DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
今日は第39回空手道選手権大会最終日でした。私は主審8試合、副審12試合で審判員を務めました。今回から決勝戦の副審をするようになりました。日本一を決する試合の審判をするのですからとても光栄な事ですが、選手にも観客に対しても皆が納得の行くジャッジをしなくてはならない重い責任があります。常に勉強して、しっかりと判断出来る目を養い、その時に自分が本当に正しいと思う判断をし判定をしなくてはいけません。選手の皆さんは自分の全てを賭けて試合に臨んでいます。それは私も選手をしていたのでよく分かっています。だからこそ選手の皆さんが納得の行くジャッジをしなければ行けないと思います。大会が終わり家族に早く会いたくて新幹線に飛び乗り家路に急ぎました。新幹線の中でも家族とずっとLINEしていました。でも帰って来たら来たで、子供達が騒ぐので、イライラしてしまい怒鳴ってしまいました。
第39回全日本ウエイト制空手道選手権大会初日でした。私は主審8試合、副審8試合、審判務めました。今回から審判資格も主審判員という資格になりました。この主審判員は世界大会、国際親善大会、全日本大会、全日本ウエイト制大会、で主審を務める事が出来る資格です。ルール改定されてから10年に成りますが、ルールの微調整があるので常に勉強して行かないと正確なジャッジをする事が出来ません。年に4回の支部内で主審をしているのがとても良い経験になっています。あと10年位は主審を務めさせて頂きたいと思います。試合終了後に全国支部長会議に出席しました。
今日は朝起きてジムへ行き、ストレッチとトレーニングを行いました。昨日、興福寺で見た金剛力士立像の身体をイメージしながら背中のトレーニングをしました。今日は元興寺に行きました。元興寺は初めてだったのでとても勉強になりました。仏教はインドの地で釈迦が開き、中国と朝鮮半島を経て552年、欽明天皇13年に伝えられました。仏教は新しく渡来した異国の宗教だったため、仏教を広げたい蘇我氏と、もともとある神社などの神道を守りたい物部氏が争い、587年に蘇我馬子が厩戸王(のちの聖徳太子)と共に群を起こし物部守屋を破り、仏教が開かれる事となりました。その翌年に飛鳥の地に元興寺の前身である法興寺(飛鳥寺)を建立しました。710年に奈良に都が移された時に法興寺も奈良に移され、名前を法興寺から元興寺になったそうです。そんなこんな歴史をかんじながら建物や仏像や絵を見ていると本当に不思議な気持ちになります。昼過ぎから審判講習会に参加しました。ちゃんと意見も言いましたし、主審の動作を前に出てやりました。昨日から1人で寂しくて家族にLINEしまくっていました。妻と長男がけっこう相手をしてくれました。
全日本ウエイト制大会が大阪で行われるため、始発の新幹線に乗り京都で降り近鉄線で橿原神宮前で降り、橿原神宮に参拝しました。この橿原神宮は日本の最初の天皇である神武天皇が即位した場所とされ、日本の始まりの地とも言われています。そのあと法隆寺と中宮寺に行きました。法隆寺は聖徳太子と関わりの深い寺院なので、聖徳太子の絵や聖徳太子の像がたくさんありました。法隆寺も中宮寺も来るのは2度目ですが、今回はゆっくり見れたのでいろんな事を知る事が出来ました。聖徳太子は49歳で亡くなった事、それを橘大郎女は嘆き、今は国宝である天寿国曼荼羅繍帳を作らせたこと、中宮寺の本尊で国宝である如意輪観世音菩薩は聖徳太子の母穴穂部間人がモデルだったこと、などを知りました。雨が降りそうだったので奈良駅まで行き、循環バスで奈良市内をグルっと回って興福寺に行きました。興福寺はもう3回目です。興福寺にある国宝館の金剛力士立像と天燈鬼立像と龍燈鬼立像と千手観音菩薩立像と十二神将像と十大弟子立像と八部衆立像が好きです。なかでも八部衆立像の阿修羅像が好きです。