希望の日記

2005年07月31日(日) 休み

 昨日は京都で外国人女性と飲み会だった。面白いサークルをやっている人がいて参加した。n氏という面白い人だった。私より年上で独身だ。私の相手をしてくれる人はもうこういう人しかいない。話は面白かった。思ったよりしゃべれた。ポーランドから来た女性で世界中を旅している女性だ。夫婦で旅をしている。昔から今でも世界中を旅する人はいるようだ。バックパッカーと言う奴か。でもしっかりしている。私より真面目で勤勉だ。人間は真面目でなければならない。私は昨日でも自分は性格良くないと思った。つい意地悪をしてしまう。姉のせいだと思う。純で優しい部分とそうでない部分が同居している。
 昨日はm病院に行ってみた。事前のヒアリングではねられてしまった。冷やかしと見られたか。あんまり困ってなさそうに見えたのか。カウンセラーが私の話を聴いていらいらし出したのだが人を怒らせるオーラが出ているのだろうか。その後行った量販店でも非常に不愉快な態度をされた。一体何をしたというのか。昨日の飲み会でも変だったけど金を払っているから我慢してくれたのか。徐々に改善していこう。一人で過ごすことが多かったからな。仕方がない。
 薬の副作用なのか、頭がボーっとしてやる気がしない。怒りの気持ちは消えたのだが完全に消えたわけではなくてどこかにくすぶっている。それが人を刺激するのではないか。でも薬を止める気はない。良い薬だしこれなしには眠れないし平静でいられない。あの薬は酔って気分が良くなったような気分と似ている。それが人を不愉快にするのか。酔っ払いなら頭の働きは鈍るが、そうでないので頭はさえている。それが不愉快に違いない。でも私のせいではない。薬を止める気はない。真面目に生きていくだけだ。機嫌が良くて何が悪いのか。真面目であれば問題ない。薬が問題ではなく私に真心や誠意や道徳、いわゆる真面目さが欠けていることだ。真面目でなかったら人間は終わりだ。マスコミを賑わせているあのインチキ親父も真面目でないから怒られている。何をしても良いが不真面目ではいけない。まして人の命を奪ってはいけない。
 毎日楽しいことを真面目にやって生きていこう。私の人生は小さい頃変な子と付き合ったことに尽きる。そこから全てがおかしくなった。舵がきかなくなった。元に戻らない。でも親父も酒のみで妙なところがあった。私と同じだ。私は程度がひどいということだ。良いとか悪いとかもう言ってもしようがない。今まで生きてこられてラッキーだった。これからも生きていこう。真面目に一所懸命生きる。小説を書くのも同じことだ。真面目に書かなかったら面白いことは書けない。
 掲示板は引退することにした。非常に不愉快な経験をいっぱいしたし、薄気味悪い危険な人でいっぱいだ。egはその場所、時間限定で良いのであって、その後に会うべきではそもそもない。半年余り楽しいこともあった。コミュニティー気分を味わった。でも私を眼の敵にする奴がいてはいられない。これだから女は嫌だ。
 女とどうやって良いかわからない。無理して接近する必要はない。攻撃するなら反撃するのみだ。女同士は結構和気藹々とやっている。あれは真似できない。
 優しさや穏やかさは大事だと思うが、嫌いな人間が多いらしい。優しい人間を偽善者として攻撃するらしい。あの小説でも書いたが優しい人間はなぜか攻撃される。姉に攻撃されたのも私が優しいからだ。あのバカキチガイババアとどうやったらうまくいくか考えてきたが何でそんなことを考えなきゃいかんのかうまくやる方法などあるわけがないだろう。盗人や強盗、強姦魔と仲良くする方法があるのか。強姦魔に襲われて無傷ですむ女はいない。抵抗しなけりゃいけない。攻撃してくる人間と仲良くする方法はない。反撃する以外ない。報復するしかない。仲良くしようとか思わずに親の敵かなんかだと思えば良いんじゃないのか。ババアを除いてこちらが嫌と言えば無理には寄って来ない。無理にしつこく寄ってくるのがババアの性質の悪いところだ。女を受け入れるのは大変勇気がいる。中学のとき女が色気づいてきたとき、受け入れられなかった。それからずっと変わっていない。女とどう仲良くするかではなくてどう身を守るかを考えたほうが良い。文学仲間とはうまく行く。あれは女ではないからだ。じっとしていて身を守れると考えるのは甘すぎる。
 安らげる身内も友達もいず、心許せる人もいず、いつも何かに怯えて生きている。人に不信を持たれ、いつまでも打ち解けることはない。どんな性格だろう。sstとしていろんなイベントに参加して見よう。あの薬は薬のホームラン王だ。警戒心が薄らぐ。そのために思わぬ危害を加えられることもあるが、この快感には変えられない。注意すればすむことだ。全ての人が薄気味悪く見える。身なりや顔つきが劣った人には特にそうだ。堺の人間はほとんどそうだということだ。
 真面目が一番だ。バカキチガイババアから身を守るのは真面目さをおいて他にない。真面目な人間を傷つけたり攻撃したりすることはできない。
 やたらと店員と関係が悪い。なぜかわからない。気にしないようにしよう。真面目が一番だ。真面目であればいつか回復する希望が持てる。不真面目であればいつまで経っても回復する見込みはない。真面目であればどんなに疲れていても道徳的に振舞うことができる。私の中にはいろいろ問題のあるパーソナリティーがいくつも存在する。私が不良化したのはそれらに引きずられたからだ。攻撃されたり危険な思い、不愉快な思いをしたらためらわずに拒否または抗議または反撃することだ。あんなキチガイ相手にする必要もないし仲良くする必要もないし、解決する問題ですらない。全く拒否して良い。危険な相手を受け入れない。断固戦う。これが大事じゃなかろうか。
 私は病気の治療もしている。egもやった。心理療法もやってきた。これからはもっと楽しみ、もっと働こう。もっとよりよく生きよう。もう自由に楽しくやって良い。私は何も悪くない。改善すべき点はあるが責められたり、治療すべき点はない。真面目に生きてもっと自分の良さを出していくのだ。もっと楽しんで良いのだ。もっと働いて良いのだ。萎縮する必要もないし、卑下したり、自分を責めることなど何一つない。
 いつの頃からか真面目じゃなくなっていた。何をやってもうまく行かないからだろう。不幸が重なりすぎてやる気をなくしてしまったのだろう。でも私自身は全然悪いところはない。何も責められるいわれはない。真面目であれば自由にやって良いのだ。悪い奴が攻撃してきたら反撃する。変な奴と仲良くならない。私は何も悪くない。
 カメラと携帯の設定をやったら疲れた。カメラはともかく携帯を使いこなすのは非常に困難だ。説明書は嫌がらせのように分厚い。でも真面目にやれば何とかなる。時代についていこう。その気持ちが切れかかっている。真面目にやろう。何でも真面目にやれば何でもできないことはない。人並みはずれた能力を持っているのだ。能力のない人たちの中にいるのにやっていけないわけはない。私は何も悪いことはしていない。人をいじめるやつが何が良いのだ。徹底的に戦う。



2005年07月30日(土) 休み

 今日は休みだ。変な飲み会が京都である。あまり期待しない。私の人生は何だったのかと思う。何で電流流されなきゃいけないんだ。頭に来た。何で掲示板で眼の敵にされなきゃいけないんだ。何で職場でいじめられなきゃいけないんだ。私は優しく穏やかでありたい。誰も理解できない。女とはうまくいかない。はっきりしている。何の理由もなくいじめる。私も嫌いだけど。喧嘩上等だ。優しくありたい。穏やかでありたい。しかしそうさせないのはお前らだ。
 真面目でありたい。真面目に生きたい。真面目であれば何も手出しできない。真面目でありたいがクソ真面目ではいけない。また壊れてしまう。
 病院に行ったが門前払いを食わされた。ドクターショッピングと思われたのか。気に入らないおっさんが予診をしたので不愉快になった。というより私が人を不快にさせるものを出しているのだ。薬もカウンセリングも受けているのだからよしとしよう。
 薬のおかげでリラックスできるが反面、人を怒らせるのではないか。仕様がないか。気分が良いのだから気分が良いで良いじゃないか。もし怒らせるなら喧嘩上等。
 やっぱり真面目が一番だ。真面目であればいつでもやり直しがきく。何でもできる。なぜうまくいかないのか。不真面目だからだ。真面目になれば面白いほどうまくいく。ホリエモンも藤田晋もクソ真面目で全く面白みがない。あんな人生が良いか。でも少しは見習ったほうが良い。
 女なんか本当にいい加減にした方が良い。あれは本当にバカだ。バカは相手にしないほうが良い。



2005年07月29日(金)

 薬は本当によく効く。この薬をもっと早く飲むべきだった。でも最初はわからない。y氏のお手柄かも。副作用は眠くなること。不機嫌に見えること。無気力に見えること。でも飲まないよりはるかに良い。脳が楽になる。小さい頃から優しさを失っていた。優しさと穏やかさを持つ権利がある。侵害されたら攻撃しても良い。薬は良いと思う。ところが危害を加える奴がいる。今日電気の時、わざと強い電流を流された。病院でも危害を加えられた。殺されそうになった。治る病気が悪化させられた。これが世の中だと思わされた。復讐しても良いんじゃないか。優しく穏やかでいいのに。その権利があるのに。なぜ危害を加えられないといけないのか。喧嘩上等だ。喧嘩上等。危害を加えるなら反撃してやる。許せない。絶対に許せない。人を殺そうとし。人に電流を流すってどういうことだ。最初からおかしいと思っていた。絶対女とは合わない。200年ほど冷却期間を置こう。俺は女は絶対嫌だ。仲良くなんて絶対にできない。こんな悪いことをする奴らと何で仲良くできるんだ。絶対一生嫌だ。終わり。私は真面目に生きる。同時に女とは絶対に縁を切る。女が嫌いで何が悪いんだ。いい加減にしろ。もしそれが理由で攻撃するなら必ず即座に報復する。
 私は真面目に生きる。同時に女とは絶対に関わり合いにならない。



2005年07月28日(木) 整形

 今日は眠かった。ババアがいるだけで死にそうだ。気が狂いそうになる。脳にどんどん傷がつく。帰る頃には死にそうになっている。優しく穏やかでなければならない。でもそれを壊そうとする奴は攻撃して良い。喧嘩上等だ。私はまるで守られてはいない。自分で自分を守ろう。人は優しく穏やかでなければならない。私は中学時代からそうでなくなっている。優しく穏やかでないとすべてにおいて進歩が止まる。egが時に大きな気付きのきっかけになるのは優しさと穏やかさを取り戻すからじゃないかな。誰にでも勧めないけどね。
 若い頃から日記をつけてきたがいつも不機嫌で怒り狂っていた。あのキチガイ教師、あのバカ野郎との出会いが私を悪くした。優しく穏やかである権利がある。邪魔するやつは攻撃する権利がある。私は守られていない。自分で自分を守らなければならない。真面目でなければならない。道徳的でなければ。もともとそうだったので簡単だ。



