今日はしんどい。昨日は酒を飲んだ。一段としんどい。odしてからおかしくなってしまった。馬鹿になってしまった。私は一体どうなるのだ。 人に親切にするということと人の親切に感謝する。この二つができれば世の中わかるんじゃないか。苦しさがすっと抜けた気がした。この二つのことに気付いたとき。人に優しくする。優しくされたら感謝する。これは基本だ。挨拶をする。挨拶をされたら挨拶を返す。これは基本ではないだろうか。男は仕事をする。女は子供を生んで育てる。これで何の問題もない。長いこと休んで得た結論はごく単純だった。明快だった。 原ザリのときもあいつは精一杯私に親切にしようとしていたのに、私が感謝せずにむげにしようとしたので、雰囲気がおかしくなったのだ。普通に感謝していたらおかしなことは怒らなかったのだ。森田の集会のときも、私の本心は変な奴らを見物してやろうという親切でない感情がそこにあったので見抜かれたのだ。egのときも同じだ。でもegでは私は感謝できたから何となくうまく行ったのだ。親切にされたら感謝するということが大事なのだ。親切でないまでも優しくする。これが基本である。恋人、夫婦、親子、友達の間は優しくする。親切にする。すごく大事なことに気付いた。私が仕事ができないのは、しようとしていないからだ。しようとしないことは誰もできない。自然にできるとか、誰かがやってくれるとかは仕事じゃないじゃないか。自分が人に親切にすることが仕事だ。これで仕事も人間関係も良くわかった。原ザリのこともこれで解決済みだ。平和が一番で戦いは嫌だ。戦いは何も生み出さない。イラク戦争を見たらわかる。戦争なんて前世紀の遺物なのに、まだ執着するのか。愚かな人間よ。人付き合いというのは親切にするということだ。お互いに。それが恋人でも夫婦でも家族でも同じことだ。私は人に親切にできないから恋人も妻も友人もできないのだ。人を恐がる。人と仲良くするということはそういうことだ。医者との関係でも同じことだ。親切にする。優しくする。人にはそういう気持ちが備わっている。それをすっ飛ばしてサディズムみたいな気持ちで何かを貪るというのは通らない。これが小さい頃から私を悩ましていた問題の答だ。サディズムが私に宿ったので私は苦しむことになったのだ。その答は人に親切にすることだ。人に優しくすることだ。お坊さんも親切にしてほしかったのだ。でもあの人は自分にだけ親切にしてほしいと言った。それは大きなお世話だろう。私が誰と付き合おうと。愛を独占したいのは人の常か。私がおかしいのか。優しさの淫乱なのか。誰にでも優しくするのは。私は無能なわけではないのだ。やる気がないだけだ。やる気を出せばなんでもできる。テレビでいろんな人が話していることが少し理解できるようになった。欲も勿論あるが、親切だ。松下氏にしても稲森氏にしても一人さんにしても仕事をするとは我欲を追求することではない。人に優しくすることだ。昨日の光学機器の社長さんもより人を助けるものを作りたいということで医療機器を作っている。ipodより良いということだ。それが完全というわけではないが、いいところをついている。 私が優しさがないというわけではない。人と変わっている訳ではない。統合失調症の傾向があるがそれは強いストレスが加わった場合だ。人に優しくするというのは全ての基本だ。同僚であれ、上司であれ、医者であれ、通行人であれ、男であれ、女であれ、優しくするのが基本だ。親切にするということ。朝、苦しかったが、それに思いついたら楽になった。 しんどい。目がかすむ。でも楽にはなった。人に優しくすることで自分が楽になるなんて魔法みたいだが、本当のことだ。女子供には親切にする。端的に言えば養うというのが普通だろう。それがやっとわかった。優しくする、親切にするというのが自分が楽になることだ。 目は霞むが少し元気になった。人に優しくすることが自分の生きる道だ。人に優しくするとは人を愛することと働くことだ。たいていの男は妻子や置いた両親を養い、働いている。これが普通の姿だ。私は病気でそれができていないが、本来はそうしないといけない。人からしてもらうばかりではいけない。人を愛し、働かないと生きていけない。当たり前のことではないだろうか。頭がぼけたとしても同じことだ。きっとできる。今までは間違った考えをしていたので何もできなかった。これからは正しい考え方ができるので楽になると思うし、いろんなことができるだろう。hやkでも優しくしてやればいいのだ。上とか下とか関係なく、人に優しくすればいいのだ。人に親切にする。これは素晴らしいことだ。人を愛することは素晴らしい。できたら人を愛して結婚したい。子供を作って子供を愛したい。私にもできる。できなかったとしても病気のせいであって私の考えは間違っていない。人に優しくするというのなら今すぐにでもできる。仕事もできる。復帰できそうな気が俄然して来た。坊さんと付き合ったのはおかしなことのように思う。でも当時はわからなかったのだ。彼も盲目な人の一人だ。かわいそうだ。でもかわいそうな生い立ちだからそうなったのだ。私はもう自分を取り戻した。私が勘違いしている部分、間違っていた部分を理解できた。人を愛さないこと。自分だけを愛すること。働かないこと。つまり人に優しくできないこと。人に親切にできないこと。今は違う。人に親切にできるようになった。働くことが一番親切なことだ。会社は自分を支えてくれている。それに応えて、元気を取り戻して人に優しくするのだ。人に優しくすることが自分を楽にするのだ。自分だけ良いという考えは自分を滅ぼすのだ。自分だけいいのであれば、働かないで金をもらうことになるからだ。私の思想は大体そんなところだ。これを改めないといけない。人に親切にできることだ。人に優しくできることだ。赤ん坊は可愛い。愛される。でも大人の男は愛されるだけでは飯は食えない。女でも男に愛され、結婚し、子供を生んで育てて初めて一人前なのだ。お前はどうなのだ。愛されることなどではなく愛することを学ばないといけないのだ。愛し、人に優しくするのだ。坊さんや原ザリのごたごたはもうこれで終わりだ。けじめがついた。心の中で決着がついた。これからの人生の方向もはっきり決まった。恐れず進むが良い。あの医者を信じて進むがよい。信じられなくなったら、そのときは病院を替わればよい。 一年前よりまともな人間になったのではないか。あの頃は今より元気だったかもしれないが、まともではなかった。自分で自分がわかっていなかった。だから傷ついた。今は違う。恩義を知っている。親切にされたら、親切にするということを知っている。この調子で行けばきっと良くなる。前の調子で行ってもうまくはいかなかった。今は人に優しくできる。親切にできる。 しんどくなってきた。いのちの電話に掛け捲っている。でもどこも出ない。休みの日は多いのだ。平日でさえ出ないのに休みの日はなおさらだ。私は少し立ち直ったと思ったのに。人に優しくするということ。それは良くわかった。 いのちの電話にかけた。きつそうなおばさんだったけど、一応話を聞いてくれた。私が酒を飲むのが悪いと言う話は共通している。甘えているのだ。でも甘えずにはいられない。人に優しくしよう。 大阪自殺予防センターに電話してしまった。自殺の危険はなさそうということであっさりと切り上げられてしまった。でもやさしそうないいおじさんだった。何かおじさんの方が優しい。さっきのおばはんは私を攻撃していた。でも話を聞いてくれただけでいい。今でもしんどい。でも何と言うか人に優しくするとか親切にする。優しくされたら感謝するということを考えていると自分が普通の人間らしく思えてきた。恩とか感謝とか大事なことだ。一番大事なことだ。人間がたくさんいる。一人で生まれてきたものはいないし、一人で生きられるものもいない。そのことを忘れそうになる。感謝が大事だ。人に優しくするというのは大事なことだ。人に優しくされたら感謝する。この二つだけでだいぶ違う。人間関係はそうじゃないか。人を愛すること。家族を愛すること。私は親や兄弟や甥や姪を愛すればいいじゃないか。姪は本当に可愛いと思う。甥も見たけど可愛かった。私は人非人ではないのだ。ただ少し病気のせいでおかしいだけだ。人の情愛はわかる。文学を解するくらいだから理解できる。 人に親切にする。優しくする。優しくされたら感謝する。 しんどい。姉にメールしたら一応すぐ返事が帰ってきた。見捨てられてはいないということだ。でも母親と一緒ではないと来ないというから私が大事なのではなく、母親が体が利かないから来るということなのだ。それでもいいけど。 少し楽になった。酒を飲んでも大丈夫じゃん。 良くなった。人に親切にする。人に優しくする。これで完璧じゃないのか。私は人が嫌いなわけではない。人に優しくすればすべてはうまく行く。特定の愛する人がいなければ人類愛でいいじゃないか。私は姪でも可愛い。赤の他人の子供でも可愛い。それほど博愛主義のいい人間なのだ。 人に優しくする。親切にする。これが大事だ。
訳がわからない。昨日はあまり眠れなかった。でもデパスのお蔭で少し気分がいいから不思議だ。医者にはっきり行ってみよう。デパスが必要だと。あの医者は絶対おかしい。私を憎んでいる。怖いし。薬をくれるまでは帰らないという気持ちで頑張ろう。物忘れがひどい。何回も繰り返したことを忘れたりする。脳のダメージがひどい。 しんどい。脳が壊れている。人が怖い。外に出る気がしない。 しんどい。人が何を言っているのかわからないし、新聞が何を書いてあるのかわからない。これは人に馬鹿にされる。自分に価値がないという気がしてきた。 しんどい。職場復帰など難しいと感じる。どうしよう。どこに復帰してもやっていけそうにない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。 大阪のいのちの電話に電話した。酒を飲んでいるといったら説教口調になった。おばさんのためグチは本当に腹が立つ。おばさんしか頼るものがいないなんて情けない。だんだん腹が立ってくる。何で大嫌いなおばさんに説教されないといけないのか。わからない。 公園に行ってきた。目のかすみがひどい。さっき電話が聞き取りにくかった。右の耳がおかしいらしい。いずれ治るだろう。体のしんどさは大丈夫だが、心のしんどさはやりきれない。体だけは体力を維持しておかないと復帰できない。
結局、あの夜原ザリが私に取り付いてしまった。私を破壊してしまったのだ。自己破壊、自暴自棄の塊が私に取り付いてしまったために、odをやらかしたし、人間関係も破壊してしまったのだ。このままでは職場にも戻れないし、良い治療関係ももてない。医者は私を見て原ザリの姿を見て怖がり、誤診する。私は脳にダメージを受けているので暴走し、自己破壊し、自分を守れない。どうしたらいいのか。今日もバリバリに具合が悪い。酒を飲んでも具合が悪い。薬を飲んでも具合が悪い。崩壊寸前だ。誰か助けて。医者は助けるつもりはないらしい。というか助けようがないのだ。前の医者もどうしようもなかったので、医者を変えても仕方がない。odしてしまいそうだ。 しんどい。朝からしんどい。バリバリしんどい。寝ていてもしんどい。完全におかしくなっている。誰も恨んではいない。原ザリでさえも。それでもしんどい。原ザリは許したのでもう恨んではいない。あいつは自分で自分のコントロールができないのだ。そんな奴の側にいった自分が悪いのだ。あいつは側に来るやつを自動的に攻撃する奴なのだ。森田で隣に座った私の運が悪いのだ。恨んではいない。どこに行ってもそういう危険はあるのだ。 自分の脳を破壊すると自分が維持できなくなって崩壊してしまう。今私は本が読めない。新聞も読めない。うつだと思う。それなのにあの医者は頑強に認めない。死んだらどうするのだ。 デパスを飲んだ。これで良くなるようなら病院を元に戻すことも検討しよう。それかhクリニックに替えても良い。こんなに苦しいのに我慢しないといけないなんてどんな医者だ。 少し寝たようだ。意識を失っていた。デパスはよく効く。でも目覚めると苦しいことには変わりない。復帰のことが目に浮かぶ。怖い。人間が怖い。 デパスを飲んだら少し良くなった。原ザリは自分の方がえらいと示そうとして私を攻撃してきた。何がえらいんだ。それで私はレイプされたようになって、人が怖くなった。どうしたら良くなるのだろうか。カウンセリングだろうか。ジプレキサではないと思う。パキシルを飲むことだと思う。病院を替わろうかなと思う。こんな苦しい状態が続くのであれば。一度替わってまた元に戻るなんて前代未聞だろうな。カウンセリングするなら、原ザリのことを聞いてもらわないといけないのだが、うまく説明できないのだ。トラブルになったということしか説明できない。嫌がらせに遭ったといえばいいのか。私が別れたいと思ったので、怒ってねちねち嫌がらせしてきたといえばいいのか。どうしてそれでおかしくなるのかわからないだろう。でも私の気持ちをわかってもらわないとカウンセリングにならないだろう。 しんどい。字が読めない。前の医者はリスパダールを飲まなかったことを紹介状に書いたのだ。それで私が薬を飲まない奴ということになってしまったのだ。感情的に反感を持っている。それが信じられない。 原ザリのせいで私が統合失調症に見えるのだ。私も人が怖くなって嫌いになった。似非カウンセラーも嫌いだ。怖い。この間罵られた。おかしいじゃないか。原ザリのせいだ。カウンセリングも結局私がモラハラしているようになっているんじゃないか。私が原ザリのせいでモラハラ光線を浴びて人と仲良くできないようになってしまった。それと脳がダメージを受けているのでそのことに気付かないようになってしまったのだ。これからどうしたらいいだろう。全くわからない。 どうしたらいいかわからない。復帰も難しい。原ザリにあってしまったことは仕方がない。そこから回復するにはどうしたらいいか、そのことに集中しよう。
今日もさえない気分だ。ある日いい気分にならないだろうか。まだ毎日原ザリのことを考える。ある程度信頼していた人間にひどいことをされたということは、ダメージが大きい。一般的に誰を信じて良いかわからなくなる。似非カウンセラーも信じられない。この間人を傷つけにかかってきた。医者も信用できない。人を傷つける。a病院に行ってきた。何か不愉快なことが多い。医者の診察も短いし、話を聞いてくれない。 しんどい。寝ていてもしんどい。でも寝ているしかない。気が狂いそうだ。頭がどんどんぼけていく。楽なようにするといっても、楽なことがない。寝ていてもしんどい。母親や兄弟にも嫌われる気がする。実際、原ザリの被害に遭った後電話したらすごく怒っていた。 原ザリの被害を生き抜いてより大きな人間になるのだ。必ず良くなる。 今日は公園に行って、酒を飲んだ。良かった。原ザリの被害に遭わなければ、楽しい休暇生活が待っていたのに。何であんなのと会ってしまったのだろう。森田療法のパンフレットに載っていた場所に行ってしまったことが間違いだった。
今日は一応眠れたような気がするが、熟睡感がない。鼻が治らん。不満や愚痴ばかり言ってないで、幸せといってみたらどうだろう。感謝はしている。少し横着になることだ。したいと思うことをする。おばちゃんを見習うのだ。鳥取のおばちゃんが一番参考になった。脳がダメージを受けてから自分が守れなくなった。どんどん悪くなっている。でも気にしない。きっと良くなる。今だって悪くない。昨日も眠れたし。おばちゃんのアドバイスで元気になったし。 何かしんどい。元気が出ない。抗うつ剤を飲んだらどうかと思う。今の状態ではしんどすぎる。目が覚めていても寝ているような気がする。睡眠時無呼吸症候群もあるし。脳のダメージが大きかった。どうしたらいいかわからない。脳がダメージ受けているので意識が持続しない。馬鹿に見えるらしい。でいじめられる。怒られる。喧嘩になる。これでどうなるのだろう。 しんどい。どうしたらいいかわからない。どうしたらいいかわからない。誰も話し相手がいない。苦しい。しんどい。抗うつ剤飲んだほうが楽じゃないだろうか。しんどい。寝ていてもしんどい。しんどい。気が狂いそうだ。odをしてしまいそうだ。どうしたらいいのだろう。ずっと寝ている。今日は一日寝る日にしよう。 森田療法にさえ行かなければ、原ザリにさえあわなければもっと楽しい日々があったのに、今は何も楽しくない。生ける屍のようになってしまった。窮状を訴えることもできない。脳のダメージも大きい。どうしたら復活できるのか。 何で危険だと気付かなかっただろう。良い人過ぎる。地球上にあんな危険な生き物がいるなんて想像もつかなかった。危険を顧みずなんであんなところに行ったのだろう。 きっと回復する。楽しいことが出てくる。働くことも楽しくなる。遊ぶことも。きっと蘇る。 何で自分を危険に曝すかというと狂気アレイ境界例だからだ。だからいずれはこんなことも起きるのはやむをえなかった。b校に行っても傷つけられたし、自分を守るということができないのだ。この傷が治まったら、きっと普通になれる。 egだってカウンセリングだって危険に曝されることには違いない。もう私には生まれ変わる力は残っていない。脳にダメージを受けた。似非カウンセラーは会うと私を傷つけにかかる。意味がわからない。それでも会おうとする私は何だろう。自傷行為だ。どうして人と会おうとするのか。 明るい気持ちで生きていこう。やりたいことをやって生きて行こう。原ザリのことはいい加減に忘れよう。 回復するだろうか。過去の恐怖にとらわれて自由が利かなくなっているのはptsdだ。抗うつ剤が飲みたい。ptsdに効くと言う。 私が回復すればいいのだ。それはわかっているがなかなか思い通りに行かない。レイプされた女性カメラマンみたいに心に傷を負っている。 今日は一日家にいた。雨が降っていた。ロングステイの番組を見ていた。楽しい。なぜひきつけられるかというと私が女性的で生活が好きだからだ。人生の楽園も同じだ。生活に憧れる。この暮らしも始まった頃は楽しかった。原ザリのせいで何もかも台無しだ。何もかもだ。小説も仕事も思い出も、楽しみも。ああ痛々しい。 原ザリ症は治ることはないのだろうか。目に見えない傷が私に降りかかってくる。私が何か見えない刻印を刻まれたように人は私を嫌い攻撃する。私の言葉ではなく、私のありようを厭う。なぜだかわからない。原ザリを嫌うことと理由は同じだ。老人や障害者を嫌うのと同じ理由だ。原ザリは犯罪者みたいな奴なんだから嫌うのは当たり前じゃないか。完全におかしい。 人が怖い。原ザリ症だ。天真爛漫に人を信じることなどできないだろう。でも少しずつ人を信じることができるようになるだろう。 楽しい人生が待っているはずだったのに、原ザリのお蔭で何も楽しいことはなくなってしまった。でもいずれは良くなるだろう。原ザリの被害から立ち直る日が来るだろう。 原ザリのことはどうでも良くなった。必ず立ち直るだろう。人を信じられるだろう。人が怖くなくなるだろう。 おっさんは良かったと思ったのに原ザリのせいでおっさんも怖くなった。
