ひとつ、個人的な昔の話を。
他人にとってはどうでもいいことだと思いますが。 実は、「中学受験」経験者です。 つまり、小学生の頃にそれの為の勉強をして、中学校入試を受けた経験があります。
私はその経験をかすかな自信と自慢(?)のひとつにしているくらいで、かなり感謝しています。あの経験にともなった感覚や、いろいろなものはきっとどこでも二度と味わえない。
私は勉強が嫌いではありません。 好きだ、と言い切ってつもりもありません。 そう言ってしまうには、人生楽しい事が山ほどありますから。けれどやはり、勉強は嫌いではありません。 「恵まれてるね」 なんて言う大人が過去にいましたが(この歳になるともう言われない)、べつに恵まれているとも思わない。 私にとっては始めの多感な時期に与えられたものが勉強であり、勉強するのが当然で苦ではないと位置付けられるまでに日常的なもののひとつとなっただけです。
それを恵まれている、と表現されても一向に構いませんが、 別に私は恵まれた事だとは思っていない、それだけです。
けれど一方で、私は勉強が好きです。 好きだ、と言い切れはしませんが、やはり好きです。 それは「勉強している自分」が好きだったりすることも含まれています。 その光景や、その雰囲気が好き。 図書館が好き、というのと似ているかも知れません。
私は当時、塾に行きたかった。 仲のいい友達が行っていたから、ただそれだけ。 それだけのことに金を出すのが嫌だからと、どうせなら受験を、と言い出したのが両親。私はそれに乗った。
急に塾に通い始めたから、もちろん同じ塾のクラスのメンバとは進度が全く違い、私の知識量は格段に少なかった。 とくに、算数。これだけはどうしようもなかった。 だから、私は始めの3ヶ月で前年度にメンバが既に習った1年分の内容を詰め込まれた。もちろん、新しく習う内容と平行して、だ。
私は泣いた。 解答方法を説明されても判らない自分、説明されたのにまだ解けない自分。 それが悔しくて泣いた。本気で泣いていた。 後にも先にも、自分が習得できないことに苛立って泣いたのはあの頃の幼い自分だけだ。
いまは、あきらめが、さきにたつ。
あの異様な真剣さ。 悔しい、というストレートな感情。 すごい勢いの吸収力。 知識欲。 誉められる事に対する純粋な喜び。 人と競争するということ。 勝つということ。負けるということ。 ……良く言えば、切磋琢磨。
そういういろんな事が一気に体内に溜め込まれたのもこの時期だ。 だからこんなにねじれた性格になったのかもしれない、 けれど、それらがいかな与えられたものだとは言え、私はその時期にその経験をしたことを今更ながらに感謝している。
それは、私の生きる上での基本になってしまったから。
当時、与えられ学んだ事を感謝しないで恨むような人生を、送っていないこと。 そちらに感謝すべきかも知れない。
そう、今の私は当時の私があってここに居る。 そしてそれは不満ではない。 だから感謝している。
たぶん、それぞれに感謝する一瞬、反省する一瞬があるのだろうけれど…… 結果はともあれ「中学受験」の勉強経験というのは結構、私にとっては意味のある時間だった、と思う。
ふ、っと。 懐かしいほどに中学受験用の算数の問題が解きたくなった時に思い出した事。 いまでもあの頃の問題たちにはわくわくしてしまう。
「切羽詰る」 ……って、どんな語源なんでしょうねえ。 調べればいい話なのですが。
切羽詰ってます。 切羽詰ってます。
多分ね、 この先の方が、 切羽詰るんですけど。
あー……、 気晴らししてえ!!(←乱暴語)
気の持ちようなのですが、なんだかここ二日忙しいんです。 いえ、忙しいというか……拘束時間が長いというか。 起きる。移動時間。シゴト。移動時間。寝る。 純粋にこのサイクルだけで動く日々……(苦笑)。
結構追い込まれた方が燃えるタイプなので、 この状況が辛いといえば辛いのですが それでもほんの少し楽しい。
明日も明後日も頑張ります。 (↑言い聞かせ)
忘れていたのですが先日、「ガンダムSEED」というアニメを偶然にも見ました。 おもしろそうでした。 新番組なのかな? 結構ああいう機械ものは好きなんです。
最近のアニメは(特に、アニメとして構成されたアニメは)とても複雑なストーリーをしていて、ドラマなんかよりもずうっとずうっと内容の把握が難しいですよね。むしろ、アニメとして細切れに見る以上にDVDなんかでまとめて映画のように見た方がずっといい気がします。
エヴァンゲリオンもそういう類のものだったのでしょうか。 良く知らないのですが。
機械ものは好きだけれど、まともに見た事がない。 きっと、あっさりとハまれると思うのですが。
あ、そう言えば以前、地方局(だったと思います)で「サイボーグ009」が放映されていました。 ……むちゃくちゃおもしろそーーーっ! と思ったのですが、やっぱり毎週見ている訳にはいかず。
あーあ。これだからドラマは続かないんです(笑)。 これからはアニメもその範疇なのですね、きっと。
2002年10月14日(月) |
PAPER COLLECTOR |
紙集めが好きです。 いつの頃からか好きになっていました。 多分、長野まゆみさんが「紙集めが好きだ」とどれかの文庫の後書きで書いてらっしゃったので、それに感化されてのことだと思うのですが。
