DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
今日で2月も最後となりました。2月最後の日にウエイトトレーニングで自分の成長を見る事が出来ました。とても嬉しかったです。一念発起して45歳からジムに入会してウエイトトレーニングを再開してきました。途中に右肩を痛めたり、膝を痛めて手術をしたり、首を痛めたり、アキレス腱を切って手術をしたり、腰部脊柱菅狭窄症になったり、いろいろ諦める言い訳にはには調度良い出来事がたくさん起こってくれたのですが、ナニクソ!と自分に負ける事なく今まで頑張って来ました。今も50歳ぐらいで老け込んでたまるか!と思って頑張っています。私は老いに年齢は関係ないと思っています。心も大切だと思いますが、やはりまず始め身体です。身体が若い人は考え方や感じ方や何かを思う心も若いと思います。健全な精神は健全な肉体に宿るというのは本当だと思います。毎日トレーニングして、稽古して、組手で人と殴り合いをして、好きな事に燃えて楽しい事を頑張っていれば、お腹もすいて、ご飯が美味しくなり、自然に肉が食べたくなるものです。そんな生活をしていれば、自分の身体も心も若々しくいられると思います。空手家でもしっかりと稽古している人はみんな若々しいです。私も自慢じゃありませんが、同級生より若いと言って頂く事が多々あります。この勢いで頑張って行けば60歳の時には、若さにさらに大きな差が現れると信じています。死ぬ瞬間まで若々しくいる事を目標に頑張ろうと思います。
上半身のウエイトトレーニングを頑張っているので力も筋肉も付いているのですが、基本稽古を50本ずつ行って見たら、身体が重くて感じました。技にもスピードとキレが無くなっていると思いました。しっかり基本稽古を行ってもう一度しっかりとスピードとキレのある技を作って行こうと思います。
私が運営する極真会館東京城南京浜支部の第20回型競技支部内交流試合と第11回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合が終了しました。先ずは事故がなく無事に終わる事が出来た事に感謝しています。スタッフをしてくれた道場生には本当に感謝しています。型競技に6名、セミコンタクトルール組手競技に15名の道場生が出場しました。初めてメダルを取った人がいたり、久しぶりに勝つ事が出来た人がいたりとみんな本当に頑張っていました。試合は勝ち負けはもちろん大切ですが、本当に大切な事は試合に挑戦する事です。そして目標に向かって努力をした毎日が自分の大きな財産になって行きます。それを忘れずにみんな頑張って欲しいと思います。
最近、物忘れがひどいです。年齢からくる物なのか?気持が弛んでるからなのか?分かりませんが、とにかく物忘れがひどいです。例えばなのですが、スーツが必要なのでスーツを用意して、玄関まで来て、靴を履くためにスーツを椅子の上において、そのままスーツを忘れて家を出て、目的地に付いて「あれっスーツがない」だいたいがこんな感じです。しかもスーツを家に忘れたのか?自転車に忘れたのか?電車にわすれたのか?も思い出せないのです。家に忘れたのなら良いのですが、そうじゃなく他の所に置き忘れる事もあるので困ったものです。最近そんな事がけっこうあります。
50歳になり、身体の彼方此方にガタが来ていますが、上半身のトレーニングはしっかりと行っています。最近は背中のトレーニングが伸びて来ています。やり方を変えれば記録も伸びて来ていますし自分の身体にも変化が現れます。重い物が持てるようになったり、自分の身体がカッコよくなって行く事は何歳になっても嬉しい物です。出来れば死ぬまでトレーニングをして身体をしっかりと鍛えて強い男でいたいと思っています。
自分の好きな事を仕事に出来た事が私の人生で1番幸せな事です。そして自分の本当に好きな事を見つける事が出来た事は私の人生で1番幸運な事です。極真空手に出会えて本当に本当に良かったと思っています。だから極真空手を創った大山倍達総裁には本当に感謝していますし、大山倍達総裁を尊敬しています。極真空手のおかけで自分がこうしていられるのだから、極真空手に貢献していかなければならないと思っています。そして毎日一生懸命に稽古していかなければならないと思っています。自分自身がしっかり空手道の稽古をして、生徒達にしっかりと空手道の指導をしていかなければならないと思っています。