子供の頃からいろんな所で目にした阿修羅像が自分の前にあるだけで心が熱くなります。今回いろいろな像を見ていて思ったのですが、人間の身体は昔から変わっていないと言うことです。今は科学的なウエイトトレーニングが出来ます。どんどん最新のトレーニングが出来ています。でも金剛力士立像は鎌倉時代に作られているのに、今のボディービルダーのような筋肉がある身体をしています。たぶんあの時代にもあれと同じような身体をした人がいたはずです。西洋の古い象や絵を見ても今のボディービルダーのような筋肉がある身体をした物がたくさんあります。という事はある程度はウエイトトレーニングの仕方も確立されていたわけです。西洋のボクシングやレスリングや中国の拳法や日本の空手や柔道などもそうで強くなる方法と言うか身体の使い方はもう千年以上の昔から確立されているのだと思います。私は確信を持ってそう思います。古い物を学び、自分なりのアレンジを加えて新しい物を作って行けば良いのだと思います。だから新しい物に飛びついているようじゃ狂った時計になってしまい、人の前に出る事は出来ないのではと思います。私は今日もジムを見つけてトレーニングをしました。金剛力士立像の体を目指してウエイトトレーニングをしました。
私が小言を言うと長男は鋭い目つきで私を睨んで来たりします。私が何かをしろと言ったりすると面倒くさそうな顔をしたりもします。私も頭に来てコノヤロウと思う事も多々ありますが、我慢して叩いたりはしないようにしています。私は長男を家で叩いた事は1度しかありません。何故そうしているかと言うと私は父に叩かれたからです。だから私は父の事が恐かったです。今は父も穏やかになりましたが、やはり今でも父と2人でいたりすると少しは緊張します。私は子供達と友達のような部分も持っていたいと思っています。私は気難しい所もあるので、小学校や中学校の頃や若い頃の友達ぐらいしかいません。東京に来てから何故か人見知りにもなり、なかなか人と打ち解ける事が出来ません。だから私は家族といる時が1番自分でいられて楽しい時間です。私が家にいて家族にウザがられては困りますし、子供達が成人して私が家にいるなら外に出かけるようになられたら、これも寂しいものです。子供達を力で言う事を聞かせる事は簡単です。でもそうではない方法を今、一生懸命に考えています。
今の時代はスマホで簡単にいろんな情報が手に入ります。SNSやGoogleやYouTubeなどさまざまな物から簡単に情報を手に入れる事が出来ます。とてもとても便利な物です。でも空手の稽古やウエイトトレーニングに関しては情報にいちいち流されてはいけません。自分が信じた稽古やトレーニングを一定期間頑固にやり続ける必要があります。そして同じ事を繰り返す事で向上して行きます。そうすると同じ事を繰り返しているように見えて螺旋階段を登るように自分の身体も心も技術も気も向上して高まって行きます。同じ事を繰り返すからこそ自分の身体や心や技術や気の変化に気が付く事が出来ます。情報にいちいち惑わされて稽古していては強くはなれません。自分のやっている稽古を信じて行う事が自分が強くなり近道です。一見技術的な物がとてもとても向上しているように見えますが、人間が出来る事など限られています。その時代その時代で多少の変化があろうとファッションのようにグルグルと繰り返しているだけです。最新の科学的なトレーニングをしているであろう百メートル走の世界記録も上がっていると言ってもこの百年で1秒ほどしか縮まっていません。基本的な稽古を地道にコツコツ稽古する事で自分の身体の良い所と悪い所を理解し、自分の身体で出来る最高の動きを作って行き、自分の苦手を克服して行く事で心を成長させて行けば良いと思います。SNSもそうで、人の情報に自分がいちいち動かされては行けないと思います。自分というものをしっかり持った上で人の情報を見て、それに惑わされることないようにしなければ行けないと思います。人間の作ったもの全ては人間がより良くなるためにあります。それに振り回されて自分の人生が右往左往させられないよう生きて行きたいと思っています。
