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インフルエンザの予防接種を受けました。道場を開設して10年で多分2回しか風邪をひいていません。うがい手洗いと入浴が風邪をひかない秘訣だと思いますが念の為に予防接種も受けました。息子に風邪を移され、妻とそして妻と私の実家の両親みんな風邪をひきましたが、私だけは風邪を移されていません。やはり馬鹿なんでしょうか?
司馬遼太郎の「義経」を読み終わりました。私がはじめて歴史に興味を持ったのは源平合戦に描かれる、源義経の数々のエピソードでした。今回この作品を読んで、やはり私は源義経が大好きだなと思いました。人生にも戦い方にも凄く華があり、決断力と行動力の速さも凄いと思います。なんと言っても人生の起承転結がはっきりしていて、その全てが絵になっている感じすらあります。私はあまり頭も良くありませんし、そんなに歴史を勉強しているわけではありませんので、その人物の評価を自分なんかが人の目にふれる所に書いていいのか?と思うので、あまり書く事がありません。でもこんな事を書いたと言う事は、よほど源義経が大好きだからなのだと思います。
全日本に出場する中山の試合前の最後の激しい稽古を行いました。今年1年、中山と私は2人で一体何ラウンド殴り合って蹴り合って来たでしょうか?1000ラウンドは軽く行くと思います。そのおかげで私も血尿出しましたしね!私と中山は先生と生徒という関係ではありますが、私の中には、一緒に稽古をしてお互いにお互いを高め合って来た仲間という感じも何パーセントかあります。中山は本当に真面目で律儀で努力をする人間です。私は誰よりも中山と稽古をして来ましたから、誰よりも中山の努力している姿を見て来ました。私の運をあげられるなら中山にあげたいと思うほど私は中山を応援しています。自分の生徒の中でも私をこんな気持ちにさせてくれた生徒は何人もいません。だから私にとって自慢の生徒ですし、とても大切な生徒です。道場生の皆さん応援よろしくお願いします。押忍。
妻と息子の存在は自分にとって、初めて自分の人生を全肯定させてくれました。私にも人生の中で後悔している事はやはりあります。ありますどころか後悔だらけです。でも妻と息子に会えたのは、自分に生まれて来て、苦しい事も叶わなかった夢も後悔もいろいろあったけど、今までの人生があったからなのかな?と考えると自分に生まれて来た事に感謝しますし、自分の人生に関わってくれた方々にも感謝です。そんな話をこの前、福島に帰った時に夜、妻と2人で散歩がてらコンビニに行った時に話しました。妻も全くそうだと言ってくれました。福島の星の綺麗な夜空はそんな事を人に話す気持ちになるような夜空なのです。
福島から帰って来た息子は、お話がさらに上手になりました。ただ泣き真似を覚えて帰って来たようです。あと乾杯をすごくしたがります。子供って10日離れていただけで驚くほど成長するんですね!今日は早く帰宅出来たので、プラレールを作って息子と電車で遊んでいました。絵本を立ててトンネルを作ったら、息子はすごく喜んでいました。私の膝にチョコンと座って来て「でんしゃー!でんしゃー!」とずっと言っていました。明日は息子と電車を見に行こうかなと思います。
やっと妻と息子が福島から帰って来ました。1人でいた10日間、本当につまらなかったし、何を食べても味気が無かったです。1人だと何処にも出掛ける気にもならないです。妻と出会う前は自分はかなりアクティブだと思っていましたし、休みの日こそ時間を大切に行動していました。それが妻と出会い結婚して息子が生まれて5年で、こんなに人間変わってしまうか!と自分でも驚いています。
東東京大会・雑色水門祭り演武・大森駅東口駅前広場ウータンフェスタ演武と怒涛の3週間が終わりました。でも気は抜けません!11月3日・4日に全日本、12月2日に全関東、12月16日に昇級審査会と支部内交流試合、12月23日にクリスマス会と忘年会、来年の1月4日から総本部冬合宿、とにかく突っ走りたいと思います!