私は結婚式の映像を定期的に見るようにしています。それはたくさんの人に祝福して頂いた事を忘れないためと、妻を大切に思う人達がたくさんいて、私はその人達から妻を預からせて頂いている事を忘れないためです。そして妻を幸せにするとその人達の前で誓った事を忘れないようにしたいと思っています。いつも一緒にいると、一緒にいるのが当たり前に感じてしまったり、妻を自分の物だと感じてしまったりする事もあります。結婚式の映像を見て思う事は、映像の中で幸せそうに笑っている妻を泣かす事がないようにしなければなと思います。この先も妻の結婚式の時のような笑顔を見れるように頑張らなくてはと思います。
「今日は自分がこの世から去るのに最高の日だ。私はそんな日は無いと思っています。何処まで生きたって、何歳まで生きたって、もう少し生きたいと思うのではないかと思います。ワンピースの最終回まで生きたい、子供が20歳になるまで生きたい、孫の顔を見れる日まで生きたい、たぶん何処まで生きたとしても、死ぬ事に丁度よいところなどないのだと思います。死ぬのに都合の良い日なんてありません。まさしく人生の最後に、自分がこの世でやりたくない、辛い、苦しい、嫌な事が自分を待っているのです。自分の最大最強最後の敵が待っているのです。だから私は「生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること」と言う道場訓の最後の言葉をいつも念頭において生活しています。自分の最大最強最後の敵を前にして、ドンと構えていられる自分になっていたいなとそう思っています。生まれてくる時にもたくさんの人の手をお借りして生まれて来たように、この世から去る時もたくさんの人の手をお借りして去ることになるのだと思います。だから今から人のために何かをして行きたいと思います。
自分という人間は常に変わって行きます。記憶も書き換えられて行きます。だから私は日記を書くようにしています。常に良い方に変わって行きたいとは思っていますが、人間は時とともに良い方にも悪い方にも変わってしまいます。その時の自分がどんな自分でどんな事を考えていたか?どんな事を思っていたか?どんな事を感じていたか?それを残して置く事で自分を軌道修正させられます。だから私は日記を書くようにしています。
私の結婚式の日の妻への願いは「お互いに100歳になるまで健康に生きて、一緒に笑っていてね。」でした。妻の結婚式の日の私への願いは「二人の思い出を一生忘れないでね。」でした。この歳になるとなかなか難しいお願いをお互いにしていたなと思います。お互いに100歳まで生きる事が出来るかも分かりませんし、私が認知症になって妻の事も自分の記憶もなくしてしまう日が来るかもしれません。でも私のこの心があるうちはそれを守って見せます。妻をガッカリさせる事はしません。それだけは誓いたいと思います。
「自分から極真空手を取ったら、何も残らない。」私はそう思っています。でも私はこの言葉をネガティブにはとらえていません。自分の中から、たった1つの物を取ったら、自分には何も残らないと言えるほど、自分の中で大きな物を1つ持っている事に誇りを持っています。そんな大きな物に出会えた事に本当に感謝しています。それを大切に生きて行きたいと思います。