自分の身体も心も考えも留まる事なく常に変わって行きます。毎日がはじめましての自分です。当たり前ですが10年前の自分と今の自分はほぼ違う自分になっています。自分というものは常に変化しています。進化もして行くし劣化もして行きます。自分が持っている情報や記憶は自分が生きて行く上で良く働く事もありますが、それが自分を邪魔する事もあります。今までの自分にとらわれず今という瞬間の事だけを考えて生きて行きたいと思います。もともとは自分というものは存在せず、今も自分は自分という形でいるだけです。そしていつか自分というものはこの世から消えて行きます。自分が存在したと言う事を残すためには、自分の事を一生懸命にやって、それが人のためにもなり、人の心のなかに自分が残る事だと思っています。遺伝子を残すだけならそれは動物にも出来ます。同じ生き物としては、人間の驕りになるかもしれませんが、人間だけが人の心に生き続ける事が出来る生物なのではないかと思っています。今という瞬間を大切に一生懸命に生きたいと強く思います。
私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2024年夏季極真ルール組手競技支部内交流試合でした。全出場者27名でした。今回は私が道場を運営するようになって21年目で始めて高校生の部の試合を開催する事が出来ました。岸之上巧と三尾理音と岩崎瑛太郎が出場しました。3人とも一生懸命頑張っていました。とても感動しました。結果、岩崎瑛太郎が優勝しました。瑛太郎は幼稚園生から入門した生徒なので私も感動で涙が出そうになりました。本当に今までよく頑張って来たと思います。瑛太郎の年代もたくさん生徒が入門したのですが、今残っているのは瑛太郎1人です。瑛太郎より強い子はたくさんいましたが、結果ここまで空手を続けて始めての高校生の部で優勝したのは瑛太郎でした。たぶんこの極真ルールの試合では初優勝だと思います。続ける事の素晴らしさを瑛太郎に改めて教えられました。1人でも多くの道場生が空手を続けてくれるよう私も頑張って指導して行きたいと思います。
指導が終わり自転車で帰宅する途中、釘のような物を踏んでしまい、自転車がパンクしてしまいました。明日は審査会があるので、自転車が使えないと不便なので、急いで自転車屋に行きパンクを直してもらいました。パンクを直してもらってる間に家に帰り、お風呂に入って、自転車を取りに行ってから買物に行き、いつもと同じ時間には食事をする事が出来ました。アクシデントが起きても、素早く対応してテキパキ行動して行けば良い事を改めて感じました。テキパキ行動したおかげでゆっくりとビールを飲みながら夕食を摂ることが出来ました。
私は週に6回ウエイトトレーニングをしています。月曜日は胸、火曜日は腕、指導の合間に首と腹筋と背筋、水曜日は肩、木曜日は足、金曜日は背中、土曜日は腹筋と背筋、と言う感じです。トレーニングの種目とトレーニングをする順番とインターバルの時間はあまり変えないようにしています。でもトレーニングのフォームや重さや回数は常に進化して行けるように変化を加えています。トレーニングを始める時間も同じ時間にするようにしています。同じ時間にトレーニングをする事はとても大切だと思います。同じ時間にトレーニングをしていると1日のサイクルも1週間のサイクルもしっかり出来て行きます。何時に起きて何時に家を出て、仕事を何時までに終わらせ、何時にトレーニングを始め、何時に食事をし、としっかりと1日のサイクルが出来て、心も身体もそれをやる時間にはそれをやる心と身体になります。そして同じ事を同じサイクルでしっかりやっていると自分の心と身体の状態をしっかりと把握出来るようになります。自分の変化や進化にもしっかりと気付けるようになります。自分のダメなところにも気付く事が出来ます。人間は緩やかに自分に甘えて行き、緩やかにルーズになり、緩やかに下って行きます。気付いた時には時すでに遅し、というぐらい自分がダメになっていたりします。そうならないよう気を付けて生きて行きたいと思っています。