2005年07月27日(水) 楽しい

 今日は整形外科に行ってみた。なんか良さそうだ。もしかしたら良くなるかもしれない。悪いところがすぐわかった。凄腕かもしれない。
 今日休んでいたら課長に何か言われた。頭の調子がおかしいから休まないとやっていられないのにあいつは理解していない。なんだったら診断書を出しても良い。あのキチガイババアを殺してくれれば良いだけの話だ。文校は良いかもしれない。意地悪になる。意地悪は究極の護身術だ。弱者の護身術。柔術と同じだ。女は皆意地悪だ。小さい頃から鍛えられているのだ。私も今からでも遅くないので意地悪になろう。優しく穏やかなのが私の本性だ。そして働き者で正直で誠実で親切だ。優しく穏やかな私を怒らせるだけで悪なのだ。許せない。私は優しく穏やかで真面目だ。それは今でも変わらない。それを乱すものがいたら攻撃して良い。女は大嫌いだ。悪いか。何の罪になるんだ。女なんか皆死ね。女嫌いなのにババア嫌いなのは当たり前じゃないか。文句あるなら喧嘩上等だ。いつでも戦ってやる。女に負けないためには女と同じくらい意地悪になることだ。女が嫌いで何が悪い。嫌いなものは嫌いなのだ。絶対一緒に仕事したくない。
 仕事ができるためには、仲間とうまくやるには優しく穏やかであることだ。まじめであることだ。優しく穏やかだったことは中学以来一度もない。あのキチガイ教師のせいでおかしくなった。でも今からでも遅くない。30年かかったのだ。優しく穏やかで真面目であることが大事だと言うことが。女が大嫌いだということが。
 死が恐くないと思うようになった。死もプログラムされている以上自然で恐れるに値しないものだ。むしろ待ち望んだものだ。母が私を諦めたのは死の準備ができたことでめでたいことだ。私も安心して母を送ることができる。過去の罪はいくら悔やんでもしようがない。死は自然であり恐くない。死もまた祝福されている。痛くも苦しくもない。自然な快いものだ。神は存在する。



2005年07月26日(火) 台風

 台風が来ているらしい。楽しい。掲示板はまじで引退しようかと考えている。私にレスする奴なんて一人もいないし、気持ち悪い統合失調症か人格障害ばっかりだし。傷つけられるのはもう真っ平だ。なぜもっと自分を大事にしない。
 今日、hの奴が嫌がらせしてきた。女みたいな奴だ。私はなにもしていないのになぜこんなことをされなきゃいけないのか。本当にきれた。私は優しく穏やかに生活する権利がある。それを侵害する奴は許さない。あいつは最初からあんな態度だった。しつけの悪い犬みたいに失礼な奴。何様だと思っているのか。女が死ぬほど嫌いだ。第二にだからと言って不利益を受けたり、攻撃されるいわれはない。
 優しく穏やかな気持ちじゃいけないのか。いけないんだったら喧嘩上等だ。優しく穏やかに生きていこう。真面目で正直で働き者で何が悪いんだ。私は女なので女が嫌いだ。でも同性のよしみということで仲良くしても良いのだ。ただ何の面白みもないけどね。
 女が嫌いで何が悪いのだ。何で不利益を受けなければならないのか。今後この理由で俺を攻撃してきたらきれてやる。



2005年07月25日(月) 思うこと

 生きていくのは楽じゃない。優しく親切で穏やかでいたい。人も自分も大切にしたい。誠実で純粋でありたい。これらの夢は創作の中であれば簡単に実現できそうだ。現実の中でやるとなかなかしんどそうだ。
 m君とは余り会いたくない。出会いの場を提供してくれそうだが、彼自身とは合わない。余りに女性的なので反発するのか。彼は優しすぎる。私のようながさつな男とは合わない。egで会った人と下界で合わないほうが良い。あれは非現実の世界だ。
 私は反社会的なところがある。その上に人と接していないので常識が身についていない。sstが必要と考える所以だ。もう少し楽になるんじゃないかなと思う。
反社会、反権力的なところがある。それで権力者と対立しやすい。女性的なので女を愛することができない。どちらかと言えば嫌いだ。しかし体は好きなので厄介だ。風俗のお世話になることになる。女と関係が取れないからだ。目の前にした途端ものすごい嫌悪感が起こる。自分でもどうしようもない。母親との葛藤が決定的だった。無意味で有害なことに人生の大半の時間を使ってしまった。これからは一秒でも無駄にしたくない。反社会的だ。冷酷だ。非情だ。父親を殺してしまった。非情だ。だから心を取り戻そう。創作を通じてでもいい。私は女でも男でもない。でもその利点を生かすこともできる。誰もが男にならなきゃいけないわけではない。反社会的な人間はいる。でもそうもなりきれない。一般人のレベルからいくと遵法精神が乏しい。関西人は大体そうだ。
 希望の持てることを考えよう。今からでも自由に変えられるんだ。非情だと思うのであれば人情を取り戻そう。人と自分を愛そう。礼儀正しくしよう。真心を思い出す暇がないんだったら礼儀正しくすることで自分を守ろう。反社会的で人間性が乏しい。犯罪者の特徴と一致する。私を救うものはなんだろう。宗教か。文学か。女に求めたことがあったが無駄だった。愛を受け入れよう。人から愛されることを拒んでいるとおかしなことになる。でもババアの愛は拒否しても良い。でも礼儀ただしくね。
 優しく穏やかに親切に生きたい。でも無礼な奴には喧嘩上等だ。私は女でもあり男でもある。愛を受け入れよう。男でも女でも良い。人気者になろう。優しく穏やかで親切で真面目で、働き者になろう。でもいじめられたら立ちあがろう。何でいじめられなきゃいけないのか。嫌いだったらいけないのか。
 レンタカーを借りた。楽しい。疲れるけどね。私は悪い点は不真面目なとこだ。反社会的だ。反権力だったら、まだ見こみがあるが反社会的だったら単なる犯罪者か人格障害だ。人前で言うと引かれるけど統合失調症質人格障害だと思っている。リスパがものすごく効くもの。リスパ飲んでると楽しくて反社会的気持ちが少なくなる。人間は薄気味悪いものだ。私なんか最たるものじゃないか。優しく穏やかで親切で真面目で働き者。それで十分じゃないのか。権力欲とか、物欲が必要だろうか。残酷さとか、喧嘩っ早さとか。何の自慢になるんだ。迷惑を受けたなら誰かに訴えればいい。直接言ってももちろんいい。
 真面目さが欠けていることが問題だ。一番の問題だ。遵法意識が乏しい。自分を大事にしよう。同時に他人を大事にしよう。真面目であれば文句つけようがないだろう。仕事も熱心でないということは不真面目と受け取られやすい。実際はそうじゃない。反社会的とさえ見なされる。理由なく解雇されたりする。女は本当に困る。どうしていいかわからない。あのキチガイの処理に4年かかった。多くの犠牲を払った。金も労力も使った。こんな思いをしなけりゃならないのか。女が嫌いで何が悪い。悪いことをするから嫌いなんじゃないのか。でも優しく穏やかに生きたい。親切で真面目で働き者で人気者。何が悪いのか。
 九重関係者とは会わないほうが良い。あの人格障害者の何とか姫とかいう奴。自分で姫なんていうところがすでにおかしい。下界に下りて接触するのはやめたほうが良い。あれは夢の世界で皆良い人に見えるが実際は普通の人間だ。夢が壊れるから会わないほうが良い。m君も私に一言ずつ反論したり、駄目だししたり気分が悪い。合わないのだ。
 今キチガイが収まって一応問題解決したと見るがなんでこんな目に遭わなけりゃならなかったのかどうしてもわからない。通り魔にあったような気分だ。何の補償もされないのか。今また別のキチガイが何か言ってくる。いい加減にして欲しい。絶対私は悪くない。
 優しく穏やかで親切で正直で純粋で働き者で誠実で真面目。それで十分じゃないのか。それであんなキチガイとかかわりなく生きていけるのじゃないかと思う。真面目なのが一番でそれが護身術になる。真面目真面目真面目。真面目な人間を攻撃することはできないし、攻撃したとしたら断固たる反撃を受けるだろう。真面目なのに恐れたり、恥じたりする必要はない。不真面目だったとしたら反撃できないが、真面目だったとしたら反撃しても良いのだ。
 掲示板は書きこむのを止めようと思う。あの人格障害がいるだけで嫌だ。他にもいっぱいいる。m君に会うのもできれば止めよう。嫌いなので態度に出る。そうすると向こうもおかしな態度を取ってくる。会わないのが一番だ。あの関係はあの時、あの場所だけのことでもうどこにもないのだ。何か確かなものが実在すると勘違いしてはならない。eg自体もう二度と出たくない。あれは失敗だった。そうでなくともやり過ぎだった。大変な障害が出た。危険なものをいつまでもやり続ける態度に不審を覚える。アメリカではもうやっていない。悪用する連中もいる。野放しにしてはならない。暢気に参加している場合じゃないのだ。あの結果を受けて私が最大限頑張ったのでこれで障害が止まっているのだ。大変な迷惑を受けた。
 優しく穏やかでなかったら何事もうまくいかない。小説だって真面目で優しく穏やかでなかったら人の心は掴めない。今回の小説がうまくいったのは穏やかで優しい気持ちで書けたからだ。オニババの気持ちになってはいけない。優しく穏やかな気持ちが受け入れられたのではないかと思う。人間らしい気持ちを回復した物語だ。これは優しさの勝利だ。権力や金のために人間らしい気持ちを失ってはならない。優しく穏やかな私が受け入れられたことが自信になった。優しく穏やかな私で良いんだ。そう思った。
 私も人生の半ばを過ぎた。一瞬一瞬がかけがえなく貴重だ。一瞬も無駄にしてはならない。優しく穏やかで真面目でありたい。
 結局女とはうまくいかない。あの小説は私がいかに女とうまくいかないか、描いたものだ。私に誠意が欠けている訳ではない。邪悪であるわけでもない。でもどうしようもない。私の責任ではない。そのことをわかってもらいたい。
 私は女なので女が嫌いだ。自然なことだ。何ら責められるべき理由はない。何で女が嫌いか訊かれたらそう答えよう。女は私が嫌いなことを察すると近づいては来ないが、ババアは違う。こちらの意志を無視して近づいてくる。止めることができない。拒否るといじめにかかってくる。だから嫌いだ。なにも悪くない。私は。ババアが嫌いでもなにも悪くない。礼儀だけは保とう。これを守らないと攻撃してくる。礼儀は武器だ。当然の礼儀を守らないと当然攻撃の理由になる。優しく穏やかに暮らそう。余生を送ろう。穏やかな気持ちで真面目に生きていこう。誰にも邪魔できない。ネガティブポライトネスと言う武器がある。礼儀は人を遠ざけるものでもある。母親がやっと正気に返ってくれたようだ。私を求めるのは正常なことではないと。この間白浜に招いてやったことが良かった。子別れの儀式になった。けじめが必要なのだ。女が嫌いだ。遠ざける。sマルに親しむ。回路が開かれる。暴力的な手段を受け入れると言う回路が。実際には受け入れてなんかいないのに。ババアが調子に乗ってその回路から侵入してくる。現実と夢の区別がついていない。キチガイだ。私が全て譲歩し、受け入れたと勘違いする。礼儀が必要だ。適切な距離を保とう。
 優しく穏やかな時間を過ごす権利がある。侮辱されたり、権利を侵害されたりすることを拒否する権利がある。今私は静かに断固としてそれを主張している。大変よいことだ。SMババアがなにかを嗅ぎ付けて私を追い詰める。しかし私は反撃を開始する。絶対に許さない。私は女が嫌いだ。それをとがめられない権利がある。私がどんな嗜好を持っていようと利用されたり攻撃されたり権利侵害されたりしない権利がある。権利主張していこう。
 優しく穏やかに生きていく権利がある。女を嫌いで良い権利がある。それを理由にいじめられない権利がある。なぜ女が嫌いか訊かれない権利がある。無理やり女を好きにならなくて良い権利がある。smババアの攻撃を排除する権利がある。攻撃を我慢しなくて良い権利がある。無礼には直ちに反撃する権利がある。礼儀正しく遠ざかる権利がある。嫌いでも良い。ネガティブポライトネスの原理で自分を守っていこう。中学のとき、女をバカにしたらずっと攻撃された。攻撃されたら反撃してやる。喧嘩上等。静かに穏やかに暮らす権利を侵害されたら反撃して良いのだ。
 優しく穏やかに生きていく権利がある。女と仲良くする必要はないが、崇拝させる方法もある。小説家になって人気を博する。それで商売もできる。私は女と同性であることを前面に出したら良いと思う。あのババア以外は仲良くしたら良いんじゃないかな。ファンにさせて政治家みたいに利用するのだ。利用しないのは惜しい。