昨日は一応眠れた。脳がぼけて薬を飲んだら12時間眠れるようになった。それから耳鳴りがしてそれが短縮されて、7時間くらいになった。良いのか悪いのかわからない。新聞も読む気がしない。読んでもわからない。脳が死んだようにボーっとしているので何が書いてあるのかわからない。新聞だけではなく、会話でも同じだ。ミクロ単位でおかしくなっている。 復帰のことは考えたくなかったら考えない。昨日のおばちゃんの助言に従ってそうしよう。それにしても元気がない。ボーっとしているから、世の中についていけるか。昨日も人ごみを歩くのに大変疲れた。 しんどい。でも昨日よりはましだ。昨日は目が覚めたが一応眠れた。こんな休みになる予定じゃなかったし、もっといい人間になる予定だった。素晴らしい人間になると。それが字は読めない、何も気力のない人間になってしまった。どうにかならないだろうか。犬鳴山に修行に行こうか。滝に打たれたらどうにかなるか。 このくらいでいいじゃないかと思う。完ぺき主義はやめよう。完ぺき主義だと苦しくなる。楽なように生きていこう。苦しみを求めるのはやめよう。小説を書こうなんて体弱いからk1やるというのと同じだ。やりたいと思わないじゃないか。最初から。自分のやりたいことをやらないから、やりたくないことをやってしまう。 真面目になろう。なおかつ楽に生きよう。完ぺき主義はやめよう。 脳がダメージを受けたのがわかる。お蔭でzに見放された。ついにいのちの電話に電話してしまった。でも救われた。 奈良のいのちの電話に電話した。何か余計に疲れた。声が出ないのと頭が回らないのとで電話さえ辛い。救いを求めることもできないのか。今日は公園に行こうか。不真面目なつもりはないが、だんだん根気を失っていく。愚痴を言うという方も疲れる。 電話すると余計に疲れた。朝は意外に調子よかったのに。自分の調子を実際以上に悪く言おうと無意識になる。そうやって同情を引き出そうとするが不自然でばれてしまう。グチは良くない。愚痴を言う必要は無いのに言ってしまうと自分に返ってくる。電話で相談していても喧嘩みたいになって、自分が傷つけられてしまう。病気のせいだとか入院しろとかキチガイ扱いか。相談もできないのか。統合失調症という診断も揺らいでくる。妄想も確かにあるけど幻覚とかはない。余計調子が悪くなってきた。境界例かもしれないが結局わからない。zだってわからないだろう。脳がダメージを受けてから深刻なことになってきた。復帰できるのか。 しんどくなってきた。 緑地に行ってきた。すごい人手だった。春休みで子供だらけだった。一年で一番良い季節だ。でもしんどくなった。でも良くなっている。自分が楽なことをやるということだ。抗うつ剤で元気になっても元の病気が出てくる。難しいものだ。でも昨日のおばちゃんとの約束で私は死なない。そんな気はさらさらない。ホームレスになっても生き抜く。 しんどい。誰に相談することもできない。母親はもう高齢だ。頼ることはできない。どうすればいいだろう。しんどい。いのちの電話に電話しても答えは出ない。孤独だ。不安だ。生きていけない。 しんどい。生きていくのがこれほどしんどいとは。病気だから仕方がない。でも社会はそれでは通らない。働けないならやめないと仕方がない。元の病院に戻ったほうが良いんじゃないか。私は不正を働くことが多いかもしれない。正義感がないというか。残忍というか鬼畜というか。そういう人間が人に憐れみを求めてもだめだ。卑怯なんだ。男らしくない。男らしくしよう。女は憐れみ優しくしよう。下心とかじゃなくて女は弱いからだ。 頑張らないようにしよう。気ままに過ごせばいつの間にか治るんじゃないか。今の状態は悪すぎる。いずれ良くなるだろう。 気楽に行こうかなと思うと少し楽になった。昨日のおばちゃんのお蔭か。自分の好きなようにしたらいいのだ。人にとやかく言われることはないのだ。何でそんなこと気にしないといけないのだ。私は今気楽だ。休んでいる間はそれでいいじゃないか。眠たくなったら寝るし、食べたくなったら食べる。誰にも気兼ねしなくて良い。 少し楽になった。耳が詰まるのは治らないだろうか。耳鳴りと。何でこんなトラブルが多いのだろう。でも気にしなければいいのじゃないか。物を噛むときに耳が詰まる。いずれ治るだろう。気分は良くなった。自分は自由であるという気がする。復帰もできるし、風邪薬のせいかもしれないし、わからん。少し様子を見よう。何もできない。耳鼻科に行ってもわからん。
今日は三時に目が覚めて大惨事だった。苦しくなる。やっぱり酒は飲むべきでない。わかっているのに。寝床の中で父親に謝った。すごく気持ちがすっとした。父に謝罪することは私に必要なことなのだ。人間だから悪いことをする。でも謝れば許してもらえるかもしれない。天国の父は私の病気と悩みをきっとわかってくれる。私は正気じゃなかったと。謝っていることは正気になることだ。本当にすまなかった。それにしても苦しい。いつになく苦しい。昔からそうだった。今も変わらない。今日は何とかやり過ごそう。昼くらいになったら、追加の薬を飲んでもいいかな。いいとも。馬鹿になっている。辛いけれども明るく元気に生き抜こう。あまり先のことを考えて悲観的にならないことだ。きっと何とかなる。全ての問題が解決してクリアーになって気持ちよく生きられる日が来る。人を信じられなくなっていたが、信じられそうだ。頑張ろう。人を信じない理由はない。人を信じることは簡単なことで今でもできる。やっとできるようになった。長いことトンネルにいたようだ。 人を信じられるようになった。医者に行ったり、電話をかけたりするのはその現われだ。人を信じることから始めよう。カウンセリングもその一つだ。私は信じていたのに、原ザリ症で信じられなくなったのでそれが伝わって、傷つけてきたのだ。だから恐くなった。でも今は信じられる。 しんどい。人の言葉が判らなくなっている。時が解決するだろう。わかるようになるだろう。言葉がしゃべれるようになるだろう。 なんかやばいことになっているから気をつけよう。今風呂にはいった。父に謝ることはいいことだ。素晴らしいことだ。 女は気にならなくなってきた。腹が立たない。正常化したのだ。良かった。女に腹が立つなんて異常だ。異常さがなくなってきた。女はかわいそうだ。憐れだ。どうして怒ったりするのかわからない。 元気になるだろうか。なってほしい。もう大丈夫だ。一所懸命働ける。女は恐くない。かわいそうだ。むしろ守るべき存在じゃないのか。何で女と戦わないといけないのかさっぱりわからない。これでこの問題は終わりだ。性的な問題も関係ないじゃないか。問題は解決した。 自分で自分の身を守っていいのだ。自分で働いていいのだ。障害者ぶって金をもらうなんて考えない方がいい。 石川で地震だ。家屋倒壊やけが人も出ているようだ。地震は怖い。気の毒だ。私もこのマンションを早く出たい。bさんを見習え。すごい行動力。なんでも自分でできる。ちょっと変人だが。 私は自分が悪いことをしないという気がしてきた。というか確信が持てた。もう大丈夫だという気がする。境界例は意識して自分で改善できる点がある。私の悪い点は行動できないことだ。行動することができれば解決できることばかりだ。誰かに助けてもらうことはない。病院に行っても誰も助けられない。自分で助けられることばかりだ。今すぐ仕事できますといって会社に行けばいいのだ。 境界例ということになるとずいぶん難しい。h先生の世話になろうか。またおかしなことになるのではないだろうか。少なくとも復帰までは今の病院で治そう。そして統合失調症の治療が一段落したら、hクリニックに面倒見てもらおうか。診てもらう価値があると思う。 しんどい。今日も一日元気で頑張ろう。人間らしくなればいいんじゃないかな。お父さんとお母さんに謝って、兄弟にも謝って。どうしてこんなおかしな人間になってしまったのかわからないのだ。許してくれとしか言いようがない。 人間が良くなったんじゃないかな。人を信じられるようになった。この調子で頑張ろう。愚痴を言って人に心配させて、人の元気を奪うのが悪いと一人さんは言う。その通りだなと思う。愚痴は言うまい。 何かしんどくなってきた。頑張ろう。 いのちの電話に電話した。助かった。関西の電話は全部ふさがっていたので鳥取に電話した。おばちゃんが出て話を聞いてくれた。無心で自分の窮状を話していたら、面白いことを言った。自分の思うとおりにしなさいと。外に出たいと思うなら外に出たらいい。家で横のなっていたいと思うなら家にいたらいい。酒を飲みたいと思うなら飲めばいい。自分を批判する悪徳裁判官が顔を出す。えらいと思うことをするからえらくなる。これじゃいけんと思って外出すると疲れてえらくなる。酒を飲みたいのに我慢するといらいらして疲れる。したいと思うとおりにしなさいと。すごい参考になった。自分が嫌なことばかりしてしまう自分の欠点を見抜かれた。電話カウンセリングで初めて答が得られた。人間は幸せになるために生まれてきたのだ。今は苦しいけどきっと楽になるときが来ると。素晴らしいカウンセリングだ。死んではいけないと。なかなか都会のピアカウンセリングだと逆に傷つけられたりするのが当たり前になっているのに、素晴らしいおばちゃんであった。おばちゃんは偉大だ。 天王寺に行ってきた。おばちゃんの助言どおり、疲れないよう、楽なように行動した。目標とか目的とかすべきとか考えないようにした。ひたすら楽なように行動した。周りの人もそうしているようだった。人は自分の思う通りにしているときが、一番落ち着いていて優しい。すべきという発想は良くやる。そうではなくて自分がしたいようにやる。 あのおばちゃんの言葉で救われた。言葉の内容ではなく、赤の他人なのに自分を助けてくれる心に救われた。 あのままb校に行ってたらどうだったろうとかふと思った。少なくとも今よりはよかったんじゃないかと思う。もっと違う自分になっていたかもしれない。そんなことは言っても仕方がない。 しんどいことには変わりないが、電話する前よりだいぶ落ち着いた。人に優しくすることは自分に優しくすることだ。人に優しくしよう。そうすれば自分にやさしくできる。 人は幸せになるために生まれてきた。いい言葉だ。それはすごくわかる。 何で死にたいとか思ってしまうんだろう。長いこと苦しんできたからな。でもきっと生き抜く。私は勇気をもらった。皆辛い思いをしているんだ。投げやりになってはいけない。変な人の影響を受けてはいけない。私はしっかり生き抜く。 がんを生き抜く人の話を見た。感動した。幸せはなるものじゃなくて感じるものだ。いい言葉だ。素晴らしい。地道に働いて子供を育て上げる人が素晴らしいと確信した。私は力及ばずできなかったが、尊敬する。
医者に昨日は行ったが、なんか歓迎されない感じでかつ求めたものは得られず、医者は頼りにならないのだとわかった。どうしたらいいのか。ただ寝ているだけか。楽しくない。母親に電話した。いきなり電話されても困るだろう。調子悪いことは言わなかった。心配されても困るので。少し気分が楽になった。母親しかいない。自分を心配してくれるのは。 境界例のことを少し勉強してみようかと思う。思い当たることが多い。統合失調症と神経症の境界に位置するという定義も思い当たる。最初に発病したときそういわれた。統合失調症の薬で眠れるようになるのにしんどさは消えないのは境界例だからじゃないか。境界例だとすると厄介なことになる。薬だけ飲んでいればいいという感じじゃなくなる。過去のこととかまた穿り返さないといけないのかと思う。というか有効な治療法はなさそうだ。統合失調症の薬を飲んである程度は良くなるが、それ以上ではない。相変わらず人が恐いし、自分で自分のことができないし、人付き合いはだめだし、女は恐いし、どうにもならない。 境界例だとすればどうしたらいいのか。見当もつかない。似非カウンセラーとまた長いお話をしないといけないのだろうか。 jrがまたダイヤが乱れているので帰ってきてしまった。不安になる。ちょっとしたことで。外出も少し緊張するのだ。しんどい。原ザリがどうとかより自分自身がおかしくなってきたので厄介だ。人と会話できない。感情の交流ができない。昨日の医者との会話でもおかしかった。今日の母親との会話でもおかしかった。自分を見捨てないことだ。自分を見捨てないでそこそこ頑張ることだ。結婚しないとか家を買わないとか自分を見捨てているんじゃないか。境界例となると厄介なことになる。本も読まないといけないし、カウンセリングも受けないといけない。決め付けるわけじゃないがその疑いがある。統合失調症だったら薬を飲めばすぐ治るだろう。睡眠は取れるようになったが、不安は取れない。 死にそうだ。しんどい。薬を飲んでもこの症状は取れない。不安とか落ち着かないとか。死にたいとか。自殺のそぶりとか。境界例らしい。 私がこんなにしんどいのは私のせいではない。症状なのだから誰か何とかしてほしい。ただ最近時々思うのは自分がすべきことをしていないという感じ。客観的に見るとそうなんじゃないか。自分がすべきことをしていなかったらそれは何もできない。薬も効かない。例えば仕事は自分でするものであって人がしてくれるものではない。掃除でも料理でも同じことだ。余りにも人が恐いという理由で行動ができないところがある。自分がしたいことがあったら、自分がしたいように行動することだ。 どうも自分は境界例のようだ。時代の流れに敏感な私はそういうところも先取りしていたのだ。家庭内暴力、不登校、引きこもり、自殺未遂。入院。統合失調症と神経症の境界的な症状。ptsdが疑われること。どうも境界例のようだ。だからといって特に治療を受けたことはない。似非カウンセラーのお蔭でそうではないかと思った。不安とか孤独でいられないとか思い当たる。医者に行っても解決できない。病院では治らないのではないか。h医師のところに行った方がいいのか。 過保護とは広い意味での虐待である。母親が父の死後私にしがみつくようになったのは、近親姦的侵犯であり、母子癒着の再現であり、許されるものではない。見捨てられ不安をどうして私に持つのか。おかしいじゃないか。あの頃の数年間が何であったのか理解できないし、理解したいとも思わない。もう忘れてしまいたい。文学にしたいと思っていたが、それは辛すぎないか。止めておこうと思う。自分が本当にしたいことはそんなことじゃない。
春本番だ。a病院に行ってきた。薬は主治医でないと替えられないそうでややこしかった。だいぶ待たされた。落ち着かない気持ちに変わりはない。向こうもどうしていいかわからないようだった。私もわからない。とにかく不安で落ち着かないのだ。甘えたいのだろうか。見捨てられ不安なのか。やっぱり境界例かも。薬を追加でもらったが不安は消えない。医者は今の主治医よりもっと感じ悪かったし。医者変えたいという希望は消えた。 彩都西に行ってきた。楽しかった。外出はするものだ。春の雰囲気を味わってきた。変な目で見られているような気はしなかった。少し良くなって来ているのだ。耳鳴りでパニックになっていたが、あちこちに相談しまくったせいで少し落ち着いた。
今日は割とよく眠れた。このまま行けば慣れてくるのではないか。眠れるよ。落ち着くよ。一日が長い。仕事ができるのは幸せなことだなあ。ずっと休みというのはしんどい。鼻が少し良くなった。耳は変わらない。耳は治らないのではないか。何回医者に行っても同じことだ。 この一年はなんだったろう。しんどかった。最初は良かったのにあっという間にどん底に。原ザリのせいで人間が世の中が恐くなった。自分は境界例ではないかと思う。そうだといってもどうにもならないが。しんどい。誰か助けて。風邪のせいでおかしくなった。人の助けを借りるといっても人が恐いのだから話にならない。カウンセリングもうまく行かない。人間としておかしくなってしまった。 信じられないくらいしんどい。どうしたらいいのかわからない。カウンセリングも役に立たない。しんどい。母親に来てもらおうか。やばいかもしれない。この薬は合っていると思う。にも拘らずしんどい。 電話で相談してみた。鼻が詰まってしゃべるのもしんどい。でも一応聞いてくれた。今までの中で一番まともだった。 しんどい。寝ていてもしんどい。しんどい。鼻が詰まる。しんどい。 目がひどく霞む。耳の薬はもうやめようか。まだ耳が詰まる。自転車で外出した。人に見られるがどうでもいい。気分が割りと良かった。これからはこれにしよう。自転車でお出かけ。大仙公園もこれで行こう。体力もつくし、一石二鳥だ。気分が良くなる。鳴門の渦でも見に行こうか。 早く復帰した方が良い。毎日自転車で外出しよう。少し気分が良くなる。一日を過ごすのがしんどい。外出すると少し楽になる。これからはそうしよう。 原ザリ事件以来人が恐い。知らない人間と会ったり、飲んだりすることは抵抗がある。どうしたら回復するだろうか。すごく不安だ。 しんどい。会社に早く復帰したい。休んでいても回復しない。復帰した方がいいんじゃないか。休んでいてもしんどいのに仕事は無理だろうか。どうしたらいいのか。 しんどい。夕食を食べた。すしがどうしても食べたくなって衝動買いした。いけないな。せっかく白い御飯炊いたのに。自分がわからなくなってくる。まあいいさ。自分を責めない。女に腹が立たない。いいことだ。誰であれ、憐れに思える。 ヤンキーはどうも合わない。自分がヤンキーの性質を持ってるからだろう。それを恐れ、否定することからヤンキーを恐れる。でも同じだろうといってくる。同じじゃないという。どちらが本当だろう。 女に腹が立たなくなってきた。素晴らしい進歩だ。かわいそうだと思うようになってきた。素晴らしいことだ。これならトラブルにはならない。 しんどい。風邪が良くなってくれるとありがたい。 しんどい。どんどんだめになっていくんじゃないか。原ザリ症。脳にダメージ。耳鳴り。耳のつまり。のど、鼻。生きていけるのか、働けるのか。訳がわからなくなってきた。 しんどい。女に腹が立たなくなってきた。素晴らしいことだ。眠れないなら眠れないでいい。必要な分は眠れているし。それにしてもしんどい。