次男は裁縫とか料理とかが好きなようです。この前も近所のおじさんと釣りに行き、釣って来た魚を自分で捌いて料理して食べさせてくれました。今日も自分の水泳パンツに名札を自分で縫い付けていました。学校の家庭科でも女子より早く裁縫などをやってしまうと言っていました。次男の作ってくれたお寿司も凄く美味しいです。
私が思うカッコイイ試合は、自分より身体が大きくて実績も実力も上の相手に一歩も引かずに必死に打ち合い、最終的に気持で相手に勝ち、勝ったあとも謙虚な気持ちを忘れず、表情も変えず、礼をして試合場を降りて行く、そんな試合です。アンディ・フグ対ブランコ・ シカティック、数見肇対グラウベ・フェイトーザ、数見肇対フランシスコ・フィリョ、黒澤浩樹対ピーター・スミット、とかは良く観て興奮していました。いつか自分もそんな試合がしたいと思い稽古に励みました。そのせいもあって私はけっこう身長の高い選手と戦って勝つ事が沢山ありました。やっぱり思った事は実現するのだと思います。そして自分がイメージした通りの試合を2試合経験する事が出来ました。私の宝物です。
ビッグミットを2分2回、出来るようになりました。空手をやっていない人はよく分からないと思いますが、なかなか苦しい稽古です。ビッグミットと言う大きいミットをパートナーに担いでもらい、そのミットに試合のような感じで突き蹴りを全力で出す稽古です。これはやってみなければ分かりません。とても苦しい稽古です。普通の人は30秒ぐらいで失速して行き、1分を過ぎた当たりで動きがスローになり息がゼーゼーしてしまいます。私はまた2分2回、全力で止まらず行けるところまでは行っていませんが、自分のペースで最後まで強い突き蹴りを最後まで出せるぐらいにはなりました。かなり息があがって苦しかったので、たぶん心拍数は160は行っていると思います。そのビッグミットを現役時代は3分2分2分、間のインターバル15秒、一瞬も諦める事なく最後まで強い突き蹴りを出す事が出来ました。終わったあとは死にそうなくらい苦しかったです。それを週5日やっていたのだから凄いことです。まあそれも稽古の1部でそれから補強やミットやスパーリングやガンダムがあったのですが、久しぶりにビッグミットをやってみて、本当に自分は凄い事をやっていたんだなと思います。もうあんな事は絶対に出来ません。でもまた生まれ来る事が出来るなら、またあんな熱い青春をしてみたいと思っています。
スマホで簡単に出来るキャンディークラッシュと言うゲームにここ1ヶ月ほどハマっていました。きっかけはYouTubeで広告を見て、簡単にダウンロードして出来るので、暇潰しに良いなと思い、気軽に始めました。それがハマって来て、お風呂の中や寝る前にもやるようになってしまい、自分のスケジュールに支障をきたすようになって来ました。ゲームに自分の大切な時間を奪われるのは良くないと思い、そのゲームをアインストールしました。ゲームをやっているぐらいなら本を読んだ方が良いですし、ゲームをやるぐらいならYouTubeを見て自分の知りたい情報を手に入れた方が良いです。結構頑張ってゲームを進めてきたので迷いましたが、思い切ってアインストールしました。
頑張って稽古をすれば身体だけではなく心も強くなります。身体が強くなれば心が強くなるだけではなく、気力も充実し自分の中にある気も高まり、魂の力も充実して行きます。私は呼吸を大切にしています。ウエイトトレーニングでも鼻で息を吸い口で息を吐き腹式呼吸をすると丹田に力が集まり、身体の中でパワーが起こり筋肉が力を出し重いものが持ち上がります。呼吸は身体と心と気と魂を熱くして力を出してくれたり、冷静にしてくれたり、元の場所に戻してくれたりします。私は火の呼吸で激しい呼吸をし、瞑想と立禅で静かな呼吸をし、三戦の型で息吹と言う爆発させるような強い呼吸を行います。毎日それをやっているから体調が良いのではないかと思っています。
