Shigehisa Hashimoto の偏見日記
塵も積もれば・・・かな?それまでこれから


2004年02月14日(土) 「笑わず嫌い」で今年を読む

今日のめちゃイケは毎年恒例の「笑わず嫌い王」。回を重ねるごとに格みたいなものがついて、今やこの番組の目玉企画になってしまったが、やっている事は「オンエアバトル」と大して変わらない。細部まで巧妙に手を尽くした台本と演出がウリのめちゃイケにおいて、このようなイベントが仰々しく扱われること自体、この番組のパワーダウンを如実に物語っていると言えるが、その件について書き出すと長くなりそうなので止めておく。今回は「笑わず嫌い王」のもう一つの側面、すなわち今年売れセンに乗りそうなコメディアンを占うということに着眼したい。2002年の決定戦ではテツandトモが出場し、その後数度のめちゃイケ主演を経て、結果的に2002年から2003年にかけて売れに売れまくることとなった。また2003年にはダンディ坂野がゲッツを披露して一躍有名になり、同じくめちゃイケに何回か出た後、紅白に応援出場するところまで登りつめた。このように、比較的年初の「笑わず嫌い」に出場し、めちゃイケスタッフに好意的に扱われる事は、実質的な能力のあるなしとは別にその年の「売れた芸人」の仲間入りを果たす事に直接的につながっていくのである。良い意味でも悪い意味でも出場した芸人の人生設計を書き換えてしまう企画といえるだろう。

さて、今回晴れて出場を果たしたのは10組(人)の芸人である。と言っても今日放送したのは半分の5組で残りは来週まで持越しである。この5組だけで今年の躍進組を決めるのは少々乱暴かもしれないが、取りあえずのところ、今回のメンバーの中で波に乗りそうなのは「ホリ」ではないかと私は考えている。別にホリが好きなわけでも今日のネタが面白かったわけでもないが、ホリには売れる要素がいかにも多そうなのである。その要素で一番大きいのは無論、彼のモノマネである。何故だかわからないが今のテレビ界はモノマネ好きだ。いわゆる「モノマネ四天王」をもてはやした悪しき時代が去り、コージー富田や原口あきまさといった実力重視の人材が出てきたとは言え、私には今日における「モノマネだらけ」の芸能界はいささか理解できないところがある。モノマネが面白いのは勿論「パロディ」だからだが、パロディばっかりではやはり飽きるのである。それなのに テレビの至るところでモノマネは実行されている。非モノマネ芸人でさえモノマネに挑戦する始末である。はっきり言ってこんな状態は早く解消してほしいのだが、こんなところで一市民の私が愚痴ったところで何かが変わるわけではない。現状を考えると、モノマネで一定水準を超える技術を持っているホリは勝ち馬に乗るのは間違いない。富田・原口両巨頭が進出してきたのは2000年のことで、時代的な間隔もちょうど良いのではないだろうか。蛇足ながらその他の「売れる要素」を挙げておくと、腰の低さ(実力の低い芸人にとってこれは重要。去年ブレイクした3組を観ればわかる)、テレビ受けする顔(最低限の基準を超えている)、キムタクという「アンタッチャブル領域」への進入(世間はゴシップを求めている。少しでも『他ではやらないようなこと』を見せるとウケが良くなるのだ)などがある。ネタの安全無害性といい、周囲への溶け込み方といい、今のテレビ界でこれほど重宝する人材はそうそういないと思われる。今のところ彼が売れセンの第一候補であることは動かしがたそうだ。

ついでに他のコメデイアンの評価も記しておこう。品川庄司は正統派として安定した出来。既にそこそこの人気があり、レギュラー番組も沢山持っているので、今さら「売れる」ということにはならないだろう。劇団ひとりは何だかよくわからなかった。ツッコミがいないとは言え、あの方法では基本的にやり逃げなので、ずっと見続けるのはツライ。お笑いマニアにはウケが良いのだろうか?現在のテレビ界はパッと見て面白い奴が勝ちなので、あのやり方では一部の視聴者にしか受け入れられないのではないだろうか。そして次に登場した笑い飯は明らかに不発。「M−1」の時のような畳み掛ける面白さが全く出ていなかった。またこのコンビはテレビ映りが余りよくない。もう少し清潔な格好をした方が一般的な評判は上がるだろう。青空コンビはベテランなので除外しておく(『笑わず嫌い』にはベテラン枠があり過去にも月亭可朝やレッツゴー3匹が出場していた)

