夜市が開かれたとき いつも通っているカバンストリートで ウィンドウチャイムを見つけた 長いパイプが 輪状にぶら下がって 真ん中の錘が 周囲のパイプにあたって鳴る よくあるタイプのもの
むかし シュタイナー教育グッズで 惑星に対応したチャイムがあって それはそれは 大きく響く素敵な音で でもお値段もすごくて とても手が出なかった
そのときの 細かいうんちくは忘れ 要約すると 魂の欲しい音を選ぶ のだと乱暴に解釈していた 素材も太さもさまざまなのを ひとつずつ鳴らしてみて 真鍮のを選んだ
さて うちには 風が吹き抜ける場所がない チャイムを手にうろうろしていたら じゅんのナイス提案 台所の壁付けの扇風機にぶらさげた 左右にゆっくり動くにつれ 持ち手に掛けたチャイムが つつつーと移動
長さの違うパイプに当たる ひとつずつを耳で拾うと まるで この世の音ではなく 水琴窟から響くようにも聴こえ 空気が水の中のように つめたく濃密に変わってゆく
いつしか 瞼も重く 夢の中でも シャリリンと
朝から 陽差しがあつくて でもこころなしか じとじと感がなく くわーっと夏らしい日
なんでしょか 自転車をこぐ足も軽やか 種ともこ 古いか 嬉しくて もうね 自分がいるだけで嬉しい 以前感じたのはいつだったっけ
新しい地図を広げて グリーンが濃いところや 等高線みたいに 谷がくっきりとなっているところや 線みたいな道を見て ひゅううっとそこにワープして 辺りを見廻しているじぶんを 想像したことがありますか
こころの中だけがそんな感じ
見慣れた景色は変わらない でも少しだけ 行きたい先を思うだけで いつも出会うひとと 違う話しができる ひょっとしたら 同じ地図を見ていたのに ちゃんとしたコンパスを 持っていなかっただけ
狭い狭い 限りのある場所を みんなで寄ってたかって 取り合いしなくても 地平線は 彼方まで広がっている
今日はまた壁をヌリヌリ と言っても 塗っていたのはたぶん 大した時間ではなく 重ね重ねてようやく 壁一面と半分が終わったところ
持久力がないので ちょくちょく休憩と 別の用事をはさみして そういう間に面白いアイデアが浮かんで 転がしていると サイトにも使えそうな感じに どんどんとめどなく展開
んで もうひとつちょっといいこと 別のところで 秘密裏に 創作なぞしているのが アクセスランキングに入ってて そこからのリンクを辿って 初めて知ってびっくりー
もちろんここも わをんのことも どこに住んでいるかなんてことも 誰も知らないその場所で 全くの別人として書いていることが きちんと求められているという事実
それは 墓場まで持って行くつもりの わたしの祈りの場所 だったはずなのに 登場人物は勝手に動き出して 頭で考えることを超えていく 転んでもただじゃ起きない本領発揮
そういう瞬間を もっともっと呼び込めたら 文章でご飯食べていけるかなー 結局 子どもの頃の夢を 全部叶えたいのだと気付く 才能とは努力し続けること 昨日羽生さんが言ってたっけ
夕べは日付けが変わってからも 放置ブログを遡って更新 もともと苦手な画像を使えるようにと 思って借りたブログだったが 肝心の画像をアップしようとすると アクセスが混雑しているせいなのか やり直しになってしまい その度ファイルから探し出して指定するのが もうほとほと嫌になったのだった
夕べも時間帯によっては 数回のやり直しはあったものの 以前に比べたら格段にスムーズで この機会にまとめてやっつけてみた お陰で いろいろ振り返ることができて 今後のことへの小さなヒントも掴めた
サイトの方も 着々と または遅々と 手を入れるつもりでいるのだけど 更新のいらない コンセプトが伝わるようなページ作りは きっちり時間を掛けて練り 同じように自信を持って薦められる 定番品をいくつかラインナップする そうした上で服作りにちからを注ぎたい