次男の通う小学校の運動会でした。かけっこもソーラン節も頑張っていました。次男が健康で一生懸命に頑張っている姿を見せてくれるだけで私は幸せです。それ以上のものは何も望むものはありません。次男は私に似ている部分をたくさん持っていると思います。次男は優しくて家族をたくさん笑わせてくれます。次男が大人になって一緒にお酒を飲めたら楽しいだろうと思います。
考える、感じる、思う、同じような言葉ですが、何が違うような気がします。何が違うというより、私の中では全く違います。この考える、感じる、思うを、辞書で調べると、考えるは「知識や経験などに基づいて、筋道を立てて頭を働かせること。」感じるは「感覚器官の刺激を通して情報を得ること、知覚すること。」思うは「心の働きの対象とすること。」と書いてあります。私は毎日、同じ稽古をするのですが、その同じ稽古の中で、いつも同じ事をするのではなく、必ず考えること、感じること、思うこと、を大切に稽古するようにしています。私の中では、考えるは脳で、感じるは身体で、思うは心で、というふうに認識しています。私が1番大切にしているのは思うです。その次は感じるです。最後は考えるです。考えるは稽古の前や稽古の後が多いので最後になりました。稽古中は自分のいろんな思いを思い巡らせ、自分の身体の感覚を確かめながら稽古しています。毎日、自分は変化して行きます。自分の脳も身体も心も変化して行きます。その変化を察知しながら、その変化を進化にして行けるよう、毎日自分が思い描いた理想の動きを追い求めて稽古しています。稽古すれば稽古するほど稽古しなくてはいけない事が見つかります。だから稽古はとても楽しくとても辛いです。でも稽古をすればするほど情熱と言う私の魂から起こる爆発は大きくなって行きます。明日も魂から出る情熱を爆発させて稽古に励みたいと思います。
自分の身体と51年付き合って来ました。空手を始めてから36年が経ちました。ウエイトトレーニングを始めてから34年です。20歳から28歳ぐらいまでは重いのを上げようと重さにこだわってトレーニングしていました。28歳から34歳までは試合で勝つために身体を維持するトレーニングをしていました。そこからはトレーニングしている時期があったりなかったりという感じであまり真面目にトレーニングしていませんでした。45歳にジムに入会しトレーニングを始めました。最初は怪我を治すのが目的でした。怪我をしないようマシンで軽くトレーニングしていました。そこから2年ぐらいした頃に少しずつ身体も良くなって来てだんだんいろんなトレーニングが出来るようになり、フリーウエイトも出来るようになりました。トレーニングも空手の稽古と一緒で、やればやるほど身体の動かし方が上手になり、新しい感覚で身体を動かす事が出来るようになります。人と自分の身体は微妙に違うので自分に最適な方法を見つけるにはそれなりに時間がかかります。ある一定期間そのやり方でトレーニングして効果を検証して、また新たなやり方をして見なければいけません。そんな事を繰り返し、自分に最適なトレーニング方法を見つけて行きます。私はここ最近では肩の三角筋の効かせ方と足の大腿四頭筋の効かせ方が、とても上手になりました。自分の身体がどんどん強くなっている実感があります。効果が大きくなってくるとトレーニングは楽しくなってきます。空手の稽古もトレーニングもやればやるほど楽しくなって来ます。
