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今日は私の運営する極真会館東京城南京浜支部の第15回型競技支部内交流試合と第6回I.K.Oセミコンタクトルール組手競技支部内交流試合でした。スタッフをしてくれた十川先輩、廣田さん、中村、浜田さんには本当に感謝しています。試合に出場した選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。ご協力頂きました御父兄様、本当にありがとうございました。1人でも多くの生徒が目標を持って一生懸命に稽古に励める環境と、生徒1人1人が自分を輝かせる事が出来る舞台を作ってあげたいと思います。コロナが終わったら演武もやりたいと思います。道場に通う生徒達が同じ学校のお友達や地域の知り合いに自分の頑張っている姿を見てもらえる場を作ってあげたいと思います。
中村文則の「去年の冬、きみと別れ」を読み終わりました。「去年の冬、きみと別れ」「何もかも憂鬱な夜に」「悪と仮面のルール」の3冊を一気に読もうと買って来て、どれから読もうか?と考えていた時に長男が近くにいたので、「どれから読んだら良いと思う?」と聴いたら、長男が指をさしたのが「去年の冬、きみと別れ」でした。やはりこの作品もいろいろ考えさせられるというか?思わされるというか?いろんな事を感じさせられる昨日でした。もちろんいつか読みたいと思います。次は「何もかも憂鬱な夜に」を読もうと思います。
有酸素運動が出来るようになった事で体重が良い具合に落ちて来ました。来週中には90キロを切るのではないかと思います。4月には移動稽古が出来るようになりたいと思っています。
中学3年生の頃に私の人生は大きく変わりました。私の人生のキーマンはいつも友達でした。友達からもらったブルーハーツのテープを聴いて、自分の中にあるパワーを世の中で爆発させたいと思い、友達から来た電話で極真空手の世界大会を見て「これをやりたい!」と思いました。もしあの時じゃないけど、あの友達がいなかったら今の自分はいないと思います。
やっと今日から技を限定した組手を行う事が出来ました。ずっと落ちなかった体重も少し落ちて来て92キロになりました。どんな稽古をするよりもやはり組手が1番息が上がるし1番汗も出ます。身体の状態はどんどん良くなって来ているのでここからさらにダイエットを頑張って行きたいと思います。
今日はお休みでしたが、妻が仕事のため私と子供達で朝は「呪術廻戦」を見て、昼は雑色駅前にある横浜タンタン麺を食べに行きました。今は無くなってしまった、私が21歳の頃から食べていたお店のタンタン麺に味が似ていたので、とても懐かしい感じがしました。子供達も美味しいと言っていました。そのあと3人で雑色駅から品川でJR京浜東北線に乗り継ぎ東京駅に行きました。2人には千円まで好きな物を買っていいよと言い、長男はトミカの戦車を買いました。次男は欲しい物が五千円ぐらいしたので我慢して千円を貯金しました。帰りは人身事故で電車が止まっていたため東京駅で20分足止めをされました。長男も次男も電車の中で寝れたのでちょうど良かったと思います。電車の中で、長男がまだ3歳になるかならないかという頃に満員電車の中で抱っこしてとグズり、1度電車を降りて叱った事がありました。長男はそれを覚えていて、その時の話をして来ました。覚えてくれていたんだと嬉しい気持になりました。あとで思い出せば良い思い出です。雑色駅に着き夜ご飯の買い物をして帰宅し、私は長男とお風呂に入り、みんなで夕食を取り、みんなで「呪術廻戦」を見ました。寝る前に長男と次男と呪術廻戦ごっこをしました。長男は狗巻棘でタオルで口を隠し、次男は五条悟でタオルで目を隠していました。
膝の状態は、もう日常生活にはなにも不便は無くなりました。ただ違和感はかなりあります。正座は出来ませんし、膝が真っ直ぐに伸びていない感じもします。動くと膝がガクガクする感じもあります。やはり完全な状態にするにはまだまだ時間がかかりそうです。焦らずに、でも出来る限り急いでこの膝を完全な状態にしたいと思います。早く移動稽古や型を思いっきり打てるようになりたいです。