次回に残る組は「ペナルティ」「木村祐一」「ネゴシックス」などなど。私の知らない人もいる。どんなネタが繰り出すか。そしてホリを超える売れセンのコメディアンはいるのか。ひょっとしたら次なる時代を支えるような大物がいるかもしれない、という密かな期待もある(文句を言いながらもこの企画を見ているのはこの期待感からなのだ)。何はともあれ、次週が楽しみである。


2004年02月03日(火) 馬鹿な哲学 間抜けの科学

万物の根源は水であるとか、人間は考える葦であるとか、我思う故に我ありだとか、青春は人生のある時期ではなく心の持ち方を言うだとか、生きるべきか死ぬべきかそれが問題だだとか、優しくなければ生きている資格が無いとか、我が巨人軍は永久に不滅ですだとか、今度生まれ変わったら一緒になろうねだとか、その他様々な種類の哲学的格言が有史以来この世に誕生してきた。しかし、哲学が人間及び自然界の本質を実証的に把握した例はただの一度も無い。そういった面倒くさい事は一体に科学の分野が引き受けてきたのである。科学は真面目で朴訥だから、嫌な顔ひとつせずに地味な作業をただひたすら繰り返して地道に真実を追求してきた。いっぽう気障な哲学は、名言を言うだけ言ってご満悦、後は野となれ山となれで平気の平左方式の、はなはだ無責任な放言を積み重ねてきただけだ。これは科学に対してあまりにも失礼であり、当然許されるべきものではない。だが、もっと許せないのは数多の科学者達が往々にして罹患する「哲学愛好症」である。百戦錬磨の科学者達にとって、根拠とその証明を無視する哲学は憎んで然るべき存在のはずである。しかし、この悪魔の病気に魅入られてしまった科学者はあまりにも多い。歴史上、優秀なる科学者の多くがこの悪性疾患によってうっかり質の悪い発言をしてしまったという忌むべき事実が過去に多々見受けられるのだ。

例えば白熱灯や蛍光灯、蓄音機にダイナモと発電機、無線誘導電信システム、磁器鉱石分別機、炭素式電話送信機、それにアルカリニッケル鉄電池などを次々と創り上げた稀代の発明家・トーマス=エジソンは、持ち前の探究心で数々の偉業を成し遂げたまぎれもない大科学者だったのに、ある時「天才とは1%の霊感と99%の努力である」などという哲学的格言を吐いてしまった。天才が本当に霊感と努力によって構成されている証拠など何処にも無いのにだ。つまり見切り発車の発言なのである。こんな事を書くと、「エジソンは自分の実体験から一般論を述べているだけではないか。彼は間違っていない」という声が読者諸兄の間から聞こえてきそうではある。しかし、エジソンに当てはまるからと言ってその他大勢の天才達に当てはまるとは限らないのである。もしかしたら100%霊感頼りの天才がいるかもしれないし、ひょっとしたら霊感と努力を折半した天才が今後現れるかもしれない。真理と照らし合わせて疑わしい以上、前述の格言は正鵠を得ているとは言いがたいのである。エジソンは「私は1%の霊感と99%の努力である」と言うべきだったのだ。白熱灯用の耐性の高いフィラメントを探して長い間研究に研究を重ねてきた彼にしては、いささか不用意な発言であった。また、時のローマ教皇に弾圧されながらも頑なに地動説を主張し続けた科学の求道家・ガリレオ=ガリレイは天下のリベラリストだったのに、異端尋問の後でぼそっと「それでも地球はまわる」と呟いてしまった。この発言においては「それでも」という接続詞が物凄く邪魔である。「地球はまわる」の部分は一定不変の真理だから何の問題はないのに、「それでも」なんて言葉をつけてしまったから、なんだか胡散臭い哲学臭がついてしまったのである。教皇にたっぷり絞られた後だから疲れていたのは解るが、しかしもう少し気をつけるべきだったのである。

