* たいよう暦*
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今日は、機嫌の悪い一日でした。 ぷんぷん。
たとえば、セーター。 毛玉がたくさん出来たり、のびてしまったり。 たとえば、洋服。 穴があいたり、ほつれてきたり。 たとえば、かばん。 汚れきってしまったり、布がすりきれたり。 たとえば、携帯。 充電がもたなくなったり、表面の傷が見苦しくなったり。
それって、わかりやすい「寿命」ってものだと思う。 じゃあ、「車」の寿命ってどこで見たらいいのかな。
私の中古の軽自動車は、平成7年式。 MOVEやワゴンRが爆発的に売れた、居住性を伴う軽自動車ブームの前の、ほんっとに昔の「軽」。
それでも、整備士さんの腕がいいせいで、快適に走るし、 (バッテリーをあげたこともあるけれど)、 クーラーだってきくし、 (ききはそんなにはよくないけれど) 遠くの友人宅までいけるし、 (西は岡山、北は滋賀、南は和歌山の先端、東は愛知県豊橋までだけど) 犬猫の病気の時には、動物病院まで連れていけるし、 (車庫から出すのに時間はかかるけど) 今まで大きな修理もしたことのない健康体だし・・・。 (後ろにスピーカーもつけてもらったし、オーディオもかえてもらってるし・・・!)
それでも、今日、 「買い換えたら。寿命を考えて」 と言われた。 動かなくなったら、考える。それが寿命だと思うから・・というと、 車はそういうもんじゃない。途中で止まったりしたら危ないだろう。もうそろそろ寿命だろう、居住性もないし。 なあんて、言われてしまった。
でも、「止まるかも」「寿命かも」と思って、今快適に動いているものを捨てるというのは、なんだか違うような気がする。 でも、相手の言うこともわかる。 ある日突然故障はやってくる。その「突然」が、「どこで」だかわからないし、 その「突然」が命に直結する場合もあるから、リスクも危険もあると言いたいのだろう。
でもやっぱり、動いている限りは「寿命」がまだ来ていないと思うんだ。 「寿命」のきていない、そして気に入っているものを、捨てるなんてできない。 「買い換える」 これも、ひとつの手だ。 私だって、新しい機能のついたカメラなんかを欲しくなった時は、買い換える。 でも、それはあくまで「新しいこういう機能がほしい」からであって、昔のものも一応おいた上で、新しいものを買っている。 私が車に望むことは、唯一「動いてくれる」ことであって、その機能は今のものでも十分果たしている。そして、車は、新しいものを買ったらといって、古いものまで置いておけない!じゃあ、古いのは捨てる?いやいや、最初の欲求「動いてくれる」を満たしているのに、捨てるなんてとんでもない・・・!
これは、私が初めて買った自動車だから、こうやって固執してしまうのかなあ。 でも、前から思っているんだけれど、運転もそんなに好きではなくて、遠くにいけなくても便利に使えたらいいや・・・っていう私にとっては、「すみれちゃん」がちょうどいいのだ。
かといって、いつまでも乗っていられないことも、わかっている。 かといって、快適に動いている、寿命のきていないものを、切り捨てることもできない。
うーん、動かなくなってから、寿命が来てから考えるってのじゃあ・・・だめなのかなあ・・・。
今日は一日家にいて、”とあること”にかかりきりになっていました。
一人で壁にぶちあたって、四苦八苦。 何度か助けを求めるメールを友人に出して、指示してもらっては、そのメールをたよりに、じたばたじたばた。 文章は目に入ってくるのに、内容が理解できずに、指示を眺めては「?・・・?・・・?」
随分立ってから、やーっと自分の言葉に置き換えて、内容を理解して、ようやく指示通りやることができました。
今日みたいな日は、自分がかつて学生で、「学ぶ者」であった日々を思い出す。 わからなかったことが、ある瞬間に、するするするっと紐がほどけるように、自分の言葉でわかるようになる。 勉強している時は思ったこともなかったけれど、これがいわゆる「学ぶ喜び」ってやつかしら。
今になって、そういう「紐がするするほどける」体験が再び出来ることが、たのしい。 うふふのふ。
今日は、友人の誕生日。 シュークリームで、お祝いしました♪
おめでとう〜! 新しい一年が、楽しいものでありますように・・・♪
今日は、一日、小さな小さな友人のことを考えていました。
この心が届きますように...と願いながら書いた手紙を、今日ポストに入れました。
まっすぐまっすぐ、届きますように。
2004年05月25日(火) |
まだ、ダイジョウブ。 |
この間、とある方にこう言われた。
「なんでなー、仕事がうまくいってると、家庭がうまくいけへんのやろ・・・(はぁ〜:小さなため息つき)」
昔っから、そうやねん、俺。 仕事がノリにのってると、絶対家庭がうまくいけへんし、家庭がうまくいくと、微妙に仕事がよくないし・・・。 ああー、俺って不器用なんやよなあ〜!!