感化されて続くことって滅多にないので、私にとっては結構珍しい種の趣味です。
そもそも「思い出」を残すことにたいして常に無頓着だった私は昔から文集だとかそのたいろいろな物を躊躇いもなく処分してきました。 ……しばらく経ってから文集や作文やそんなものを見ると、恥ずかしくて仕方ないもので。
その割りに日記を書くことは細々と続いて、 捨てずに残しているのですから基準が判らないと言うものですが……。
ともかく、中学生頃からの日記も文集も捨てずに置いてあるので、恐らくこの変化は高校に入ってすぐぐらいに訪れたのでしょう。 それまではどこにいってもパンフひとつ残していなかったのですが。
今の趣味は、どこかのお店へ出かけたらそこの名刺サイズの舗案内を頂くこと。 食べ物系(特にカフェ)では置いている所が多く、私はいつもレジ横に置いてあるそれを奪って帰ります。とても洒落てて大好きです。 雑貨系のお舗ではとっても凝った宣伝ポスカを置いているところもあって、商品を買いもしないのに通りすがりに奪って行ったりもします(多分持ち帰っていいはず…怒られたことはない/笑)。
それに加えて、思いの他好きになった紙集めが、
美術展の宣伝紙と切り取られたチケット
…なのです。
宣伝紙、というのは駅によくパンフレットのようにがさっと入れられている、A4の一枚印刷ビニル紙のことです。簡単な解説と誘致文、メジャーな作品がいくつか印刷されているもの。結構綺麗に印刷されているので、満足。 あの宣伝紙は大好きです。その展覧会がお手軽に凝縮されてる感じ。 いつも駅や美術館入り口で奪って帰ります。 あとは、チケットの半券。あれも結構綺麗ですよね。
美術館の美術展のチケには日付が入っていますが、 某デパートの美術展のには入ってなかったりします。
もちろん、美術展の帰りには気に入った作品のポストカードを買って帰ります。 図版などは買いません。高いですし、本物を見たのだから…という気にもなる。そもそも、その展覧会用の図版なんて要らない、と思うので(ある画家さんの画集、なら考えなくもない)。 ポスカも最初の頃は無駄なくらいたくさん買っていましたが、今は好きなものだけ数点。
趣味と言うよりも思い出集め。 ほとんど生活に密着した活動であり、欲求なので、今では不思議と馴染んでいます。
2002年10月11日(金) |
特につけるほどのこともない日 |
特にタイトルを付けることもない日でした。
友人A、Bと昼食を共にする予定で家を出て Aには10分、Bには30分遅れられ。 (Bとは昼食合流すら叶わなかった…)
食べた物で白いパーカを汚してしまい。 (随分使い込んだパーカなのでいいのですが) 文庫の『陰陽師 鳳凰の巻』を買い。
さして動き働きもせず、なにやらお疲れモード。
帰りには友人Cと珈琲一杯で 2時間だらだらとおしゃべり。
特にタイトルを付けるほどのこともない日でしたが、 それでも一日が終わりました。 おやすみなさい。
花は人間と違って かけひきなど考えずに咲いている。 だから美しいのだ。
と、いう主旨の文章を書いている某氏がいた。 私の家にその人の文章の印刷物がある。 ひどく嫌いだ(ごめんなさい)。 そのほかの文章もあまり好きでない。 私の感覚に合わないからだろう。
冒頭の主旨文章について言うなれば、
「 花という器官こそ、駆け引きの結果 生まれて来たものではないのですか? 」
…………、だ。
生存競争という点に置いて、生殖ほど駆け引きを要するものはない。 子孫を残す為に、効率のいい受粉をする為に、 花粉を運ぶ昆虫を惹きつける為に。 あれほど派手な色をつけ(時にはU.V.で装飾し)、 甘い薫りを放つ蜜で誘う。
これのどこが「駆け引きを考えないから美しい」だ! などと思う次第だ。
天邪鬼なのだろう。 まるで正義の正論のようなものにに対しては 反射的に反対尋問をしたくなる。
何をやっているのだか、最近はとても変な感じです。
いえ、もしかしたら今日が、かな?
情緒不安定、と言い切ってしまえば簡単なのですが。
……どうも、そうではない。そうらしくない。
なにかを忘れてるような気分なのですよ。
なにか。大切な事を。 うっかりと忘れてるような気分になって、はた、と止まってしまう。 そして首をひねってまた歩きはじめる…と。
それは、「どうして私は今微妙な気分なんだ?」と 首を傾げてしまうのに良く似ています。 もしかしたら、それなのかも知れない。
(↑私はこれが異様に多く、大抵どうでもいい他愛のない事で ほんのすこし不機嫌になっているのですが、 それに自分で気付くのに時間が要るのです。それくらいに、 「たったこれっぽっち、ほんの少しの不機嫌」なのでしょうね。)
理由に思い至って、がっかりするのですが。
ああ……そうか、きっとそうですね。 きっと、「私をほんのちょこっと不機嫌にしたもの」を忘れてしまったから 変な感じなんでしょう。
そう、10月になったらきっと咲くんです。
大好きな、金木犀。
今年もこの花の季節になりました。
今朝、町を歩いていて鼻を掠めた薫りに
「ああ!」と声を挙げて仕舞いました。
待望の、金木犀の香。
帰り道ではまだ薄緑色の蕾に鼻を寄せて
匂いをかいできました。
やっぱり秋は金木犀ですよね……。
|