私が何で強くなりたいと思ったか?何で今でも強くなりたいと思い続けているか?その答えは自分の事が大嫌いだったからです。何で大嫌いだったか?と言うとTVの中のヒーローと自分は真逆の所にいる、自分はヒーローが持っている物は1つも持っていなくて、正反対の物をたくさん持っていると思ったからです。弱い自分が大嫌いだったし、カッコ悪い自分が大嫌いでした。だからどんなに辛い思いをしようとどんなに怖い思いをしようとどんなに嫌な思いをしようと強くなりたいと思ったのだと思います。強くなれるのならどんな我慢でも出来たのだと思います。今の自分の事が大嫌いで、今の自分じゃない自分になりたいから頑張れたのだと思います。そして今でも強くなりたいと頑張れているのは、まだまだ自分に満足していないからです。もっともっと強くなりたいからです。今は結構自分の事が好きだけど、でももっと強くなって、もっとカッコ良くなって、もっと自分を好きになりたいです。自分がこの世から去る時に「自分に生まれて良かった!」と自分の命をもらって自分に生まれた事に感謝したいと思っています。それがこの世に命を頂いた事や先祖や両親に対しての孝行になるのではないかと思っています。だからどんな身体になろうとも強くなる事は諦めません。この世から消える瞬間まで強さを追い求めて生ききりたいと思っています。
私が家に帰ると長男がギターの練習をしていました。今度のLIVEで自分が紹介された時に弾くギターのイントロを練習していたそうです。動画を見て、それを自分でコピーして弾いていました。そんな事が出来るんだと驚いてしまいました。私も中学生の頃にギターを練習していました。自分では上手くないと思っていたのですが、昔の友達から「秀行はギター上手かったよね!」と何人かに言われました。確かに考えてみると完全な独学で何曲かスラスラ弾けてたのだから、結構上手かったのかもしれません。そんなに凄く努力したわけでもなく弾けたのだから結構才能もあったのかもしれません。でも長男がギターが上手いのは私に似たわけではないと思います。長男は私から見てもなかなか才能あると思います。ですせっかく生まれ持った才能なのだから自分の人生に大いに役立たせて欲しいと思います。
昨日はバレンタインデーでした。長男も次男もチョコレートをもらったそうです。次男は自分が好きな子にチョコレートをもらえて、とても喜んでいました。長男は昨日はチョコレートをもらえませんでした。今まではもらえていたので、ついにチョコレートをもらえなくなったと少し凹んでいました。私も長男に「学校での生活態度が悪いからチョコレートをもらえなかったんじゃないか?人に優しくしているか?人に好かれるような人間性を持っているか!」と話しました。そしたら今日、長男はチョコレートをもらえたそうです。これは妻から聴いた話なのですが、長男はチョコレートをもらった時にとても嬉しかったらしく、チョコレートをくれた子に「本当にありがとう!誰にもチョコレートもらえなかったんだ!本当に嬉しいよ!ホワイトデーには良い物をお返しするね!」と言ったそうです。前の日の私の言葉が良いフリになったのかもしれません。その子もチョコレートをあげてそんなリアクションをされたんだから嬉しかったろうと思います。自分の嬉しい気持ちを恥ずかしがらずにちゃんと伝えられた事はとても良い事だと思います。人から愛される人は、目に見えない力や目に見えない想いを、言葉や行動など、何らかの形にして相手にちゃんと自分の想いを伝えられる人です。長男は久しぶりに男前ポイント満点の行動をしてくれました。私もその話を聞いてとても嬉しかったです。ちなみに私が始めてチョコレートをもらったのは小学6年生の時でした。とても嬉しかったです。でも長男のように自分の嬉しいという想いを相手に伝える事が出来たか?は分かりません。たぶん出来なかっただろうと思います。長男はギターに続きまた私を超えて行きました。自分の想いを素直に人に言えるその素直な心をいつまでもなくさないで欲しいと思います。