うーん、そういうもんなんですか・・ねえ。 まあ、仕事がのってると、自分のパワーすべてを仕事に回しちゃって、家庭にまわすパワーがなくなるのかなあ。 まあ、家庭を持っていない私には具体的に出来るアドバイスなんてなく。 相手も私のアドバイスよりも、ぐちをちょっと言いたかってん・・・という雰囲気で。
じゃあ、仕事がうまくいってて、家庭がうまくいってへんのと、家庭がうまくいってて、仕事うまくいってへんのはどっちがいいんですか? と質問をなげかけてみた。
「そんなん、両方うまくいく方がいいやん(きっぱり)。・・・そやけど、俺、やっぱり男やん?仕事、好きやし、仕事もうまく行きたいわけよ・・・」
うん、まだ、ダイジョウブ。 その”きっぱり”がある限り、両方うまく行く方向になるように、きっと努力しはるだろうし、その努力がある限り、むくわれる日は来るんじゃないかな。
「仕事が好き」そう言い切れる、その仕事に対する思いも、「両方うまくいきたい」という家庭に対する思いも、同じくらいの重さなんだろうな。 「両方うまくいく」方向に、転がっていきますように・・・。
体温計が壊れたのかと思いました。 何度はかっても、35度4分。 おかしい。そんなわけは、ないでしょう〜?
でも、手足が冷たいし、顔もまっしろだし・・・ うーん、どうやら、ほんとに体温がそれだけしかないらしい。
血圧が下がっているのかな。 血圧下げる薬や飲み物はあるけど、血圧あげるにはどうしたらいいんやろか?
と、悩みながら、とりあえずごはんをたくさん食べて、キムチスープをたくさん飲んでみました。
しばらくたってはかると、35度9分。 う〜ん、微妙にあがっている・・・ でも、低い・・・
うーん、どうしたもんですかねえ。
岡山で入院している友人の、お見舞いに行くことにしました。本人には知らせずに・・・
「おおおおお。びっくりするやんけ」 よかった。思ったより元気そうでした。 入院して手術して、4キロ痩せたと聞いていたけれど、あまり様子も変わりありません。 (それは、いいのやら悪いのやら!)
傷口を出来るだけ少なくする手術だったから、もう痛みもほとんどないとのこと。 点滴やなんやら手術直後はたくさん入れられていた管も、今は一つだけで随分楽になったとのこと。
顔見るまでは心配だったけど、来たら安心しました。
病人だというのに、ほてほていつもと同じ調子で歩いて、いつもとおんなじ調子でしゃべり・・・。 なあんだ、ほんと、元気そう。よかったよかった。 日が射すすこぶる居心地のいい病院の食堂で、4時間半も話し込んでいました。
この友人は、私の「にいちゃん」で、いつも「にいちゃん」としていろんなことを言ってくれたり、「妹」としていろんなことを言ったりしhます。 横に並んで話をすることはあっても、ちゃんと向かい合ってゆっくり話したのは久しぶりでした。 「にいちゃん」は、この入院生活で考えたことや、入院する前の出来事で考えたことなんかをいろいろ話してくれました。 やっぱり、人間、健康が一番。 そして、一生懸命生きないといけないなあ、って。
「にいちゃん」早く元気になってねー。 「にいちゃん」健康が一番。治ったらまずは一生懸命遊ぼう!