売り場後のフリー生活を どうやって支えて行くかを考えたとき これまでのような委託や ものを右から左に動かす上がりを充てにするのではなく 自分が作ったものを売るということを 中心に据えなくてはならないと思う 全てに同じようにエネルギーを注げるほど器用ではないから 何より製作に集中できる環境づくりが 現実でもネットでも大切になる
やれることをきちんとやっておかないと 結果が伴わないときに きちんと自分の責任として引き受けることができない それができて初めて また新たな試行錯誤への一歩が踏み出せる なんだかもう今から フリー万歳の言葉が頭に浮かぶ ずっと望んでいた生活が ようやく手の届くところに近づいてきたんだから
毎日言い続けてようやく カメ3匹の水換えをする下のコに伴って 無事に巣立ちを迎えたツバメの 落下物受けに置いた箱を片付けた いや本当は 今年も一羽がダメだったのだが
あまりにも小さく狭いうちの巣に 今年は5羽の雛がいた いつかの年には 身体が水泡みたいになった一羽が落下 そしてまた他の年には 巣立ったはずのツバメが 壁にでも激突したのか 道路際に落ちて死んでいた
今年の一羽は 仕事から帰ると箱の中で震えていた もうすっかり大人みたいな他のに比べ 毛も生え揃っていないし痩せている 再び巣に戻しても またはじき出されるに違いなく リスの古い巣へ布にくるんで入れてやった
ジッと親鳥の鳴きまねをすると それに応える力はあるので 粟玉を水でふやかして 口ばしに持って行った けれど食べるそぶりはなく 獣医さんから借りた本で調べると ぶるぶる震えるのは熱病か何かで 救うのは難しいようだった
ともかく食べられるものをと 釣り具屋でミミズを買ってきた けれどそれをあげようとした次の朝には さらに弱っていて 口を開いて小さなミミズを入れてあげても 嚥下する動作をいちどしたきり飲み込めないので 代わりに少し水で口ばしを湿らせた
巣の中には 夜中にしたと思われる 最後の消化の証があった こんな状態なのにと つい キクの最後のうんちを思い出した そうしてどんどんツバメは冷たくなって あっという間に死んでしまったのだった
また死に水だ 沢山生まれるツバメの中で こんな風に自然の摂理で死ぬものは 当たり前にいくつもいる きっと手を出してはいけないことなんだろうと思う けれど これが人間だったらと考える ひょっとしたら 死ぬべき定めの命がいくつも救われていて それはこの自然界の バランスを崩すことにはなっていないんだろうか
それとも わたし達人間が 高等生物として行うさまざまな格闘それ自体も もっとおおきな摂理の中に 組み込まれているに過ぎないのだろうか
2006年07月17日(月) |
ソーイングバスケット |
昨日はコウノピアの入館者4千人だったそうで 売り場の賑わいもとんでもなく 一時すぎに一度トイレに行ったきり ひたすら販売マシーンと化した もう絶対集計が終わらないと思い お客さんには申しわけないが 少し早めに商品に布を掛け始め 5時にようやくお昼ご飯を食べることができた
んで今日は朝から ソーイングバスケットの作業風景を取材 全部手作業なのに 工賃はびっくりする程安いままなので 直販の道を作って何とかしてあげたいと オークションで地道に売っている 友人からの要請で動いた訳なのだった それをどんな風に位置づけるかは ページを作ってみて考えるとして ともかく何十年と変わらないこの商品を 今も探している ひとりでも多くの人たちの眼に触れさせたい
久しぶりに伺った作業場に 変わらない師匠の帽子姿があった 友人はビデオを わたしは主に写真を担当 行く前から撮りたいと考えていた 朝はまずその音から始まるラジオや いい感じに古びた片隅の木棚や道具類 外水道の脇の金ダライ そんな何気ない風景全てが 実直な師匠の仕事を物語るのだった
何日か編み修行に通わせてもらったときには しみじみ眺めることのなかったさまざまな工程も そのひとつひとつが知恵と工夫に溢れていて ひたすら驚き感動するばかり それは師匠ばかりでなく 案内してもらって訪問した内職先でも同様 いや 内職と呼ぶにはあまりに技に過ぎ 到底誰でもができるような仕事ではないのだ