昨日は少し眠れた。ぐっすりとではないが。少し耳鳴りになれたようだ。このまま治まってくれればいいが。目がかすむ。鼻耳のどが治らない。生きているだけでいいか。思えば不安になってくる。復帰なんかどうなるかわからない。何をやっても楽しいと思わない。催し物とか出ても人と交わらない。人が恐い。今日は世間は休みだ。外出しやすい。嬉しいな。 しんどい。少し希望が見えてきた。絶望していたのではだめだ。この薬はやはり効くし、これ以外の薬はないだろう。人といっぱい付き合うのは知らない人と付き合うのは体弱いからk1やるというのと同じだ。そう急には強くならない。薬で自力をつけながらゆっくり行けばいいと思った。原ザリ事件はいつか起こるものだったかもしれない。偶然か必然かわからない。原ザリでなくても職場にはもっとひどい奴がいるじゃないか。原ザリは付き合いをやめればいいが職場はそうは行かない。b校も行かなければよかったという結論になるが、行ってはじめてわかることもある。 しんどい。孤独を感じる。重い孤独。耳鳴り。鼻づまり。そんなことで弱音を吐いてはいけない。生き抜くのだ。 大仙公園に行ってきた。いつものコースを歩いてきた。変な奴だと思われようが関係ない。光を浴びると気持ちがいいのと少し不安になるのと両方だ。日差しがすっかり春だ。旅に出たいが体力がない。歩くのがやっとだ。頭はぼけまくっているし。旅なんか危険極まりない。でも歩いて体力をつけないと、死んでいくだろう。日が長い。5時というのに日が照っている。彼岸だからな。一年前は本当に元気で希望に満ちていたのに、今はどうだろう。またあのころのようになりたい。抗うつ剤が必要なんじゃないだろうか。このままでいいんだろうか。わからなくなってきた。統合失調症というのなら長い目で見ないといけない。少なくとも一年。もしかしたら一生。 しんどい。どうしたらいいかわからない。今の体力であの職場に戻れるとは思えない。早く元気になりたい。どうしてこんなになってしまったのか。ここから這い上がれるだろうか。尾崎豊みたいに死んでしまうのか。生き抜くのだ。今はしんどくても寝ててもいいわけだから、生き抜くことは絶対可能だ。女なんかかわいそうな奴らだ。相手にすることはないじゃないか。かわいそうな奴らだ。 頑張ろう。きっと頑張れる。良くなる。薬を飲んでいたら、だんだん良くなる。今は復帰のことを考えなくていいといわれた。本当に調子が悪いのだから仕方がない。 頑張ろう。生き抜くのだ。一日中寝ていてもいいから生き抜くのだ。 しんどい。今の私にできることは薬を飲んで治るのを待つだけだ。医者を色々替えてもだめだ。効果が現れるまで待つのだ。実際効果はすぐ現れた。今一時的に耳鳴りでおかしくなっているだけだ。薬は効いているのだ。 薬を飲むことと感謝することだ。こうして働かずに生きていられるのは多くの人に支えられているからだ。 薬を飲むことと感謝することだ。私は自分のおかしさを感じられるようになってきた。どの行為がおかしいというのではなく全体におかしい。遺伝的におかしい。なるべくしてなったのだ。勿論偶然的なこともあるだろう。でもそれはもう言わないことにした。 自分が境界例じゃないかとふと思った。統合失調症と神経症の境界に位置する。過保護とか見捨てられ不安とか思い当たる。h医師にかかってみるか。今の病院で復帰できるところまで行ったら、病院を変えるのもひとつの考えだ。
昨日も眠れなかった。明日医者に言ってみようか。良く眠れないと。明日は休みだという。よく眠れないのはしんどい。このまま弱っていくんじゃないか。眠れるようになればいいが。どうしてこんなことになってしまったのか。復帰できるとは思われない。調子悪い。しんどい。寝ていてもしんどい。眠れないことがこんなに辛いとは。予想はしていたが。耳鳴りに慣れて眠れるようになればいい。神に祈るしかない。神を信じている。神仏にすがるしかない。人間は弱いものだ。しんどい。ずっと寝ている。どんどん弱っているような気がする。眠れないのはきつい。精神的に参ってしまう。働けない気がする。年金と生活保護もらって生きていけるだろうか。脳にダメージがある上に眠れないとなると頭がぼけて生きていけない。aの行事にも参加できない。n原氏とも付き合う気がしない。勿論原ザリや坊主とも。疲れ切っている。どうしたら元気になるだろうか。耳鳴りに慣れること、風邪が治ることを祈るのみだ。原ザリ事件以来、何をやってもどこに行っても楽しくない。人を見ると恐い。脳にダメージを受けてからいっそう恐くなった。最近は危害を加えられたりする。 生きたい。幸せになりたい。原ザリに会うまでは何をやっても幸せだったのに。 助けて。しんどい。どうしたらいいのかわからない。寝ているのもしんどい。自分が嫌なことはするな。嫌なのに原ザリと付き合ってしまった。嫌なのに坊主と付き合ってしまった。嫌なのにn原と付き合ってしまった。嫌なのにb校に行ってしまった。嫌なのに似非カウンセラーと会ってしまった。お人よしではだめなのだ。人のために生きているんじゃなくて自分のために生きるのだ。人のためではなく自分のために生きるのだ。あのくそババアとかhにしても嫌だったらいいのだ。嫌だったら悩むことないじゃないか。好きになる必要はないじゃないか。旅行添乗員じゃないんだから、人の機嫌を取ることはないのだ。嫌だったら止めておく。これが大事だ。いやなことをした挙句に何をやっても楽しくない病にかかってしまった。抗うつ剤を飲んでegで洗脳されて人格改造までして、何になるのだ。廃人みたいになってしまって。嫌なことをして、人に好かれてどうするのか。嫌だったらいいのだ。嫌な人間になんで媚びないといけないのか。娼婦じゃないのだ。何でそんなことをしないといけないのか。 しんどい。寝ていてもしんどいのは堪える。しんどい。単純に寝られないからだと思う。脳がダメージを受けた上に寝られないのでおかしくなる。 中学くらいから問題を色々起こしたりしていたが、統合失調症だと思う奴はいなかったろう。軽かったのかもしれない。それともある意味ストレスに強かったのかもしれない。それで発病したのが学生時代。それ以来治ったと思っていたが、基本的な性格は同じなのだから再発はあるべきだと思うべきだ。今の状況が統合失調症かどうかは疑わしいが、薬が効くということは再発しているということだと確信した。中年期の危機で再発とまでは行かなくても人格の水準低下がずっと残っていたということだ。だってまともに社会人として勤まったことはない。この会社にいる16年間の間でもトラブル続きで一度たりともうまく行ったことはない。仕事自体も人間関係も。こうなったら、年金と生活保護で生きていくしかないんじゃないか。人とうまくやっていけないんだったらそうするしかない。仕事がきちんとできないんだったら。脳がダメージを受けて頭も悪くなっている。これからどうするつもりだろう。 せっかく十分眠れていたのに、耳鳴りで眠れなくなった。どうしよう。これから先どうなるのだろう。頑張って生き抜くのだ。生き抜くという気持ちが大事だ。戦うこと。戦う必要はないといったのでは。戦う必要はないが、生きるための努力は必要だ。仙人の様に生きることはできない。 しんどい。今日はぐっすり眠れたらいいけどそうは行かないだろう。起きてるのもしんどい。寝ているのもしんどい。どうなるのだろう。仕事なんかできない。外出も嫌だ。旅行なんか恐ろしい。旅館の女将にいじめられる。ものすごい目で見られる。どうしたらいいのか。 生きたい。生き抜くのだ。必死で生き抜くのだ。病気を治すのだ。酒を飲んで健康食品を飲んだことなんか大したことではない。生き抜くことが大事なのだ。 風邪薬も良くなかったかもしれない。耳がおかしいのはそのせいか。生き抜くことだ。 しんどい。復帰できるとは思われない。今度聞いてみよう。復帰がいつになるか。私にはわからなくなった。後頭部が痛い。風邪薬のせいだ。おかしくなった。 しんどい。やっと夜になった。眠れるといいな。今まで12時間以上寝ていたのに。4時間しか寝れないと調子が悪い。 しんどい。何が悪いといって、病気が良くならないのだ。病気が治れば、復帰できるのだ。サボっているのではない。耳鳴り、耳、鼻、のどが良くなってほしい。
今朝はやっぱり早く目が覚めた。だんだん慣れてくるだろう。でも私の休みは悪いパターンに陥っている。誰とも仲違いして戻れる場所はない。自分は頭がぼけて何もできなくなっている。昼間寝ている奴なんていないだろう。起きていられない。寝てもいられない。 しんどい。耳鳴りのせいで夜寝られない。どうしてこうなるのか。風邪をひいて薬を飲んだのは悪くなかった。でも酒を飲んだのは悪かった。父は私よりよほど立派な人間だった。戦後の苦しい時期を生き延び、三人の子供を育てた。私はかなわない。立派な人物だった。こんなことに気付いたのは今頃のことだ。兄だって姉だって、子供を何とか育て上げた。私より立派だ。老いた母の面倒も見ている。余り親切にはしていないらしいが、何もしてやれない私は何もいえない。夜眠れるようになったらいいな。必ず眠れるようになる。また前みたいに11時まで眠れるようになる。風邪も治る。 しんどい。だんだんしんどくなる。どうしたらいいかわからない。今日はゆっくり過ごそう。私は統合失調症だ。自分に優しくしよう。風邪ひいてしんどい。風邪がずっと治らない。心身ともに絶不調だ。職場のことを考えると戻れるような気がしない。あまり考えないほうがよい。風邪ひいて風邪薬を飲むのは悪くない。耳がおかしくなって薬を飲むのは悪くない。間に酒を飲んだのは少し不注意だった。耳も鼻ものどもすっきり治ってほしい。心も落ち着いてほしい。原ザリの被害から立ち直ってほしい。 本当に恐ろしくなってきた。職場で私に好意的な人間はいないし、復帰できるような気がしない。9月になったら自動的に復帰するとしてもその後の苦労は想像するだけで恐ろしい。原ザリの被害の恐ろしいのは親兄弟含めて誰ともうまく行かなくなったことだ。それまではそこそこうまくいっていた。カウンセラーともうまくいっていた。上手にしゃべることもできた。それがここまで悪くなった。あいつの家族は全員精神病だ。人を精神病にするパワーがあるのだ。それからこれからやることが楽しいことは何もなくなった気がする。何をやってもこれから先楽しいことがないというのは絶望としかいえない。唯一の希望は薬を飲んでいて休んでいたら、原ザリ病からいつの間にか回復していることだ。そう信じる以外ない。自分が統合失調症だとしても、むしろその方があるカテゴリーに入るだけで希望が持てる気がする。 小説を書こうなんて体弱いからk1に出ようといっているようなものだ。止めておこう。少なくとも落ち着くまで。書くことの反作用とはこのことだったのではないか。書かなかったら原ザリとは会わなかったわけだし。息をするのもしんどいこの状況は何だろう。 自分が統合失調症という深刻な病だということを認めて、自分を労わらないといけない。必ず治る。医者の言うことを聞いて薬を飲んでいたら治る。 女に腹が立たなくなってきた。いいことだ。本当にかわいそうだと思う。憐れだと思う。私は発病以来、かわいそうとか哀れと言う感情が麻痺している。でも死んだわけではなく最近蘇ってきた。素晴らしいことだ。 耳が詰まる。薬は飲んだ方が良いだろう。
昨日は何度も目が覚めた。朝も早く目が覚めて苦しんだ。今までは良く眠れていたのに。嫌な感じがする。不安でいっぱいになる。薬で十分眠れていたのに眠れなくなったら今以上に調子悪くなる。それを思うと苦しい。神に祈りたい。きっと治るだろう。元はといえば梅を見に行って風邪をひいて風邪薬を飲んで、酒を飲んで、耳がおかしくなって耳の薬を飲んだら耳鳴りがするようになった。薬に頼りすぎなのか。酒を飲んだのが悪かったのか。何が何だかわからない。耳鳴りはすぐなれるだろう。今までも慣れてきた。きっと乗り切れる。生き抜くんだ。死にたいなんて決して言わずに、しっかり生き抜くんだ。 頭がボーっとする。眠れないのは恐い。今まで眠れていたから何とか持っていたのに、眠れなくなると恐い。パニックになるんじゃないか。 朝目がしょぼしょぼした。やっぱり熟睡できていない。今日は仕方がない。だんだん慣れてよくなってくる。 しんどい。今日は眠れるだろうか。薬を飲むから大丈夫だ。何か恐い。病気だから仕方がない。自分が病気持ちだという自覚を持ったほうが良い。大学のときはっきりしたが、結局生まれつきだ。悪いことをしてもだめだ。良いことをしよう。寝ていると死にそうになる。いよいよ私もだめか。死んだりしないよう、頑張って生きるのだ。姉が田舎暮らしをするそうなのでついていくか。貧乏でもいいじゃないか。ストレスを減らさないと死ぬ。超高層マンションなんて心身に良くない。仕事しないと生きていけない。もしくは年金だ。脳がダメージを受けたことは深刻かもしれない。でも頑張ろう。それは回復するだろう。田舎へ帰ろう。田舎にいるときだけが自分らしくなれる。でも医療は整っていた方がいい。私は病気もちだから。あの医者は名医じゃないかと思う。よく眠れるようになった。ちょっと耳鳴りでおかしくなっているが基本的には正しいのじゃないか。医者に甘えても仕方がない。親切じゃないとか言っても仕方がない。自分の足で立つのだ。不安とパニックでおかしくなっている。文章がおかしい。というか精神状態がおかしい。夜眠れないからか。今日薬を飲むから大丈夫だ。頑張ろう。私は何も悪くない。 しんどい。酒を飲んで薬を飲んだのは良くなかった。脳がダメージを受けた。もう何回も言っている。今日はまた調子が悪い。本当に今日はしんどい。強がりを言う気もない。精神病だと認める。重いものではないが、病気に逃げ込みたい。寝ているのさえしんどい。ストレスを与えない方がよい。ずっと寝ているなんて可能だろうか。外出はしんどい。死にたいとか思うところが恐い。絶対に死んではいけない。生き抜くのだ。田舎に行っても貧乏になっても必死で生き抜くのだ。人生の楽園を見よ。弱き人々も必死で生きているではないか。私なんか弱者の最たるものだ。体の病気なら何とかなりそうだが、心の病気はなんともならない。 女の相手なんて馬鹿みたいなことはできない。今は本当にしんどい。だから免除されているのだ。女と争うなんて自虐以外の何者でもない。何でそんなことをしないといけないのか。女なんて憐れな生き物だ。何で私が相手をさせられないといけないのか。私は免除されている。女の相手なんか。腹も立たないし、病気でしんどいのだから相手になんかならない。免除されているのだ。あの鬱陶しい似非カウンセラーも同じだ。理系の奴にカウンセラーなんかできるわけないじゃないか。今は病気が再発してまずいことになっているのだ。だから色んなことを免除されている。女に腹は立たないし、喧嘩する義務なんかあるわけないじゃないか。 調子が悪くなると喧嘩しそうになる。それは病気だから仕方がないのだ。原ザリのせいでそれが固定してしまっている。通常は仲良く普通にできるのが、原ザリのせいでおかしくなっている。それも広い意味で運命と考えれば、慎重に治していくしかない。 調子は悪いが、自分がいつになく見通せた気がする。生まれつき、ちょっと具合が悪い。よく考えたら、幼稚園のときから喧嘩したり、悪さしたり良くしていた。中学のときも喧嘩したことがある。それだけなら普通だが、教師への反抗や問題児との付き合いや、不登校、共産主義への傾倒、耽美主義、芸術至上主義への傾倒、家庭内暴力、やっぱり変わっていた。同性愛的傾向。女子への嫌悪。性倒錯。そういう積み重ねが病気への下地を作ったのか。それ自体がある種の環境というか培地となったのだ。自分に似せて掘った穴がますます病気を重くしていった。これは自分の力では始末に終えない。私がまともだったときはなかったといっても良い。友達が一人もいないし、恋人もいないし、結婚もできない。見合いもしたが、よほど変に見えたのか一度もうまく行かなかった。諦めた覚えはないが、うまくいかないのだから仕方がない。ロジャース流のカウンセリングはついに及ばない場所に私がいることが明らかになった。あのおっさんに出会ってから、カウンセリングという軽い洗脳、egという重い洗脳、b校での自己洗脳。色々あったが、それは私の変化をもたらしはしなかった。隠された統合失調症の地金をついに明らかにしただけに終わった。それでも仕方がない。いずれこうなる運命だったのだ。前の医者は私が統合失調症であるとは思わなかった。でも今の医者は初めから私をそういうカテゴリーで見ている。色眼鏡で見ている。私を客観的に見るにはそういうものが必要かもしれない。現に薬が劇的に効いた。私は真にオリジナルな人間と思っているが、100人に一人のありふれた病気だ。それでも社会から排除されるほどの変わりようだ。どうして変わっていると思われたいのか。普通がいいじゃないか。自分がそういう素地を持っていることを認識し、少なくとも女に腹を立てるのだけは絶対にやめよう。全くもったいない話だ。どうして女なんかと喧嘩して貴重な時間と職場を失わないといけないのか。ロジャース流の人格改造を試みたばかりに古い地層の病巣があらわになっただけだ。これをもっと大事にした方がよい。私は再発しないで順調に年を取ることはできなかったのだ。こうなったのはむしろ良いことなのだ。ここでじっくり医者の言うことを聞いて、薬を飲んでいればいいことが起きる。寛解である。これは派手なロジャース流の感動とか出会いとか真の理解とかそんな絵空事、健全なノイローゼ圏の皆さんのお遊びとは違う地味で純粋医学的な世界の出来事だ。私が復帰できるかどうかはそういう観点からじっくり見た方がいいのだ。統合失調症の本を読んでいるときが一番落ち着くのはそのためだ。医学的な視点が必要なのだ。私の真にオリジナルと思えた精神はたかだか100人に一人のありふれた精神疾患に還元されたが、それはすごく安心できる嬉しい話だ。私が抗うつ剤と、ロジャース流と、b校によって多幸感に包まれていたのは一時的な出来事で決して長続きするはずのない出来事だったのだ。これからは長期的な観点で、じっくり治していこう。 脱洗脳が必要なんじゃないか。あの似非カウンセラーからの、egからの。宗教的な方法で私の病気が治るとは思われない。統合失調症の本にはそんなことは一行も書いてない。文学にのめりこむことは体弱いからk1やりますということと同じだ。止めた方がいい。書くことは揺り戻しがあると作家がいった。それは私にはこの再発休業であることはあきらかだ。より高い視点、あの医者の視点が必要だ。あの医者は私を統合失調症と思い込んでいる。確信している。脳波がおかしいといわれたこともあるから、遺伝的なものだろう。親兄弟も発病はしないにせよ、50歩100歩といってよい。私はより遺伝的環境的に強かったのだ。こうなったらそれなりに生きていくしか仕方がない。人の憐れみを受けることなく、軽い障害者として生きていく。必要な援助はしっかりと社会から求める。この病気は跡形もなく治癒するものではないらしい。現に中年期の危機に際して再発して来た。これは私がやり方が悪いとか道徳的におかしいとかではない。私を今後道徳的に非難するものは間違いとみなす。薬を飲まないで調子悪くなるというのは別だが。私は心の病気ではなく、脳の病気だから、宗教は気休めしかならない。宗教はアヘンであるというのと同じだ。父親にとって、酒が逃げ道だったのだろう。心身強健であってもいじめれば悪くなる。体育会系的なやり方は心には通用しない。まして統合失調症には。私のようなタイプにとっては、答というのはない。ロジャース流の悪い点は万人共通の答を押し付けることにあるが、統合失調症患者にはそんなことは無意味だ。道徳的にあがくのも意味がない。薬しかない。今日眠れればいいな。あの医者は薬を飲まないこと以外は何も言わない。時間がかかろうが気にしない。焦っている風はない。時間がかかるものだとわかっているのだろう。今私は精神のコントロールを失っている。こうなったら、似非カウンセラーに正常な振りをすることも不可能になる。何でそんな演技を強いられないといけないのだ。私は恨みなどはない。でも私をきちんと理解してほしいだけだ。kやh、似非カウンセラーは理解できていない。しようともしない。道徳的な問題とみなして脅しにかかってくるのだから、カウンセラーさえ失格だ。私を道徳的に非難するな。理解しろ。援助しろ。ケアーしろ。原ザリのせいでより強く発症することになったが、結局カウンセリングを受けることが、今回の再発の引き金になったのだ。そう確信している。言われるままにegなんかに行って、勢いでb校に行って、多幸感に包まれて一見調子良かったが、結局自分をコントロールできていなかったのだ。