そして、「最高の遊び」をもうひとつつけ加える為に、お互いまっすぐ進んでいこね。
今日は、本当に本当に久しぶりの休息日。
でした。
「今日は花金やのに、なんでこんな時間まで仕事してんの〜?」
取引先の、おぢさまの台詞。
えーっと、えーっと、「花金」。 「花の金曜日」ってことですよね。
うーん、その言葉、ほんと久しぶりに聞きました。
2004年05月20日(木) |
定期券はまだ買えない |
会社に入社すると、交通費は会社持ちです。 自宅から会社までの結構な電車代も、会社が払ってくれるわけで、そのおかげで私は繁華街にも出かけることができます。 (繁華街を通って通勤するもので) そうでなければ、なかなか高い電車代を自分で払わなければならないわけで、車派生活になったかもしれないなあ。
入社して以来ずーっと、半年毎に六ヶ月定期が配られていました。 会社が窓口の、社員全員分一括購入。 ところが突然、この切り替え時(6/1)より、給料での交通費支給、定期券自己購入と変更になったのです。 「自分のものは自分で買いなさい」 まあ、当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、慣れとは恐ろしい。 学生以来定期を購入したことのない身としては、恐ろしくめんどくさい。 はぁ〜。うんざり。
経費削減の折、定期券代は六か月分支給(六ヶ月にすると三ヶ月より安いのかな?)となっています。 そうすると、結構な金額になるわけで・・・。
実は、ひったくりにもスリにもあったことのあるワタシ。 恐ろしくて、5万円以上の金額を持ち歩くことができないという後遺症が残っています。 ところが、地下鉄は全線クレジットカードが使えないらしい。 (なんて遅れているんだー!頑張れ、大阪市営地下鉄!) かくなる上は、最寄の私鉄で買うしかありませんが、なんとクレジットカードの暗証番号がいるという。
・・・? 暗証番号・・・?
そんなぁもんは、使ったことないゾ。 お店で物を買うときは、すんなりお店の人がカードを通してサインして、それで終わりなんだもん。
もちろん、大事な暗証番号。 電話一本でカード会社が教えてくれるわけはなく、さまざまな手続きを得た上で、暗証番号を再発行してもらうことになります。
はぁ〜。めんどくさい。 現金で買えば話が早いのですが、それでも、やっぱり多額の現金をどうしても持ち歩くのがイヤ。 仕方ありません、暗証番号を再発行してもらうことにしました。
というわけで、暗証番号再発行待ち。 まだ定期券は購入できてません。 素直に、現金で買えばもうちょっと楽だったかも・・・(汗)
最近通っている「大阪中央図書館」。 入り口に、とっても立派な装置がついている。 いわゆる、万引き防止装置みたいなもの。 そして、警備員さんまでそこに立っていて、ピーピーなると呼び止められることになっているらしい。
何をそんなにものものしいことを。 とその時は思っていたけれど、この間新聞を読んでびっくり! 京都の大きな図書館では、この装置がない為に、年間1000冊以上の本がなくなるのだそうだ・・・!
えーっ、びっくり☆
図書館って、本を貸してくれるところ。 借りたら、返す。 そんな単純なことをしない人が、1000人ぐらいもいるってことなのかー。 本屋さんで本をとると万引きになるけれど、 図書館だと罪の意識が薄いのだろうか。 わざわざ図書館に足を運ぶ本好きの人に、 悪い人はいないと思いたかったけれど・・・・
あの機械の設置は、すごくお金がかかるらしい。 でも、設置する価値がーーーーーあるのかもしれない。
ちょっとさびしい世の中だなあ。
2004年05月18日(火) |
阪神ファンと巨人ファン |
いつもよく行く焼き鳥やさんの兄弟は、阪神ファンと巨人ファン。 兄の阪神ファンは、公言しているし、テレビ中継にも一喜一憂しているけれど、弟の巨人ファンは「秘密の秘密の秘密」。
大阪で商売をしているかぎり、巨人ファンであることは、口がさけても公言してはならないそうです。
でも、実は、ほとんどのお客さんは、弟さんが巨人ファンだと知っている。
巨人阪神戦の中継をしていると、阪神ファンのお客さんが大騒ぎしている横で目が泳ぐ。 そして、阪神ファンが身をよじってくやしがっている時には、目がうふっとなっている。のだもん。ばればれです。
それでも、「兄ちゃん、何ファンや?」と聞かれると、「いえいえ、どこでもないですよ」なあんて、言っている。
お客さんも弟さんも、そのやりとりと、公然の秘密になっていない秘密の共有を、愉しんでいるのです。