長男が日曜日に多摩川でハゼを捕まえて来ました。水槽に砂をたくさん入れて大きな石を置いてあげたようです。ハゼを入れたからか?ネオンテトラが死んでしまいました。生き物を買うのは私はあまり好きではありません。やっぱりどんな生き物だって一緒に生活していれば、それなりに情という物が生まれるものです。死んた時は寂しいものです。私は小学1年生の時にベニコンゴウインコを飼っていました。名前は「コンスケ」でした。私が中学1年生の時まで生きていました。コンスケが死んだ時に私は死んだ者には2度と生き返らない、もう2度と会えないと言う事を心から実感し絶望して泣きました。コンスケが死ぬ数週間前に家族でピクニックに行った時に、父と母と姉と妹は「コンスケを一緒に連れて行こう」と言ったのですが、私は「飛んで逃げてしまったら嫌だから連れて行かない」と1人で反対し、コンスケをピクニックに連れて行ってあげませんでした。その時のことを私はずっと後悔しています。コンスケをおもいだせば「ヒデタカ!バカ!」と言っているコンスケの声が私の心にハッキリと響きます。ヒマワリの種を食べている姿や踊っている姿もハッキリと覚えています。
昨日の稽古の組手で初めて長男に顔を蹴られたのですが、その事をもう少し書きたいと思います。稽古が終わり帰宅してご飯を食べお風呂に入り、お風呂の中でいろんな事を考えました。長男を初めて抱っこした日の事や長男が空手を始めた日の事や今までのあれこれを思い出しました。長男は空手のセンスがあるか?ないか?で言えば、ハッキリ言って空手のセンスと言うと身体も硬いですし、身体を動かすセンスも無い方だと思います。それは私もセンスが無いからだと思います。天才の子はだいたい天才か、天才までいかなくてもそれなりのセンスはあります。私は小学生低学年までは運動のセンスは全くありませんでした。私の身に付けた能力はほぼほぼ努力して身に付けたものです。だから長男も運動のセンスはないのだと思います。私の子供に生まれたからセンスはなかったけど、3歳で誘導され自分の意志で始めたような感じでなかば強制的に空手を始める事となったわけです。人より早く始めたのに同じ学年の子が30人以上は入門して来て、どんどん追い抜かれ、試合にも勝てず、なかなか苦しい思いもしたと思います。長男は天性の明るさがあるので自分が勝てない事や人より劣っている事を悲観せずに前に進む事が出来ました。よく卑屈にならずに曲がらないで来たなと思います。自分の子供だけどそこは尊敬します。これから長男がどうなるか?分かりませんが、せっかくここまで頑張って来たのだから、私を追い抜くまで空手を続けて欲しいと思います。出来たら自分のために死ぬまで空手を続けて欲しいと思います。極真空手を続けて自分を高め自分を見つめ直し自分を良くして生きて行って欲しいと思います。そしてその力で自分と自分の周りにいる人を幸せにして行って欲しいと思います。いつかこの日記を長男が読む事を期待して、私の素直な気持を言葉にしておこうと思います。「昨日の右の上段回し蹴りは全然見えなかったよ!悔しいけど完全にやられたって思ったよ!君は身体も硬くセンスもないのに良くその蹴りを身に付けたね!10年頑張ればどんな人間でも強くなれるんだなと改めて君に教えられたよ!今までよく頑張ったね!おめでとう!」
今日の稽古で長男と組手をして長男に右のブラジリアンキックで顔を蹴られました。もちろん私もそれでは終わらせず、そのあとお返しに左上段回し蹴りで長男の顔を蹴りました。長男に顔を蹴られた時の気持ちは悔しかったけど悪い気持ではありませんでした。遂にこんな日が来たか?!と言う気持ちでした。長男も空手を始めて10年が経ちました。長男は3歳で空手を始めました。同世代の仲間の中では2番目に早く空手を始めたのに、あとから入って来た子達にずっと抜かれ続けて来ました。ずっと試合で勝てなかった時期もありました。空手を辞めたいと言った事もありました。でも頑張って続けて来たから今日という日があったのだと思います。面と向かっては言えなかったけど「おめでとう!よくここまで頑張ったね!」と言ってあげたい気持でした。長男は家に帰って来て妻に「パパに言うと不機嫌になるから言わないでね。今日、パパの顔蹴ったよ!」と喜んで言っていたそうです。私も頑張って鍛えて行かないと長男が20歳になる前に追い越されてしまいます。長男が20歳になるまで、あと7年です。それまでは踏ん張って壁になってやろうと思っています。