今日は、日曜日でしたが朝から道場へ行き自主トレでストレッチで身体を整え基本稽古で空手の技を稽古したあと、ジムへ移動しウエイトトレーニングで筋力を鍛え、エアロバイクで有酸素運動を行いました。やっと体重が92キロになりました。1ヶ月半で6キロのダイエットなので、全然進んでいませんが頑張っています。この1ヶ月半は本当に頑張りました。代謝が悪いせいか食事制限をしてもなかなか体重が落ちなくて、膝が悪いので有酸素運動も1番カロリーを消費する下半身のトレーニングも出来ずで全然体重が落ちなく、本当に心が折れそうになりましたが、諦めずに少しずつ少しずつ体重を落として来ました。だいぶ膝も良くなり下半身のトレーニングとエアロバイクを出来るようになり、空手の基本稽古でも蹴あげるような蹴り技を出せるようになったので、ここからは体重もグッと下がると思います。目標は4月までに80キロです。残り12キロ頑張ります。
中村文則の「銃」を読み終えました。偶然に拳銃を拾った男の話でした。とても考えさせられる結末でした。拳銃を拾ったからその結末があったのか、拳銃を拾わなくても結局はそれと同じような結末になってしまったのか?とても考えさせられました。力を持つ、力を得るという事は、それを使うと言う選択肢がその人に与えられます。力を持たなければ、力を得なければ、それを使うと言う選択肢は無いわけです。正しい事に使う事も出来ませんが、間違った事に使う事はありません。やはり力を持つ、力を得るという事は、その人の選択で自分の人生や周りの人の人生を幸せにも不幸にもするのだと思います。それを考えさせられるお話でした。
完全に「呪術廻戦」にハマってしまいました。やっと本編に乙骨憂太が出て来て、新たなキャラクターも出てきて新たな展開になって来ました。この前も好きなキャラクターを書きましたが、この前より好きなキャラクターも増えたので、今現在の好きなキャラクターを書きたいと思います。1位乙骨憂太、2位狗巻棘、3位五条悟、4位虎杖悠二、5位夏油傑、6位伏黒甚爾、7位東堂葵、8位九十九由基、9位七海建人、10位伏黒恵、11位釘崎野薔薇、12位禪院真希、13位家入硝子、14位冥冥、15位パンダ、16位与幸吉、17位三輪霞、18位加茂憲紀、19位禪院真依、20位夜蛾正道、こんなに好きなキャラクターがいるのでジャンプの発売が毎週楽しみです。
ワンピースと呪術廻戦を読むために週刊少年ジャンプを買っています。子供の頃、友達と「俺たちはいつから大人になるのかな?」なんて話をしました。私は「ジャンプを読まなくなったら大人なんじゃない」と言いました。私は今48歳ですが、今でもジャンプを読んでいます。いつになったらジャンプを読まなくなるのでしょう。いつになったら大人になるのでしょう。
今更ですが、今年の干支は丑なので私は年男です。人生の中で年男になるのは100歳まで生きたとしても12歳、24歳、36歳、48歳、60歳、72歳、84歳、96歳の8回です。今回は4回目の年男なので、これが最後の可能性だって無きにしも非ずです。12歳の年男の時は中学1年生であまり良い記憶はありません。24歳の時は全関東大会に出場した事や全中国大会に出場し人生初飛行機に乗り鳥取で試合をしました。36歳の時は妻と結婚して、私は山梨県大会の一般部で準優勝しました。今回はどんな思い出を作る事が出来るのか?とても楽しみです。
昨日、リハビリと診察を受けてやっと松葉杖なしの歩行が許されました。膝を120度曲げる事が出来るようになったのでエアロバイクも漕げるようになりました。これで有酸素運動が出来るようになったのでダイエットを頑張ろうと思います。そして右足の太腿の筋肉が無くなってしまい驚くほど細くなってしまったので右足の筋トレも頑張ろうと思います。俄然ヤル気が出て来ました。4月には完全復活したいと思います。