50歳になった記念に何かを始めようと思っていたのですが、股関節を人工股関節にする手術をする事が50歳の記念になりそうです。これは絶対に忘れないと思います。何歳になったって「そう言えば50歳の時に人工股関節にしたんだよな〜。」と思い出すと思います。考えてみれば、昔は人生50年と言われたのですから、私の股関節は十分に働いてくれたと言って良いと思います。その事をしっかり感謝したいと思います。好きな事をやって自分の身体がボロボロになるほど頑張れる健康な心と身体に生んでくれた両親と私のところまで命と魂と遺伝子を繋げて頂いた先祖の皆様には本当に感謝しております。人工股関節にすると決めてからは足腰のトレーニングとパンチだけですが、スパーリングも始めました。手術をしたら少しの間は動けなくなるのでそれまではしっかり自分の心と身体を鍛えて行こうと思います。自分の身体がボロボロになって来るにしたがって、自分の命も残り少ない事を実感しています。身体が壊れて擦り減って行く事で自分の命も擦り減って行っている事を感じています。それと同時に自分の残りの生きている時間と言うものもしっかりと感じています。だからこそ股関節を人工股関節にする手術を決断しました。私は極真会館の技術委員をさせて頂いています。型の整備など自分の勉強次第で極真空手の未来が変わると勝手に信じて頑張っています。極真空手にここまでの人間に育てて頂いたのだから、これからの極真空手のために頑張りたいと思っています。私の命の全てを捧げるわけにはいかないけれど、私の命の半分を極真空手に捧げたいと思います。
今日は久しぶりにヤル気が起きませんでした。ここのところいろいろと考える事があり根を詰めていたので、少し休憩です。もう今日は思い切ってトレーニングも有酸素運動もサボりました。もう昼過ぎまでダラダラしていました。これで充電完了です。また明日から頑張ろうと思います。
次男の誕生日会をお台場のFRIDAYSで行いました。長男も次男もたくさん食べていました。サプライズケーキが来た時に次男がとても嬉しそうな顔をしていたので、その嬉しそうな顔を見る事が出来て私も幸せでした。長男とお台場を歩いている時に、私が「もっとお金持の家に生まれたかった?」と聞いたら、長男は「今で十分だよ」と言いました。私も大切な家族が幸せで、家族と美味しい物が食べれて、自分の好きな事が出来れば、それでもう何も望むものはありません。本当に今が1番幸せだと思っています。
茨城県水戸市の茨城県武道館で全関東大会が行われました。東京城南京浜支部からは5名の選手が出場しました。馮瞭は優勝、紫牟田芽生は準優勝、馮旭は3位、松井真生2回戦進出、林田斗夢は2回戦進出と言う結果でした。みんな本当に頑張りました。年が明けてこの時期に遠隔地の水戸まで子供達を試合に出場させるためにご協力頂いたご父兄様には心から感謝しています。芽生が遂にブレイクしました!最初は試合に出ても負けていましたが、ずっと頑張って試合に出続けていたから今回の結果を掴めたのだと思います。本当に良く頑張りました。真生は1回戦を勝って実力が付いている事をしっかり見せてくれました。斗夢は1回戦を勝ちました。空手を始めて半年足らずで関東大会で勝ったのは大快挙です。旭は3位でしたが必ずまた優勝する日が来ます。瞭はこの先しっかり稽古して行けば3年間は負け無しで行けるのではないかと思います。国際親善大会三連覇も夢ではないと思います。ここから東京城南京浜支部の大進撃の始まりです。その狼煙が上がった感触を感じました。現6年生を中心にここから6年間頑張れば全日本空手道選手権大会で優勝する選手が必ず生まれます。私も残りの空手人生を考えるとチャンピオンを育てる最後のチャンスかなと思っています。道場生の皆さん、私の夢に乗っかって見ませんか?一緒に夢を追いかけて見ませんか?1人でも多くの道場生を巻き込んで行きたいなと思っています。でも道場の基本方針は弱い人を強くする道場、強い人も弱い人も平等な道場、一生懸命に稽古する人が1重宝される道場、礼儀や挨拶を大切にする道場、強い人よりも良い人を育てる道場です。これは絶対に変えません。チャンピオンを育てるために私も8月の手術を乗り越えて、生徒達と稽古に励んで行きたいなと思います。