だから原ザリなんかにひどい目に遭うのだ。原ザリというのは私が会った中で一番ひどい人間(?)だ。会わない前に戻れるものなら戻りたい。人格崩壊のきっかけを作ったのだ。似非カウンセラーにはできるだけ会わないほうが良いんじゃないのか。非難しているのではなくて、全く理解していない。自分がやっていることを理解していないし、私の病気を理解していないし、何も理解していない。理解していたら、egなんか勧めるわけがない。egで味わった多幸感は統合失調症が発病したときに味わったものだ。統合失調症であれば援助が必要だ。年金をくれ。生活保護をくれ。働けないのだ。働きたくても。妄想が邪魔をするのだ。障害者を虐待するな。原ザリのやっていることも似非カウンセラーのやっていることも全て虐待だ。ロジャースが統合失調症患者のカウンセリングをやっているのを読んだことがあるが、虐待そのものだった。自分がやっていることを理解していない。私はegの被害を受けた。あんなものは非合法化すべきだ。どうしてあんなものが太陽の下で行われているのかわからない。ついでにいけ好かないロジャース派も一掃してくれ。私には有害でしかない。私がここまで悪化したのは似非カウンセラーのせいかもしれない。私はそう確信している。それなのに私を道徳的に非難したり、モラハラしたりするとは心底おかしな奴だ。全部否定してやればいいのだ。私を理解せず、道徳的に非難したり、モラハラする奴は全否定すれば良い。どこまでお人よしなのだ。お人よしが結局悪化させたのだ。小さい頃からお人よしが病気を発病させたのだ。全ての人を救いたいとか訳のわからない妄想の発端はお人よしな性格にある。 女が嫌いといっても女はどこにでもいるとか、全く理解していないせりふを並べる。ロジャース派は正常な人間を相手にするので仕方ないが、理解していない。幻覚なんかないといっているのと同じだ。ないに決まっているが、その人にとっては実在するのだ。そんなものはないから認めないといっているのはその人の助けになるだろうか。全くならない。私は心底異常だ。そう考えた方がいい。この数年間の対話は正常を装った人間とそれに騙された人間の虚しい会話だった。それこそイリュージョンだ。私は正常だったことがないから正常な人間がどういうものかわからない。世間は私を理解できないし、私も世間を理解できない。理解していないのに理解していると思い込まないでほしい。私も理解してもらおうとしないほうが良い。egなんかでも女が嫌いといっても全く理解されなかった。別ににんじんが嫌いとか蛇が嫌いといっているのと同じことなんで、大騒ぎすることはない。ただ私の場合は妄想と結びついた病的なものなのでそれを道徳的に非難するのは当たらない。全く理解していない証拠だ。私は何回となくhと酒を飲んだが、全く理解できなかったし、理解されなかった。理解なんかできるはずがない。同じ病気でない限り、医師でない限り、理解できないのだ。何で挨拶しないのか。病気だからだ。殴って言うことを聞かせたとしても同じだ。何も変わりはしない。そういう意味では私は正常だったことは一度もない。正社員であり続けることの方が不思議なのだ。病気であればやめるしかない。ただ理解され、薬でコントロールできるようになれば働くことは可能かもしれない。今までは可能ではなかったことが可能になる可能性はある。ただあのカウンセラーではだめだ。医者の薬を飲むことしかない。hやkと理解し合おうとしたが無理だった。私が道徳的に悪いのではない。父親が道徳的に悪いだろうか。酒を飲みすぎるから悪いのか。そうではない。持って生まれた性格で遺伝なのだ。道徳的に非難する余地はないのだ。家族は皆おかしいとわかっているが、非難することはできないのだ。これから新しい世界が開けるかどうかは辛抱強く薬を飲むことができるかどうか。休職期間内に自分をコントロールできるようになるかどうかだ。もっとも期間が切れたら切れたで、年金とか何か生きていく道はある。そちらの方が幸せかもしれない。できもしないことをやれといわれるよりは。父親だって会社勤めなんか向いてはいないのだ。インドネシアのジャングルを駆け巡っていた頃だけが青春だったのだ。私は父親が理解できないということにおいて理解できた。私が理解できない人間という風に理解してもらいたいと望んでいるように。 理解してもらわないといけないだろうか。理解できない人間は理解できないのだ。hもkも似非カウンセラーも決して理解できないだろう。親兄弟でさえ無理だろう。理解できないという病なのだから。幻覚や妄想が理解できるか。むしろ援助しろ。私は父親を理解したかった。理解できない父親が許せなかった。でもそれは間違っていた。理解できないから傷つけるという行為は間違っていた。私が今悩んでいるのはそういうことだ。私が理解できないから傷つけられるのは困る。絶対に困る。差別や偏見も困る。父親は自分が理解できないと同様に世間をよく理解できなかったのではないかと思う。知的水準とは関係なく性格の問題だ。私と全く同じだ。私は病者として生きていくしかないのではないかと思う。それは恥ずかしいことではない。むしろ自然なことだ。薬でコントロールはできるから、その範囲内で生きていこう。あの医者はこの病気を相当深刻に考えているのではないかと思う。確かに深刻な病気だ。ある意味では。失業の危険が高い。社会から排除される。差別や偏見もある。その意味では復帰を急ぐ私の態度は危なっかしいのだろう。物が良く見えていないのだろう。自分が良くわかっていないのだろう。似非カウンセラーの路線の上には私はもういないのだ。理解できない人間からモラハラされたり、脅されたりするいわれはないのだ。私は再発してしまったようだ。でもそれはあの似非カウンセラーのせいではないか。そんなことの責任を全く感じない厚顔振りには頭が下がる。私は私のペースで治していこう。自分の時間を使う。そういう英語の言い回しがある。そういうことだ。原ザリに会わなかったら、楽しい人生を送れていただろうか。そういう仮定は虚しい。歯車は再発という方向に回り始めてしまった。原ザリ一人のせいかどうかもわからない。自分の行為全てがそちらの方に向かっていたのかもしれない。再発したと思うほうが自然で、正しい。時間がかかる。あの医者の落ち着き払った態度は我慢ならないと思っていたが、そうではない。私の病気の本質を見抜いているのだ。社会のために有用に使うべき労力、時間を無意味な自分探しに空費してしまい、もっとも大事な人間を傷つけてしまったのは申し訳ない。でも病気だ。病気のせいなのだ。そのことを自分でも理解できない。病気だということを理解できていない。だから自分を許せない。病気を理由に罪を逃れたいのではない。罪は甘んじて受ける。でも明らかに病気だったということだけは理解すべきだ。それを理解できなかったら、自分を理解できないし、また繰り返す恐れがある。病気だから治療が必要だし、注意やケアーが必要なのだ。自分の病気をコントロールできるようになりたいと思ったら、お人よしをやめることだ。お人よしが病気の原因になるようだ。お人よしだから悪い仲間を許し、付き合ってしまう。自分が苦しいことをしてしまう。自己犠牲をしてしまう。hやkは異常な人間だが、お人よしではない。だから病気にはならない。私も素質を持っていてもお人よしでなければ発病しなかったかもしれない。時間は前にしか進まない。過去を振り返っても仕方がない。私は運が悪かったが、病巣を発見することができた。これができて初めて治療ということが意味を持つ。治る可能性が出るということだ。過去の自分の罪の意味がわかる。妄想と狂気という病気が私を乗っ取って罪を犯させたのだと解釈できる。これをうまく説明することはできないし、誰に説明する必要もないことだ。そうすることはこの上なくお人よしな行為であって、再び私を深甚な危機へといざなうであろう。 私が元気であればこんなことは言わないが、元気でなくなった以上、自分を守らないといけないのだ。頭が痛い。また風邪をひくのだろうか。めまいがする。病気が治るというか、自分がコントロールできるようになれば復帰できるだろう。 私の日記は突出している。というかこの日記サイトで日記書いている奴いねえし。それでもいいのだ。私はここが気に入っているのだ。脳がダメージを受けていてもいいだろう。今のうちに統合失調症の治療をしよう。それからボケが治る。そして復帰する。あんな奴にカウンセリングしてもらうのは嫌じゃないか。結局会社側の人間なのだ。組合と同じだ。統合失調症の話に戻ろう。中学のとき、既に前駆症状があって、学生時代に発病した。これは客観的に間違いない。それで治ったわけではなく、人格に深い痕跡を残して潜行した。引きこもりという形でそれは生き延び強化された。何も解決はしていないし、治癒はしていない。次の会社は首になったし、今の会社も配転の連続だ。しかもついに病気休職になった。でもこれで治っていないということがはっきりしたし、小手先の治療ではだめで、根本治療が必要だと確信した。カウンセリングは効果がないどころか、有害でさえあるとはっきりした。ロジャース流のカウンセリングが適用するのはノイローゼ圏の正常な人間だけだ。私は心底おかしい。おかしい人間であろうと努力してきた。そういう人間にカウンセリングは有効ではない。唯一有効なのは統合失調症に有効な薬だけだ。
今日は良い天気だ。寒いといっていた。気分が良いのか悪いのかわからない。少し気分がよく、少し悪い。自分の行く末を案じて不安になる。zの仕打ちも良くわからない。 少し気分が悪い。良い点は活字が少し読めることだ。このまま良くなってくれれば良い。歩かないといけない。足腰が弱る。早く職場復帰したい。もう十分休んだ。お金がないのだから遊びにも行けない。全くないのではないが無駄遣いはやめた方がいい。これからどうなるかわからない。自分が良くなって職場に戻りたい。できれば違う職場で新たにやり直したい。 気分が不安定だ。アルコールの影響で、気分がいい部分と気分が悪い部分が混在している感じ。少し横になっていた。最近こういうのが多い。統合失調症は脳の病気だから色々心理学的なことをやってもだめなような気がする。ロジャースとかは効かない気がする。きかないということをはっきり認識した上で、気休め程度に利用するのがいいんじゃないか。zとのこの数年間の付き合いは無価値だったとは思わない。しかし今は原ザリの影響で統合失調症の面が強く出ている。zを受け入れることができそうにない。統合失調症の症状をロジャース的な手法で治そうとしても無理なような気がする。初期の段階でロジャース的手法が効かないことははっきりしている。本人がそういったし、ロジャース自身がそういう経験をしている。効かないことがわかっているのにいろいろegとか受けたりするのは時間の無駄というより、自己の尊厳を傷つけている。しんどい。寝ていてもしんどい。親兄弟とまで関係がうまく行かなくなっている。今の自分はおかしい。誰とでもうまく行かない。何でこんなことになったのかわからない。原ザリのせいなのか坊さんのせいなのかわからない。どちらにせよ私がおかしくなっているのは明らかだ。まともになるにはどうしたらいいのか。薬を飲んで休むことしかない。 ミナミに行ってきた。天気がよく、人も多かった。学生は休みなのだろう。いつもより穏やかな気持ちだった。妄想的な気持ちが全くなかった。 少し活字が読めるようになった。半年振りのことだ。これも仕方がないことだ。少し落ち着いてきた。目のかすみがなくなった。嬉しいことだ。耳のつまりは治らない。90%くらい治ったが、残りが治らない。耳鳴りはどうだろう。今日は良く眠れたので良かったのではないか。 字が少し読めるようになった。良かった。前みたいなスピードではないが、ここまで良くなったと言うことはこれからも良くなるということだ。嬉しい。新聞の日曜版はまさに暇つぶしのためにある。是非必要なニュースではなく、余暇に関することとか暮らしに関する情報が中心だ。そういうのを自覚しながら読むとまた面白い。そんなことは意識したことはなかった。新たに字が読めるようになった喜びを噛み締めながら読んでいると、自分が違う人間になったみたいで嬉しい。これからは良くなる一方だ。 酒を飲んでしまいました。でもいいのだ。私は良くなっている。 自分が神ということを信じる。神の存在を信じる。
昨日の夜は何か目覚めて色々書いた。嫌なことをしないことは当然のことだ。無理強いされることはない。朝起きると自分ひとりが悪いんじゃないかという気がしてきた。悪いというか仕事をしないということはあるかもしれない。仕事をする気がなくなったということはある。職場を替えて一からやり直した方がいい。職場を替えて貰うのがいい。嫌なことはしないのだ。嫌なことはしなくて良い。嫌なことをすれば誰でもストレスでおかしくなる。今でも自分が嫌がることをしてしまう。 自分が嫌がることをすればストレスでおかしくなる。これが根本じゃないか。zだって私は余り好きではない。何で私がご機嫌を取らないといけないのだ。自分が嫌がることはしない。こんな当たり前のことをできないばっかりに、私だけ兄弟の中で統合失調症を発病したのだ。これからは自分の嫌がることはしないということでやっていこう。職場も替えてもらおう。 z氏が断りの電話を入れてきた。何となく気分が悪い。他の用事を優先したのだなと思う。でも最近は嫌なことが多いし、私自身の嫌な気持ちが伝わるのだろう。原ザリ以来、人とうまく行かない。長年かけて培ってきた関係があっという間に崩れる。旅行に行っても楽しかったことはない。だから余り行かなくなった。勤めている頃より行かないかもしれない。 自分が嫌がることをしないというのは大きい。 朝起きたらただ自分がわがまま言っているような気がしてきた。hの言うことが正しくて、私は邪悪でずるくて怠け者でやる気がない不届き者だと。hから見ればそうだろうし、zから見ても周囲から見てもそうだろう。でも私には私の言い分がある。私は脆弱で心を病んでいるから働けないのだ。だから職場を替えれば病が良くなる可能性があると言っている。自分が嫌がることはしないということはそういうことだ。 何かzと私は傷つけあっているように見える。原ザリ事件とod事件が原因だ。カウンセリングのとき飯を食ったり、甘いものを注文したり、おかしいと思う。それだけではないが、正常ではなくなってきたのだ。 目が泳ぐような気がして、活字が読めない。ものが考えられない。正常な精神状態ではない。誰ともうまく行かない。人間としてどうかと思う。 字が読めないし、ものがわからない。凡愚な人間になってしまった。こんな人間は生きていても仕方がないとさえ思う。そんな極端なことは考えてはいけない。きっと良くなるし、良くならなくても価値はある。 しんどい。毎日しんどい。元気にはならない。眠れないものだから余計にしんどい。薬を飲み終えればまた慣れて眠れるようになる。早く社会復帰しよう。 時間が過ぎない。しんどい。寒いし、行くところがないので外にも出たくない。脳がぼけているので楽しくない。自分じゃないみたいだ。生きていくのは楽じゃない。どうしたらいいのか。 耳鳴りがするので前みたいに眠ることもできない。しんどい。何とかなるだろう。幻覚や妄想に苦しんでいる人もいるのだ。私はそれもないし、安楽なものだ。これ以上楽なことはない。寝てもいいのだ。起きてテレビやビデオを見ても良いし、外出しても良い。自分で自分を追い込むことはないのだ。 復帰できるのか心配になってきた。しんどい。zといても安全ではない。いきなり怒り狂って攻撃してくる。私は正常な状態ではないのだ。それはわかっている。でも自分の意志ではどうしようもないのだ。
耳鳴りがして眠れない。眠れることだけが救いだったのに、眠れなかったら苦しくて仕方がない。今が最悪のときだ。 しんどい。昼飯をやっと食った。眠れなかったのに眠れない。起きているのもしんどい。いろんなことが頭を駆け巡る。不安だ。あの医者は誰でもそうじゃないかといった。やる気あるのか。全くわからない。しんどい。起きているのもしんどい。寝ているのもしんどい。 しんどい。起きているのが不安でしんどい。耳鳴りがして眠れないし。いずれ良くなるのだろうか。生きているのが不安だ。どうしてこんなになってしまったのだろう。zにまでいじめられるし。会いたくない。全部原ザリのせいだ。死んだらいいのだ。私の日記もおかしくなった。支離滅裂で内容がない。こんな暮らしをしているからだ。 いま少し寝た。夜寝なかったからいいだろう。今日は雨だ。寒いし、外出は止めとこう。風邪がぶり返したようだし。 しんどい。職場に復帰できるかわからないし、恐い。職場が恐い。 堺東に行ってきた。ビールを買ってきた。何かふらつきそうだった。人ごみが恐い。鏡の法則を立ち読みした。人生は心の中を映し出す鏡のようなものだと。許すことだと書いてあった。許すことはできそうな気がする。女なんてかわいそうな憐れな生き物だから、なぜ腹を立てるのかわからない。今はほとんど腹は立たない。 女に腹が立ちだしたのは中学頃、姉に対してだ。そんなことはどうでも良い。今は全く腹は立たない。かわいそうだ。全く腹は立たない。 しんどい。どんどんしんどくなっていく。自分が神と思えば楽になる。時間が経つのが遅い。一人でいるというのはつらい。人ごみにいるのも孤独で辛い。町を歩けば潜在的な買い手としてみなされる。たとえ買う気はなくても。それが自分を人間らしくしてくれる。 女や子供は全く腹が立たないだろう。中学の頃馬鹿な奴と付き合って、その関係で馬鹿な女とトラブルになった。それ以来女が苦手だが、女なんか許してやれば良い。全く腹が立たない。何であんなものが腹が立つのだ。許すということができるようになった。 しんどい。息をするのもしんどい。これで眠れなかったら、しんどいことになる。耳鳴りのせいで眠れなかったら。今までは眠れていたから何とかなった。何とかなるかこれからも。耳鳴りが原因なら慣れれば眠れるようになる。過去の経験からわかる。 しんどい。何回しんどいと書くんだろう。でも息をするのもしんどい。自分を神と思うことにしよう。誰でも神なのだ。仏なのだ。そういう意味で私も神なのだ。決して発狂したわけではない。誇大妄想ではない。私は神だ。神として生きていくだろう。悪いことはしない。善行を積んでいく。そうすれば恐いことはないだろう。 しんどい。復帰が恐い。復帰しないといけないが復帰が恐い。 どうしたらいいだろう。自分に帰ろう。悪い自分なんかいないのだ。 しんどい。今の自分は会える人間はいない。zでさえうまく行かない。どんな人間ともうまく行かない。 しんどい。こんなにしんどかったのは初めてだ。 しんどい。精神的にも肉体的にもしんどい。復帰できるのだろうか。楽に行こう。今は休むときだ。楽にしよう。 しんどい。楽観的に考えることにしよう。耳の違和感はほぼ治った。耳鳴りはどうだろう。楽観的に考えることにした。きっと治る。私は病気ではない。精神病ではない。統合失調症なんかではない。あんな病院なんか行かなくて良い。今すぐ行くのをやめて会社に復帰してもいいのだ。 私は病気なんかではない。眠れないということもないし、幻覚も妄想もない。あの医者が言っていることは、結局私は病気ではないということだ。遊んでいよう。作業所なんかに行くのはやめよう。病気でも障害者でもない。正常な人間だ。手帳なんか要らない。 何か腹立ってきたというか、何も自分が悪いことはないという気がしてきた。あのクソバカババアにしても私があれこれ悩むことはないじゃないか。私は女何かどうでもいい。向こうが一方的にからんでくるだけじゃないか。だから私が折れるというか我慢することはないと思う。グループを変えてくれといえばいいだけじゃないか。あんな頭のおかしな奴と一緒に働きたくないといえばいいじゃないか。そうしよう。hとももちろん一緒に働きたくないとはっきりいえばいいじゃないか。嫌なことを嫌とはっきり言わないから自分が傷つくことになるのだ。嫌なことは嫌とはっきり言おう。俺はあんな奴らと一緒に働きたくない。今回のくそ原ザリの件でも嫌なのに付き合おうとしたからこうなるのだ。嫌なことは嫌といおう。あんな連中と一緒に働きたくないといおう。どちらでもいいというようなあいまいなことをいうのはやめよう。我慢しないといけないということはないのだ。嫌なんだ。一緒に働くのは。課長にそういえばいいのだ。嫌ですと一緒に働くのは。あんな馬鹿と。何であいつはやりたい放題やって、私は何でも我慢しないといけないのだ。何だ。あの二人組みは。キチガイじゃないか。原ザリと一緒じゃないか。女だから嫌だといっているんじゃないじゃないか。人の悪口を言うからいやだといっているんじゃないか。私を毛嫌いするからいやだといっているんじゃないか。失礼だからいやだといっているんじゃないか。何で嫌な奴と一緒に働かないといけないんだ。いやだから変えてくれという単純な話じゃないか。私は譲らないから。このことは譲らない。絶対に譲らない。人を侮辱するような奴と一緒に仕事するのは拒否する。ババアがいやだといっているんじゃないじゃないか。失礼だからいやだといっているのだ。変えてくれといっているんだ。何で俺が変わる必要があるんだ。嫌なことは良くならない。どうひっくり返してもキチガイはキチガイ。付き合う気にはならない。原ザリみたいなキチガイと付き合うわけないじゃないか。嫌なことを我慢するから統合失調症みたいな症状が現れるのだ。二度とそういうことにならないためにも我慢してはいけないのだ。嫌だから変えてくれといっているのだ。どこにでもおばさんはいるという問題じゃないのだ。誰とでも付き合わないといけないということはないのだ。どこか他の職場に行きたいのだ。