「空手は湯のようなものだ。常に熱を加えないと水に戻ってしまう。」と言う言葉を私は座右の銘にしています。一度身に付けたものでも止めてしまえば元に戻ってしまいます。これは目に見える体の事や技の事だけではなく、心もそうなのだと思います。だから一生稽古を続けなければいけないのだと思います。
久しぶりにラーメンを食べました。本当は雑色駅近くにある横浜担々麺を食べたかったのですが、次男が豚骨ラーメンを食べたいと言うので、川崎の一蘭に行きました。禁酒してダイエットしてから1ヶ月以上が経つのですが、全然体重が減りません。でもある事に気が付きました。少しぐらい食べても馬鹿みたいリバウンドしなくなったという事です。どんどん足も良くなっているので、今後はダイエットも加速して行くと思います。ここからはさらに頑張って行きたいと思います。
「20世紀少年」という作品が凄く好きです。私の10歳ぐらい上の世代の話なのですが、自分が小さかった頃の子供時代の記憶が蘇って来ます。私も秘密基地を友達と作ったし、駄菓子屋に行ったし、学校には七不思議があったし、こっくりさんもやったし、口裂け女もいたし、街のパトロールもしたし、いじめっこもいたし、いじめられっ子もいたし、物知りな子もいたし、いろんな物が混在していましたが、でもちゃんと成立していたように思います。
膝の状態が少しずつ良くなって来たと思っていたら、また右足のアキレス腱を痛めてしまいました。やはり右膝を庇ってビッコ引いて歩いているので、アキレス腱に負担をかけ目しまうのだと思います。完全復活にはほど遠いです。
次男の誕生日会を品川のフライデーズで行いました。私がフライデーズで好きなメニューはベイビーバックリブとコブサラダとオニオンリングです。長男はハンバーガー、次男はオムライスを食べていました。フライデーズで飲む生ビールは大きくて最高です。脂っこい食べ物と生ビールは最高です。妻はビールが進んで2杯飲んでいました。私はダイエット中で断酒しているので我慢しました。4月の妻の誕生日までにはダイエットを成功させフライデーズでビールを飲みたいと思います。
次男の7歳の誕生日でした。次男が生まれた次の日に私は、新宿から夜行バスに乗って福島へ行きました。次男が生まれる時は、妻は本当に大変でした。次男が早産にならないように1ヶ月ずっと点滴をし寝て安静にしていました。今の医学の力がなければ次男は健康に生まれてくれ事は出来なかったと思います。本当にたくさんの人に感謝です。そして1番は頑張って次男を生んでくれた妻に感謝です。そんなこんなでいろいろ大変だったので次男が生まれる時は、私も神様にお祈りをしました。おかげさまで生まれた時は小さかった次男も今は大きくなっています。今日はみんなでケーキを食べてお祝いをしました。私からの誕生日プレゼントは任天堂スイッチのスマッシュブラザーズでした。次男は走るのが嫌いなので学校でも鬼ごっこはしないそうです。甘いものはあまり好きではなく、しょっぱい物が好きです。なのでお菓子を買う時も蒲焼とかサラミとかを買います。好きな食べ物はラーメンとご飯です。ラーメンは大人の一人前は楽勝で食べてしまいます。ご飯は毎日おかわりして3杯食べます。これからも元気に育って欲しいと思います。
極真空手の稽古で1番大切な稽古は何だ?と聞かれたら私は、基本稽古と答えます。もちろん全ての稽古が大切です。どれも大切なのですが、どれか一つと言われたら基本稽古を選びます。私は沖縄空手から伝統派空手、フルコンタクト空手の諸流派の稽古体系を研究しましたが、おそらく方の中から一つ一つの動きを取り出して、こんなにたくさんの基本的な技を稽古する体系を作ったのは大山倍達総裁が1番最初なのではないかと思います。伝統派の空手では移動稽古がフルコンタクト空手の基本稽古な感じですので移動稽古の中で技を学んで行くようです。フルコンタクト空手は極真空手が源流なので、大体は極真空手の基本稽古のような感じで稽古をします。基本稽古の素晴らしい所は狭い所でも稽古出来る事です。基本稽古でいろんな場面を想定して技を出して、それを相手と向かい合って組手形式で稽古すれば、実戦である程度対応出来ると思います。