才智爆発ながら哲学病に罹ってしまった科学者は他にも沢山いる。ストーブや避雷針を発明し、後にアメリカのペンシルバニア州知事まで務めたベンジャミン=フランクリンは相当の格言好きと見え、様々な文句を書き遺している。スコットランド出身の地質学者・ヘンリー=ドモランドは「愛さないくらいなら生きていないほうがよろしい」などという後年のハードボイルド小説の主人公が言いそうな気障な科白をはいている。そして彼の有名な物理学者・パスカルも哲学的格言を使った。これ以外にも色々いるのだが長くなるので止めておく。

本来的に科学と哲学は水と油のような存在である。端的に言ってしまえば人間と自然界のかかわりを事実の積み重ねによって解明しようとするのが科学であり、自由な発想と想像力を駆使して何らかのアプローチを試みるのが哲学なのだ。私は別に科学至上主義者ではないが、想像力で勝負している以上、哲学が科学よりいささか迫真性が弱くなるのは仕方があるまい。そして迫真性に欠けた分が、受け手によって情報の格差を引き起こすもととなり、結果的には滑稽な笑いとなってフィードバックする。私は千万言を越える種々の哲学を、お笑いコンビ「いつもここから」の「あるあるネタ」と同質の域を出ていないと考えている。プラトンの「愛に触れると、誰でも詩人になる」という言葉は、「悲しいときー(悲しいときー)机を掃除していたら、昔の彼女への思いをつづった超恥ずかしい日記が出てきたときー(机を掃除していたら、昔の彼女への思いをつづった超恥ずかしい日記が出てきたときー)」というネタの原型でしかないのだ。


2004年02月01日(日) 個人的な実感

花びらをわずかに残した葉桜が立ち並ぶ一本道を、透子はうつむき気味に歩いている。葉っぱの隙間から射し込んでくる柔らかな陽光が、4月特有のぼんやりとした暖かさを演出し、おまけに昨夜降った雨水を含んでいるアスファルトの道路をジリジリと照りつけて、白く上気した湯気を立ち上らせてやまない。透子はその悠然とした眩しさに一瞬たじろいだ。この日差しはまるで、人々の心を否が応にも浮き足立たせ、しかし同時に押しつぶすような鬱屈した圧迫感を与える、何か妙なエネルギーの塊のようだ。薄手のコートを羽織った青年サラリーマンやハイヒールを地面にめり込ませるようにして歩く大女、サドルから腰を浮かせて懸命にペダルをこぐ初老の男性、そして笑顔満面に体全体を大きく動かして登校する小学生達といった、透子と同じ道を行く人たちも、この日差しの重圧を従順なまでに強く受けているように感じる。こんな不思議な思いに至るのはどうしてだろう。ひょっとして私自身が新入生だからだろうか、と透子は考える。この春から東京第一高等学校、すなわち「イチコー」に通い始めた透子は、新生活の緊張感からようやく開放され、瑞々しくリズムに富んだ日常を取り戻しつつあった。新しき学校、新しき友人、新しき部活動、全てが新しいものに囲まれている現状を、透子はやっと素晴らしく有意義なものに感じられるようになっていたのだ。それなのに、このセンチメンタルチックな感情は一体なんなのだろう。緑麗しく生命躍動する春だと言うのに。それとも、春とはこういう種類の感傷を多かれ少なかれ思い起こさせる季節なのだろうか。