今日は早く目が覚めた。耳の薬を飲んでいるからだろうか。耳鳴りの関係で。朝起きるときに復帰のことを考えると目の前が真っ暗になる。でも気にすることはない。私は神だ。自分が神だということに気付いた。 私は神だ。ずい分休んだ。今日は気分がいいほうだ。自分が神だということがわかったからか。自分が神というのは私が最初に発病したときの症状だ。だから安心するのか。どうでも良い。私は神だ。 私は神だ。そう考えると落ち着く。神の子だといっても良い。神を信じている。 自分が神だと思うと不安が和らぐ。自分が神であると思うと落ち着く。周囲が良く見える。しかし一人でいることはつらいものだ。このぼけた頭で復帰するのはどうだろう。弱った体で。 自分は神である。神であることに気づくことで癒される。 しんどい。気分最悪だ。お先真っ暗。あの医者も嫌だし。何も良い考えが浮かばない。暗いことばかり考える。 一人でいるのは苦痛だ。でも人と一緒にいるとまた苦痛だ。何かおかしくなった。少し寝た。でもまだ二時だ。夕方まで時間がつぶせない。緑地に行ってみるか。気が進まない。過去のことは忘れた。ぼけたからといってどうと言うことはない。 緑地に行ってきた。しんどかった。でも不愉快な思いはしなかったのでいいだろう。あの医者との付き合いもできるだけ距離をとって、脳のぼけの話題はしないことにしよう。それは病気ではないし、精神科で治療はできない。dhaでもせっせと飲んだらいいと思う。 私は神である。自分で思っているより、神に近い。人の心も大体わかる。自分を神であると思うのだ。そうすれば楽になる。人は皆神性、仏性を持っているのだ。それをうまくいかせば良い人生になるし、それを拒否すれば悲惨な人生になる。 ヒラリーの自伝を読んでいる。意外に面白い。小さい頃から政治的だったのだ。おてんば娘がそのまま大人になったのだ。余り裕福な家庭ではなかったようだ。当時は日本と同じように皆が豊かというのではなくそれが普通だったのだ。日本では昭和は皆貧しかった。 自分を神だと思うと落ち着いてくる。私は自分が思っているより、神に近い。普通の人は皆神に近いのだ。普通に真面目に働いている人、子供を育てている人、それらは神に近い。私もそのレベルにまで達した。私は神だと言うのはそういう意味だ。 薬を飲むことと自分を神と思うことでパニックに陥らなくなる。 頭が少しスッキリした気がする。運動した方がいいのか。毎日緑地に行った方が良いかもしれない。 耳は治った気がする。薬が効いたのだ。ここら辺の医者でも大概の病気は治せる。それだけは感心している。信頼できないと思っていたが、大体信頼できる。私が一番信頼できない。
しんどい。何か調子悪い。人と仲良くできない気がする。復帰も遠い。どうしたらいいのかわからない。 しんどい。昨日にも増してしんどい。でも死ぬわけじゃない。自殺するわけでもない。絶対ない。楽にしていればいいのだ。統合失調症だったとしても軽いものだ。眠れないから統合失調症とはおかしな話だ。病名はどうでも良い。症状が大事だ。妄想もなければ幻覚もない。しんどいだけだ。良くなる。きっと良くなるときが来る。もうすぐだ。必ず良くなる。 昼間でも脳が寝ているから昼間から寝ている。こんなので大丈夫か。今は大丈夫だ。 o緑地に行ってきたら、雨に降られた。ついてない。鼻をかんだら、耳がおかしくなった。目がかすむ。目も耳も鼻も口もおかしい。頭もおかしい。 耳は良くなったようだ。薬をきちんと飲んでいるからか。 外に出るとストレスになる。人を見るのも見られるのも何となく嫌だ。 ものすごく調子が良い。やっぱり運動が必要だ。神は存在する。このまま良くなってくれたらと思う。 神の啓示を受けた。私は神の子である。神の声を聞くためにこうした苦しみを受けたのである。今は調子が良い。絶好調といえる。神の声が聞ける準備ができた。 運動を少ししただけで絶好調になった。運動をしよう。死にたい。などということは二度というまい。生きることは素晴らしい。これからも生きていく。力の限り生きていく。全てうまく行くような気がする。 神になれる。というか私は神だ。 私は神であって確実に治るということがわかった。神が何かを恐れるなどありうるだろうか。神は全知全能である。不安発作などない。 私は神ということがわかった。この世を救うために神から遣わされた神の子であるとわかった。キリストが生まれてから二千年、私は日本に使わされた神の子である。神である以上何も恐いものはない。病気なんか恐くない。おばはんなんか何が恐いだろうか。私は神である。神に恐いものなどない。 私は神であることがわかった。この一年間苦しんできたが、これで苦しまなくて良い。私は神である。 私は神である。神であることがやっとわかった。全能ではないが神ではある。誰でも神なのだ。誰にも神が宿っている。そして器となって神であることを実現する。私は神である。日本語がわからない。英語もわからない。本が読めない。それでも神である。私は神である。神としてこの世に遣わされてきた。この世を救うために遣わされて来た。 私は神である。神であることに気付くと苦労が少なくなる。本が読めなくてもいいじゃないか。自分が神であることがわかれば大体うまく行く。 私は神である。このことがわかればグチや不平不満は出てこない。ありがとう。感謝します。嬉しい。楽しいということになる。神だからだ。神であれば昼間何したらいいかわからないということは出てこない。夜は良く眠れるし、会社行かなくていいのだから、不平不満は出てこないだろう。自分が神であることを認めればいいだけだ。 一人さんは神ではないが、神に近づこうと努力して実際近づいた人だ。世の中にはそういう人はいくらでもいる。努力して何かの器になって、神に近づいた人。私もそうなりたい。私は神だ。恐いものは何もない。 私は神だ。神であると考えないとつじつまが合わない。神であると考えると正しい思考ができる。昼間何をして良いかわからないとか言わなくなるだろう。 神であれば悪いことをしようとか思わなくなるだろう。実際私は神である。長い間苦しんできたがついに神となった。ついにこういう日が来た。 私は自分が神だということがやっとわかった。否定しても無駄である。自分が神だと考えれば全てつじつまが合う。恐怖や不安は気にならなくなる。孤独でいようと何もすることがなかろうと生きていける。神だからといって何でもできるわけではなく今までどおりである。ただ心は神であるということだ。 ついに私は神になった。神であるというほかない。私は神だ。私は神だ。神であれば困ることはない。 私は神だ。原ザリを許せるなんて神だ。私は神だ。 私は神だ。疑いなく神だ。 私は神だ。一年間苦しんできたが、自分が神ということがわかった。自分が神だということがわかれば困ることはない。昼間することないとか言う必要はない。神だからだ。 神はえらい。だから私は偉い。自分が神だということがわかるとスッキリした。前頭葉の痛みが取れる。神だから偉いのだ。誰でも神になれる可能性はある。気付いたものから神になれる。私は人の千倍苦労したから神になることができた。私は神になった。神になったことは嬉しい。いろんなことに気づく。特にこれということではなくいろんなことに気づく。全てのことに気づく。神であるから当然だ。神であるということはすばらしい。神だ。私は神だ。 私は神だ。言うまでもない。神であることに気づくと楽になる。私は神だ。神であることを認めると楽になる。私は自分が神だということがわかった。すごいことだ。でも前から気付いてはいた。 私は神だ。あの医者は何か気に食わない。でもどこに行っても一緒だろうと思うから変わらない。私は神だ。 私は神だ。神だ。そう考えれば間違いない。
今日は曇りだ。今朝は気分上々ではなかったが、自分の気持ちが良くわかった。脳がダメージを受けたことが自分にどう影響したか。新しい薬の効き目のこと。私がなぜ今誰からも馬鹿にされ、嫌われるかについて。それでも生きていくにはどうしたらいいか。緩やかになった脳の活動にあわせて生きていくことだ。薬を飲むことだ。そうすると余計なことは考えなくなる。低下した前頭葉の活動にあった生き方をしていく。この脳の状態で頑張ろうとしても頑張れない。zは怒るけれどもどうしようもない。ボーっとして人に侮られる。人に嫌われる。金を払っていても馬鹿にされ嫌われる。どういうことだ。脳が低下した状態を馬鹿にされるのだろう。アルコールを飲んで薬を飲んだこと。それが悪いのだ。 しんどい。起きていられないし、寝ていられない。どうしたらいいのか。将来の不安もある。今の状態も嫌だ。どうしたらいいのだ。 少し寝た。眠いのは脳がダメージを受けたからだ。脳がダメージを受けたら眠れると思ったのは確かだ。でもこんなになるとは。昼間起きていられなかったら会社勤めできないじゃないか。どうしたらいいのか。半年後には大丈夫なのか。心配だ。誰からも馬鹿にされる。 心配やグチはやめよう。今は良く眠れるから脳が休まって妄想も幻覚もない。怒りも戦いもない。 何かおかしい。おかしいなりに生きていかないといけない。こんなに明らかにおかしい人間になってしまうとは思わなかった。何もしたいと思わなくなってしまった。旅行も山登りも読書も何もできない。どうなってしまうのか。 外出して散歩しようとしたら、寒くて余りに風が冷たかったのでやめて引き返した。根性もなくなった。というか根性出す必要ないし。家でのんびりしていよう。 しんどい。疲れた。誰からも馬鹿にされる。さっきおばさんは親切にしてくれたじゃないか。おばさんはお人よしなのだ。世の中良い人であってほしいと思っているのだ。おばさんなんかどうでも良い。 さっきちょっと外出しただけで鼻が詰まる。まだ無理をするなということか。しんどい。誰もが私に温かく接してくれたらと思う。さっきのおばさんの態度が基本だ。人を馬鹿にしたり、にらみつけたり差別してはいけない。 私は生まれつき脆弱な部分を持っているのだろう。だから無理をしてはいけない。自分に過大なものを要求してはいけない。 遺伝的に弱いものを持っていれば生存競争に敗れて行くだろう。それでもいいじゃないか。負けることが何なのだ。 しんどい。精神的にも肉体的にもしんどい。これから良くなるのか。薬に頼るしかない。 しんどい。字が読めない。いくら寝ても頭がはっきりしない。目が開いていても寝ているような気がする。脳は半分眠っているのだ。これでいいのだろうか。脳が眠っていたら仕事なんかできないんじゃないか。脳が眠っているから本が読めない。考えられない。しゃべれない。人の話がわからない。これで生きていけるのか。第一何も楽しくない。こんな日が来るなんて。何がなんだかわからない。 必ず全てオーケーになる日が来る。脳のダメージも回復し、全てオーケーになる日が。必ず来るのでめげないで頑張ろう。 しんどいな。今一番嫌なのがこの目のかすみ、脳のダメージだ。必ず復活する。 しんどい。人間とは器だ。政治家なら政治家、芸術家なら芸術家という器なのだ。器になることは素晴らしいことで自分がなりたい器になることができる。それができないものはならず者だ。私も器になりたいのにどうしても私と社会は折り合いが悪く、うまく器になることができないまま、この年まで来てしまった。夫や父親という器も拒否してしまった。男、女という器もだめだ。社会の役職も一切ない。空っぽの器だ。 薬さえ飲んでいれば必ず良くなる日が来る。 私が器になれないことで自分を責めてはいけない。自分は病気だったのだ。遺伝なのだ。人よりゆっくり歩いていいのだ。馬鹿にする奴はしたら良い。悪いことは何もしていない。
今日は曇りだ。朝すごいいびきをかいて寝ていた。眠れないわ、いびきはかくわ、頭はぼけるわひどい状態になってきた。でも今日は悪い気分ではない。そういう自分を受け入れられるかどうかだ。頭がぼけようと何でも良い。自分を受け入れられると楽になる。すごく明るい気分だ。いい気分だ。 頭がぼけても自分を受け入れる。あんな原ザリでも許せるようになった。許せると楽になってもう二度とodはしないと思える。よくなった。原ザリ症候群は良くなったといえる。これから自分を癒そう。 人に優しくできる余裕ができた。人が恐くなくなった。やっと私も良くなった。頭がぼけていてもいなくても。頭のぼけはすぐに治るだろう。治らなくてもこれで満足だ。素晴らしい私。これでいいじゃないか。 目が暗くてぼやけている。やばいかもしれない。自分の持ち物は脳しかないのにそれがぼけたらもうどうしようもない。でもこれから良くなる。人が恐いということがなくなった。人を許せるようになった。原ザリ症候群はなくなった。今朝目が覚めたとき、良くなっていた。温泉なんかにもいける。でもできたら行かない方が身のためだ。人が恐いというのはまだ残っているかもしれない。この間のハイキングのときも恐かった。いいんじゃないかと思う。ゆっくり直していったらいいと思う。zの言うとおり、egとか出たり、その流れで色んな活動をしたりしたが、今はこのざまだ。外に出るのも嫌だ。一日中寝ていたりする。これで回復するのか。酒は良くないので、週一にしよう。 今無理して活動する必要はない。無駄遣いになる。原ザリの破壊力ははかり知れない。何もかも私から奪い去った。今まで努力して広げてきたもの、人間関係、親兄弟の絆、会社関係の絆、ひそかな楽しみ。全てを一瞬にして奪い去った。あのキチガイ。世界一遭うべきでなかったキチガイ。でももう許した。許してしまえばどうと言うことはない。人のために自分を犠牲にする考えはやめたほうが良い。 誰でも出会えばいいというものではない。自分は今しんどいのだから、人に会うべきではないのだ。zにも会わないほうが良いかもしれない。それにしてもどうして原ザリなんかに遭ってしまったのかわからない。誰彼構わず会っているうちに結局あんな猛毒菌みたいなものに会ってしまうのだ。しかしもう私は許した。優位に立った。愚痴を言うことはまた劣位に立ち、影響力を認めることだ。もう私はあんなものの優位に立っている。今日は薬を飲もう。薬を飲むことは良いことだ。必ず復帰できる。良い方向になる。目のかすみも治るし、脳のダメージも回復する。人間関係もうまく行く。 ミナミに行ってきた。つまらなかった。世の中が違って見えた。またいっそう世の中が遠く見えた。私を置き去りにしたように思えた。帰りの電車で変なおっさんにため息つかれるし。お前なんか関係ないだろう。わざとらしいんだ。でも世の中簡単に見えた。本が読めないから暇のつぶしようがない。本が読めればいくらでもあるから暇のつぶしようがある。原ザリ症が完治していれば、ババアとトラブル起こさないから旅行もできるが今は無理だ。 ブラジルの格闘技事情を描いたドキュメントを見た。よく知っているので見ごたえがあった。貧しいけど立派な若者だ。見習おう。見ているときも自分の身の上が堪えた。最近どこに行っても浮いている自信がある。日曜だろうと平日だろうと、街角であろうと病院であろうと。人が見ないようにしながら見ているのを感じることができる。文字が読めなくてもテレビを見ていれば良い。ドキュメントでもドラマでも見るものはいっぱいある。今それしか見れないのだからそれでいいのだ。aに行ってもビデオ上映会とかやっているんだから同じだろう。人に親切にすることだ。それが人と交流するきっかけだ。原ザリ以来それが恐くてできなくなっている。原ザリにも坊さんにも優しくしようとして自分が傷つけられた。しかし原ザリみたいな凶悪な人間はいない。だから安心して心を開くことだ。病院の医師も私が傷つけるのではないかと怯えているのだ。傷つけられる前に傷つけようとするからああいう対応になる。一年たっても考えるのは原ザリのことだ。なんであんな恐い人間がいるのか。人間ではない。何でそんなものと出会わないといけないのか。何が森田療法だ。何がカウンセリングだ。一番信用ならないのはあの似非カウンセラーじゃないのか。自分が傷つけられるのが恐いから人を傷つけるというだけじゃないか。 今日はでもましな方だった。心が安定していた。出かけたくはなかったが、出かけるとそれなりに楽しめた。後半年たてば何とか復帰できるくらいに回復している。その頃には旅行もできるくらいにはなっているだろう。人に優しくできるようになっているだろう。傷つける人間ではなくなっているだろう。人を恐がっていると自分が傷つけようとしていると誤解される。だから恐い間は人に会わない方がいい。親兄弟でも会わない方がいい。具合が悪いのであって、私が悪いのではない。 自分にはできることとできないことがある。できないことを自分にしないことだ。そうするとサボっているとか怠けているという奴がいる。しかりつけたり、無理にやらせようとする。でも無理にやらせようとすると心がダウンしてしまう。無理はできない体質なのだ。原ザリに会ったことが不幸だったのだろうか。そうではない。それは自分にできもしないことやる気もないことを引き受けてしまう私の根本的問題に原因があるのではないか。第二第三の原ザリはいつか現れるのだ。坊さんであったり、n原であったりするのだ。そんなことをする必要はなく、心静かに休めばいいだけの話だ。抗うつ剤も飲むべきだったかどうかわからない。似非カウンセラーに出会い、egに行き、b校に行き、サークルに行き、森田に出てついに原ザリに出会った。一連の行為だったのだ。原ザリが悪いのなら、似非カウンセラーも悪いということになる。統合失調症という原点に戻るべきなのかもしれない。だから今の似非医者の言うことをおとなしく聞いていればいいと思う。脳がダメージを受けていて、酒を飲んで寝ると口をあけていびきをかいて寝るのでのどがはれる。お蔭で耳がおかしくなってしまった。また医者の厄介だ。最近こればっかりだ。 ゆっくり休めばいいんじゃないか。休めないのは良くない。休むことだ。楽をすることだ。原ザリは職場にも居る。私を攻撃する奴は原ザリだ。どうしたらいいのかわからない。こんな状態に陥ったのはどうしてだかわからない。原ザリとの出会いは偶然ではなかった。そう思う。この2年くらいはアクロバットのようなことをしていたんじゃないか。いずれこういうクラッシュが来るのだ。もうきてしまったものは仕方がない。ここから這い上がるのだ。毎日寝て暮らしても構わない。消耗期なんだから仕方がない。