その全工程に対する適正な手間賃は いったいいくらなんだろう 帰り道にふと友人がつぶやいた そう考えると気が遠くなる 本当に今のソーイングバスケットは まるで奉仕とでも呼びたくなるような 真摯な努力と善意で成り立っている それをきちんと伝えなければと 思いがけず頂いてしまった デッドストックの逸品が重くなる
けれどたぶん あれこれ悩んで作りこむ必要はなく きっとどこかに 既に新しいページはできている そんな予感がする
壁はがしは部屋の奥の一面を残して ほぼ綺麗になった とは言っても 砂色のモルタルのような中に 繊維が入り込んでいて 完璧には取り除けない 以前は剥がしたあとに紙やすりを掛けたが 粉塵が舞うのも嫌なのでもうそのまま
塗りをどうするかを 剥がしながら考えた 新たにモルタルを塗る手間を入れると そのあとペンキ塗りは必須になり それぞれ乾く期間も必要で いつになったら終わるか解らない もうここは一気に済ませないと また一年寝かせることになりそうだ
イメージにある 油絵の具を塗りつけたようなラフな仕上がりを ペンキだけでするのは到底無理だし もうここは思い切って 石膏を塗ってしまうことに決めた 石膏ボードを貼るのではなく そのまま塗るなんて施工例があるかと調べたら 漆喰を塗る下地として使うことがあるようだった 乾きが早く無害だし火にも強い しかも安価なのが何よりいい
早速近くのホームセンターに行き 工作用1キロ入り400円を4袋と マスキングテープと端用のコテを購入 塗りコテは以前買ったのがある 必要になるかもしれないので 使い捨てのビニールの手袋も買った まずは丁寧にマスキングをし 床には新聞紙でいざ
分量の水を混ぜたばかりの石膏は まだ粘度が足りないので ボタボタと床に落ちる方が多くて 塗りコテではどうもうまく行かない 塗れるぐらいの粘度になるとコテへの付きはいいのだが 一度塗ったところに二度触れると 折角乗ったのが一緒に剥がれてきてしまう これは以前使った自然素材のペンキと同じく まずは薄く一度塗りしてしまうのが肝心のようだ
もうコテはやめて ビニールの手袋で石膏を取ってヌリヌリ 昨日からFMジャングルが この部屋の入り口でなら入ることに気付き 今日は久々にてるてる坊主を聞きながらの作業 うーん楽しい アートとスポーツの融合みたいで 汗をかきながらなのも気持ちがいい
この勢いを忘れないように 身体に刻み付けておかなくちゃ
季節が変わるたびに 製作環境をどうするかが問題で 冬の間はよかった寝床一体部屋も 溢れた布を見ているだけで嫌になってくる エアコンのある土間は涼しいが 机ひとつではあまりに不便 カメ3匹と自転車3台をどうにかするにしても 玄関からすぐの部屋を 土間と同時進行で整える必要がある
水没のあと剥がした壁は途中のままで 上のコの作業部屋になり とりあえず畳二枚分を敷いてある そこは既に今では 春の水漏れ事件で床を剥がした物入れにあった 大量のガラクタに占領され さらには閉店間際のお菓子屋さんからもらった 包装紙やディスプレイ用品などが加わっている
人のことは言えない いつ使うとも知れないものが スペースがあればどんどん増えていくのだ とりあえず再び壁剥がしからはじめよう と動き始めたきっかけは 古いアルミのライトシェードを 古物屋のサイトで見つけたからだった
購入するしないはともかく そういうものが似合う空間を作ったら 自転車を置こうが 作業部屋にしようが自由自在 加えて玄関からのスペースも 半端な古さの下駄箱をどけて もっと使いやすく構築しなおしたい
気付いてみれば そんなことをできるのもプチバブルの間 長い地下生活の果て つかの間訪れた今を友人がそう呼ぶのだが バブルと言うにはあまりに泡が小さくて悲しすぎ 消えない泡を呼び込むためにも 11月までの5ヶ月計画は なんだか次第にてんこ盛りになって行く
昨日は下のコの誕生日を焼き肉屋で済ませ 今日は一緒に買い物 リスの新しい巣箱と巣材と クールマットなるものを見つけ 残高で欲しいゲームソフトが買えるかどうか 天の神様にお祈りしたら ギリギリで予算の範囲内 オレってすごい伝説その73みたいな