透子が自宅からの1800米ほどを、いつものように喫茶「アーク」を越え、石橋理容室を過ぎ、南部幼稚園を通るように歩いたところで、前方の、ポストの手前の曲がり角に、そこにあるべきものが佇んでいた。あるべきものは透子の姿を認めると、茶目っ気たっぷりに「遅いゾ!」と声を挙げた。透子はすぐさま「ごめん、メイ。」と返した。メイは「我が左手にはめたる、真新しきセイズンの時計が、恐れ多くも集合時間より2周半も多く運動しなさったのだぞ。おぬし、セイズン様を馬鹿にしているのではあるまいな?」と笑いながら言った。このがさつで少々デリカシーに欠ける少女は、しかし代わりに天性の大らかさと人懐っこさを兼ね備えていた。「ごめん、ごめん。あんまり天気がいいもんだから、ついつい寝坊しちゃったのよ。ほら、『春眠、暁を・・・』って漢文あるでしょ。まさにあれ。」「色気より食い気より眠気ってわけか。でもそんなに熟睡できるところをみると、今日の実力テストは相当自信がおありかな?。」「まさか!平均点すら取れる自信ないってのに。」「うむ、わかるわかる。あたしも教科書開いてみたけど、チンプンカンプンで何がなんだかさっぱりよ。特に数学。0点の危険性すらあるんだから。」「イチコーの数学は難しすぎるよね。私のクラスでも悪戦苦闘している人ばっかりよ。」
ここでメイは長嘆息して、
「ああ、やっぱりイチコーは冒険しすぎだったかなあ。林泉高校ぐらいにしとけばよかった。」と情けない声で言った。透子は「何いってるのよ、ちゃんと合格したからこうやって通っているんじゃない。」と励ました。しかしその励ましはメイのためだけでなく、透子自身にも幾分向けられていた。「難しいと思っているのは私達だけじゃないわ。それに、この試験が悪かったからって除籍になるわけじゃないんだから、気楽に構えないと損よ。」「透子ったら流石一流の学者さんの娘だけあるわ。言うことが違うもん」「茶化さないでよ。」「いや、ホント、ホント。尊敬しちゃう。」 メイはいたずらっぽく舌を出した。日差しが与える妙なエネルギーが、依然として透子の内面に溜まっている。
「ところで透子くん、今日の帰りは何を召し上がりますかな?バーガー?おうどん?それともお好み焼き?」「うーん、どれも魅力的ねえ…迷っちゃうなあ…。」「でしょ、でしょ。おまけに、交差点の向こうのラーメン屋さん、5月2日にオープンだって。ゴールデンウィークにきっちり間に合わせてきたわけよ。」「やーん、ラーメン!どうしよう。」「参っちゃったなあ、ラ―メンなんか出されたらあたし自分をコントロールできる自信ないわ。こちらのお腹の都合も考えてもらいたいわよ。」「同感。それにしても、メイは食べ物の事となると情報早いわねえ。」「こいつめ。図星なことを言いおってぇ。」

その時、通りの向こうから微かにベルの音が聞こえた。イチコーの始業の予鈴だ。
「いけない!余計なこと喋ってたら遅くなっちゃった。透子、ダッシュ!」メイはだしぬけに駆け始めた。不意をつかれた透子は、しかし拳を握りしめて歩調を早めた。次第にスピードは増し、体が流れるように動きはじめる。ここにおいて、透子はやっとエネルギー解放の場を得た。透子は向かい風に抗って上体を前方に傾けて走った。シューズが道路を踏みしめるたびにわずかに水が飛び跳ね空中で気化する。次第に息があがり汗が吹き出て、足が思うように上がらなくなってくる。透子は空を見上げた。太陽はなおも支配的な光りを降り注いでいる。もし透子が活発に動いていなければ、その重苦しさに負けて硬い地面に倒れてしまっただろう。しかし、今の私は走っている。太陽の圧力を振り切るために走っている。吹き付けるように青い空はうねり、厚ぼったい雲がちぎれ、そして人々は風景に溶け込んで、透子の視界の一物となった。緑が鮮烈に色づいた木々が長く続き、その向こうに、巨大な全貌のわずかな一角を為すイチコーの校舎が見える。ゴールまでもう少しだ。透子は自分の頬がいよいよ紅潮しているのに気付く。茂みから次々と飛び出す細かい虫たちの群れが、穏やかな春の色合いがゆっくりと遠のきつつあり、代わりに夏が接近していることを予感させる。透子は、あのメランコリックな感傷が自分の心から徐々に消えてゆくのを感じた。校門の隣りで下垂して咲きかけているどうだんつつじが、早くも初夏の香りを漂わせていた。


橋本繁久

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