2005年07月24日(日) 再会

 m君と再会した。彼は変わっていた。髪が伸びて昔のフォークシンガーみたいになっていた。昨日私はリスパを抜いたのと一日バカみたいな勤務で苦しんだためマイナスのストロークをいっぱい浴びすぎておかしくなりかけていた。でもあの元気なm君の姿を見て自分のうじうじした気持ちが吹き飛んだ。彼らは昔のヒッピーみたいに自由を謳歌している。愛し合うことはよいことだというメッセージだ。私もそういう仲間になりたいのだが体がついて行かない感じだ。こわばって体も心も凍り付いている。すぐ人を悪く勘繰る。そのせいで悪循環が心に生じる。ますます心がこわばり閉ざされる。相当重症だ。まだまだリハビリが必要だ。SSTが必要だ。
 善良なものを憎んではならない。悪い癖だ。優しく穏やかであることは必要だ。それが私の本性なのになぜ隠す必要があるのか。愛し合うことは良いことだ。女のように生きよう。男なので自然にはできないかもしれないが、できるだけやっていこう。みーとももっと話せば良かった。人と仲良くできない私。女は誰とでも仲良くできるのではないか。女は愛に生きる。そういう行き方に学ぶべきだ。m君も芸術的に生きている。言いかえれば女のように生きている。芸術家になっても良いじゃないか。趣味でも良いからやってみたら戦争が嫌いになる。人を傷つけたりしなくなる。彼は誰とでも話せる。自分のネットワークをもって自由に生きている。私には絶対に無理だ。どうしてこんなに人間が嫌いなのか。人気者になりたい。そうやって生きていこう。もっと楽しく生きて行きたい。人と仲良くしたい。
優しく穏やかでありたい。そうでなければならない。そうあっても良い。オニババ化した奴らなんか恐がる必要はない。m君は羨ましい。普通に人と話せることがこんなに羨ましいことなのか。女みたいなところがあるが、女に対して女として接しているんじゃないのか。それがうまく行く秘訣か。人を羨ましがってもしようがない。自分の生き方で行こう。
 優しく穏やかに生きていこう。女性的に生きていこう。無理して女のようになる必要はない。そんな私を男にしようと鍛える奴がいる。ほっといてくれ。女としていきたい。楽だし、楽しいし生産的だからだ。
 人気者になろう。人気者を目指そう。誰でも人気者になりたいと思っている。みーはそういう気持ちを持っている。それは素晴らしいことだと思う。素直に行きたい。優しく生きたい。親切にしたい。人を騙して生きていこう。良い意味で。小泉だって人を騙して生きているじゃないか。
 楽に生きていこう。優しく穏やかに生きていこう。m君だってカウンセリングを受けているというので苦しんでいる。苦しみから抜け出したいと思っている。女に興味がないのは女だからだ。男に興味があるかというとそうでもない。近づかない方が良い。
 自分を鍛えようとか思わないほうが良い。楽に生きることと自分を守ることと人気者になることと人の愛情を受け入れることと、素直になることと、愛し合うことと、優しく穏やかであること。保護される必要がある。自分で身を守れないなら保護を要求する。妬みから、盗みの気持ちから、欲望から、人を攻撃する奴はいる。そういうものから身を守らなければならない。正当防衛もありだし、保護を要求しても良い。無抵抗である必要はない。
 m君は優しい。優しさを追求しても良いのだ。優しさと穏やかさと愛を求める権利がある。会社でも人を拒絶してしまう。気持ち悪い。気持ち悪いと拒絶してしまう。人気者になるのも辛い。人の優しさと愛を信じて生きて行こう。m君もあの元気さはどうだ。でも反発する部分もある。きっと妬ましいのだ。あんな風に自由に生きていけることが。人と交流できることが。m君は私とは会わない。会話が噛み合わない。私のウンチク話というか毒舌調の話題にいちいち反論してくる。話しにくくて仕様がない。純粋な人間なので悪口は嫌いなのだろう。でも育った家がそうなので仕方ないのだ。純で傷つきやすいので私みたいにすれた人間には合わない。プレイバックも離れたのは私は少し汚れすぎていると思ったからだ。アサーションもそう思った。嘘をついたり悪いことをする気があるのならばアサーションは必要ない。誠実に正直にピュアに生きたいから苦労する。それは宗教と似ている。私は汚れすぎている。不真面目なのはだめだ。堕落もだめだ。でも文学ならばOKだ。y氏だって真面目だ。真面目じゃないといけない。仕事もちゃんとしないといけない。人気者になろう。それで仕事もうまく行く。小説も真面目に書いたのでうまくいった。精神の問題を強引に持ちこんだので小説ではなくなった。注意しなければならない。
 小さい頃変な子と付き合ったのでこんな私になった。でも遡って取り消すことはできない以上、今を一所懸命生きるしかない。過去は存在しない以上、考慮できない。今だけが大事なのだ。m君は真面目で純なので私としゃべっただけで傷つくのだ。egであれば私も配慮してしゃべるが、素の会話では合わない。会わないほうが良いだろう。m君を傷つけるのは嫌だし、私も不快な気持ちになるのは嫌だからだ。u君も真面目だ。h君だって書くためにやめたと言うから真面目だ。私は何に対しても真面目ではないが書くことについては真面目だ。真面目で穏やかで優しい。それが普通だ。もっと配慮しよう。そして人気者になろう。
 疲れたとき、ストレスを感じたとき、嫌気が差したとき、やる気が失せる。そして不真面目になる。誰でもあることではないか。でも道徳的でありたい。疲れていても道徳的であることはできるし、大体仕事はきついと決まっている。だから頑張るのだ。真面目であって欲しいと自分に対して思う。一瞬一瞬が貴重だとわかっていれば不真面目にはならない。命は貴重だ。
 人から好かれることを極端に嫌っていたが、愛なしには人は生きられない。愛されることを受け入れよう。うまく利用すれば良いのじゃないか。女が嫌いなので好かれると大変嫌だ。おばさんなんかいるだけで嫌だ。わかった。おばさん嫌いのメカニズムが。女は私が女嫌いだということを知っているので好きにはならない。騙すことになるからだ。おばさんはこちらが好きではないということにお構いなしに向かってくる。そこが嫌だ。強姦体質。嫌だと言っているのに来る。拒まれるといじめる。本当に困る。ネガティブポライトネスというものがある。失礼なことをすると親しみと受け取って逆に近づく場合があるので気をつけよう。近づきたくなかったら礼儀正しくすることだ。hとkのあの失礼な態度はなんだ。礼儀正しくしろ。おばさんにも礼儀正しくしたほうが良い。おばさんは自分の思い通りにならないと知るとオニババと化して襲いかかってくる。そうなったら戦うか誰かの庇護を求めるしかない。とにかく礼儀正しくして遠ざけることだ。すぐ仲良くなろうとする。真っ平ごめんだ。
 礼儀正しくして遠ざけること、道徳的であること、真面目であること。全てのトラブルはそれで避けられるのではないか。一切のトラブルを避けるために自閉したのだがそれもだめだ。杉良太郎はババアをうまく利用して商売しているじゃないか。ババアとの関係はptsdに近いものがあるので好きになれとか愛を受け入れろとかいわれても無理じゃないのか。何とかして安全な距離を保つことだけだ。
 楽しい。ビールを飲んだ。散髪をした。昨日のことを考える。大きな事件だったんだ。人間は男でも女でも好きなんじゃないのか。愛しているのは女とか男と言う記号であって本人ではない。だから髪を書き上げる仕草が好きになったりするのはその人が好きというより女という記号だ。