大阪に生まれて育った巨人ファンと、大阪に生まれて育った巨人ファンを見守る大阪の人達。 なんだか、やさしくおもしろくてそして屈折した関係が、そこにあります。
最近、「親であること」について考える機会が多いです。
私が生まれた時から、父母は「親」だったので、そんなことは考えたこともなかったのだけれど、「親」は「子」が生まれたその日から「親」になるのではなく「親になっていく」んだなあ・・・。 と、「親」としていろいろ考え、「親」としていろんな思いを抱いている友人を見て、そう思いました。
「親歴」ウン十年の我が父母も、こうして喜んだり迷ったり笑ったり悩んだりしてすすんできたのだろうか。 そんなこと、考えたこともなかったなあ、今まで。 「親はそれで完成品だ」って思っていたけれど、「私(子)」がいるから「父母(親)」がいて、親子関係というのは、相互協奏曲みたい・・・。
「親子」という言葉を辞書でひくと、 「元になるものと、それから分かれ出たもの」
ふうん、そうなのかあ〜、としみじみ文字をたどった。
そうやって「親」というものについて考えさせてくれた友人。 「親」として今がんばっているあなたを、応援してます。 物事が、いい方向に動いていくと、いいね。
雨に降られた、夜。 雨に降られたおかげで、「おまけの時間」がもらえました。
たまには、雨も、いいもんだ。
うんうん。
カメラマンの友人夫妻が、今度一年半の撮影旅行に出ます。 撮影旅行に出る前にスライドショーを行って、「友人の世界をみんなに見せたい」と別の友人が提案したのが、まだ春の始まりの頃・・・。
あれから数ヶ月。 カメラマンの友人の、少し前に一年半旅した南米の写真と、その時に撮った作品のスライドショー。 何人もの人の協力と、「みなにみせたい」という友人の尽力で、今日の日をむかえました。
私は、カメラマンの友人の作品が好きです。 友人だから・・・ではなくて、 たぶん、彼が友人じゃなくても、その作品は好きになったと思う。 心にすん、と入ってきて、心に響く作品です。 そして、彼の話す旅の話も大好きです。 彼の話と、その時とったスナップ写真と、その時とった作品をみせてもらうと、どんどんどんどん、未知の世界が目の前に広がっていきます。 そして、生涯見ることのない遠い世界だと思いこんでいたものが、あっという間に近づいてきて、自分のすぐ隣の手の届く世界だったということを、教えてくれます。 心にすん、と入ってくる作品と、 彼のまわりをまきこむ生命力あふれた話し方。 そのふたつが生きた、とても楽しいスライドショーでした。
これから一年半にも渡る旅に出る友人夫婦。 気をつけていってらっしゃい。と心から思います。 そして、また、心にすん、と入ってくる新しい作品たちと、 私の出会えない未知の世界を教えてくれる日を、楽しみにしています。
たくさんの世界に出会うであろうこの一年半。 私もたくさんの世界に出会って、心の旅をして、二人が帰ってきた時に成長した自分として、成長しているであろう二人に出会いたいなあ、と思います。
一年半、お互いにいい旅をしよう・・・!
「今日、甲子園のチケットが手に入ったんだけど、観に行きませんか?ぜんぜん阪神ファンではないけど。」
と、突然友人が誘ってくれました。 どうもありがとう。 ぜんぜん阪神ファンではないけれど、 「行く、行く!」 とふたつ返事で連れていってもらいました。
虎の聖地、甲子園。
人の多さと、 応援の熱気と、 「これ、持ってや」と見ず知らずの人から手渡される紙の横断幕と、 前の席の人のおもしろい野次と、 バッターボックスにたつ人によって全然違う応援の仕方と、 鳴り物を使って応援する方法。
ひとつの独特な世界にとまどいながらも、 たったり座ったりして声を出しているうちに、どんどん楽しくなってきて、笑いながら大声を出しながら応援しました。
野球をみながら食べたお弁当 (でも攻撃になるとお弁当を座席において、立ったり座ったりの応援をしなくちゃならない)と、 7回が終わると空一面にあがった風船のすごさは、 もう一回と言わず、何回もやりたいなあ、と思ってしまった。
20時20分終了という記録的な早さの ヒットわずか3本という阪神の負け試合でしたが、初心者には十分楽しい甲子園体験でした。 でも、もっと長く愉しみたかった・・・!
負けていても、あれだけ楽しいんだもん。 去年の優勝がらみの時は、もっと楽しかったんだろうな〜。 今度は、勝つ時に応援に行きたいな。 勝たなくてもいいや、もっと試合時間が長い時。
がんばってね、阪神! また甲子園に応援に行きたいよ!