私も含め試合で勝つ事を目的として稽古をして育って来た選手は、キックボクシング的な動きが主となって、その枠の中で動きや技を作っているので基本稽古の動きが組手ではあまり使いませんが、相手がタックルしてくる、組みついて来る、後ろから横からといろんな場面を想定したら基本稽古の動作はとても重要だという事に気が付きます。私は沖縄空手や伝統派の空手も研究していますが、それに負けない物が極真空手の基本稽古にはあります。もし極真空手の基本稽古に足りないものがあると思うのなら、自分で研究して足せば良いと思います。(これはあくまで自分で稽古する時の話です。生徒に指導するという事ではありません)でもそれもやってみたら、よくよく考えるとこれはこの動きと少し似てるから、現状ある技をやる時にその意識を持ってやれば良いので技を足す必要はないなとなったりします。私もいろいろ考えて基本稽古をやって来ましたが、実戦で使うであろうほぼ全ての攻撃受けの基本的動作が基本稽古には入っています。あとは自分の発想でどんな場面でも使えるよう稽古すれば良いだけだと思います。極真空手の基本稽古は本当に凄いです。
最近、長男は「将来はギターでご飯を食べていく」と言っています。どのぐらい難しい事なのか?分からずに言っているのだと思いますが、まあ夢とは最初はそんな物です。最初に、この夢を叶えるのにはこんなに大変なんだ、こんなに夢が叶う確率は低いんだとか思ってしまったら出来る事も出来ません。やりたいと思った事が第1歩で、口に出して第2歩、それを始めた事で第3歩です。とにかく行動あるのみです。行動すれば少しでも確実に夢に近づいて行きます。長男も「ギターがやりたい」と思い、それを口にし、「誕生日にギターが欲しい」と言った事でそれが実現したのです。自分が納得行くよう頑張ってみれば良いと思います。親としては、あまり期待せずに見守ってあげたいと思っています。
最近、子供達はご飯が食べ終わったらゲームをしたりyoutubeを見たり、それぞれに好きな事をするようになって来ました。前は食事が終わってもみんなでテレビを見たりしていたのにゲームとタブレットのせいで子供達が各々好きな事をするようになってしまいました。少し寂しく思います。でも子供達も成長しているのだから仕方のないことなのかもしれません。私がお酒を飲めるようになれば妻とゆっくり二人で飲めるようになるのかなとも思います。
前にも書いたかもしれませんが、空手の先生というのはバスの運転手みたいなものだなと思います。私は運転手でバスに乗って来た人を導いて行く、乗って来る人もあり、降りて行く人もありです。一度降りた人がまた乗って来たりもします。なにはともあれそんなこんなでたくさんの人と出会う事が出来て18年が経ちました。これからまた17年頑張って行きたいと思います。
手術が終わって3週間が経ちました。思っていたよりは早く回復しているように思います。断酒して一ヶ月が経ちダイエットも頑張っているのですが、膝が悪いので走るなど自転車を漕ぐなどの有酸素運動が出来ないため、なかなか体重が落ちません。膝が良くなっても体重が重いまま動いてしまえば、また膝に負担がかかってしまい、また膝が悪くなってしまうと思うので、しっかり動けるようになるまでには体重を80キロまで落としたいと思います。目標は3月には移動稽古や型を出来るぐらいになりたいと思っています。
私は「鉄道員(ぽっぽや)」という映画がとても好きです。自分の仕事が好きで誇りを持っていて、そしてその仕事が生き甲斐で、不器用で自分はその仕事でしか生きて行けないと言う、その生き方が私は好きです。仕事をしている時が1番カッコイイと言う生き様が好きです。私が子供の頃に父の仕事を手伝いに行った時に見た、働いている父の姿と少し重なります。私の思う昭和のカッコイイ男って鉄道員の高倉健って感じです。一生懸命に働いている後ろ姿がカッコ良くて、その哀愁のある後ろ姿を見てると涙が出てくるようなあんな感じの男に私はなりたいです。