展示会画像をアップしたあと 図ったように接続ができなくなり ようやくこちらが復旧したあとも 自宅サーバーを構築していた上のコのPCは 依然沈没したまま リスの写真を撮ったり手持ち無沙汰 明日は学校があるというので 久々の散髪となった
もううるさい中学みたいな規則もないから ロン毛だろうがモヒカンだろうが思いのまま だけど濃い顔の彼には やっぱり短い髪がよく似合う 切っているうちにふと 小さい頃の同じ光景を思い出した こんなに大きくなっても 頭の形や髪の流れはそのままで いつの間に時間が経ってしまったのかと 不思議な気分になる
最初に産まれてきた子どもというのは 他の子にはない荷があるように思える 下のコはそんな兄貴に対して 控えめだよな なんて解ったような事を言う それは他ならぬ下の子の登場で 自然と身に付けた譲る精神でもあるのだ
求めるものに あまりにも素直に進む下のコ的キャラを わたしでさえ羨ましいと思うことがある けれど人に譲りながらも ゆっくりゆっくり 譲れない何かを見つけたとき きっと等しく神様は計らってくれるはずだ
本当に大切なものは 争う必要なんてないってことを ふたつの魂は最初から知っている それをもういちど思い出すには あまりにもかけ離れたこの世の中だけれど どうかそれぞれに たったひとりの自分を 失わずにいて欲しいと思う
郷公園に新しい建物が建設されるにあたって 既に発起人となっている4業者と 共に運営する業者を募るための説明会があった その業者とは 単に自社の物品販売を目的とするのでなく 市の掲げた環境経済戦略に則って モデルとなるようなビジネスを目指すのだという
それが具体的にどんなものなのかは 手を上げてもらってからのことのようで そんなで資金提供する業者が 果たしているのかどうか 本気で募るなら もっと一緒にやってみたいと思わせるような 熱いプレゼンをして見せたらどうなのか ひょっとしてこれは 既に4業者の中である程度話しができていて 余計な分子を入れないための会なのかもしれない
収支予測の細かい計算書が配られ 差し障りがあるということで 持ち帰りはできなかったのだが ざっとメモったところによると 初年度の売上げ総額は物販と飲食を合わせて 内輪に見積もっても4千万円を超えていた それに対する人件費はマネージャーが年400万円 パートが物販2人飲食1.3人として 時給750円×8時間×300日で月15万円になっていた
この計算によると 交代要員はあるにせよ 常時売り場にはパートひとり マネージャーが何をどこまでするのか知らないが 単純に考えて 二人で4千万円稼ぎ出すってことなのか それっていったいどんな場所なんだろう っていうか そんなに稼げてもパートの時給は750円
売り場にいての実感は コウノトリを見た流れで お客さんが寄ってくれているのだということ 入館した人が全てお客さんになっている訳ではないし 購入者数の割合も判らないが 今のアバウトな売り場の目算では 入館者数×100円弱程度の売上げとなっている
新しい建物は文化館を離れて 駐車場の奥に建てられる わざわざそこへ寄る人数は果たしてどれ位か 試算では物販に限れば来店5万人弱 客単価850円を想定していたが 例えば来園者数25万人をそのまま来館者数として 今の館での実績を充てても2千500万円にしかならない
売り場面積が広がり扱い品目が増えたからと言って 購買意欲をそそるとは限らない 観光客だけでなく近隣の買い物目的のお客さんを きっちり呼び込む魅力がなければ 4千万円という数字は到底無理のはずだ
さてこれから どうなって行くんだろうか
日いちにちと記憶の断片が欠け やがては今この時に考え感じ 表現したことも留めておくことができなくなる それは例えばわたし達が無意識に 自分の都合のいい記憶だけを拾い ただ経験したことそのものではなく 時には苦労ばかりに偏ったりしがちな 物語を紡ぐちからがなくなるということかもしれない