ここ数年、消費者金融のCMが、やたらお茶の間に流れる機会が増えたと思う。 こぞって、人気のあるキャラクターやグラビアアイドルを出演させ、その名前をアピールするのに余念がない。
そんな中で「声の笑顔でお答えします」というキャッチコピーを流しているCMがあったけれど、あれは当たり前でいてそして意外ととても大事なことを言いあてているなあと思う。
私の仕事は、取引先とのコミュニケーションツールとしては、電話が一番多い。 以前の部長が、入社した当時から 「お客さんが見えなくても、見えているつもりで、気持ちをこめて話す」 と口すっぱく言って、みなに徹底してきた。 電話をかける時だけでなく、かかってきた電話に出る時も、社名だけでなく自分の名前まで名乗って電話に出るようにさせられた。 あの時は、口がもつれそうで、めんどくさいなあ〜と思ったものだけれど、名前を名乗ることによってより受け答えに責任をもって話すようになったのも事実だ。
当たり前だけど、電話は相手に表情が見えない分、普通に話すだけでは、相手に伝わりにくい。 こちらの好意や気持ちを電話の相手に伝わるように受け答えする。というのは気をつけていないと、案外できなかったりする。
電話で、気分を害することも多々ある。 相手の受け答えが、とてもエラソーだったり。 適当だったり。 むこうはそういうつもりがないかもしれないけれど、顔が見えない分、誤解を生じやすいのだ。
電話は、便利ではあるけれど、本当にむずかしい・・・。
今日、とある場所で、買い物をした。 気持ちのいい接客も、ふつうの接客も、いろいろあったけれど、その表情からみなが一様に一生懸命であることが伝わってきたし、何より笑顔が気持ちよかった。
顔が見えようが、顔が見えまいが。 どれもこれも、サービスというのは提供する側の個人の気持ちの持ちようひとつ、だと思うけれど。 その気持ちの持ちようをちゃんと覚えていよう、と、接客業のサービスを見て、忘れがちな自分の仕事のサービスの部分を振り返ったのでした。
顔にしろ、声にしろ。 笑顔はとても気持ちがいい。
「ちゃんと、伝えたで。」 電話がかかってきました。 私が6日に会って、右手で「おもい」を伝えた人からです。
私の右手の「おもい」を伝えるべき人は、もう一人いました。 6日に会った時に、そのもう一人にはどちらか早く会った方が伝えようと決めていたのですが、今日、彼の方が先に会ったらしい。
会うなり、 「右手だせ」 と言って、一分ほど握りしめたのだって。 相手は驚いていたようです。 まあ、そりゃそうでしょう。 男二人、手を握り合う・・・なんてことは、めったにする経験ではないでしょうから。 「これは、ほっぺたさわってきたからって受け取った’おもい’や。おまえも受け取れ」 というと 「・・・そうか」 と言って、無言で静かに右手をながめていたらしい。
「ちゃんと、受け取ったで。ありがとう」 もう一人からもメールが来ました。 よかった、伝わって・・・。 間違いなく最後の一人にも届いたことで、少しだけほっとしました。
それにしても、夜中近くの、住宅街の路地で、幼なじみの男二人、一分間手を握り合っていた・・・。
ちょっとその光景はみてみたかったな・・・
今日コンビニに寄ると、 「父の日に贈るギフト」とでかでかと案内が・・・。
つい一昨日までは、でかでかと「母の日ギフト」って書いてあったよなあ。 気持ちはわかるんだけれど、 あまりにも商魂がすけてみえるというか、 踊らされているような気になるというか、 次のイベントをおいかけて日々暮らしている気分になるというか・・・。
もうちょっと、「余韻」ってものを、残して、「さりげなく」商売してほしい んだけれどもなあ〜。
ここ二週間ぐらい、気持ちをうまく表現したり整理したりすることが、できなくなっていました。
でも、今日ようやく気持ちを少しづつ書き記すことができました。 伝えられるようになるまで、自分の気持ちが表現できるようになるまで、ずいぶん時間がかかりました。
書き記すことができて、ようやく自分の気持ちと少しづつむかえあえるようになったような気がします。 忘れたくなかったことを、ひとつ、書き記すことができてよかったと思えました。