2005年07月22日(金) わがまま

 私はわがままだ。人にいろいろ要求する。明日m君と会うことになった。中津まで行かなきゃならない。できたら戻ってなんばくらいで飲みたい。でも少し面白そうだ。
 どう言う精神状態が望ましいかわかった。egで高められた精神状態は行き場を失うと統合失調症になる。あるいはh君のようになる。それではいけない。自己コントロールできなきゃいけない。m君は私のような奴は野蛮に見えるだろう。ある意味自分がコントロールできていなくて繊細さに欠ける。人を故意に傷つけるかもしれない。それではいけない。m君のように怒らず生きていくのが望ましい。でなければ人の道に従って生きてはいけない。リスパを飲まなくてもどんな精神状態が良いかわかった。穏やかで優しい私で十分だ。何が不満だろう。私は女のように生きていきたい。女だから当然のことだ。リスパを飲んで2か月くらいになるがだいぶ精神状態が平常に戻ってきた。怒る必要はない。穏やかに暮らしていける。職人として小説作りに熱中するのも良いかもしれない。文化人になれるだろう。戦争が嫌になるだろう。
 人気者になりたい。小学校までは人気者だった。人気者を目指そう。それで良いんじゃないのか。女の間で人気者で良いんじゃないのか。この間の小説が好評だったのがすごく自信になった。私の人柄が理解され、愛されたという気がしたので嬉しかったのだ。e女史のコメントが楽しみだ。あの小説は主人公がどこまでもお人よしで優しいことが人気の秘密だったのではないか。あのババア以外は私に反感など持ってはいない。十分人気者になれる。s君を見習え。女の人気を独占している。あんな生き方もあるのだ。女と仲良くしていた方が楽しいのじゃないか。楽だし自然だし、変なババアにからまれなくて良いし。
 穏やかで優しいためにはああいうババアから身を守らねばならない。そうして他の善良な人々と付き合いたい。前にいた女とでも付き合えばいいのだ。あいつの許可でも要るのか。いい加減にしろ。



2005年07月21日(木) 穏やか

 穏やかでいたいと願うなら穏やかでいられる。優しくいたいなら優しくいられる。穏やかな私に襲いかかってくるなら断固として戦う。戦いが終われば仏のように安らかな気持ちになる。統合失調症の奴はどこにでもいる。全員統合失調症だ。私が穏やかな気持ちでいるとさぼっているとかたるんでいるとか反抗的と見なして激怒して攻撃する奴がいる。何でそんなことをしていいと思っているのか。喧嘩上等だ。喧嘩上等だ。喧嘩上等だ。喧嘩上等だ。



2005年07月20日(水) キチガイ

 職場にキチガイが二人いる。キチガイはキチガイだ。なんでキチガイかとかどうしたら良いかなんて考えても仕方がない。掲示板にもいる。中学時代ににもいたし高校時代にもいた。大学時代にも就職してからもずっといた。今もいる。喧嘩上等だといっている。喧嘩を売ってくるなら買ってやると言っている。権力があるなら反権力もある。反権力も権力だ。
 優しくなりたいなら優しくなれば良い。方法などない。必要ない。穏やかになりたいなら穏やかになれば良い。優しくても穏やかでも何の差支えもない。ただしキチガイが襲いかかってきたら反撃しても良い。
 悪を受け入れたら厄介なことになる。それは今からでも改めることができる。今を変えるのは今しかないのだ。



2005年07月19日(火) キチガイ

 私がおかしくなったのはあのhとkのせいだ。そしてあのビデオのせいだ。あれで頭におかしな変化が起きた。人間らしく生きたいな。今日私の頭がだめだめになっているのに気付いた。若い女の子を見ていると少し穏やかになる。女性に優しくなった。良い人間でいたい。良い人間とは穏やかで人に優しい人間だ。hやkと正反対の人間だ。穏やかな気持ちになるとあのビデオのためにおかしくなった頭が少し良くなって気持ちが楽になった。
 おかしな狂暴な気持ちになってろくなことはない。あの二人は100%頭がおかしい。相手にしないことだ。あんな態度がこの世にあるわけがない。全く相手にする必要はないから。女の気持ちがわかると楽になる。アニムスとアニマのことを勉強した方が良い。女っぽいからといって女になろうとするのは良くないという。難しい。女を敵対視しないことは大事だろう。男らしいとは優しいことだ。狂暴であることではない。
今でも同じだが、上からものを言われるとすごく嫌だ。なぜかなと思ったが、自分が女のように優しくされたいのだと思った。女に共感したのは女は優しく扱われているからだ。中学のとき狂った教師に虐待されたとき思ったのはこんなキチガイに偉そうにされたくないということだ。偉そうにするなということだ。顔が気に入らないから虐待するのだ。男だから虐待するのだ。しかし私は女なので女のように優しく扱われたいと思ったのだと気付いた。優しい人間が良いと思う。女のように扱われたい。優しいことは良いことだ。あの二人のキチガイはどうでも良い。
 落ち着くためには落ち着くことだ。優しくするためには優しくすることだ。優しいのは本来の姿だ。遅刻した私を追いこみ、男として扱い、優しくしないのはおかしい。女のように優しくなっても良い。女を見ていてそう思った。女は優しくおとなしい。文校の皆ともしばらくお別れと思うと寂しい。優しいためには優しいことだ。優しい人間で何が悪いのかわからない。オニババがなぜいるのかわからない。女のように生きていこう。優しくするには優しくする。穏やかであるためには穏やかであること。礼儀正しくあるためには礼儀正しくあること。善人であるためには善人であること。
 優しくするには優しくすること。問題行動をする奴に甘くしないこと。自分が問題行動をすることにも厳しくしよう。hやkも問題行動を起こす奴なので相手にしなくて良い。全く相手にしなくて良い。女性として行動することを許そう。



2005年07月18日(月) 夏季合宿

 疲れた。死にそうに疲れた。心身ともに疲れきった。何しに行ったのかわからない。傷ついたし、自信を失った。でもこれも現実だ。女の良さがわかった。好きになった。頼りたい気がする。本当に強い。女は。n女史、w女史、y女史、k女史、本当に強い。鍛えられているのだ。女同士で。一昨日から調子が悪い。金剛山に登ったが最悪な気分だった。h君は酒盛りで暴れて問題を起こしてしまった。同じクラスとして責任を感じる。彼は私とそっくりだ。俺は今相当にヤバい。頑張りすぎた。疲れた。私の小説は好評だった。でも調子が悪いのでそれを受け止められなかった。人は自分の鏡だ。本当に自分の姿がありありと見えて恐くなる。いきなり頑張りすぎはだめだ。徐々に慣らしていきましょう。今日の朝は大変調子が悪く、周囲にも変に思われた。u君にまで嫌われた。また挽回していこう。h君も大変だ。失った信用を取り戻さねば。一緒に頑張っていこう。作家は社会的行動が苦手なので大目に見てやろう。
 hチューターという坊さんが朝から読経と説法を梅○さん達相手にやっていたが、やっぱり宗教はだめなのかなあと思った。頼る相手を間違えているかもしれない。かなり気分が悪くなった。調子が悪いから気分が悪いのか、本当にそうなのか良くわからなくなった。加○さんが嫌いだと思ったのは宗教家特有の権力者臭が嫌だったのか。だとしたら相当根深い。e女史が宗教嫌いなのと同じか。e女史に私を宗教から救い出してもらわないといけないかもしれない。n女史でも良いのだが。女のいるほうへ私を連れ出してくれ。心理学はどちらかというと宗教臭い。y氏も認めていた。癒すとか救うとか宗教の機能を代替しようとしている。人は囚われの身だ。だから自由を求める。ここまでは自由という範囲を知ろうとする。心理学は権力的だが同意の上だから仕様がない。ゲシュタルトなんて全く権力的だ。そういうものに身を委ねて良いのか。e女史だったら何と言うだろう。e女史やn女史に頼りたい気がしてならない。男性的に見えてどこまでも女性的で自分らしい。私は男だから男性原理に救いを求めてもおかしくはない。でも女性的な私が女性原理に救いを求めてもおかしくはない。川端康成なんかそうだ。三島由紀夫はどうだろう。込み入り過ぎてわからない。
 女性原理に救いを求めるのは良い考えかもしれない。男らしくなくても良い。女性的な男が好きだ。小林薫は子供の頃父親に虐待を受けた。厳しいしつけは虐待だ。男性原理を憎むようになった。女性原理を愛すればこんなことにはならなかった。男は男らしくなくてはいけないのか。女性的な男がいても良いじゃないか。戦争がなくなる。貧困もなくなる。h僧侶がすごく嫌いだった。権力的な物言い。よくわからない。嫌いな人もいるだろう。文学と学校が相容れない理由を見た気がした。厳しいねえ。仕事をしている以上男性原理から逃げられないだろうか。ばうさんならそんなことはないといいそうな気がする。いくらでも逃げて良いんだと。
今回の合宿の成果は女の良さがわかったことだ。性だけではない。女の良さは性だけではない。仲良くなれそうな気がした。いや、確信した。私は女そのものだからだ。話が合わないわけがない。男への恐怖、権力や暴力への嫌悪、ほとんどのものを私は女と共有している。非常に確かな手応えを感じた。ただk女史には何の敵意もないのに手ひどく嫌われてしまった。距離感がつかめない。でも大多数の女と簡単にうまくやれそうな気がした。ごく自然に。女への嫌悪感や恐怖心が嘘のように消えた。
男が権力を通じて世界を理解し受容するように女は性と愛を通じて世界を受容する。なぜそれができない。男はそうすることを禁じられているとでも思っているのか。そうではない。女への受容と共感。これが大事だ。小泉はおばさんファンを大事にするので総理になった。今はそういう時代だ。目ざとい奴はそうしている。女はいうことを聞かせるのに力は要らない時代だ。魅了してしまうのだ。これは女にとっても苦痛ではない。セックスも出産も子育ても女の本来的力の自発的発揮だ。女とベクトルが合うとこんなにも楽かと思った。対立すると大変厄介だ。
 デパスを飲んだらかなり楽になった。女を受容し、共感できなかったら付き合ったり結婚できない。それは証明済みだ。
 本当にn女史は良いなと思った。偉大だと思った。年は関係ない。文校を始めて良かったのは女の優しさや良さに気付いたことだ。女の良さがわからなかったら大変生きづらいことになるだろう。それがすんなり解決できた気がした。
 暴力で無理やり人にいうことを聞かせてもそれがなんだろう。男の偉さはそんなところにはない。そんなことは初めからわかっている。心が落ち着かない。眠ることさえできない。
 女の偉さがようやくわかってきた。優しさ、賢さ。女性に救いを求めるのは一向に構わないと思い始めた。恥ずかしくも何ともない。当たり前のことだ。その代わり女のできないことはやってやれば良いのだ。
 難しく、好きでもないことをやるとろくなことはない。自分が強くなったと勘違いする。今回のことは勉強になった。もって他山の石としよう。というか自分自身の問題に他ならないと思っている。女を好きになろう。女に頼ろう。自分も頼ってもらって良いのだ。かなり人と付き合うことに困難を覚えた。弱っていた。でも女の助けがあれば何とかなると思った。私は自分に無茶なことを要求しすぎる。
 自助グループに行って来た。大変薄気味悪かったが、我慢しているうちに少し気が収まった。人の話を聴くのは良いことだ。攻撃的だなと思った。統合失調症の症状だ。病気や依存症、摂食障害、ノイローゼの皆さんばかりで大変薄気味悪かった。でも自分も相当薄気味悪いと思った。お互い様だ。でも真面目な気持ちになれた。ここで治すんだという気持ちに少しなった。不真面目な私が厳粛な気持ちになった。いつもこうして真面目であるべきだ。一人で暮らすうちに気配りとか道徳とか全然だめになった。でももう一度やらなきゃいけないことだ。不真面目な気持ちではだめだ。治そうという強い気持ちが必要だ。
攻撃的なのは統合失調症が再発してからだ。h君が暴れたのは私の精神状態がうつったからじゃないかと思う。暴力的な気分というものは伝染しやすい。あの事件の後合宿は混乱して皆興奮していた。あれは良くない。h君は未熟だ。私より未熟だ。私の両親のもとで育ったものは何かおかしいのか。そうかもしれない。私は死にかけた。
 人を傷つけて喜ぶ奴は最低だ。そうなってはいけない。真面目になろう。あのアルコールのおねえちゃんは私と相性が悪そうだ。でも女は大体わかった。恐がる必要はないし、頼れば良いんじゃないかな。父親は母親に頼っていたのだ。それほど珍しいことではない。父親不在の家庭は多い。今この一瞬が何より大事だ。女は偉いし、強いし、信頼できるという感覚を得られたのが今回の合宿の収穫だ。人と衝突してばかりでは仕事もできない。人と張り合い、人に勝とうとする卑しい根性。やめた方が良い。
 文校も諸刃の剣だ。統合失調症のきっかけは文校かもしれない。機嫌が悪いこともあるだろう。しかたがないことだ。それも何とかやり過ごすことができるようになりたい。女性と同じ考えをして、女に頼っていきたいと思う。母親に暴力をふるっていたとき母親に甘え依存していたのだ。女に対して信頼感ができたと思う。女性原理に従って生きて構わないと思う。でも女ではない。当たり前のことだ。世界中であの女だけがおかしいのだ。秘密をばらしたりしたのも何となく甘えというか仲間と認めた証だ。彼女らがとても好きだと思った。不思議な心だ。文校は辛いこともあったが、これを突破することができれば何かが見えてくる。今変わっていけるのだ。今しか変わることはできないのだ。
 女性原理に依存しよう。それが一番自然だ。n女史に依存しよう。h君は頼りないと言うことがわかった。
 俺ってしつこいと思う。執念深いし。でもあのババアほどではない。どんだけしつこいんだ。一瞬一瞬が大切だ。



