも、わたしに向かって、思っていないことは言えないはずなのだ。何も根拠はないけれど、わたしはそう確信している。 なにか返事みたいだけれど、わたしは、ヨウさんが予想しているほどには、ヨウさんのことをいいひとだとは思っていなくて、でもだから、わたしはヨウさんを大事に思っているんです。伝わるでしょうか。 明かされていく秘密 何か終わり また始まり ありふれた言葉が からだ中を巡って 翼になる 帰り道、送ってもらった車の中で、この曲「スターゲイザー」がかかったこと、そしてそこでヨウさんが言ったことは忘れないと思う。始まるためには、終わらなければならない。 - 力強く生きろ。 - 2004年02月02日(月) 論文を出してきた。 今回は論文のことをかなり後回しにしてきたので、ひどいものだ。 レポート以下としか思えない。 今日が提出の締め切りだったので、指導教官と副指導教官の判子をもらって提出したが、教官と相談して、場合によっては後日差し替えて、それを学校に残すことも検討している。学位論文ではなく審査もないのだから気楽に、と指導教官は言ったが、むしろあなたについているから気楽なものは残せない、と言いたかった。差し替えを検討する最大の理由は、本人として、到底納得のいく出来ではないことなのだが。 そうは言っても、あの状態できちんとした論文を書こうというほうが間違っているとも思う。見方によっては、出さないほうがましだ。 提出を済ませ教官との面談も済んで、副指導教官にきちんと挨拶をしようと研究室を訪ね、少し話をした。 指導教官には今は言えないことがあるので、そのことを話してきた。「まだ決めていないので」とは言ったが、わたしがもう決めていることはわかっていると思う。 先生はそういう顔をした。 退出するときに、まっすぐに言われた。 「力強く生きろ。」と。 そういう種類のことばをしっかりと言える先生だ。皆の前でもきちんと言う。 わたしが、本当は何を迷い、何を考えていたのか、わかっているのだと思う。 それでいて、なぜ本当のことを言わないのかも、わかっていると思う。 高校時代に「お前は真面目だから、もっと遊ぶといいよ」と言った先生に似ている。 思う存分エレクトーンが弾きたい。 -
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