今日は次男の9回目の誕生日でした。次男が生まれて9年が経つなんて本当に本当にビックリです。時間に早いも遅いもないわけですが、こうして過ぎてから考えるととてもとても早く感じてしまいます。次男は空手も3歳から始めたので空手歴ももうすぐ6年です。今日は皆で誕生日ケーキを食べました。妻の自作のケーキでした。チェンソーマンのポチタが書いてありました。私はそのケーキを見た時に買ってきたケーキだと思いました。妻もケーキ屋で頑張って働いているので腕が上がっているようです。次男は今は53キロの健康優良児みたいな感じですが、生まれて4歳ぐらいまではいろいろ大変な事もありました。そのおかげで私も強くなりました。次男の存在が私を強くしてくれました。そして次男はいつも私を笑わせて心を和ませてくれます。次男の誕生日はいつも雪が降ります。今日も雪でした。名前が真白だからかもしれません。私は次男の名前が大好きです。名前を口にした音の響がとても好きです。次男の名前は妻がつけたのですが、本当に良い名前を考えてくれたと思っています。ちなみに長男は琥白で次男が真白なので字の読み方は違いますが、同じ白が入っています。同じ白でも自分の白と言う色を完成させて行って欲しいと思います。たくさん食べてたくさん動いて心も身体も大きな優しい人間になって欲しいと思います。次男はブルーベリーが好きなので妻はブルーベリーをいっぱい敷き詰めたケーキを作りました。ケーキを美味しそうに食べる次男の顔がとても可愛かったです。
次男の最近のブームは「なぞなぞ」です。学校から「なぞなぞモンスター」と言う本を借りて来て、私と妻と長男になぞなぞを出します。なぞなぞが進んで来ると、手を上げてから回答しないとダメとか、結構厳しくなって行きます。誰も問題を解けないと「なんでわからないの?」と怒られたりもします。なぞなぞをしている時の次男は少し恐いです。でも怒ってる姿もなぞなぞを出して偉そうにしている姿も可愛いです。こんなふうに子供達となぞなぞを出来るのもあと何年か分かりません。だから子供達と遊ぶ時は思いっきり遊びたいと思っています。
股関節を人工股関節にすると決めたので、今日から足のトレーニングをガンガン始めました。8月の手術のだいぶ前に痛くて歩けないなどと言う事になってしまっては困るので、その辺は身体と相談してと言う事になりますが、今から手術までの半年間は頑張って大臀筋や大腿四頭筋や大腿二頭筋やカーフを鍛えたいと思います。手術後は2週間入院になり筋肉が落ちてしまうので今のうちに筋肉を蓄えておこうと思います。そして筋肉でガッシリと人工股関節を守ってあげて、術後のリハビリをスムーズにし、1日も早く道場の稽古を始めたいと思います。手術の日まで気を抜かずに頑張ろうと思います。そして手術の日は思い残す事なく1度死んだ気持ちで全てを受け入れて手術を受けようと思います。そして手術が終わったら、今までの自分は1度捨てて、新しい自分に生まれ変わって、自分の出来る事をしっかりと頑張って行こうと思います。この手術は、今までの人生で出来ていた事で出来なくなってしまった事を綺麗サッパリ忘れ、新しい自分を作って行くためのキッカケだと思っています。50歳だと言う事を認めて生きて行こうと思います。この先たぶんもっともっと出来ない事が増えて行きます。自分の中の何かを変えて行かなければならないと感じています。子供達が成人したら妻と2人でいろんな所に行きたいです。そのためにもあと20年は元気でいたいと思っています。
昨年、家族がコロナになった時、私も濃厚接触者となりずっと家にいたので、私が1週間以上、食事を作っていました。作ったのはカレーでした。カレーならなんとかなるだろうと思い作ってみたら、長男も次男も喜んで食べてくれたので、私も頑張って毎日、カレーを作りました。でも1週間ぐらいで食べる量が減って行きました。どんなに美味しい物でも毎日食べてたら飽きてくるものなんだなと思いました。妻は子供達が飽きないように毎日いろいろ考えて工夫して食事を作っているんだなと思いました。私には到底出来ないと思います。本当に妻を尊敬します。