2005年07月17日(日) 夏季合宿

 今日から夏季合宿に出かける。楽しみだ。いじめられないようにしよう。熊野大学は楽しい反面、辛かった。でも辛さが勉強でもある。私は一生勉強だと思う。昨日母から手紙がきた。白浜に連れていったことを感謝する内容だった。迷惑をかけたとかいていたのは何のことだろうと思った。他人行儀な感じがした。でも何かが変化したと思った。礼儀はネガティブポライトネスと言って相手と距離をとりたい時に用いられることがある。私が望んでいたことかもしれない。母親と何とか距離を取りたいと。一緒に暮らすなんてとんでもないことを言わないでくれと。良い変化だ。残酷な気持ちではない。子別れは厳粛なものだ。私は母親と近づきすぎた。母子癒着だ。絶対にいけない。新しいステージに立ったのだ。私と母は。恩義と愛情は少しも変わらない。当たり前のことだ。病気で実家に帰ったことは返す返すも誤りだったと思うが、それを変えていくことも可能だ。今が良ければ過去のいかなる出来事も良かったことになる。あれはあれで良かったのだと。EGだって今良くなればあれはやっぱり良かったということになる。過去のある決断を捉えてそれは誤りだからと言って覆すことはできない。今を変えることでその誤りを正すことはできる。それが本当の再決断だ。今を大事にしよう。一瞬一瞬がかけがえなく貴重な時間だ。これはホームレスでもセレブでも同じことだ。その意味で人の命は等価だ。
 間違いは誰でも犯す。人間である以上。でも誤りを正すことはできるし、繰り返さないように気を付けることはできる。
 女は電話しているだけで気分が悪い。薬が切れているから気をつけよう。嫌いな奴ほど礼儀とか気をつけたほうが良い。誰もが好きで何もかも理解できたら良いけどそうはいかない。それにその必要はないかも。さっきのおかしな女と友達になりたくはないだろう。



2005年07月15日(金) ハッスル

 今日ハッスルを見てきた。面白かった。昨日の文校も楽しかった。だいぶ勘が掴めた。今日のカウンセリングも面白かった。y氏とはもう2年以上になるが今日が一番面白かった。なぜババアが嫌いかということをすっきりと説明できて理解してもらった。父親が必要なのだという見立てだ。以外に凄腕なのかもしれない。互いに高め合う良い関係になってきた。ババアと正反対だ。今が一番大切で今を生きると言うことが全ての答だ。掲示板もたまには良いことを言う。今まで学んできたことを今に生かすのだ。今のこの瞬間がこの上なく貴重だ。過去はどこにも存在しない。未来はどこにも存在しない。今という瞬間だけが存在する。今という瞬間を生きることが大切だ。過去の分析で得たことを生かせるのは今しかない。未来しかない。過去は変えられない。今と未来だけが変えられる。どんどん今を変えていこう。どれだけ進歩してもどれだけ変わってもこれで良いと言うことはない。やりすぎもない。やり過ぎを恐れることはない。どんどん限りなく変わっていける。変わっていこう。楽しい。変わっていくことは理にかなっていて楽しい。今この貴重なときは変えられるから貴重だ。過去はもう変えられないから思い出でしかない。未来は実現するかあるかどうかさえ不確かなのに当てにならない。今を真剣に生きよ。今のこの瞬間はいくらでも変えられる。無制限に変えられる。何にも縛られない。これが大事だ。今この瞬間が限りなく貴重だ。
 y氏に話したのは私が遅刻をしたとき母親が父親の代わりに私を叱ったので母親と葛藤が生じた。それが女嫌いの元になっているという話だ。それから病気になって戻ってきたとき、再び葛藤が生じた。父親が亡くなったため、エディプスコンプレックスが実現してしまい、普通の人のように社会の中で自分のできることできないことの区別がつかなくなってしまった。だからゲシュタルト的に父親が必要なのだと言う話だ。本当かどうかと言うのは難しい。人は元々幻を信じているのだから何が真実かは愚問だろう。幻によって幻を癒すのが精神分析だ。今文学をやっているから、精神分析の理解力がぐっと上がった。それでうまく説明できたのだ。過去の頚木から逃れられそうに思う。今に全てがあるのに過去に何の挨拶が要るのだ。今このときを存分に生きるのだ。
 過去の分析や気付きを今や未来に生かさなかったら何の意味もない。気付いて成長するとは今を変えることだ。思い通りに生きられるようになることだ。受け身でうずくまっていてはいけない。
 喧嘩上等だと思う。絶対に喧嘩上等だ。女に対して喧嘩上等だと思う。



2005年07月13日(水) 滋賀

 今日は滋賀に行って来た。相棒と二人で自由がないが仕事ははかどった。暑かった。女は嫌いだ。誰に義理立てて好きなふりをしなけりゃいけないのか。見ただけで身の危険を感じる。絶対に側によってはいけない。絶対に気を許してはいけない。絶対に口を利いてはいけない。絶対に一生。向こうも嫌いなのだ。だから文句ないじゃないか。お互いに嫌いで距離を保っていれば問題ない。俺は何度も殺されそうになった。何で性懲りもなく女に近づくのか。何もしなくても危害を加えてくるのだから、そのときは反撃して良いから。無制限に。どんだけ俺が女が嫌いか教えてやる。過去の経験を今に生かすというのはそういうことだ。過去にこれだけ危害を加えられて黙って許すってどういうことだ。絶対に許してはいけないのだ。女2,300人殺したって構わないのだ。俺がこんな苦しみにあっているのは皆女のせいだ。そういうことをする奴らなのだ。今まで散々ひどい目に遭ってきたじゃないか。何で許すんだ。絶対に許さない。男を怒らせたらどういうことになるか思い知らせてやる。
 掲示板のあのバカ女、本当に頭に来る。俺に遠回しにからんでくる。バカじゃないのかお前なんかどうでも良いんだよ。何でいちいち俺を攻撃してくるのか。全くわからない。全ての女は死ね。なんでババアって俺に喧嘩を売ってくるのか。喧嘩上等だ。仲良くなんかする必要ないだろう。女が私にすること。真似する、張り合う、喧嘩売る。それは女同士でやっていることなのだろう。でもおれは我慢できない。女じゃないからだ。きれるだろう。いくら何でも。