48歳になって、そして今回右膝を手術して思った事があります。膝だけに限らず自分の身体は結構ボロボロだなと思いました。15歳から激しい殴り合い蹴り合いをし、毎日走ったり、トレーニングして、130戦以上も試合をしていれば、それゃあそうなるわと思います。これだけ好きな事をして来たのだから、こうなるのは当たり前の事です。でも全く後悔していません。将来こうなる事ぐらいは覚悟していましたし、20代の時に将来こうなるから体を大事にしろと言われても同じ事をしたと思います。そしてこれからも身体を大切にしながらも、死ぬ時には自分の身体を使い切ったと思えるようにしたいと思っています。そしてもう一回生まれて来ることが出来るならば、また絶対に極真空手をやってチャンピオンを目指したいと思います。たぶん身体が元気に動くのもあと15〜16年かなと言う気がしています。やりたい事がたくさんあります。この世の中でどのぐらい自分のやりたい事を実現する事が出来るか?分かりませんが死ぬ時に絶対に後悔をしないよう日々精進したいと思います。
今日は節分です。2月2日の節分は124年ぶりだそうです。少し調べてみたら太陽の位置がずれるために節分の日も変わるのだそうです。太陽の位置は4年で24時間分ほどずれるので、うるう年として2月29日を作って解消しているのですが、このままだと4年で約45分、400年で3日ほど増やしすぎてしまうので、うるう年を400年で3回減らすことにしたそうです。100で割れる年はうるう年にせず、400で割れる年はうるう年のままとし、この結果、2000年のような400で割り切れる年の前後の世紀は、節分などの日付がずれやすいのだそうです。48年生きても世の中は知らない事だらけだなと思います。昨日は誕生日のプレゼントを頂いたり、お祝いの言葉を頂いたり、お祝いのメッセージを頂いたりしました。本当にありがとうございます。その言葉の中には早く膝が治るようにと言う言葉がありました。本当に有り難く思います。必ず膝を治し期待に応えたいと思います。1月4日から断酒をしてダイエットと稽古に明け暮れています。正月は好きな物を食べて飲んでしたので体重が98キロありましたが、約1カ月で93キロになり、5キロ体重を落としました。今は有酸素運動があまりできないので、なかなか体重が落ちないのてしんどいです。なのでウエイトトレーニングをダイエット重視の方法に変えてやっています。今年になり新しい型を2つ覚えました。今はその研究をしています。この動きは何故こうなっているのか?など考えながら動いていますが、本当に難しいです。ここ最近、他支部の支部長や指導員の方から、大会会場や電話で、型の事について質問を受けるようになりました。今後も自分が人から必要とされるよう努力精進して行きたいと思います。
48歳になりました。自分のところまで命を繋いで頂いた方々に、私を生んでくれ育ててくれた両親に、私と一緒に成長してくれた兄妹に、私の人生に関わってくれた方々に感謝を申し上げます。私は今本当に幸せです。生まれて来て本当に良かったと思っています。私が48歳になった瞬間に考えた事は、人生の折り返し地点どころか、確実に今まで生きた時間より、これから生きる時間の方が短くなったなと考えました。好きな物を食べて飲んで好きな事をして元気に生きられる時間などと考えたら残りは20年ぐらいの時間となるでしょう。そう考えたら死という物を身近に感じてしまいました。「残りは確実に少なくなっているのだから、これからの人生は本当にやりたい事をやろう!」と思ったのですが、今までの人生ずっと好きな事しているなと思い、それを今後も続けて行きたいと思います。もう一つ欲を言わせて頂ければ、家族と一緒に美味しいものを食べたり、良い景色を見たりする時間をたくさん作りたいと思います。そしてこれからの人生で人の役に立つ事をどんどんやって行きたいと思っています。48歳という年齢を生きるのは最初で最後なので、悔いのないよう一生懸命に生きたいと思います。
kanno
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