福島から東京に上京して来年の3月で20年になります。時が経つのは本当に早いものだと思います。上京する時は東京という街は私にとって友達はもちろん、知人すらいない完全アウェーな場所でした。ですが約20年が経ち、今では東京という街はその辺を歩けば誰か知り合いに会ったりしますし、自分を支えてくれる方々が沢山いるホームというべき場所になりました。本当に不思議です。福島の街を歩いているより東京の街を歩いている方が知り合いに会う機会が多いいのですから!東京は私にとって戦場ですが、自分の夢を叶えられるチャンスがイッパイある、とても魅力のある街だと思います!
妻はもう少し山形の姉の家に残りたいという事なので、私は福島に戻り菅野家の墓参りをし、父と母に福島駅に送ってもらい新幹線で東京に帰って来ました。改札まで父と母に送ってもらいました。私が東京に上京して20年、何度もこんな場面がありましたが、私は改札前で父と母に挨拶をしたら、あとは振り向かずにエスカレーターに乗りホームまで行きます。これはずっとそうしています。ちょっと冷たいかな?と反省する事もあります。私は初めて帰郷して東京に帰る時に1度エスカレーターに乗ったあと振り向いた事があります。その時にまだ母は私の背中を見送ってくれていました。顔はよく見えない距離でしたが、母の姿は淋しそうでした。たぶん泣いているなと思いました。それを見てから私は東京に帰る時は振り向かず新幹線に乗るようにしました。私にとって東京は自分の夢を叶える場所だし、戦いの場所です。だから故郷のなごりを棄て「いざ東京へ!」と勇ましく戦場に向かう感じで東京に帰ってくるのです。いつかその事を父と母に話したいとは思いますが、たぶん父と母は気付いていていると思います。
妻の父の還暦の祝いを山形南陽市の赤湯温泉「瀧波」で行いました。和やかな良い祝いでした。息子も妻の姉の子と楽しそうに遊んでいました!お義父さんも還暦まであっと言う間だったと言っていました。本当にそうなんだろうと思います。
雑色の水門祭りの演武が終わり、福島に新幹線で帰って来ました。本当にミラクルの連続でした!事故で新幹線のダイヤが乱れ、時間が遅れていたらしいのですが、26番ホームについたら、ちょうど息子の大好きな「ハヤブサ」が止まっていて大喜び、しかもなんとダイヤの乱れのせいで「やまびこ」として運行するというではありませんか!そして「家族でハヤブサに乗る」というのは私の夢でもありました。息子はハヤブサに乗り「ドクターイエロー弁当」を食べまたまた大喜びです!息子は隣のおじいさまになついてしまい、30分ぐらい抱っこしてもらい遊んでいただいていました。私も息子が迷惑かけていないかヒヤヒヤして「ご迷惑をおかけして、すみません」と言いましたが「大丈夫ですよ!」そのおじいさまはニコニコして息子と遊んでくれていました。息子もすっかりなついてニコニコと遊んでいました。そのおじいさまが新幹線を降りる時はさすがに私も恐縮して「本当にありがとうございました。私も妻も息子も本当に嬉しかったです」とお礼にお茶を貰っていただきました。人の優しさに触れると心が癒されます。また自分も同じような場面に出くわしたら、あのおじいさまのように優しく人を癒すような笑顔で接したいと思います。そんないろんな出来事があり実家に着く事が出来ました。今日、初めて実家の仏様に私と妻と息子で手を合わせる事が出来ました。やるべき事が出来て良かったです。
ここ最近の不摂生のせいか、腰を痛めてしまいました。腰を痛めた事をきっかけにこれからは、しっかり節制し体重を落としたいと思います。もっといろんな事に対しても自分に対しても厳しくしたいと思います。
東東京大会が終わり、今日から10月です。11月3日・4日の全日本、12月2日の関東大会、12月16日の昇級昇段審査会・支部内交流試合で今年も終わりです。今日から最後の3ヶ月をしっかりスタートさせたいと思います!
kanno
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