5月8日土曜日、 午前0時に友人の誕生祝いをした後、 午前4時までみなで話しこみ、 午前7時に起床して、 午前8時に友人宅に集合し、 午前9時に出発、 午前10時には明石海峡大橋を眺め、 午前11時に徳島にてうどん♪を食し、 午後1時にいちご農園でいちご狩り、 午後3時にジェラートに舌鼓、 午後4時にすぺすべ温泉につかり、 午後6時に湯上りほこほこで帰路につき、 午後8時に車中にて軽食、 午後9時に友人宅に帰宅、 午後10時に夜食を準備、 午後11時に冬のソナタを突っ込みながら見て 日付変わって5月9日日曜日、 午前1時CDTVを見ながら、力尽きて眠りにつき、友人家族と5本川(そんなのあれへんっちゅーねん(笑)!)になって眠る・・・・・
そして、午前9時に起床し、だらだらだらだらのんびりした一日を、友人宅で過ごした・・・ 充実した週末だったなあ〜。
「その時」がやってきました! 隠し事が、隠し事でなくなる時。
こっそり冷蔵庫から出したケーキに、こっそりろうそくをたて、こっそり火をつけ、こっそり午前0時になるのを、待ちます。
0時に、アラームが鳴りました。 電気が消され、ろうそくの炎を消さないように、ゆっくりゆっくりケーキが運ばれてきました。 「HAPPY BIRTHDAY TO YOU〜♪」 誰かが歌い始めると、あっという間に大合唱に・・・。 歌声が響いて笑顔が並びます。 とてもとても幸せな気持ちになります。 「とびきりの笑顔」がはじけます。 とってもとってもしあわせな空気が、そこに生まれました。
お誕生日のお祝いって、ほんとうに、いいね。 嬉しそうな顔をみていると、どんどんあったかい気持ちになって、どんどん幸せになってくる。 生まれてきたことと、こうして元気にまた新たな誕生日を迎えられたということ。 元気に生きて新しく年を重ねるって、いいことだなあと、改めて思う。
おめでとう、おめでとう。 大事な友人。 またいい一年が始まりますように・・・!
「全然こっそりになってへんよなあ〜」 「わかってんのかな〜」 「わかってへんやろ?」 「大丈夫かなあ?」 「私、おかしかった?」 「どんな顔すればいいんやろ?」 「ちゃんとあれは、かくしてあるかな」
みんな、善人すぎて、隠し事が下手です。 でも、下手は下手なりに、がんばって隠し通します。
だって、その時の「あなたの笑顔」を見るのが、とびきり楽しみだから・・・!
「右手貸して」 「え?」 「いいから、右手貸して」 「・・・?はい」
不信気に出した右手を、ぎゅっと、ぎゅっと、握り締めた。
「?!?!なんなん?なんなん?!」 すっごいびっくりしている。 当たり前だ。 会うなり、「ただいま」でも「久しぶり」でもなく、「右手だして」。 そして、道のど真ん中で、ぎゅううううっと右手を握り締めだしたのだから。
「あのね、私ね、右手でほっぺたさわらせてもらってきたんよ。だからね、行かれへんかった二人に会ったらね、一番最初に右手で握手して、伝えようと思っててん」
「・・・・・うん、そっか」
ぎゅうううう。 今度は、むこうから手を握ってきた。 私は、その間、一生懸命さわったほっぺたと、顔と、語りかけたことと、その他たくさんのその時の情景を思い出して、右手にこめた。
一分くらいかなあ。 夜の大通りで、二人、物も言わないで、ただひたすらお互いの右手に意識を集中して、手を握り合って立っていた。
「ありがと。ちゃんと、もらったわ」 手を離してから、大事そうに左手で右手をさわりながら、その人は言った。
まだ、会っていないもう一人には、どちらか早く会った方が、右手で伝えようということになった。 どちらが伝えることになっても、必ずもう一人にも伝わるだろう。 「思い」が「そこ」にこもっている。
「いってらっしゃ〜い!!」
と見送られて、宿を出ました。 「さようなら〜」ではなく、「いってらっしゃい」
みんな当然のように「さようなら」とは言いません。 「いってきまぁ〜す!」 大きく手をふりながら、宿と見送っている人が見えなくなるまで手をふっていました。
また、いつか「ただいま」が言えたら、いいな。 五日間、どうもありがとうございました。
すごくヘンな話なんだけれど・・・。 自分の中で「日本海」っていうのは、「本州の西側だけ」ってイメージでした。 だから、おとつい山に登っている時に、 「日本海がきれいに見えるね〜」 といわれてなんだかとても違和感があった。 北海道にも「日本海側」ってあるんだね〜(当たり前!)