久しぶりに次男と矢口区民プールに行きました。2人で1kmぐらい泳ぎました。次男にバタフライを教えました。25メートルをクロールで全力で泳いでみました。私が16秒で次男は35秒でした。股関節を人工股関節にしてから初めて泳いだのですが、平泳ぎの足は怖くて強く蹴る事が出来ませんでした。あとは全て違和感なく泳ぐ事が出来ました。クロールで泳ぐと少し右肩が痛いので、バタフライが1番泳ぎやすかったです。昼過ぎから巨人戦を観て、お風呂に入って、夜ご飯を食べながらビールを飲んで最高の休日でした。
股関節を人工股関節にしてから9ヶ月18日が経ちました。やっとミットを蹴ってもビシッと音がして持っている人がキツイぐらいの蹴りを出せるようになりました。人工股関節になって自分の股関節の開く角度が大幅に変わってしまったので、ねじらずにひねらずにスムーズに力を伝える蹴りを研究して稽古して来ました。少し自分で納得出来る蹴りを蹴れるようになって来ました。出来ない事が増えると新しい身体の使い方が見つけられるので、それはそれで楽しかったりします。これからも諦めず精進して行こうと思います。
昨年の8月の手術の前ぐらいに肩を悪くしてからベンチプレスが出来なくなってしまいました。今年に入ってから少しずつ肩が良くなり、何故かインクラインベンチプレスなら出来るようになりました。なので胸の種目はインクラインベンチプレスとペクトラルフライとケーブルクロスオーバーとディップスとダンベルプルオーバーを行っていました。でも何故か肩の調子が良くなって来たので、月曜日の胸のトレーニングの日に加え、金曜日の筋トレの時間に道場生達とベンチプレスだけ一緒にやるようにしていました。今日は1セット目は100キロを5回、2セット目は100キロを3回、3セット目は90キロを5回、上げることが出来ました。20代の頃は170キロを上げていたので、その頃の記録にはまだまだ及びませんが、51歳の自分の成長を楽しく感じています。今年の終わりには100キロを10回上げれるよう頑張りたいと思います。若い頃に出来ていた事の半分ぐらいの事が今は半分しか出来ないのに、それを一生懸命にやるなんて馬鹿らしいと思う人もいるかもしれませんが、私は自分が降って行く景色を楽しんで生きて行きたいと思っています。全てをポジティブに考えて全てを自分が楽しめる事にして行きたいと思っています。長男が初めてチンニングを1回出来るようになったそうです。自分に向いている事や出来る事をもっと出来るようにする事よりも、自分に向いていない事や出来ない事を少しでも出来るようにする事の方が困難です。でもだからこそそれは素晴らしい事です。
私は老いという物は年齢から来る物ではないのではないか?と思っています。情熱や挑戦する気持がなくなり、自分の可能性に限界を感じもうこのぐらいで良いと諦めたり満足したり、毎日をワクワクしてドキドキして楽しく過ごせなくなった時に老いてしまうのではないかなと思います。情熱は何故なくなってしまうのだろう。1番の敵は何なのだろうと考えてみました。それは時間と慣れだと思います。時間が経てば火も消えてしまいます。時間が経てば飽きてしまいます。時間が経てば慣れてしまいます。時間が経てばダラけてしまいます。でもみんな同じ時間を経過しています。時間が経っても情熱を持ち続けていられる人は情熱に常に新しい情熱を付け足して行ける人だと思います。何かを諦めたり辞めてしまう原因と言うか1番の的は大きな壁に打ち当たって挫折する事ではありません。以外に飽きてしまう事や慣れてしまう事だと思います。そしてそれ以上の楽しみを見つけてしまう事だと思います。私は極真空手を始めてから、先輩や仲間や後輩や道場生が辞めていくのをたくさん見てきました。もちろんみんなそれなりに出来ない理由があったのだと思います。だから笑顔で送り出します。でも心のなかでは「男だったら決めた事は最後までやろーぜ!」って思います。