2005年07月12日(火) 今日

 今日は会社でいろんなことを考えた。ACのこと、共依存のこと、女が嫌いなこと。私の家庭は機能不全家族だったかもしれない。少なくとも私にとっては。父親不在だった。キチガイ教師が私を虐待した。私の心にトラウマが残った。私は母親に暴力をふるった。女性への嫌悪はそこから来ている。女性蔑視、暴力で簡単に勝てると考える浅はかな考え。母親と葛藤なんかなくて良かったのに、悪い友達とかキチガイ教師の影響で、そんなことになった。中学時代にキチガイ女がいて私をいじめた。それも女性嫌悪につながっている。
 社会に出たとき女ばかりの職場でいじめられた。大嫌いで蔑視しているから、うまくいくわけがない。それが原因で病気になった。病院では看護婦どもにいじめられた。本当ならば尊重と敬意と優しさ、いたわりの気持ちで女に接するべきであった。しかしそんなことはできないし、できなかった。医者が完全に頭のおかしいババアで殺されそうになった。ババアは本当にキチガイで人殺しだ。しかも色キチガイ。ババアは永遠の敵だ。人殺し。色キチガイ。
 それから前の職場でも女とうまくいかずそれが配置転換になった理由だ。女を許さない。絶対に許さない。喧嘩上等だ。一生戦い続けてやる。見ただけで腹が立つ。どうして仲良くできるのだ。冷却期間を置こう。距離を取ろう。それが一生続いても一向に構わない。女が嫌いな男はいくらでもいる。ネガティブポライトネスといって距離を取りたいがための礼儀正しさというものがある。それで十分じゃないか。それで文句があるなら喧嘩上等だ。俺は女を受け入れられない。受け入れようとすると大変なストレスになる。ストレスはできるだけ減らした方が良い。
 はっきり言って女は見ただけで吐き気がする。距離を取るべきだ。ネガティブポライトネスだ。これを最大限に活用しよう。それでも無礼なことや危害を加える奴は喧嘩上等だ。俺が恐いということを思い知らせてやる。汚い手を使う女ども、俺は絶対許さない。女が嫌いなのは仕方がないと思う。俺が女を嫌うことを許そう。嫌な経験が積み重なって嫌いになったのだ。何もなくて嫌いになったわけではない。私は女なのだ。女を好きになるのは無理がある。無理して好きになっているのだ。好きなふりをしているだけだ。女が女を好きなわけないだろう。だから関わり合いにならないことが一番だ。憎むことも愛することも心を汚す。
 未来に向かって生きよう。過去のことばかりにこだわるのは止めよう。貴重な時間だ。過去のことを考えることは良いが、わかったことは今に生かそう。そうでなかったら貴重な時間で考えた甲斐がない。今と未来に生きよう。どんどん変わっていこう。変わっていくことはいくらでもできる。すごいスピードで遥か遠くまで変わることができる。
 大嫌いであることを許すこと、認めること、自分は女なのだから。当たり前のことだ。で社会的には男だから女と付き合う必要もない。無理して好きになる必要はないし、ふりをする必要はない。しかしそのために不利益を受けることは絶対にない。あってはならない。ネガティブポライトネス。一応礼儀正しくしておけばよい。感情など必要ない。それでもからんでくるならば反撃あるのみだ。正当防衛。喧嘩上等だ。絶対に私が正しい。
 どんなことがあっても自分の身を守らなければならない。俺が女が嫌いであっても全く構わない。絶対に不利益を受けることがあってはならない。絶対にだ。ババアめ、喧嘩上等だ。
 過去のことは考えてもよいが今に生かさなかったら意味がない。過去にキチガイ女どものためにこんなところに押し込められた。憎んでもしようがないし、復讐してもしようがない。でも今とこれからにどう生かすかだ。どんなに女が嫌いでも構わないが、そのために不利益を受けてはいけない。あんなごみみたいな奴らのために私の人生を台無しにしてはならない。人殺しの色キチガイどものために貴重な人生を無駄にしてはならない。



2005年07月11日(月) 疲れた

 今日は疲れた。一瞬一瞬が貴重なんだ。薬が飲みたい。リスパが飲みたい。今日はババアが静かで良かった。4年から5年にわたって俺に嫌がらせしてきた。喧嘩上等だ。解決法や譲歩、妥協法を考えてきたが喧嘩する以外ないと思った。俺を見て怒りが湧き起こって攻撃したくなったので攻撃してきた。俺は攻撃して良いと思うらしい。弱そうだからか。反撃しなさそうだからか。もう俺は切れた。喧嘩上等だ。女なんか死ぬほど嫌いだ。悪いか。俺は女だから女が嫌いで当たり前なのだ。女が好きだったらレズだろう。喧嘩上等だ。いくらでもやってやる。何とか療法とかやっている場合ではない。喧嘩上等だ。



2005年07月10日(日) 休日

 一瞬一瞬が大切だ。極めて貴重な時間だ。この貴重さはこの年にならないとわからないものか。今朝早く目が覚めた。高いところで生活することがストレスになっている。早く低いところに引っ越したい。一戸建てに引っ越したい。私みたいなものぐさな人間が一戸建て大丈夫だろうか。
 薬はとても良く効く。リラックスした方が良い。リラックスできないことが問題だ。一瞬一瞬が貴重だといつも感じていれば、人を憎んだりしている暇はないことがわかるだろう。楽しく生きよう。それが目的だといっても良いくらいだ。
 結局統合失調症再発が結果なのだが、病巣が明らかになったので良かったのではないか。カウンセリングの流れで統合失調症の病巣が暴かれて、これがうつよりも本当の病巣なので、これを叩くべきだ。そうすればかなり改善するだろう。今までの傷を糊塗するようなやり方ではうまくいかないし限界があるし、かえって悪化させるおそれもある。正しい治療が最短で結果を出すだろう。薬を飲んでいると楽しくなってくる。とても具合がよい。y氏はお手柄だ。私の本質的問題を明らかにした。死ぬまで精神的に不調にならず暮らしたい。まず楽しく暮らそう。まずそれを心がけよう。
 私は悪い人間ではない。宅間でも悪い人間とは言えない。やった行為は許されないが、人間は悪くない。悪い人間として生まれてくる人間はいない。間違ったソフトがインストールされることによって悪いことをしてしまうようになる。そのソフトを破壊し尽くすか、完全に制御することだ。でも完全に破壊することはおそらく無理だろう。y氏の言うように脳の構造と機能がそうなっている。脳を破壊しない限り無理だ。そんなことまでする必要はない。
 もう一度言うが私は悪い人間ではない。人に危害を加える人間ではない。優しくおとなしい人間だ。悪いことをされるいわれはない。それを言いたい。あのババアに言いたい。でも喧嘩上等だ。正当防衛は許されている。自分に危害を加える人間には反撃して良い。何でおとなしい人間が攻撃的な人間に一方的に攻撃を受けなければならないのか。理不尽だ。それが資本主義だと、競争社会だと言うのか。実力主義だというのか。狂っている。爬虫類的過ぎる。人を攻撃したり、食い物にすることだけが是とされる。そんなあり方に腹が立つ。喧嘩上等だ。正当防衛だ。
 文校もさすがに飽きてきた。礼儀と常識の勉強だ。勉強の機会を放棄するのか。でも辛いときは仕方ない。入院していたときも人間関係がうまくいかなかった。大嫌いだった。看護婦とか入院患者が。女嫌いはそこらへんから来ている。ババアは何を求めていたかやっとわかった。自分は金持ちで良いとこの奥さんで偉いと。こんな汚いところの社員が偉そうにすんじゃないと。自分の方が経験が長いから偉いんだと。だからそういう扱いと態度をせよと。私は単なるパートのおばさんが何を言っているのかと不思議に思った。前にいたy中も自分が部長の奥さんで偉いんだと言う態度を取っていた。仲良くする必要はない。どうしても仲良くしたくないんだったら。そんなに嫌いだったら。代わりに喧嘩しよう。喧嘩上等。女が嫌いだったら戦うしかないでしょうね。戦う姿勢を見せれば相手は弱い。理はこちらにあるのだから。女が嫌いな男だっているだろう。ものすごくきれいで優しいというありえない女以外興味がない。
 女や人間と付き合うのも楽ではない。長い間に私は人を避けるようになってしまった。女は楽しいはずだと思うが、付き合うのは楽ではない。その覚悟が必要だろう。少しは強くならないといけない。常識と礼儀が必要だ。一概に嫌いと決め付けるのではなく、女と付き合う楽しさ、人と付き合う楽しさを覚えた方が良い。田舎で自給自足生活するためにも人間関係は必要だ。私の人間嫌い、社会不適応、道徳レベルの低下は中学生かもっと前から始まっている。私は堕落した。一時期はひどかった。社会人というより人間としてひどかった。今はかなり改善した。道徳レベルも向上した。
 女にも他人にも敬意が必要だろう。嫌いであっても人として尊重し合うのが大人というものだ。相手がオニババであっても大人でなくても大人として振舞う。それは我慢することとは違う。相手がおかしいと思ったらはっきり言う。子供を教育するのと同じだ。愛していても間違いを正すことはできる。むしろ間違いを正すことは愛している人しかやっちゃいけないんじゃないか。私は遅刻をとがめられた時に冷たさを感じた。こいつは私に一片の愛情も感じていないんだと思った。私が北原の言うことを素直に聞き、hの言うことに引っかかるのは私に対する憎しみを感じるからだ。愛情ではなく憎しみ。学校や職場に憎しみではなく愛情を求めるのは甘えだろうか。職場はともかく学校は愛情をベースにして欲しい。大人社会の縮図みたいに殺伐としているからいじめや不登校が生じる。間違ったことをやっていながら、何でこんなことが起きるんだろうと不思議がる。大人はバカだ。バカですめば良いが実際子供を傷つけ、苦しめ、狂った子供を作り出してしまう。子供に罪はない。狂気じみた統合失調症的な不自然な行為を子供に押し付けると子供の心は傷つく。教師の資格などない人物を子供に押し付ける。子供の人生を大きく狂わせる。大変危険だ。
 人間関係のベースを愛情に置くのか、権力関係に置くのか男と女は違う。私は女性的なので愛情に置く。でも私は見た目は男なので権力的に扱おうとする。そうすると傷つく。根が深い問題だ。女とうまくいかないのも無理はない。いっそ性転換するか。
 うつの症状と思っていた意欲の低下などは、本当は統合失調症の陰性症状だったのではないか。昔わずらったことがある。陽性症状は一切出たことはなかったが、陰性症状は出ていたのではないか。統合失調症質人格障害かもしれない。スペクトラム状になっていて統合失調症との境目は曖昧なのだ。あのキチガイどもは障害者をいじめていたのだ。それが許せない。
 精神病の根底にはやはり逸脱がある。犯罪というほどではないが、道徳的に堕落している。私の場合は変なガキと付き合ったからだが、反社会的になってしまい、それが狂気の核になっている。うつになる人は良い人が多い。良い人であるためには自分には厳しいことを強いることになるから、やっぱり広い意味では道徳的に問題である。自分も人も同じ人間なんだから、同じように優しくしなければいけない。私も自分という謎がだいぶ解けてきた。
 楽しいことをやっていれば楽しくなるんじゃないのか。辛いことをやっていれば辛くなるだろう。私は辛いことばかりやってきた。人に誤解されたり、差別されたりするのが一番辛い。私も人と仲良くしたいのに、どうしてもうまくいかない。e女史ともうまくいかない。でも単純に尊重したら良いんじゃないのか。人に気を使ったら権力闘争に負けたように感じるおかしなメンタリティーがある。あのババアでも自分が尊重されたいと思っているなどとは夢にも思わなかった。でも女にも立場、権力というものがある。女として母として一定の地位を得て尊重されたいらしい。その権力欲に面食らう。家で父親と仲良くしていたら母親に嫉妬されたことがあった。父親を巡って母親とライバル関係になるなんて普通ではない。キチガイじみている。家に戻るべきではなかった。絶対に戻るべきではなかった。辛くてもあの場所に留まるべきだったのだ。頑強に抵抗し、自分を守るべきだったのだ。天国と思った場所は地獄だった。
 私の父親は優しかったので、エディプス期を経験しなかった。ひとそれぞれ何かあるだろう。虐待されて育って苦しんでいる人から比べたら穏やかなものだ。天に唾する行為だ。贅沢を言ってはいけない。
 どんなに疲れていても道徳的なことは理解できるし、実行できる。そうでなかったら良い大学なんか入れない。私がすべきことは疲れていても道徳的に正しいことをそれだけをやることだ。それが一番の自衛策なのだ。集団の中でルールや常識を守らないと見られることは自殺行為だ。社会人としてまともでない人物と一緒に仕事はしたくない。道徳的なことをこつこつやっていくことが大事なんじゃないか。
ああ、やる気が起こらない。楽しいことをやれば、気分が改善する。車にでも乗ってファンドライブすればきっとすっとするに違いない。長い間かかってこんな状態になったので、そう簡単には回復しない。楽しいことをしよう。楽しいことだけをしよう。仕事だって楽しくできるはずだ。ばうはそうしていると書いていた。掲示板も疲れる。真面目な人ばかりなので疲れる。なるべく書きこまないようにしよう。書きこむ頻度が高まるにつれ、攻撃のターゲットになる危険性も高まる。私が書きこむと喧嘩を売られていると感じる人がいるらしい。どこが悪いとか自分ではわからない。私が社会に適応できない理由と同じで自分ではわからない。誤解されやすいのだ。悪気はないのに悪意があると誤解されやすい。少なくとも礼儀と常識を守ろうと思った。すると社会が開かれる気がする。社会というのは開かれているとも言えるし、閉ざされているとも言える。常識を守れば開かれるし、破れば閉ざされる。逆もまた真なり。破れば開かれ、守れば閉ざされる。ホリエモンは破ったから開かれたとも言えるし、閉ざされたとも言える。でも本来は守れば開かれる。
 女が嫌いなのは今に始まったことではない。思春期くらいからおかしくなった。性欲はあるがそれほど好きではなかった。社会に出てからは途轍もなく嫌いになった。今一番嫌いかもしれない。性欲も低下してきた。一緒にいても楽しくない。むしろ恐い。仕事も一緒にしたくない。別に嫌いでも社会生活には一向に困らない。礼儀さえ守れば危害は加えないんじゃないか。危害を加えてきたら反撃したら良いだけのことだ。同性なのだから好きじゃないことは思い悩むことではない。当然のことだ。問題はどう対処するかだ。礼儀と常識さえ守っていれば問題ない。社会進出も進み、女に会わずに生活するのは困難だ。うまくやっていく方法はいくらでもある。女でも人間なのだから、尊重する気持ちが同じ人間として大事だ。しかし私が女だと気づいて攻撃を仕掛けてくるのであれば堂々と反撃すれば良いだけの話だ。女なんか全く恐くない。戦い続ける覚悟はできている。性欲がなければ女に何のバーゲニングポイントがあるというのだ。冷静に対処すれば良い。同性として、人間として。
 教習所に行って来たが若い子は本当にかわいい。性は年の差を飛び越える。俺が80になっても若い子が好きなのだ。帰りの車の中で女の子二人が話していたが、友達関係と彼氏とどちらを優先するかを巡って静かにもめていた。女の子同士でもいろいろあるんだと思った。青春群像の一部を垣間見た。
 今日は本当に疲れた。朝から調子が悪かった。薬を飲まないとはこういう状態かと思った。道徳レベルの低下から全ては始まった。道徳レベルを向上させることで心の問題は改善できると感じた。何もかも嫌だった。朝から。うつの症状ではなく、統合失調症の症状を疑う。ずっと抑えていたものがEGをきっかけに表面化したのだ。この際だから根本的に治療した方が良いかもしれない。今まで一度も社会に適応できたことなどなかった。大学を出た頃から今に至るまで社会に受け入れられたことは一度もなかった。この状態から、受け入れられる状態まで持っていかねばならない。女は私が統合失調症の疑いがあることなど知らず近づいてくる。無邪気なものだ。今女の相手をできる状態ではない。女の相手ができるようになったら相手をしても良いが今は無理だ。
 問題が統合失調症にあるということを暴いたのはy氏のお手柄ではないだろうか。これを大事にして根治に努めよう。まだまだ人生は長い。より楽しく明るく生きて行きたい。ストレスをためるととんでもないことになる。楽しく明るく生きて行こう。統合失調症まがいの人でも一応普通に人生を送っている人はたくさんいる。ニュートンもカントも統合失調症だった。カントは知らないが。希望が湧いてきた。自分が見えてきた。周りが見えてきた。人の心が見えてきた。
 中学のとき寂しさからキチガイじみた子と友達になってしまった。大変傷つけられた。女の子をからかったら、そいつの仲間まで俺を目の敵にしだして高校を卒業するまで続いた。本当にしつこい。キチガイだ。
 あのババアは私があいつを無視するから怒っている様だ。無視ってお前にぺこぺこしてこびへつらえってか。どんだけ偉いパートなんだ。執行役員にまで手を伸ばしていた。キチガイの一言だ。自分を守らなければならない。喧嘩上等だ。何で仲が悪くなったかなんか知るか。あんだけ攻撃的な天然統合失調症みたいな奴とどうやって仲良くしたら良いんだ。絶対ありえないだろう。ものすごい権力欲。あんなちっぽけな職場のパートの分際で執行役員とお友達って何考えているんだ。完全に切れた。喧嘩上等だ。何が女だ。何で仲良くしなきゃいけないんだ。
 常識と礼儀を守らなければならない。最初に破ったのはあいつだ。喧嘩上等だ。グループの中で喧嘩するのが悪いのではない。一方的に攻撃されても反撃できないことが問題なのだ。