今日は良い天気だ。気分は良くない。深甚な恐怖を覚える。復帰のこととかどうしていいかわからない。脳のダメージのこと。原ザリの被害など。きっと良くなると信じるしかない。後半年は少なくとも休める。その間に薬の力で良くなることを信じよう。脳の状態は薬で良くなった。でも頭が馬鹿になっているのと、精神的におかしいのが恐い。 いろんなことが頭を巡って怖い。今は消耗期なんだ。だからじっと布団に包まっていてもおかしくはない。何もできなくても良い。しんどい。昨日は酒を飲んだから今日はしんどい。でも十分寝ているからそれほどしんどくもない。でも自分で一人でいられないというのはつらい。一人でいられないのは誰でも同じだ。何となく人といるというのが楽しい。生きていくのが今ほど辛いと思ったことはない。薬のせいで何とか持っている。しんどい。少し寝た。これからどうなるのか考えると辛い。復帰のこと、復帰後のこと。何で原ザリに会ってしまったのか。絶対付き合ったらだめでしょう。わからない。でもこうなる運命だったような期がする。いずれにせよ、一歩ずつ歩いていこう。原ザリのせいで一生に一度一番楽しい時期が苦しい、息をするのもしんどい時期になってしまった。でも原ザリは許そう。許さないと前に進まない。今は薬のせいで何とか過ごせるのだからいいじゃないか。焦らないことだ。今なんばに行こうとしたらjrが故障で普通になっていた。特に行きたいわけじゃないから引き返してきた。本当に何もできない。自分を救うのもできなくなってしまった。今はこんな時期なのだ。消耗期なのだ。自分を許そう。 切羽詰ってきた。人生において、会社人生において。起きているのもしんどい状態で復帰はできない。原ザリのせいで一年かけてここまでおかしくなった。今は特に調子が悪いのだ。昼から寝ていてもいいからゆっくり養生しよう。昨日のスーパーの馬鹿女は一体なんだったのか。カートを押していたら突進してきた女。訳がわからない。何の攻撃なんだ。 これから社会と折り合いをつけていけるのだろうか。会社に復帰できるのだろうか。とにかく今はしんどいとしか言えない。誰とも会いたくない。親兄弟でも話せない。原ザリのせいで人間が恐くなった。人を恐がると人もこちらを恐がるか、攻撃してくる。原ザリは生まれつき人を攻撃する性質がある。あれは人間ではない。原ザリのモラハラ攻撃をまともに受けてしまった。あれは生まれつきあれで、自分のやっていることが善悪がわからないのだ。許すしかないだろう。許した方が自分が楽になる。でも人が恐いのが直らない。kさんも恐くなって別れてしまった。b校を辞めたのは私のせいじゃないだろうか。kさんだけなら恐くはないが、原ザリと一緒になると恐い。誰でも付き合って良いもんじゃない。そこらへんのおばさんでも女でも恐いといえば恐い。許すことにした。効果はすぐに現れないが、やがて現れるだろう。 努力しなくても薬さえ飲んでいれば良くなる。色々本を読まなくても大丈夫だし、似非カウンセラーの世話になんかならなくて良い。 立ち直ろう。きっと立ち直れる。 酒を飲んだ。悪いか。週に二回だけだ。今日も良く眠れるだろう。明日から薬を飲んで頑張ろう。
今日は良い天気だ。まだ寒いのだろうか。今朝は早く目が覚めて二度寝した。気分は余りさえない。いつもの特徴だ。気分がさえない。不安だ。復帰のことを考えると不安でたまらない。この一年が台無しになったことはもう良い。あれもかわいそうな奴だったのだ。もう許す。耳のつまりは治らない。医者に行ってみよう。最近医者ばかり行っている。ちょっとしたことが気になる。風邪をひいたりする。一人でいるというのは不安だ。さりとて遊びに行く気力もない。今日はいいほうだろうか。あえて何も考えないようにしよう。 でもだいぶ良くなっていると思う。このまま行けば良くなる。人とうまく行かないというのも自然にいつかうまく行くようになる。きっとうまく行く。うまく行くと思えば不安にはならない。 しんどい。横になっていてもしんどい。どうしたもんだろう。苦しい。酔ったときに健康食品を飲んだのは絶対に間違いだった。それもきっと治るだろう。医者が治るといっていた。本も読めるようになるだろう。読まないといけないんじゃないから、読まなくていいんじゃないか。 「a」に行ってきた。なんか人と話すのがすごく恐かった。対人恐怖だ。それと変な女がいてすごく恐かった。すごく追い込んでくる。恐い。まだあんなところに行くのは早いんじゃないか。横になって音楽を聴いているのがやっとだ。本当に統合失調症を発症したんじゃないだろうか。刺激がなんか恐い。物音であれ、においであれ、恐い。今日は大事を取って家で休んでいようか。 しんどい。少し寝た。昼間寝ないとしんどい。寝られる体力がついたんじゃないか。寝られるというのは体力があるということだ。グループに入るのはいいが必ずいじめてくるだろう。それをどうするかだ。あのaだってそういうことはある。森田療法だってひどいいじめにあったじゃないか。家にじっとしていられるのは元気な証拠だ。egだっていじめに遭ったし、掲示板でもひどいいじめに遭った。なんか私はいじめに遭うのだ。自己中だからいじめに遭うというのはおかしい。私は統合失調症なんだ。さっきの変な女も恐かった。原ザリのせいで全ての人間が恐く嫌いになった。会話が嫌になった。会話が全てモラハラのように感じる。人が恐いというのは症状になるのだろうか。統合失調症の症状だろうか。 酒を飲んだ。ざまあ見ろ。文句あるか。馬鹿で悪いか。馬鹿でどこが悪い。
今日は少し気分がいいみたいだ。薬が本当に聞いてきたみたいだ。風邪もやっと治った。耳は少し篭るようだ。気になるようなら、医者に行ってもいい。 原ザリの被害から立ち直りつつあるようだ。必ず良くなる。薬を飲み続ければすっと気分が軽くなるときが来る。今朝がそうだった。医者目線でいよう。目が覚めたが、寝すぎでもなく、寝たりないということもなく熟睡していた。気持ちの良い目覚めだった。これ以上、医者に要求することはない。いい薬を処方してもらった。これで何とかいけるだろう。医者目線で行こう。少し目が見えるようになって来た。脳のぼけもいずれは治るという証拠だ。薬を飲み続ければ良い状態に戻る。ずっと悪いままと言うことはない。きっと良くなる。 原ザリの被害から立ち直りつつある。薬さえ飲んでいれば良い状態になる。今日は今までになく元気だ。木曜クラブに行ってこようか。原ザリの仲間みたいな奴がいたら困るが、あんな奴は地球上に二人といない。 大きな教訓を得た。私は脆弱である。元気であってもこういう状態まで転落する。変な奴とは付き合わないことだ。一生で一番楽しかったかもしれないときが、原ザリのせいで、恐く辛い日々になってしまった。レイプされたようなものだ。職場復帰さえ遠ざかる。でもきっと良くなる。薬を飲み続けていると眠れるようになるし、また明るく豊かな生活が巡ってくる。悪くなってもまた良くなる。きっと良くなる。 原ザリは現れるべくして現れたのかもしれない。危険なことばかりしていた。egとかカウンセリングとか。b校とか。いつかこういうことが起こるのだ。どうすればいいのか。薬を飲むことだ。薬を飲んで安定した状態になってから、ゆっくり考えたら良い。今思えば、一年前にこの薬を飲んでいれば良かったのだ。勿論そのときはそんなことは思わないが。 目が見えるようになった。原ザリの被害もだいぶ治まってきた。必ず良くなるという気がしてきた。原ザリの被害で悪くなったとしてもまた良くなればいいのだ。薬を飲めば回復できるのだ。 今日は少し調子が良い。目が良く見えるし、風邪も治ったし、気分がよい。またきっと良くなる。薬さえ飲んでいれば調子よくなる日が来る。 昼からしんどくなってきた。なんか何もする気がしない。原ザリの被害は甚大だ。原爆級だ。人生全てを破壊してしまう。しかも自分がそういう人間ということに気づいていない。表に出ないのは仕方がない。 しんどい。やっぱりしんどい。原ザリの呪いはすごい。あれ以降、人なりグループなり旅行なり、うまく行ったことがない。以前はうまく行っていた。あの夜以来、どんな人ともうまく行かなくなった。別の人間になってしまったようだ。似非カウンセラーとまでうまく行かなくなった。医者ともうまく行かなくなった。新しい医者は私をトラブルメーカーみたいに思っている。だから受け入れていない。統合失調症が再発したという医者の見立ては正しいかもしれない。今久々に外出してみて、ものすごく落ち着かない自分を感じた。映像がすごい勢いで脳に飛び込んできて、感情がコントロールできない。原ザリのせいで統合失調症まで発症したのかもしれない。人とトラブルを起こすのは以前からあった。hとのトラブルもそのせいかもしれない。egが本当のきっかけかもしれない。それからb校があって、会社でのトラブルがあって原ザリの被害につながるわけだ。きっと良くなる日が来るから焦ってはいけない。今でもだいぶ良くなってきた。あの医者の薬は本当によく効いた。感謝しないといけない。朝カルでも楽しめなかったのは原ザリのせいだ。 kさんはb校を辞めたのかもしれない。名前がなかった。私のせいじゃないだろうか。しかとしたからか。でも仕方がない。私も原ザリ症でひどい状態だったのだ。しんどい。時間を一分過ごすのも苦労する。焦らないことだ。私も脳がダメージを受けてから自分を守るのもおぼつかない。ふらふら外に出ない方がいい。自転車で変な奴とぶつかりそうになる。因縁でもつけられたらたまったもんじゃない。耳が詰まる。次から次へ変なトラブルが襲い掛かる。たまらない。治るんだろうか。酒を飲んだからなのか。物理的に鼻が詰まるように耳が詰まっているのだろうか。 じっと部屋にいるのもつらいものだ。さりとて行くところもない。kさんと付き合ったほうが良かったかもしれない。原ザリとkさんは違う。人を傷つけたりはしない。原ザリと別れた後、こんな目にあったといってkさんと話せば憂さも晴れるんじゃないか。ただ恐いというのもある。人間が恐いからkさんでも恐い。似非カウンセラーと話してもうまく行かなかった。今は廃人同然だ。人とコミュニケーションがとれない。職場復帰もおぼつかない。似非カウンセラーにそういわれた。でもいつかきっと良くなるときが来る。薬さえ飲んでいれば、今日だっていいほうだ。家にじっといられるというのはいいほうだ。 元気になりたい。寝ているだけでしんどいのだから何もできない。昼間からうろうろしている、不良と同じだ。あいつらは元気だから羨ましい。若いし。自転車で不良とよくぶつかる。用もないのにうろうろしているから私と鉢合う。 今日は朝調子良かったのにだめになった。急に具合が悪くなった。だめだ。明日からが思いやられる。十分すぎるくらい寝てもこれだから、脳のダメージが大きいと思う。人に馬鹿にされる。会話についていけない。騙されそうになる。セールスの電話まで途中で切りたがるのだから相当だ。 社会からドロップアウトしていく。このままではいけない。障害年金なんか当てにしてはいけない。まともな生活なんかできないに決まっている。そんな生活何が楽しいのだ。きっと良くなる。薬さえ飲んでいれば脳のダメージも良くなるし、気長に待つことだ。大丈夫だ。 しんどい。誰か助けてくれ。しゃべるのがしんどい。すぐトラブルになる。しゃべりたいことがまとまらない。しゃべるのが辛いのでしゃべらない。これでは良くならない。復帰もしんどい。人の話を聞くのもしんどい。腹が立ってくる。会話にはならない。しんどい。今朝十分寝たのに原ザリのことばかり考えて落ち込む。苦しい。しんどい。何であんなものと付き合ってしまったのかわからない。誰でも善良であるという勘違い。似非カウンセラーだって同じだ。薬を飲んでいれば必ず良くなる。そう信じるのみだ。 しんどい。何もできない。助けてくれ。 焦らないとか、気にしないというのはどうだろう。気にならないのだから、気にしなければいいのだ。のんびり気長に回復するのを待つ。それでいいのではないか。
今日は寒いらしい。今朝も気分があまりよくなかった。自分がどこにいるかわからない。不安でたまらない。まだ原爆ザリガニのことを考える。でも少し、許すことができるようになった。許すことができると確かに楽になった。でもどうしてこうなってしまったのかわからない。今大変な状況になってしまった。すごく具合が悪い。ここまで悪くなるとは思わなかった。許すことだ。今まで旅に行って楽しかったことはない。原爆ザリガニのせいだ。もう忘れよう。許そう。自分が優位に立つのだ。もう昨日で許した。忘れた。本当に追い詰められている。しんどい。似非カウンセラーにも見放された。医者にも見離された。自分から見放している。これも原爆ザリガニのせいだ。人が恐くて正しい対応ができなくなった。旅行に行っても必ずトラブルようになった。美山に行っても木津温泉に行っても十津川に行っても湯平に行っても、全てトラぶった。楽しくなかった。原爆ザリガニのせいだ。どこにも出かけられなくなってしまった。勿論会社にも。どうしたらいいのだ。薬を信じて飲むだけだ。昨日もよく眠れた。これだけが救いだ。よく眠れることだけが。 原爆ザリガニのせいで何もかも台無しだ。楽しい旅行の計画も活動の楽しみも自由な時間も。あんなくその煙みたいな奴のお蔭で、全てを失ってしまった。ああいう輩は自分がどうしようもないからといって、人を傷つけて喜ぶ奴なんだ。どうして近寄ったりしたのかわからない。ptsdだ。でももう許す。そして優位に立つ。そして忘れる。そして明るく生きていく。 本が読めないからパソコンに向かって何かを書き綴る。虚しいけれども仕方がない。いつになったら正常化するのだろうか。字が読めるようになるのか。不安じゃなくなるのか。体力がついて外出できるようになるだろうか。今会社を辞めたら生きてはいけないだろう。何もできない。時計の修理なんかできない。塾の講師も難しい。どうやって生きていくのか。やっぱり会社しかないのだ。早く良くならないか。生きていく力がつかないか。 新聞が読めない。何書いてあるのかわからない。こんな状態で復帰は難しい。馬鹿にしか見えない。実際馬鹿になってしまった。誰とでもトラブルを起こす。誰とも仲良くできない。おかしくなってしまった。 少し寝た。よく眠れるものだ。でも一日中寝ているわけにも行かない。夜は夜で眠れないし。ずっと寝ている方法はないのか。辛い。起きているだけで辛いのに会社に行くわけにはいかない。良くなるのだろうか。訳がわからなくなってきた。 しんどい。寝ていてもしんどい。眠ることもできないから困る。時間が過ぎない。でも人と会おうとは思わない。しんどい。 風邪っぽいからこんな寒い中出ない方がいい。全部原爆ザリガニが悪い。あいつにさえ会わなかったらもっといい人間になっていたのだ。人とトラぶったりせず、楽しく穏やかに療養して速やかに復帰できていたのだ。odなんか馬鹿なことはしなかったのだ。いびきをかくような脳の欠陥状態にならなかったのだ。原ザリにさえあわなかったら。あんなおかしな奴とどうして付き合ったのだ。全くわからない。もっとも会うべきじゃない奴に会うべきじゃないときに出会った。原ザリを許そう。そして忘れよう。原ザリの上に立ち、感情をコントロールしよう。 今こんなに悪くても必ず良くなる。良い状態のときもあったのだ。薬を飲んで養生していれば何も考えなくても良くなるときが来る。医者目線で考えれば必ず良くなる。原ザリの被害にあってもいつかは正常な状態に戻る。それには薬を飲むことだ。薬が何より回復の道だ。薬を飲んで養生していれば必ず良くなる。原ザリを許せる気持ちになったのも薬で眠れるようになったからだ。また温泉やローカル線を楽しむ気持ちになる日がきっと来る。それは1年後かもしれないし、10年後かもしれない。しかしその日はきっと来る。この世には神がいてきっと私を救ってくれる。原ザリを私は許したのだから、私も許される。回復する。原ザリはあのババアの生まれ変わりだ。原ザリの被害から回復するようにあのババアの被害からも回復する日が来る。現ザリは表れるべくして私の前に現れた。あのババアと同じように。現れるなといっても現れるのだ。私は回復するだろう。焦らずにゆっくり養生すれば必ず良くなる。医者目線で考えれば、そんな無茶な活動をしていればいずれ、破綻するとわかるだろう。原ザリは現れるべくして現れたのだ。 必ず良くなる日が来る。薬を飲んでいれば必ず良くなる。この薬で眠れるのだから、もっと早く飲んでいればもっと早く良くなった。原ザリの被害も最小限で済んだのだ。それでもきっと良くなる。脳のダメージも必ず良くなる。馬鹿になっても一時的なことだ。いつか必ず良くなる。その日まで頑張ろう。 今活字が読めなければ読まなければ良い。いずれ読める日が来る。薬で雁ザリの被害を完全に除去すれば、きっと気分が良くなる。 これから気分がよくなって、人と付き合うことができるようになって、温泉を楽しめるようになる日がきっと来る。原ザリの被害から立ち直って、脳のダメージが軽快して、統合失調症の症状が良くなったら、思い切り楽しもう。今は焦ることはない。 必ず良くなる。ptsdも良くなって、原ザリの被害から立ち直る。脳のダメージも良くなる。必ず良くなる日が来る。 何で原ザリの被害にあったかというと伏線が色々あってどれかわからない。egに行ったのもそうだし、b校に行ったのもそうだし、じゃあそれは全部やめておいたほうが良かったかというとなんとも言えない。とりあえず今は原ザリの被害を癒して、元気になることだ。今は元気ではない。復帰は無理だ。薬の力でゲンザリの被害を一掃しよう。 ゲンザリの被害から立ち直るには薬しかない。医者の目線で見るとそれ以外ない。今思うと必ず人を攻撃してきていた。ゲンザリは人間ではなかったのだ。あのババアもそうだ。人間じゃないのだ。人間じゃないのに人間と扱い、戦ったり、怒ったりするからいけない。ゲンザリは人間ではない。 ゲンザリの被害から立ち直れる。薬を飲んでいればいつかは必ず治る。薬を飲んでゆっくり養生する以外ない。今日治らなくても明日は治る。焦らずのんびり養生することだ。 眠れるようになったということは良くなっているということだ。ゲンザリの被害から少しは立ち直ったということだ。最近眠れないということはない。脳がダメージを受けたせいもあるが、眠れるのは良いことだ。このままいけばいつか元気になる。必ず立ち直れる。
