* たいよう暦*
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「ここは中国か!」 と、思う瞬間がある。 新しい家からの朝の通勤時。 駅に近づくにつれ、どんどん自転車が増えてきて、気づけば10〜20数台の流れの中にいる。 みんな同じ方向にむいて似たような速度で、一群となって走っている。 道路だって、「車の通るところ」というよりは「車は通らせてもらっているところ」。 自転車が大きな顔して、ど真ん中を突っ走っている。 横断歩道じゃないところを、車の途切れ目にすいすい自転車も人も渡る。 ごく当たり前の顔をして。
「ここの習慣」が、とっても新鮮でおもしろい。 私の通いなれた駅では、自転車が一群になってたどりつくことなんてなかったし、道路は横断歩道しか渡れなかった。
私も当たり前の顔をして、ちょっと「ここの習慣」をまねてみる。 「おもしろい」なんてことを思っていることを微塵も感じさせない顔をして。 まねっこまねっこ。 それがいつか本物になるんだろうな。 それがここに「住む」ってことなんだろうな。
「おじゃましまぁ〜す」 と、にぎやかな声が聞こえて、たくさんの人が「うちの家」にやってきた。
いつもの顔。いつものおしゃべり。 いつもとかわらないはずなのに、なぜだかいつもより楽しい。
「じゃあ、ありがとね〜」 と帰るみんなを見送りながら、このまま帰らなければいいのにな、 と思ってしまった楽しい夜でした。
はじめての「おきゃくさま」 迎えるって、楽しいなあ。
また、来てください。
むかあし、むかし。 私は自分のかわった名字がとってもいやだった。 宿泊予約やお店の予約の電話をかけても、必ず聞き返される。 銀行でも、お店でも、聞き返される。 友人宅に電話をかけても、聞き返される。 それゆえ夢は「ごくフツーの名字の人と結婚して、ごくフツーの名前になる」ことだった。
今日、婚姻届というものを出した。 書いているうちに、とっても自分の名前が”おしく”なった。 もう二度とこの名前が使えない。 もう二度と誰もこの名前で呼んでくれない。 今までの自分としての生き方を全部くつがえされるようで、新しい名前は慣れなくてすうすうして心もとなくて、なんとも言えない気持ちになった。
新しい名字、新しい名前にあこがれていたのが、うそみたい。 自分の名前がなくなったことが、悲しい。 新しい名前をすんなり受け入れられなかったことに、ちょっと驚きもあった。
自分の名前を何度か紙に書いて 「なくなっちゃったんだなあ〜」とうじうじしていたら横の人がひとこと。
「その名前はなくなるわけちゃうで。その名前があって、新しい名前があるんやで」
そっか、もう使えなくても、 もう誰も呼んでくれなくても、 私は私で、この名前はこの名前で。 なくなったわけじゃなくって、この名前があったからこそ新しい名前があるのかあ。
そう思うと、ちょっとうじうじした気持ちがどっかいった。 でも、まだちょっと寂しいけれど。 でも、ちょっと気持ちがかわって、新しい名前とも素直に仲良くできそうだ。 気持ちを切り替えてくれて、どうも、ありがと。 もう二度と誰も呼んでくれないフルネーム。 その名前にも、ありがと。
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