2005年07月09日(土)

 今日は雨だ。貴重な一日を大切に過ごそう。性格が悪くなっている。道徳レベルが低下している。レベルを上げるには相当頑張らなければいけない。まず仕事だ。自然に良くはならない。仕事も楽しんでやるようにしよう。押し付けられるのが嫌いだ。自分で考えて何でもやるのが楽しい。楽しいことだけやっていれば良いのだ。それが資本主義というものだ。一瞬一瞬が貴重だ。人生の時間は有限だ。しかしそれをどう使うかによって無限にもなるし、価値は無限大だ。快楽も無限大だ。資本主義に順応するのも悪いことではない。車を持つのも悪いことではない。一瞬一瞬が至上の価値を持つことを忘れてはいけない。
 人を憎むのは愚かなことだ。自分を傷つけ、汚す行為だ。そんな暇があったら自分を愛せ。自分を愛するのは金は要らないし、誰にも迷惑をかけない。仕事を愛せ。人を愛せ。



2005年07月08日(金) 人生

 人生は貴重だ。一瞬一瞬が貴重だ。とても貴重だ。自分は貴重だ。誰も皆貴重な命だ。宅間でさえも。この世にあることは奇跡だ。紛れもない軌跡だ。奇跡のさなかに思い悩むことは罪だ。楽しむことが務めだ。私は十分幸運だ。幸福でもある。人を憎むことは間違いだ。憎めば必ず汚れる。心が汚れる。道徳に従おう。道徳は素晴らしい。どんなに疲れていても何が道徳かはわかる。人を憎むことは止めよう。あのババアは自分がすぐれているので当然尊敬されるべきと思っているらしい。E女史と同じで自分は尊重されるべきでそれ以外にないと思っている。どう対処したら良いかわかった。E女史と同じように怒らせないよう能力があることを認めること相手の価値を認めること、尊重することだと思う。まさかそんなこととを求めているとは思わなかった。私はババアが嫌いなので自動的にバカにしてしまう。どうしてババアは偉そうにするのかわからない。
 自分の母親との関係からそうなったのだと思う。母親に対しては尊敬なりいたわりの気持ちを持つだろう。それがなぜそうならなかったかわからない。女が嫌いだから。暴力はいけない。もう何が何だかわからない。理屈に弱い私ではもう無理だ。時間の無駄だ。喧嘩上等だ。もう喧嘩するべくして喧嘩するのだ。憎むのは人に親切過ぎる。そいつのために心と時間を使ってしまっているからだ。人を憎んではいけないのはそいつのためではなく自分のためだ。自分の時間を尊重するためだ。自分を愛そう。自分の残された時間を大切にしよう。人を憎むな。喧嘩は上等。でも憎むのは親切過ぎる。自分を大事にしよう。自分を愛そう。つまらないもののために一瞬でも自分の時間を使ってはいけない。
 私は素晴らしい存在だ。反省しなけりゃいけないものは何もない。萎縮したり、沈黙したりする必要はない。一瞬一瞬が素晴らしい貴重な時間だ。決して何にも誰にも譲歩してはならない。この貴重な一瞬を大事にしよう。



2005年07月06日(水) 初心

 初心に帰ろう。心はリセットできる。邪悪に汚染された心をきれいにできる。心の持ち方次第だ。元に戻ったり、再決断なんかしなくても今すぐきれいな心になれる。リセットできるのだ。
 喧嘩上等だが、人を憎んではいけない。必ず自分の心が汚れる。自分が傷つき苦しむ。礼儀と常識を受け入れ、心をリセットする。死ぬまでのこの一秒一秒を大切に生きて行こう。



2005年07月05日(火) ババア

 ババアの嫌がらせは北原に言ってやった。本当にババアは嫌だ。危害を加えるなと言っているだけだ。病院に入院していた頃のことを思い出す。ババア医者に看護婦。女は本当に最悪だ。死ねと思う。一生関わり合いになりたくない。やったりやられたりで行くんじゃないのか。うまく行くなんて絶対に思えない。これだけ嫌いなんだから。嫌なものは嫌なのだ。
 あの頃は本当に嫌だった。キチガイばっかりで気が狂いそうだった。でも人を憎むことは結局自分を傷つける。憎しみには毒があって自分に回ってくる。だから人を憎んだり、まして傷つけようとしてはならない。自分を守ることの基本だ。自分を愛そう。こよなく愛そう。やっぱり悪いことはしていけない。人を憎んではいけない。自分が不幸になるだけだ。自分を幸せにしよう。怒りの余り正義感を隠れ蓑にする。それは間違いだ。怒りは身を滅ぼす。戦いは怒りに駆られている時は負ける。冷静になれ。人を憎んではいけない。



2005年07月04日(月) 喧嘩

 あのババアがいじめを仕掛けてくる。私にしかわからない嫌がらせをしてくる。私にしかわからないんだから合法的な傷害罪だ。明日勇気を出して言おう。言わないと救われない。私は昔良い人だったが今は違う。女とはうまくいかない。絶対にうまくいかない。冷却期間を置きたい。本当に嫌いだ。女が。ブスとかババアになると真剣に頭に来る。喧嘩上等だ。やってやる。なめるな。キチガイども。コミュニケーションとは喧嘩だ。喧嘩はコミュニケーションだ。勘弁してやる理由があるだろうか。気軽に言ったら良いのだ。これが通らなかったら何が通るのか。