今日一転良い天気だ。天気がいいと少しはいい気分になる。よく眠れた。しかし起き掛けの気分は最悪だった。不安でいっぱいだった。自分を責める声が聞こえてきた。自分を許そう。何より自分を許そう。人を許そう。自分を許そう。脳がダメージを受けているから人に馬鹿にされるし、何をしても何を見ても楽しくない。女を見ても楽しくない。 しんどい。どうしたら楽になるだろう。昨日はよく眠れたのに。頭がぼけているから目があいたまま寝ているような気がする。自分を許そう。人を許そう。 のどが痛い。もう心身ともにぼろぼろだ。一年間休んで余計に悪くなった。愚痴は言うまい。自分を許そう。温泉旅館に行ってもいじめられるので行きたくない。朝日カルチャーに行っても恐い。人が恐い。でももう許したので忘れる。 今日は少し落ち着いた。昨日はとにかくひどかったから、それに比べたら天国みたいなものだ。目が見えないとパニック状態になるが、自分を許せば何とか耐えられる。しんどい。昨日に比べれば良いとはいえ、何となく辛い。耳が痛い。耳鼻科に行ってみようか。 しんどい。少し寝た。起きるとまた不安がやってくる。前頭葉が壊れているのでいくらでも眠れる。酒を飲んで薬を飲んだのは本当に悪かった。それさえなければ今頃もっと調子がいい。でも許そう。自分を許そう。愚かなことをした自分を許そう。そういうことを強いたもの全てを許そう。 しんどい。外出する気がしない。どうしたらいいのかわからない。昨日もしんどかったが、今日もしんどい。頭がさえなければ苦しまないと思ったのは浅はかだった。頭がぼけた上におかしい。苦しい。人から見たら異様だろう。苦しい。デパスでも飲もうか。 許すことだ。キチガイの被害に遭ったとしても許すことはできる。もう許したのだ。許すことで優位に立ち、新しいことができるのだ。自分も許すのだ。新しい世界に歩いていくのだ。風邪をひいたのがよくなかった。耳までおかしくなった。しんどい。この調子では何もできない。この休みに入ったころは元気だった。保健所にも行ったことがある。その頃は元気だった。ケースワーカーと話した記憶がある。今は話せないだろう。 脳が故障している。前頭葉は壊れ、統合失調症に冒されている。普通の会話も難しい。脳が壊れているので昼まで寝てしまう。その上、昼寝をしてしまう。いびきをかいてしまう。目がかすみ、何も感じられない。面白いともおかしいとも思わない。危機的状況ではないだろうか。前頭葉がはっきりしてくれないだろうか。そうすれば楽しいことも出てくるだろう。あの薬を飲んだとき以来、えらいことになってしまった。社会復帰は難しい。誰からも馬鹿にされるし、似非カウンセラーからも嫌がらせをされた。もう誰も私を助けてくれない。今電話したところも最悪だった。作業所に通わせようとしている。そんなところに通いたくない。統合失調症の廃人が集まるところ。本気でそう思っているのか。やめたほうが良い。自分から何もできなければ人から言われてもできないんじゃないのか。 よく眠れるようになった。一日中寝ている。でも肝心の頭がぼけている。本も読めなくて暇をもてあます。暇というのではなく、不安だ。漠然とした不安。前頭葉のぼけは後半年で治るだろう。人が恐いというのは半年で治る。あと半年気長にまとう。 後半年したら治る。元気になる。ぼけも治る。楽しいな。一年かけて悪くなってきた。今は良く眠れるがそれでもしんどい。今風邪がぶり返してきた。信じられない。生きているだけでしんどい。とても職場復帰は無理だ。 去年の5月くらいからあのキチガイと飲み会に行ってから明らかにおかしくなっている。でも薬は効く。仮にそういうことが起こったとしても薬で何とかできる。現に眠れるようになった。眠れるということはもう治ったも同然だ。私はあんなキチガイとは違う。まともな人間だ。あんなキチガイは許してやろう。許すことで優位に立てる。自分の感情をコントロールできる。私はもう忘れるのだ。許して忘れるのだ。 キチガイにいじめられておかしくなって、それからずっと眠れなくなり、ついにodをやってしまった。それで前頭葉が崩壊した。一切何も楽しめなくなった。誰からも馬鹿にされるようになり、似非カウンセラーからもいびられるようになった。あのキチガイにさえ会わなかったら。温泉旅行にもローカル線の旅にもいけたのに。南の島にもいけたし、東北北海道にも行ったのに。名作をいっぱい読んで、自分でも書いたのに。楽しいサークル活動にも勤しんだのに。全てがあのキチガイのせいで台無しになった。もう取り返しがつかない。この貴重な一生に一度の休暇を台無しにされてしまった。その上に痴呆みたいな人間になってしまい、職場復帰も難しい。毎日を過ごすことさえおぼつかない。全く廃人みたいになってしまった。それもこれもあのキチガイのせいだ。カブトガニのように下等なあのキチガイのお蔭でこんなに損害を受けるなんて。ありえない。でも私は許すだろう。許すことで優位に立ち、忘れられるのだ。あの原爆症の憐れな日本一邪悪なキチガイを許すだろう。許さなかったら脱出できないのだ。あのキチガイの影響力から。下等であればあるほど、キチガイのパワーはすさまじいのだ。ジプレキサを後半年飲めばこのキチガイパワーから逃れられるだろう。最近になって許そうと思ったのもきっとこの薬のお蔭だろう。許そう。なぜなら余りにも下等だからだ。余りにも哀れだからだ。原爆症の世界一邪悪なキチガイだからだ。私はもうこれで終わりにしたい。回復の道を辿りたい。許すことでもう忘れたい。 原爆症のカブトガニのことなんか今日で忘れろ。どれだけ引きずるんだろう。全くわからない。どうしてこんなに苦しまないといけないのか。世界一下等で世界一邪悪な低脳狂人カブトガニ。自分よりはるかに劣っているとわかれば許せるだろう。そして忘れろ。この一年はなんだったのか。台無しじゃないか。こんな休暇は一生一度しかないのだ。それをこんな風にされた。今息をするのもしんどい。こんな状態にまで転落してしまった。今何をしても楽しくないし、誰と会っても仲良くできない。こんなことでは職場復帰は無理だ。似非カウンセラーにまでいじめられる。ババアのことなんかより、あのカブトガニの方が腹が立つ。徹底的に人を不快にさせたキチガイ野郎。ザリガニ。ぼうふら。ウジムシ。今すぐ死ね。もう許そう。とにかく馬鹿なのだ。馬鹿とわかれば憐れむ以外ないだろう。自分をえらそうに見せようとしやがって。誰がお前なんかに騙されるものか。気に入らないと人を傷つけようとするキチガイや野郎。もう許してやる。俺とは全く関係ないのだ。人生で一番会うべきじゃなかった。完全に頭がおかしい奴。平気で人を傷つけるザリガニ以下の下等動物。お前なんか何の価値があるんだ。今すぐ死ね。そしてもう許そう。怒りは尽きないが怒る必要はない。戦う必要はない。ただのウジムシだからだ。下等動物だからだ。だから憐れみを持って許す。社会の最下層でぼうふらのように生きていろ。 あのキチガイザリガニのことは許してやったからもう考えなくていいのだ。幸せ、ありがとう。嬉しい、楽しい。感謝してます。許します。まさにそうだな。考えなくて良いんだ。ということはまた幸せになれるんだ。くそみたいな人を傷つけることしか興味のないキチガイと縁が切れるんだ。嬉しい。元の善良な私に戻れるんだ。
昨日は暑くて夏のようだったが、今日は一転荒れ模様だそうだ。空は曇り、風が強い。今日は何とか眠れた。でも寝起きが良くない。不安をどうしても感じる。不安は少しくらい仕方がない。人間生きていれば誰でもある。増してこんな暮らしでは当然だ。自分が馬鹿になったのではと思い、苦痛だ。 少しずつしか良くならないだろうが、焦らずゆっくり頑張っていこう。きっと立ち直れる。ぼけていてもいいからゆっくり頑張ろう。徐々に良くなってくる。 薬を飲もう。今日は薬を飲んだから調子が良い。やっぱり薬が一番いい。 ちょっとしんどい。何を考えても辛い。今こうしていることも辛い。全部失敗した気がする。悪い方にばかり考える。昨日の談志の気持ちがわかる。調子が悪くても責めないようにしよう。仕方がない。いずれ調子が良くなる。無理してはいけない。しんどい。でも頑張ろう。ゆっくり頑張ろう。不安とか不調も受け入れよう。多少は調子悪いのは仕方がない。薬をきちんと飲んでいればだんだん調子よくなる。 今はしんどいから余りものを考えないようにしよう。自分に甘くても良い。自分に厳しいというか自分が苦しくなるようなことばかりするから苦しくなるのだ。そろそろ復帰を考えた方が良いんじゃないか。復帰した方が心身にいいんじゃないかでも今は無理だ。もう少し回復してからだ。 今は薬を飲んでゆっくり休むことだ。今日はしんどい。最近はこんなのばかりだ。本当に最悪で見た目も気持ち悪いだろう。自分を悪い方に考えてしまう。復帰ができないような気がする。今日は風邪もあるし、しんどいから余り悪いことは考えないようにしよう。悪くて当たり前、不安で当たり前、しんどくて当たり前と思うようにしよう。今日は特別ゆっくり過ごそう。今までで一番調子が悪い。それでも昨日薬を飲んでいるし、眠れたし、最悪ではないのだ。 クラシックを聞いたら少し楽になった。不思議だ。そういえばスティービーのコンサートの後すごく気分が良くなったのを覚えている。 とにかくあのキチガイのパワーにまだ苛まれているとは驚異だ。もう吹っ切れたと思ったのに。でももうこれ以上落ち込まないと思った。でもその前からb校に行ったり、サークルに行ったり危険なことを一杯やっていたのでいつかはそうなる運命だったのだ。だから今はゆっくり休もう。薬を飲もう。怒る必要も戦う必要もない。心を静めることだ。 死にそうにしんどい。とにかくキチガイのことは忘れて許す。私も嫌いなのに付き合おうとしたのが、小さい頃からの悪い癖で本当に失敗だった。ものすごい大きな損失を蒙った。もう二度とこういうことはない。許して忘れる。そして二度とこういうことのないようにする。それ以外ない。薬はきちんと飲むようにする。そうすればこんな苦しい思いはしないのだ。今日は全然起きていられない。何もできない。今までで一番苦しい。風邪も引いているから仕方がない。明日は良くなるだろう。今日で忘れよう。あの憐れなキチガイのことを許して忘れるのだ。今日で最後だ。あのキチガイのことはこれで終わりだ。あいつは親が被爆して生まれつき障害があるのだ。原爆症なのだ。かわいそうな奴なのだ。自分や人を傷つけないではいられないのだ。おかしいのだ。おかしいけど自分をコントロールできないから責任は取れないのだ。一生あのままなのだ。憐れなやつなのだ。だから許そう。許して忘れよう。もう二度とキチガイのことは言うな。忘れよう。 しんどい。まだ起きられない。薬が大事だ。薬を飲もう。もう忘れた。例のことは。私は何も悪くない。でも傷ついた。でも私は許す。許すことで忘れられる。こちらが上に立って、起きたことのすべてをコントロールできる。 しんどい。ろれつが回らなくなってきた。今までで一番調子が悪い。復帰できるとは思われない。少しずつ歩んでいこう。これからは苦しんじゃないか。でも頑張ろう。薬に頼るしかない。薬が一番良い。頭であれこれ考えない。 しんどい。今までで一番悪い。早く風呂にはいって寝よう。病人を相手にしてくれるところなどない。zでさえ愛想を尽かしている。会社もいつまでも面倒は見てくれない。親兄弟も頼れぬ。障害年金を何とかしてもらうか。月10万円はもらえるという。 本当にしんどい。風邪をひいたのが堪えた。これさえ治れば元気になるだろう。明日は元気になっているだろう。許さないで怒ったり、戦ったりすることは自分が状況に巻き込まれ、コントロールを失うことに他ならない。怒りに限らず、グチでも心配でもそうだ。一人さんの言うとおりだ。人に相談しても結局自分でその感情を諦め、許すこと以外ない。自分が感情的に巻き込まれていることから脱する以外人はどうしようもない。復帰が心配だとか、孤独が辛いとか言われても人はどうしようもない。人といるのが辛いから一人でいるのに、孤独が辛いといっても何のことかわからない。孤独でいさせてくれることを感謝しよう。孤独を許すことだ。許すことはこんなにも大事なことなのだ。ババアを許せば優位に立てる。少なくとも対等に立てる。怒れば、コントロールを失って、下に立ってしまう。コントロールされてしまう。相手というより状況に巻き込まれ、動きが取れなくなる。許すというのは本当に大事なことだ。かくも大事なことを気付かせてくれた自分の経験に感謝しよう。許すことは本当に大事だ。冷静さを取り戻し、グチや心配事から自由になる。楽しいな。もう一度仕切りなおそう。元気に生きていけそうだ。許すことだ。自分を許すこと。病気になった自分を許すこと。孤独な自分を許すこと。人と上手にやれない自分を許すこと。そうすればそれは悩み事などではなくなる。お金のない自分を許すこと。そうすれば金の心配などなくなる。許すことはかくも大事だ。原爆で頭がおかしくなって、人や自分を傷つけるキチガイを許そう。更年期障害で夫や子供に相手にされず社会にしゃしゃり出てくるババアを許そう。低脳でヤンキーな派遣女を許そう。被差別部落と刑務所と焼き場と墓場があるこの町を許そう。トラブル続きの自分の人生を許そう。浦川べてるの家が面白いことは病気を許していることだ。隠したり、恐れたり、攻撃したりするのではなく、許している。共存している。楽しんでいる。素晴らしいことだ。許すことは大いなる気付きだ。ありがとう。神に感謝しよう。私にこんな大きなことを気付かせてくれた神に感謝しよう。6万円の障害年金で生きている男が傷病手当月25万もらっている男の悩みを聞いている。おかしいと思わないか。休みなく働いている男が一年以上働いていない男のカウンセリングをしている。おかしいと思わないか。許すことだ。 許すことだ。これは最大のことだ。天国言葉の中でも難しいがもっとも大きな言葉だ。神の仕業だ。神と同じ立場に立つ言葉だけに難しい。でもできる。必ずできる。 目がかすむ。目がかすむ自分を許そう。必ず良くなる。今よりは良くなると思う。少しずつではあるがきっと良くなる。 許そう。許し忘れることはすごく時間がかかることのようだ。でももう十分苦しんだ。もう許すことができる。許すことで自他の優位に立ち、状況から自由になれる。理性的になれ、新しいことができる。希望が湧いてくる。自分も許されなかったら生きてはいけない。休むことを許してくれなかったら、困る。復職を許されなかったら困る。許すことは大事だ。更年期障害の人格障害のババアや原爆症のキチガイを今は許すときが来た。許すことは勇気と努力の要ることだ。でもきっとできる。許すことができたらすごく大きなものを手に入れられる。人生が再び輝き始めるだろう。自信が湧いてくるだろう。仕事ができるだろう。遊ぶことができるだろう。 人は許すことで大人になり、大きくなり、前に進むことができる。何かを手放し、新しいものを手に入れることができる。許さないことで、得られなかったもの失ったものを悔い、新しいものを手に入れることができなくなる。許すことは意志の力でできる。時間は十分経った。後は意志の力で許し、新しいものを手に入れていこう。許すことは大事だ。人生で一番大事だ。 許すっていいなあ。偉大で感動的な行為である。かくも愚かで劣ったものたちを許すことが可能とは。小説に書いたが、そんなことは許した方がいい。許す子は偉大だ。許すだけで相手の優位に立ち、状況から自由になり、感情は冷静になる。許すことは嬉しい行為だ。再出発できるからだ。嬉しいな。 許すことは素晴らしい。偉大な気持ちになる。許すものはどんな立場であれ、偉大な人間になる。戦わない、怒らない人間になる。戦う必要はない。怒る必要はない。 許すことにした。素晴らしいことだ。小さい頃のことも全て許すことにした。これこれだからこうなったという考えは無益だ。全て許すことにした。ババアでも女でも全て許す。許すことは人の上に立つことだ。許すことは許されることだ。自由になることだ。自分の感情をコントロールできることだ。素晴らしいことだ。全て許すことにした。酒を飲んで薬を飲んだことも全て許すことにした。許されなかったら生きてはいけない。だから私も許す。許されているのだから自分も許す。それがいいのだ。 許すにはどうしたらいいか。許すと決めればいいだけの話だ。許さないのはしんどいが許すことは簡単で気持ちの良い崇高な行為だ。許すことにした。全ての人間を許すことにした。自分も許されたいからだ。許すことで自由になろう。許すことは素晴らしい。 許すことにした。でも昔のことがフラッシュバックする。温泉宿で受けた理不尽な仕打ち。それはキチガイの暗黒オーラを浴びたゆえのptsdから来るのだが、それを私の暗い性格のように思われてけんか腰になる。特に女。全くわからない。それを今からどうしろというのか。許すとは具体的にどうすればいいのか。でも許すしかないだろう。許すのだ。自分を許すことだ。キチガイのモラハラオーラを浴びて自分も原爆症になってしまった自分を許すのだ。自暴自棄になって自分も人も傷つける真に反社会的なキチガイ野郎にやられた自分を許すのだ。自分を許すことによってしかキチガイを許すことはできないだろう。自分を許すのだ。自分を許すのだ。人を許すとは自分を許すことに他ならない。どうしてそれに気付かなかったのか。自分を許すのだから自分は楽になる。自分を許すのだ。精神的にレイプされてptsdになってしまった自分を許すのだ。自分を許すことで楽になるのだ。 自分を許そう。キチガイを許すことは自分を許すことだ。かわいそうな自分を許し、愛そう。自分を許そう。
