* たいよう暦*
日記目次過去日記未来日記


2006年04月24日(月) 文化の違い

「ここは中国か!」
と、思う瞬間がある。
新しい家からの朝の通勤時。
駅に近づくにつれ、どんどん自転車が増えてきて、気づけば10〜20数台の流れの中にいる。
みんな同じ方向にむいて似たような速度で、一群となって走っている。
道路だって、「車の通るところ」というよりは「車は通らせてもらっているところ」。
自転車が大きな顔して、ど真ん中を突っ走っている。
横断歩道じゃないところを、車の途切れ目にすいすい自転車も人も渡る。
ごく当たり前の顔をして。

「ここの習慣」が、とっても新鮮でおもしろい。
私の通いなれた駅では、自転車が一群になってたどりつくことなんてなかったし、道路は横断歩道しか渡れなかった。

私も当たり前の顔をして、ちょっと「ここの習慣」をまねてみる。
「おもしろい」なんてことを思っていることを微塵も感じさせない顔をして。
まねっこまねっこ。
それがいつか本物になるんだろうな。
それがここに「住む」ってことなんだろうな。




2006年04月03日(月) むかえる

「おじゃましまぁ〜す」
と、にぎやかな声が聞こえて、たくさんの人が「うちの家」にやってきた。

いつもの顔。いつものおしゃべり。
いつもとかわらないはずなのに、なぜだかいつもより楽しい。

「じゃあ、ありがとね〜」
と帰るみんなを見送りながら、このまま帰らなければいいのにな、
と思ってしまった楽しい夜でした。

はじめての「おきゃくさま」
迎えるって、楽しいなあ。

また、来てください。


2006年04月01日(土) 名前

むかあし、むかし。
私は自分のかわった名字がとってもいやだった。
宿泊予約やお店の予約の電話をかけても、必ず聞き返される。
銀行でも、お店でも、聞き返される。
友人宅に電話をかけても、聞き返される。
それゆえ夢は「ごくフツーの名字の人と結婚して、ごくフツーの名前になる」ことだった。

今日、婚姻届というものを出した。
書いているうちに、とっても自分の名前が”おしく”なった。
もう二度とこの名前が使えない。
もう二度と誰もこの名前で呼んでくれない。
今までの自分としての生き方を全部くつがえされるようで、新しい名前は慣れなくてすうすうして心もとなくて、なんとも言えない気持ちになった。

新しい名字、新しい名前にあこがれていたのが、うそみたい。
自分の名前がなくなったことが、悲しい。
新しい名前をすんなり受け入れられなかったことに、ちょっと驚きもあった。

自分の名前を何度か紙に書いて
「なくなっちゃったんだなあ〜」とうじうじしていたら横の人がひとこと。

「その名前はなくなるわけちゃうで。その名前があって、新しい名前があるんやで」

そっか、もう使えなくても、
もう誰も呼んでくれなくても、
私は私で、この名前はこの名前で。
なくなったわけじゃなくって、この名前があったからこそ新しい名前があるのかあ。

そう思うと、ちょっとうじうじした気持ちがどっかいった。
でも、まだちょっと寂しいけれど。
でも、ちょっと気持ちがかわって、新しい名前とも素直に仲良くできそうだ。
気持ちを切り替えてくれて、どうも、ありがと。
もう二度と誰も呼んでくれないフルネーム。
その名前にも、ありがと。



たいよう |HomePage