2005年07月03日(日) 人生

 芸術家の中には気持ち悪い奴も居る。100%そうかもしれない。嫌いだったら付き合わなければ良いのだ。邪悪なものを感じる。人の弱点を見抜いて攻撃して来たり、とにかく性質が悪い。hにはそういうものを感じる。hやkは単純に私に危害を加えてくる。仕事じゃない。臭い足をこっちに向けるってどう言うことだ。嫌いな騒音を立てるってどう言うことだ。そんなことを我慢しなきゃいけないのか。止めてくれってお願いしなきゃいけないのか。ここは精神病院か。キチガイは相手にしない。どうしたらいいかなんか俺が考えなきゃいけないのか。そうじゃない。喧嘩したら良い。反撃したらいい。反撃を開始してから改善された。iもいなくなった。kはこの間初めてお菓子を持ってきた。反撃ののろしを上げよう。あんなキチガイどもにやられっぱなしになっている場合じゃない。私が改善すべき点などはじめから一ヵ所もない。喧嘩すればいいだけの話だ。喧嘩上等だ。負ける気がしない。
 楽しいことをもっと増やそう。楽しいとしあわせはほぼ同義だ。楽しいことを増やし嫌なことを減らせば自然と幸せになる。私は自分が幸せになることが恐い。幸せを禁じている。幸せになんかなってはいけない。兄弟にいじめられる。親にさえねたまれる。貧乏人はずっと貧乏人でないといけないのだ。でもそれは違う。自分もいくらでも幸せになっていいのだ。高望みをして破滅するのはバカだが、身の丈に合った幸せならよいのだ。沖縄に行けばいいのだ。俺は一生青春だ。楽しいな。しあわせものだ。
 全く何の理由もなく攻撃してくるのは通り魔と一緒だ。hやkは通り魔であり統合失調症なのだ。反撃すべきだ。反撃する能力も気力もないと知ると、どんどん攻撃してくる。北原になんか頼まなくても自分で攻撃できる。自分を攻撃するものは敵と見なして攻撃するのが正常な反応だ。仲良くしようとするものは破滅するだろう。マゾヒズムだ。攻撃者を愛するのは病理現象だ。ストックホルム症候群だ。自分が良い人と思われたい余りバカなことをする。善意を振りまく卑屈になる。アホだ。良い人じゃなくて良いのだ。自分が何がしたいかが大事だ。幸せになることだ。それさえ忘れている。不幸になりたいとさえ思っている。e女史の言うことが正論で私は統合失調症的になっている。それが気持ち悪いのだ。楽しいことを追求しよう。そうすれば自然と幸せになれる。
 私は女と100%うまくいかない。うまくいかせようとする一切の努力を放棄している。冷却期間を置きたい。距離を置きたい。これだけ嫌いなのには何か理由がある。それをごまかして近づいてはいけない。礼儀と常識だけ守っていれば良いと思うのだが、嫌いだからそれすら嫌だ。自分が女を嫌っていることを隠すのが嫌だ。近づいて欲しくない。若いきれいな女であっても。本当に薄気味悪い。女はすぐ俺を攻撃してくる。女が嫌いオーラが出ているからだ。敏感に感じて攻撃してくる。それを不思議に思ってはいけない。相手にしないだけで攻撃の理由になる。反撃するしかないでしょう。喧嘩するしかないでしょう。永遠に。それしかない。嫌いなんだからそれ以外の道はない。好きなら仲良くすれば良い。それだけの話だ。
私は遵法意識が乏しい。関西人が全てそうかと言うとそうでもないみたいだ。礼儀正しい人もいる。全員が引ったくりと言うわけではない。いつのまにか遵法意識が低下している。楽だからか。長い間にそうなってしまった。女が嫌いであっても仲良くしようと思ったものだが、今は思わない。仕事も嫌になった。女は楽しいものだ。楽しいものを楽しいと受け取る能力を失ってしまった。少女だけが信じられる。俺をバカにしない少女だけが。嫌いであっても礼儀さえ守れば何の問題もない。危害を加えてくるというのは明らかにおかしい。hやkは危害を加えるのが目的だ。正当防衛というものがある。危害を加えられたら反撃してもよいのだ。喧嘩上等だ。負ける気がしない。あのキチガイは非常に遵法意識が低い。人の情がわからないとか平気で傷つけるとかは道徳違反だ。京都人がやることだ。遵法意識が低い人間をルールを守れと言っても無駄だろう。反撃するのが手っ取り早い。手を汚すのが嫌なら北原に言うべきだ。
過去のことをよく悔いたりする。掲示板で慰められた。それも思いも寄らない奴に。嫌いだった奴に。悪い奴ではないのだ。過去を悔いても戻れないと。今を生きるのだと。そのほうが健全だ。再決断うんぬんもあるが前を向いて歩いたほうが良いんじゃないのか。過去は変えられない。取り戻せない。今を生きるのだ。悪いことばかりじゃない。よい面と悪い面がある。必ず両面ある。日記を書いたのはよかったのかなと思ったりする。文学にうちこんだのはどうだったのかと際限なく悔いてしまう。繰言だ。止めたほうがよい。楽しく生きよう。楽しいことが幸せなのだ。それと遵法意識を高めよう。礼儀と常識を大切にしよう。
 これからの人生は良い人生にしたい。後悔ばかりせずに楽しいことだけ考えて生きて行きたい。泣いて暮らすも一生、笑って暮らすも一生。笑って暮らそう。無理をしてはいけない。欲張りすぎてはいけない。自分の能力以上の仕事を引き受けてはいけない。欲望は無限だ。適度に抑えよう。不幸が好きになってしまった。幸福に耐えられない。プレッシャーに感じる。自虐だ。
 コミュニケーションは喧嘩だ。会話はキャッチボールというが継続する殴り合いだ。長い間に道徳レベルが低下している。基本に戻ろう。仏教やセネカに凝ろうとしたのも間違いではない。偉大な人の話は大変参考になる。でも偉大な人の話より目の前の問題を解決したほうがよい。
 芸術は邪悪なところがある。従って芸術家に邪悪なものがいるのは仕方がない。芸術は道徳や倫理とは関係ない。むしろそれからの解放だ。だからサドやバタイユみたいなのが出てくる。谷崎みたいなのも出てくる。やっぱり俺は少し邪悪だ。道徳レベルが低下している。得することはないのだ。刑務所から出てくる奴らの姿を見ればわかる。
 相当疲れている。休みたい。喧嘩上等とは言ったがやっぱり疲れる。文校も疲れるといえば疲れる。図書館の職員は本当に変だ。公務員だからか、図書館はどこでもそうなのか。相当目つきが悪いらしい。態度も良くない。社会の中で生きているとは言えない状態だ。会社休みたい。もうすぐ夏休みだ。頑張ろう。夏合宿もあるから楽しみだ。子供の姿を見るときだけ心が癒される。かわいい。
 あの眠り何とかという奴はキチガイというか犯罪者に近い気がする。だから人を傷つけて自分は安定するタイプだな。安定もしてないみたいだけど。キチガイで同時に犯罪者というのはいる。宅間みたいな。
ペーパー教習二日目。だいぶなれて楽しく走れた。ちょっと恐いおっさんだったけど大体世の中変な奴しかいない。特に堺は全員変だ。でも何とかうまくやれた。成長した。大体この年まで生きてきたんだから、一応は信用されるだろう。クルマ買おうかな。安全めの謙虚な行動が好結果になる。悪い部分が出ると悪い人間と判断される。出さなければ良いのだ。
 女とは自然にうまくいかない。もう少し冷却期間が必要だ。いつか共生できる日が来るだろう。今はまだ無理だ。仲良くなんかならなくて良いのだ。無理なんだから。喧嘩売ってくるんだから。100%間違いない。喧嘩上等だ。うまくいかないのはおかしい。俺がこんな状態で良いわけがない。立ち直ろう。常識と礼儀で頑張ろう。
 大体人間て薄気味悪い。私だって相当薄気味悪い。人一倍。薄気味悪いくらい我慢しないといけない。
自給自足のテレビをやっているが、皆すごい働き者だ。何もかも自分たちで作る。自分の労働だけが生活を豊かにする。真っ正直な生き方だ。俺もまず基本に帰って真面目になろう。こんなふざけた生活は嫌だ。真面目になろう。もっとも作家なんてふざけた職業で、だから食べてはいけない。何か良くわからなくなっている。
 戦わざるもの食うべからず。恐怖は誰にもある。リスクを恐れていては何もできない。



2005年07月02日(土) 掲示板

 昨日は掲示板に過去の繰言を書いたら、慰めやら良い言葉をもらって嬉しかった。私の最近の変化を気づいているのだろう。礼儀と常識さえ守ればプラスのストロークがどんどん入ってくる。あの掲示板は癒しのプロが出入りする。素直に救いを求めたら良いのだ。謙虚に人の話を聞くのは良いことだ。喧嘩も良いことだ。戦わざるもの食うべからず。私がどれだけ戦いが好きだと思っているのだ。喧嘩上等。礼儀を守れば喧嘩なんかいくらしても良いのだ。全てのコミュニケーションは喧嘩だ。私がコミュニケーションを絶ったのは喧嘩が嫌いだからだ。でも嫌いでは済まない。喧嘩嫌いの私も受験勉強で戦っていた。全ての戦線から撤退した私の最後の誇りが大学だった。そこでいじめを受けたときに私の精神は崩壊した。戦うべきだ。喧嘩上等、負ける気がしない。今までは負けるんじゃないかと思って喧嘩しなかった。でも恐いから言いたいことを正しいことを言うのを我慢するなんておかしい。負ける気がしない。喧嘩は素晴らしい。コミュニケーションだ。
自動車教習所にいった。ペーパードライバー教習を受けた。堺だからと言って悪いというのは思い込みだ。何も悪くない。私は普通にやっと生きていけるようになったかもしれない。これでレンタカーを借りて楽しく旅をしよう。



2005年07月01日(金) 大雨

 今日は大雨で渇水の地方は喜んでいるだろう。カウンセリングを受けた。久し振りに自分からリクエストした。自分から言うと気を使ってしまう。ただだからな。仕事をサボりたいのかと思われたかも。それもあるけど。hと喧嘩したことを言うと理解してくれた。喧嘩はどんどんやるべきと言う意見だ。自分も総務と喧嘩している。辞表も出したと言うからすごい。絶対真似できない。文校が一週間に一回だからリズムがそうなる。しばらくこれでいこう。hやkともいつでも喧嘩してやると思うと楽になった。これが普通じゃないのか。


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