本日の診察で股関節を人工股関節にする手術までの日程が決まりました。手術箇所は左右両方の股関節にしました。7月24日に精密検査を受け、手術が出来る事を検査し、7月31日にどのような手術になるかを先生から説明を受け、8月20日に入院して8月21日に手術、2週間入院して9月4日に退院という予定になります。何もアクシデントが無ければ道場の稽古も直ぐに行える予定です。今回、先生から提案されたプランは2つありました。1つ目は、もう何年か頑張って痛いながらも生活して行って、いよいよ歩けなくなってから手術をする案、2つ目は、特に悪い左の股関節を手術して右はまた数年後にさらに悪くなってから手術を行う案でした。でも私は今回の手術で両方の股関節を手術してもらう事をお願いしました。まず1つ目の案は私の頭の中には全くありませんでした。誤魔化し誤魔化しこれからの数年を過ごすなんて私には出来ません。年齢的に考えても元気に稽古が出来るのもあと10年あるか?ないか?分かりません。その大切な数年を無駄に使うなんて私には出来ません。そんな生き方は私らしくありません。若い頃の私なら絶対にそんな事を選択したりはしません。だから手術する事を選びました。そして2つ目の案の特に悪い左の股関節のみ手術して右はもう少し大切に使って頑張って悪くなるのを遅らせて、おそらく悪くなるだろう2年後ぐらいに手術をする案も私は頭にありませんでした。右が痛いままなら結局は私は動けないままなので、今までとさほど変わりはなくなってしまいます。もちろん両方の股関節を手術する事にリスクはあるのは分かっているのですが、今回で全部決着を付けたいと言う事とどうせやるなら一気にやった方が良いだろうと考えました。人工股関節になると出来なくなる動きも出て来ます。その辺も今からしっかりリサーチして手術後、どんな事を目標にするかを考えています。今私がやろうと思っている事はこの股関節とも8月でさようならなので、最後にしっかり使い切ってあげようと思います。手術までにもっとボロボロになるぐらい使い切ってあげようと思います。手術の前の日には両方の股関節に「今までありがとう!ご苦労さん!」と言ってあげたいです。それまでもう少し一緒に頑張ってもらおうと思います。
個人レッスンを2名やりました。2人とも一生懸命に稽古してどんどん上達士ていました。1時間の稽古でこれだけ上手くなるのだから才能があるのだろうと思います。どんなに一生懸命に教えられても、どんなに一生懸命に稽古しても私は不器用だったので、1時間の稽古で大きく上達する事はありませんでした。毎日毎日薄皮を剥ぐような進歩を積み重ねてやっと上手くなるぐらいでした。そんな才能を授かって生まれて来る事が出来たのだから、頑張って世に名を成して欲しいと思います。昼からは、東京に遊びに来ている私の親友の息子と一緒にサウナに行き汗を流して、その後一緒に飲みました。何故そうしたかというと私が福島に帰るとその親友は私を銭湯やサウナに連れて行ってくれてそのあと飲みに連れて行ってくれくれるからです。その親友の息子は私も若い頃からよく一緒に遊んだり、私の道場で稽古をしたりもしたので気心もしれているので、ある意味今はもう友達みたいな感覚です。現在私が50歳で親友の息子は27歳だからなかなかの歳の差ですし、人付合いが苦手な渡しと話していてもなんの違和感もなく楽しんでいろいろ話してくれるので、なかなかのコミュニケーション能力だと思います。本当にしっかりしていて良い男だと思いました。親友の息子は北海道に移住するらしいので、これからはなかなか会えなくなってしまうかもしれないけど、何処に行ってもしっかり生きて行くだろうと思います。とりあえず水曜日にラーメン二郎を一緒に食べに行こうと思います。
今日は、旧城南支部で一緒に稽古させて頂いた、数見先輩と竹石先輩と一緒に食事をさせて頂きました。話す内容は昔一緒に稽古した時代の事です。話しても話しても話はつきませんでした。あの時代を逃げずに頑張ったから作れた財産だと思っています。あの時には逃げずに頑張ったメンバーは10人ぐらいしかいません。その中に自分も入れた事は私の勲章です。毎日、本当に大変だったけど頑張って良かったです。でももうあの時には戻りたくありません。あんなに辛い事は一生一度で十分です。本当にあっという間の楽しい夜でした。