およそ精密な機械のように 正確な記憶があることを前提に 仕事や日常が廻っていて 社会の一員として生きていくためには 憶えていなければならない約束ごとが 沢山あるように思える けれどそれすら本当は わたし達ひとりひとりが作り出している おおきな共通の物語のようで 時にはお互いを縛る鎖にもなり得る
その鎖が 自ら望んで解こうとした訳ではないのに 病によって切断されていく 全てが切断されたそのあとも 夫婦の鎖はつながっているからと妻は言う わたしがずっとそばにいます その言葉で結婚という契約を もっと堅い約束にして 夫を支える妻の物語の中に居続けようと頑張る
厳然と告知された病を わたしのこととして受け止めようと思い観ながら それ以前にどうしようもなく苦しかったのは この夫佐伯と妻枝実子のそれぞれの生き方なのだった ふたりは懸命に日々を暮らしていて 病に向かうべく努力を重ね 時には怒りお互いに感情をぶつけ合い 涙を流しているのだけれど 彼らと共に感情を表現するためには 同じ物語を大切にできる自分でなければならない気がした
観ながら涙できなかったのは 病名の宣告があまりに早かったせいもある それ以前の異変のエピソードでは 病に繋がる必然性を感じるまでに至らず 感じていたからこそ受け入れられず怒った佐伯にも 充分に共感できずにいた そのためには少なくとも 同じだけの人生の時間を共有しなければならない 病気がどんどん進行する中で いったいわたしはどうやって病を受け入れたらいいのか 手掛かりがないままだった
あらゆる物語からはずれようと指向するなら むしろその病は自然なものに思えたりもした けれどそこまで確固たるものを持っておらず なのに時には反逆的に 人が作る物語をぶち壊したくなるわたしも 偏った視点で仮想の物語を作っているに過ぎない それは何層にも巻かれた輪のように きりなく自分自身を囚えて行くのだ
その囚われが解けたとき ようやく涙することができた 他人が作る物語を認識しながら それでもこれでいいのだと語る老人のお陰で ただ食べ飲んで唄い生きている実感を享受すること つかの間実感するそのことが 明日の記憶になくても 確かに生きていた事実はなくなりはしない
どの物語からも抜け それでも生きているということは 自由そのものに思える もし自分がその主体ではなく 傍らにいるとしたら 語り部として寄り添うのかもしれない ずっと傍にいると約束するのでなく あなたがあなただから好きなのだと思うその瞬間の 重なりの向こうで
下のコを連れて目医者へ 春の学校検診で随分視力が落ち 一番前の席なのに 黒板の端が見えないと言うのだ 貧乏人家庭の子は 塾に行かせられないだけでなく こういう所からも 学力が低下して行くのかもしれないが 今ならただ選択の問題となる
去年の春の検診では確か 両目ともAだったと医者に告げると こんなに急激な悪化は何か他に 病気などの原因があるのかもしれないと もう少し様子を見ることになってしまった 市内の小学校は年二回だそうで その結果がどうだったか 検診があったことすら覚えていないのだが 暗にそれを突っ込まれているようだった
別に二回だろうが 今の視力だって 日常に不都合がなかったら たぶんそのままずるずると過ごさせただろう かように親としては放置も甚だしく 提出物の管理や 地区の卓球の練習など 仕事のお尻以外はもうまるで頭からこぼれている
家族の視力はどうなのかと問われ 父親は眼鏡を使用していると答えると 傍から下のコが お父さんって目悪いんだと聞くので 確か昔は使っていたはずと言いながら 彼の記憶にはないのかと思った わたしもかなり悪かったのが 眼からウロコの人生回顧の瞬間から その言葉通りにうそのように視力回復したのだった
けれど最近はさすがに 近くが危うくなってきていて 手元を見るのに眼鏡を掛ける人たちの仲間入りも そう遠くはないのかもしれない 既に図々しくなりすぎて もう一度奇跡の瞬間は望めないだろう それはともかく また待てないコと目医者かと思うと ちょっと気が重い
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