ってことで。 今日は北海道の日本海に面した「日本海食堂」というところで、おいしい海の幸をたっぷりいただきました。 そして、日本海の地平線を眺めながら露天風呂に入りました。 大阪に住んでいると、太平洋や瀬戸内海を見ることは多々あれど日本海は見る機会が少ないです。 「北海道」の「日本海」。なかなかいい海でした。
実は、今まで一度も一人旅というものをしたことが、ありません。 一人旅を「絶対」したくなかったので、あえてしないようにしてきました。
そんな私には、一人旅の達人の友人がたくさんいます。 その一人一人が、一人旅を愛してやまない人たち。 「一人旅のよさ」も「やってごらんよ」も「絶対楽しいよ」も何度も聞いたけれど、「したくない」と振り切ってきた私。 でも、今日はとあることから、わずか数時間ではありますが一人旅となりました。
ほんとは丸一日一人旅のはずが、おまけがついて数時間だけの一人旅予行演習。 うん、ちょっとだけ、一人旅をするみんなの気持ちがわかったかも・・・。 一人旅をすると、自分の中をのぞきこむ感じがするね。
一人旅の達人のアドバイスに支えられながら、楽しく過ごした数時間。 一人旅。 したくない。と言い切るのは、ちょっとやめにしようかな。
2004年05月02日(日) |
スキーをかついで山を登る |
今日は、シャクナゲ岳(の、となりの山)に登りました。 私は登山靴に「スノーシュー」で。 友人は、スキー靴に「かんじき」をつけて、スキー板をかついで。
「かんじきでスキー板かついで登って、上からすべりおりるんだ〜」 という話は何度も聞いていたけれど、実際に友人がスキー板を背負って山を登っている姿を見るのは、初めてです。
うぷぷぷぷ。 おかしい。どう考えても、おかしい! すべる為にだけ使うと思っていたスキー板が人の背中にかつがれているのは・・・・! ただひたすら、山からすべり降りるその一本を楽しみに、二時間近くも登るのです。 そのあなたたちを突き動かしている原動力はなに?!と思わず問いかけたくなるほど、重そうなスキー板をかついで登るその姿は大変そう。 それでも、誰もが根をあげず、どんどん登っていきます。
そして、登頂後昼食をとり、下ることになると。
途端に、きらりん、とみんなの顔が輝きだしました。 どちらかというと、無言だった登りとは違い、みんなうきうき、そわそわ。ざわざわ、わくわく。 しゃべらなくても、わかります。 本当に好きなことをしようとしている時の人の顔は、本当に輝いている。
ざーーーーーーーーっ。
美しいシュプールを描きながら、みんなどんどん降りていきます。 いやいや、すごい。 姿があっという間に消える。 すべりおりる姿が、すばらしく美しい。 そして、きらきらと顔が輝いている。
登るのは二時間。くだるのは、あっという間。 それでも最初から最後まで、すごく楽しそうだったスキー組。 そっか〜。なるほどね〜。 こんなに楽しいから、あんな風にかついで登るんだね〜。
それにしても・・・背中にスキー板をかついで山に登る何人もの人々・・・! いいものを、みさせていただきました。
うわぁ〜・・・・。
思わず、立ちつくしてしまった。 紅紫色のうつむき加減に咲く’カタクリの花’が、まるでピンクのじゅうたんをしいたみたいに丘一面に満開で。 そして、そのむこうに見えるのは、雪を冠した羊蹄山。 紅紫と白色の対比がとてもあざやかで美しく、息をのんでみとれてしまいました。
一面に咲く’カタクリの花’の、ひと株ひと株はとても可憐で、守ってあげたくなるはかなげさなのに、群生になると力強い生命力とでもいうものを発散させていて、圧倒されます。 なんてお花なんだろう。本当に、凛々しく力強い。それでいて、可憐で美しい。 一度見てみたいと思っていたカタクリの花は、想像以上でした。
「妖精の丘」と呼ばれている場所だそうです。 確かに妖精が住んでいるような場所かもしれない・・・と思わされる、すごいお花畑・・・。
私の小さな小さな友人は、こういう所で時を過ごしているのかもしれないなあ・・・・。
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