15歳から空手を始めて35年間、本当に身体を酷使して来ました。20歳で東京に来てから34歳までの14年は1番身体を酷使した時期でした。ほとんどはその頃の怪我が原因となって、その後少しずつ少しずつ悪くなって行ったのだと思います。本当に身体はボロボロです。頚椎と腰椎にヘルニアを持ち、尚且つ腰部は脊柱管狭窄で両膝が悪く、両股関節も悪く、手と足は変形し脛の骨も凹んで変形し肩も悪く、もう良い所がないぐらい悪い所だらけです。だからウエイトトレーニングをして筋肉をつけ、筋肉という鎧で身体を守ろうと思って頑張っています。この股関節も今年中に手術して決着を付けたいと思います。8月に手術をするので、それまでに身体を鍛えて、体重も落としておきたいと思います。でも股関節を人工関節にする手術を決断してから、私は希望しかありません。この何年か膝が悪い、股関節が悪い、アキレス腱断裂と身体のあちこちが悪かったために思い切り稽古が出来ませんでした。でもこれをやれば治るんだと思えば、もうあとは希望しかありません。人工関節がいつ壊れて再手術になるか?それが70歳か?80歳か?そんなの分かりません。もしかしたらそれまで生きてないかもしれないし、それまでにはもっと凄い医療が生み出されてるかもしれないし、それは誰にも分かりません。こんなのくよくよ心配しても仕方がありません。結局は人の人生なんてなるようにしかなりません。なるようにしかならない事をくよくよ悩むなんて馬鹿らしいです。なったその時にまた考えて対処すれば良いだけです。それに私はどうなろうと絶対に負けない自信があります。極真空手をやったおかげで、普通の人の数十倍は修羅場をくぐりました。それにも負けず今までも生きて来たのだから、これからもきっと負けないはずです。もうこの股関節を人工関節にする事も笑いにしてしまっています。子供達に「先生はサイボーグになるぞ!機械の身体に改造してもらってさらに強くなるぞ!ワンピースのフランキーみたいな感じだな!」と話しています。そして本当にそんな気持になっています。股関節が良くなったら今まで出来なかった稽古もたくさん出来ます。だから今は希望しかありません。
50歳になって思う事はこの歳まで生きる事が出来て感謝していると言う事です。こんなに幸せな未来があるなんて10代の頃の自分には想像も出来ませんでした。大好きな極真空手を仕事に出来て、その好きな事を道場生に教える事が出来て、自分の稽古も毎日出来て、大好きな妻がいつも一緒にいてくれて、大好きな子供達がいつも一緒にいてくれて、これ以上の幸せはありません。私は今が1番幸せです。これ以上を求めたら今の生活はなくなってしまうと思うので、もう私はこれ以上は望みません。だから私はこれ以上は頑張らないって決めました。もう何かを犠牲にして自分以上の自分になる必要もありませんし、誰かと自分を比べて無理をして頑張る必要もありません。私は私のまま頑張ります。一歩一歩自分のペースで頑張りたいと思います。昨日、次男が「僕が具合悪くなったせいで、ママとデート出来なくなってゴメンネ!」と言っていました。本当に可愛い子です。長男も馬鹿な事ばかりしてるけど、馬鹿な所は私に似ての事だから、その部分も愛してあげたいと思います。昨日、家に帰ると皆でパッピーバースデーの歌を歌ってくれました。本当に幸せだなと思いました。子供達にも50歳の時には幸せでいて欲しいと思います。
50歳になりました。私を生んで独り立ちするまで育ててくれた両親には本当に感謝しています。私の先祖や私を導いてくれた方々や私にかかわってくれた全ての方々に感謝しています。今日は妻と食事に行く予定でしたが、次男が体調をくずし学校を休んだため、中止となってしまいました。私はトレーニングに行き、床屋に行き、銭湯でサウナに入り、稽古に行きました。たくさんの道場生におめでとうを言って頂きました。本当にありがとうございます。帰宅すると妻と長男と次男が電気を消してケーキのローソクに火を付けて待っていてくれました。そしてサウナハットをプレゼントしてもらいました。もう少しで泣くところでした。50歳まで生きて来て本当に良かったと思いました。妻と長男と次男には本当に感謝しています。50歳最初の日は最高の1日でした。50歳は最高のスタートを切る事が出来ました。
kanno
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