ここ3年以上、ギックリ腰になっていません。それまでは1年に1〜2回は必ずギックリ腰になっていました。それも毎日1時間は入浴し、1時間はストレッチをし月に2〜3回は針治療をしていたのに、毎年必ず1〜2回はギックリ腰になっていたのです。それがこの3年間は全くギックリ腰になっていません。毎日の入浴とストレッチは続けていますが、今は針治療には全く行っていません。何が原因なのか?を考えてみましたが分かりません。思い付く事は膝やアキレス腱や股関節を悪くした事でギックリ腰になるほどの運動が出来なくなった。もしくはギックリ腰の原因になっていた動きが出来なくなった。でも今は怪我以前のように動けているので、この可能性は薄いと思います。45歳からウエイトトレーニングを始めてしっかりと筋肉が付いて来たのでギックリ腰にならなくなった。確信はありませんが、この可能性は凄く高いと思います。特に腹筋と背筋と首はしっかりと鍛えているので、背骨周りの筋肉がしっかりと付いて来てギックリ腰にならなくなったような気もします。もう針治療は2年は行っていないと思います。
私がこの世に生まれて来て生きて来た時間は51年と4ヶ月と4日です。でも51年生きた人の今現在の心と身体の状態は人それぞれです。若いとか老けているとかの個人差はかなりあるんじゃないかと思います。私は51歳ですが、自分がまだまだ成長している実感がありますし、50歳になると筋肉が発達しにくくなると言いますが、私はそれを感じた事はありません。自分の筋肉がどんどん発達している実感があります。自分は本当は51歳ではないのではないかと思っているぐらいです。5年後の自分がどんなふうになっているかとても楽しみです。
昨日は次男が個人レッスンをしたいと言うので1時間個人レッスンをしました。キックミットとパンチングミットとウエイトトレーニングを行いました。そのあとお昼ご飯を喜多方ラーメンで食べました。次男はラーメンと餃子とチャーシューご飯をペロッと完食してしまいました。長男は何もしていないのでラーメンをやっと食べていました。長男は最近また背が伸びています。たぶん168センチぐらいあるのでは?と思います。長男の今ぐらいの時は私は170センチはありましたから、もしかするとこれで成長が止まる可能性もあるかもしれません。次男は動くのが嫌いなのが良くないけど空手を週2回、水泳を週1回、相撲を週1回はやっていてご飯もたくさん食べるので、おそらく180センチ以上にはなるのではないかと思います。出来れば2人とも私の背を追い抜いて欲しいなと思います。ご飯を食べたあと3人でBOOKOFFに行ったら長男は巨人のユニフォームを買っていました。長男は最近、親の言う事を全然聴かなくなりました。特に風呂に入れと言っても入らなかったり歯を磨けと言っても磨かなかったりします。あんまりうるさく言ってもと思うのでほっておいています。次男は手伝いを良くしてくれます。私が買物に行ってる間に風呂を沸かしてくれて、私が買って来た刺身とカツを切ってお皿に盛っておいてくれました。たまにふてくされて私を睨んでくる事がありますが、まだまだ可愛げがあります。今日は妻がいなかったので3人で食事をしました。食事の後は次男のリクエストで「僕らの七日間戦争」を見ました。
LINEと言うものはとても便利な物ですね。私の両親と姉と妹とLINEでグループ通話をしました。妹が子供の頃に見た映画が思い出せなくて私にグループ通話しているから入って来てと連絡があり話しました。妹が知りたがっていた映画は「トワイライトゾーン」でした。野球の話や昔の思い出を話しました。とても良い時間でした。
51歳になって、未だに強くなりたいと本気で思っている私は変人でしょうか?でもそんな自分が私は大好きです。子供の頃は人と違う事を恐れていましたが、今は人と違う事を面白く思っています。残りの人生は自分のやりたい事を自分らしくやって生きたいと思っています。
kanno
|