昨日はひな祭りだったな。今日は少し気分が改善した。大いびきを書いて朝まで寝れた。楽しいな。よく考えたら、あの似非カウンセラーはずいぶん失礼なことを言っている。あんなのに私はわからないのだ。統合失調症だとわかってから虚しくなった。あのキチガイもやっと吹っ切れた気がする。眠れるようになったのだから全くどうでも良い。人が恐いとかそういうのもなくなった。自分を適切に守れるようになった。 これから楽しく生きていこう。あのキチガイのことはきれいに吹っ切れた。なんだったかなんかどうでもいいじゃないか。気にしなきゃいけないのか。戦う必要はない。怒る必要はない。挑発に乗るな。あのキチガイババアでも挑発に乗ってはいけないのだ。怒る必要はないのだ。戦う必要はないのだ。 戦う必要はないのだ。怒る必要はないのだ。hでもkでも。とにかく離れることだ。自分ではどうしようもない。もう限界だ。脳がダメージ受けようと関係ないのだ。必ず立ち直れる。現に立ち直ってきた。 脳がダメージを受けている。でもいいだろう。大したことではない。本が読めなくても良い。本代が要らない。b校に行ったことも危険だったし、カウンセリングを受けたことも危険だった。もう止めたい。 戦う必要はない。怒る必要はない。そう思うといろんなことが見えてくる。キチガイと出会うこともなかった。キチガイのことは吹っ切れた。キチガイに自ら近づいていった馬鹿さ加減が悲しい。でももう吹っ切れた。 キチガイは吹っ切れた。少し明るくなってきた。これだけ多くの犠牲を払わないといけなかったのかと思う。あんなちんけなキチガイのために。また人を愛せるようになると思う。脳のダメージが恐ろしいのは人が愛せなくなっているのを隠せなくなることだ。無気力になって本当に人を愛せなくなることだ。でも再び人を愛せるときが来た。あのレイプされた女性カメラマンのように人間性を取り戻せるときが来た。薬が効いてきた。私は一人ではない。漸く自分が保護されて孤独ではないとか感じられるようになって来た。人間性が取り戻せるようになって来た。漸く立ち直れるようになって来た。何が起こったかはわからない。でもやっと立ち直れるときが来た。薬が大事だ。薬が私を守ってくれた。回復する日が近いと感じる。春の訪れとともに私にも春が来た。また人を信じられる。人を愛することができる。 何が起こったかはわからない。ptsdなのかそれをきっかけにした統合失調症の再発なのか。その両方なのか。でも大事なのは薬が効いてきてまた人間らしく生きられるようになったということだ。凍えきっていた心が解け始めたと言うことだ。素晴らしい春の訪れだ。これはもう元には戻らない素晴らしい春の訪れ。また人間らしく生きられる。楽しく素晴らしい人生に戻れる。これから半年から一年かけてゆっくりリハビリしていこう。それくらいひどいダメージを負った。でもこれからは違う。少しずつでも回復していけそうだ。素晴らしい春の目覚めだ。この傷もいつかは癒えてより大きな喜びを手に入れられる日が来ると確信した。薬のお蔭だ。素晴らしい。寝るときにいびきをかくようになったけれども、大したことではない。素晴らしい目覚めがやってきた。内側から起こってきた。大いなる春の目覚めが。素晴らしいことだ。 春の訪れとともに漸く立ち直れるようだ。というか立ち直った。長かった。本当に苦しかった。本当に辛かった。きっと喜びが訪れる。真の回復が来た。ゆっくりリハビリしていこう。 一年かかってここまで悪くなったのだから、回復にも同じくらいかかるような気がする。仕方がない。ゆっくり気長にやっていこう。 これからの道のりは平坦ではないだろう。苦しいこともあるだろう。でもゆっくり着実に回復への道を歩いていこう。楽しみながらこの病気を治していこう。また人が信じられ、愛することができるように。戦う必要はない。怒る必要はない。喧嘩を売られようと挑発されようと戦う必要はない。 戦う必要はない。ちょっと調子が悪くなってきた。朝調子が良かったので反動だろう。でも少しずつ良くなるだろう。急に焦っても仕方がない。色んな情報がいっぺんにはいるようになったので疲れたのだろう。無理してはいけない。確実に良くなっている。以前よりもっと強い人間になるだろう。もっと成長した人間になるだろう。 ちょっとずつ良くして行こう。ミナミに行って東急ハンズでサーバーを買ってきた。いらいらしがちな自分が客観的に見えた。何も怒る必要はないし、戦う必要はないということ。周りが良く見えた。 一足飛びに良くはならないだろう。ここまで悪くなったのだから。似非カウンセラーや医者にまで何となく見離されたくらいだから。少しずつ改善していこう。脳のダメージはゆっくりやれということだろう。時間がかかっても良い。ゆっくりやれ。これ以上は悪くならないだろうと思う。薬がやっと会うものが見つかったからだ。該当する病名も大体わかった。 とても疲れた。ここまで悪くなったのだからすぐに良くはならない。でももう悪くはならない。そういう気がする。いろいろなものが飛び込んでくるようになった。薬をしっかり飲んでさえいれば大丈夫だ。善良であること。感謝すること。ツイテル。嬉しい、楽しい。幸せ。ありがとう。感謝します。許します。サザエさん症候群なんか関係ないのに何か憂鬱になる。不思議だ。戦う必要はない。怒る必要はない。悪いことをする必要はない。自明なことだ。 今日は疲れた。でもだんだん良くなっている。戦う必要はないということはなんと言う感動だろうか。良く見えてくるようになった。戦わなくて良い、怒らなくていいというだけで物が良く見えてくるようになった。 怒ったり戦ったりするのは病気だ。全然理由がわからない。あのババアを見たらわかる。何の理由もなく怒る自分が好きというだけで怒っているババアがいる。それは私を真似しているのだ。怒る理由も戦う理由もない。
もう春だな。今朝は朝まで眠れずにラジオを聞いた。それから昼まで寝た。起きたとき、自分の現状を思って焦りを感じた。zからみるとまるでだめらしい。元気がないらしい。確かに元気は出ない。キチガイの後遺症と、odの後遺症。後半年しかない。それまでに回復して復帰できるだろうか。最初の頃みたいに楽しくなることはないだろう。でも落ち着いて復帰を待てるくらいになりたい。どうしたらいいんだろう。 どうしていいかわからない。何をしても楽しくない。何もできない。何をする気もしない。寝るといびきをかく。訳がわからん。 きっと治る。きっと立ち直れる。立ち直れなかったとしても生きていける。障害年金をもらえる。生活保護もある。それより働ける。 今日は疲れた。風邪はほぼ治った。今調子が悪いなら悪いなりに自分を大切にしないといけない。復帰できるかどうかまだ考えなくていいんじゃないか。 あの一夜で私は回復不能な深刻なダメージを受けた。職場でのストレスをはるかに越えるダメージを受けた。どうしてあんな奴と会ってしまったのか。わからない。あれ以来人が恐い。兄貴の家に行ったときも恐かった。うまく人と接することができない。対人恐怖症になってしまった。何で戦わないといけないのか。何で怒らないといけないのか。私の心は複雑骨折を起こしてしまった。あの時どうしてあんな状態になったのかわからない。何でキチガイに出会ったのかわからない。でも発病したのかもしれない。だから今やっている治療が正しいのかもしれない。これを続けていけば良くなるだろう。良くならなくても仕方がない。何とかなる。障害年金もある。 薬しか頼るものはない。薬は頼りになる。薬を飲み続ければあのキチガイの後遺症は必ず治る。治さないといけないのだ。今は眠れる。いびきをかきながらでも眠れる。薬を飲むことで眠れるようになったことが、薬が効くことの証明だ。長かったが、必ず良くなる。odによる脳のダメージも時間の経過とともに治る。どちらにせよ、薬だ。薬で治る。必ず治る。どんなに邪悪なキチガイのパワーでも必ず良くなる。必ず勝てる。必ず勝てる。必ず治る。今は眠れる。眠れれば勝ちだ。いびきなんてどうでも良い。いびきをかくくらい深く眠れるということだ。薬だ。薬は素晴らしい。薬で必ず治る。 薬は素晴らしい。薬は必ず効く。必ず治る。眠れるようになったのは大きい。必ず良くなる。 薬は素晴らしい。薬は必ず効く。全て治る。完全に治る。元気が出てくる。落ち込んでいた自分も必ず良くなる。 元気がなくなり、何もやる気がしない。これも薬で治るだろうか。目の動きが遅い。本が読めない。これも薬で治る。 薬は素晴らしい。今からでもいいから頑張ればきっと治る。キチガイなんかとなんで付き合うのだ。本当に自分を大事にしないからこういうことになる。今こそ自分を大事にしないといけない。薬が大事だ。仕切り直しだ。キチガイの影響は薬で治せる。人が恐いとかいうこともなくなる。また元気になるだろう。間違いない。 キチガイなんかどうでもいいんじゃないか。全くどうでも良い。薬に頼ろう。薬は素晴らしい。 6割支給でも生きてはいけるんじゃないかなと思う。8割で30万くらいあるから、6割だと21万くらい支給で生きるのには困らない。これで一応生きていける。不安になったりしない。 キチガイなんかどうでもいいじゃないか。自分が少しくらい変わってもいいじゃないか。何も世の中は変わらない。薬は素晴らしい。薬に頼ろう。明るい未来が待っている。
風邪で熱が出て眠れぬ。インフルエンザかも知れぬ。検査してもらっておけば良かった。何か熱のせいかあのキチガイのことが吹っ切れたような気がする。キチガイはいっぱいいるけど、全てのキチガイがどうでも良くなった。上からものを言うキチガイ。戦う必要はない。戦わない。腹を立てない。悪いことをしない。相手にしない。これで全てうまく行く。戦う必要がないということは完全に自分が自由だということだ。つまりいないも同然ということだ。戦う必要がないということは自分の意志で行動できるということだ。相手がどう思うとか考える必要は全くなく、自分の意志だけで行動していいということだ。戦う必要がないということは初めから自分が完全勝利ということだ。腹を立てる必要はないということだ。戦う必要はない。私は完全に自由で、勝利しているからだ。完全に自由に行動を選択できるからだ。そんなことを考えた。中学のとき統合失調症の前駆症状みたいになって、怒る必要もないのに怒るようになった。女にどうして怒らないといけないのか。教師にどうして怒らないといけないのか。馬鹿にどうして怒らないといけないのか。医者にどうして怒らないといけないのか。何で不利益な選択ばかりしないといけないのか。統合失調症を発病したからだ。今は薬を飲んでいるから違う。自分の意志の力で全てコントロールできる。誰にも似非カウンセラーにもとやかく言われる必要はないということに気付いた。全て自分で考えて決定してよい。だから怒る必要はないし、戦う必要はないということだ。自分の意志は完全に自由に決定でき、勝利しているのに何で戦わないといけないのか。馬鹿じゃないのか。戦わなくても常に既に勝っているのだ。怒ったり戦ったりするのは病気のせいでもあり、反射であり、癖でもある。あのモラハラ姉のせいでそういう癖がついたのだが、挑発に乗るな。挑発に乗って怒ったり、戦ったりする必要は全くないということだ。私は完全に自分を守れると感じた。完全に自由で完全に勝利しているから、戦う必要も怒る必要もないということだ。自分の意志を完全に穏やかに通すことができるから、怒る必要はないということだ。アサーティブということだ。そういう考えであのきちがいどもを見ると怖くもないし、トラウマなんかもうないし、ptsdなんかもうないと気付いた。許すとか言うより、もう憐れとしかいえない。どこまで馬鹿なんだと。どうして私があんなのの相手をして傷つかないといけないのか。やっとわかった。戦う必要はない。怒る必要はない。それは病気のせいだ。自分の意志は完全に自由で妨げられることはない。さあ、仕切りなおしだ。もう糸の切れたたこのようじゃなくて、堂々と自分の利益を図ることができるぞ。これに気付くのにこれだけの歳月がかかったということだ。病気もいっぱいしないといけなかったということだ。統合失調症だからだ。仕方がない。でも今はクリアーに何でも見え、恐いものなどない。あんなキチガイなんか全く恐くない。戦う必要はないし、怒る必要はない。常に既に私は自由で、自分の意志で行動を決定できるからだ。完全に勝利しているものが戦う必要はない。やっとわかった。あんなキチガイ全く恐くない。もう職場に戻れるし、楽しく明日からやっていける。キチガイのptsdなんかもうない。 キチガイから漸く脱したと思う。キチガイのptsdの影響から。なんて長かったのだろう。かわいそうな奴らだ。キチガイは何で戦わないといけないのかなんで怒らないといけないのか。今日はスッキリした気分だ。憐れなやつらだ。常に既に完全勝利しているのだ。私の意志は完全に自由で何者にも妨げられないのだ。キチガイは私に何もできないのだ。私は勝利しているのだ。あんな憐れな奴らと戦う必要はないのだ。 新しい日々が始まるのだ。心穏やかで自分を取り戻す喜びに満ちた日々が。 キチガイはもう恐くない。キチガイに脅されて付き合わないといけないだろうか。馬鹿な話だ。良い人間であることに疲れた。相手がいい人間ならともかくキチガイなのに何で良い人間でないといけないのだろうか。どうすればいいかわかった。完全拒否でいいのだ。私みたいなお人よしはいない。何でキチガイと我慢して仲良くしないといけないのか。キチガイのptsdに苦しまないといけないのか。サディスティックな気持ち。これが正解だ。相手がサディスティックなキチガイなのに、何でこっちが良い人でないといけないのかということだ。こちらの精神状態を正常に保つためにはこちらもサディスティックである以外ないじゃないか。いじめるというならいじめ返すとかしてやればいいじゃないか。なんで仲良くしないといけないのか。何で戦わないといけないのか。何で怒らないといけないのか。常に既に完全勝利しているのだ。自分の意志は自分で完全に決められるのだ。仲良くしないといけないということはないのだ。というか女が嫌いで何が悪いんだ。ババアが嫌いでも一向に構わないじゃないか。それを何で治さないといけないんだ。私がババアが嫌いなのは偶然だ。統合失調症のせいだ。だからそれが正しいとは思っていない。だから人に押し付けたりしない。何で仲良くしないといけないのか。何で戦わないといけないのか。何で怒らないといけないのか。何で戦わないといけないのか。何で怒らないといけないのか。反射になっているのだ。癖になっているのだ。間違った条件付けができているのだ。どんなキチガイが来てももう大丈夫だ。キチガイなんか絶対に相手にしない。あの坊主もあのキチガイもキチガイだ。相手にしてはいけなかったのだ。エンカウンターなんか行くべきじゃなかったのだ。b校なんか行くべきじゃなかったのだ。でももうわかった。戦う必要はないのだ。怒る必要はないのだ。一年かかってまだこんなことを言っている。どうしてこんなに傷が深くなってしまったのかわからない。あの似非カウンセラーに会ったのがそもそもおかしいのかもしれない。わらをもすがる思いだったのがひどいものだったのか。でももう大丈夫だ。あの似非カウンセラーは最近私をねちねちいびる。何でそんなことされないといけないのか。調子が悪いといじめられないといけないのか。自分を守らないといけない。何であんなキチガイと付き合ってしまったのか。自由な日々を送るに当たって良い仲間だと思ったのか。そんなわけないだろう。見るからにおかしいじゃないか。ヤクザみたいで全く善良な部分がないじゃないか。完全に異常で自暴自棄になって人を傷つける。全くわからない。何であんなキチガイが世間を歩いているのかわからない。自分を傷つけてはいけない。何で戦わないといけないのか。戦う必要はない。何で怒らないといけないのか。怒る必要はない。 何で戦わないといけないのか。何で怒らないといけないのか。そう思わせるのは病気だ。病気は薬で治せる。そうすれば女や上司に腹が立ったり、戦ったりしたくなくなるだろう。その必要はないのだ。自分の意志は自分が決められるのだ。誰かに決めてもらうことはないのだ。誰かと仲良くしないといけないことはないのだ。これからは明るい日々が続くだろう。 今日は病み上がりで調子が悪い。元気が出ない。月ヶ瀬とか行きたいと思うが体力がない。山にも行きたいが体力がない。無理して言っても楽しくない。ないないづくしだ。あの職場に戻れるだろうか。まず病気を治すことだ。薬を飲むことだ。 しんどい。風邪がぶり返してきた。心の病気の上に体の病気となると心細くて仕方がない。今日は薬を飲めば良かったが、酒を飲みたいばかりに飲まなかった。意地汚い。寝ていると悪い方悪い方に考えてしまう。何であのキチガイに会ってしまったのか。そこに戻る。結局いつかはそういう危険な目に遭うのだ。精神病系のサークルを渡り歩いていると、ああいうものに出会うのだ。でももう吹っ切れた。憐れに思う。レイプされたようなものだ。ptsdはもう良くなった。俺の一年を返せ。凶暴なキチガイ。 何で戦わないといけないのか。何で怒らなくてはいけないのか。その必要はない。 しんどい。目が回る。頭がおかしくなる。
今日はすごく良い天気だ。昨日は夜眠れずに酒を飲んだ。良くないが、どうしようもない。今朝は少し眠れたようだ。今日こそは薬を飲もう。脳がおかしくなっている。夢うつつ状態で鼻が鳴る。無呼吸症候群みたいな、いびきみたいな。人と一緒に温泉なんか行けない。自分のいびきで目が覚める。おかしくなっている。朝寝ていると不安になる。このまま復帰できないんじゃないかと。孤独だと。どうしてこうなったのか。病気のせいだ。今は統合失調症の治療をしよう。今までできなかった分しっかり治療しよう。 戦うのをやめよう。喧嘩するのをやめよう。悪いことをするのをやめよう。これだけで良い方向にいく。中学時代から徐々に発症してきた統合失調症の影響から脱することができる。判断ができないのだ。反射と習慣と癖みたいなもので悪いことをしてしまう。悪いことをする必然性が全くないのだ。今私の顔にはそういうものが現れているらしい。犯罪者みたいな扱いを受ける。考えたら、まともに働いたことはない。一所懸命に何かをしたことがない。戦うことをやめる。喧嘩をやめる。悪いことを止める。それだけでまともになるだろう。統合失調症が治るだろう。 しんどい。何かホッとできることはないか。戦うことをやめて喜ばせる、楽しませる。それが大事だ。戦って得をするといったら、戦争か犯罪だ。今はそんな時代じゃない。平和で豊かな時代だ。戦うことをやめよう。喧嘩をやめよう。悪いことを止めよう。薬を飲もう。 戦うのを止めて病気を治そう。何か絶望する。もっと苦しい人もいるだろう。頑張ろう。 まだあのキチガイの衝撃から立ち直っていない。何でかわからない。たった一晩のことなのに。どうしてこうひどいダメージを受けたのかわからない。人を信じられなくなり、何をやっても楽しくない。何をする気力もない。脳にダメージを負ってからは特にひどい。何もできそうな気がしない。後半年で回復できるだろうか。どうしたらいいのかわからない。zなんかに話しても全く理解されない。何であんな奴と会ってしまったのかわからない。世界中にあんなひどい奴はいない。人の気持ちを踏みにじる悪魔みたいな奴。とにかく元気を出さないといけない。このままでは復帰できないのは確かだ。復帰しても苦しいだけだ。自分がいかにひどい状態か自分でもわかっていない。それくらいひどい。戦わない。喧嘩しない。怒らない。悪いことをしない。これが原則だろう。知らない人間と酒を飲まない。キチガイの言うことを聞かない。もう遅い。今は薬を信じて飲むだけだ。薬も飲まないのであれば何をかいわんやだ。薬を飲めばけろっと治るんじゃないか。少なくとも少し安定してきた。春のせいか気分も少し良くなってきた。必ず薬を飲もう。 あのキチガイのことは許そう。あいつは人間じゃないのだ。心神喪失なのだ。何かを言うべきではない。これからは未来志向で行こう。これからどれくらい良くなるかだ。そのことに注意を向けていこう。
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