ずいずいずっころばし
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2008年02月29日(金) 言葉と心

人の心は見えない。

見えないから分からない。
自分の心なのにその自分の心の奥底でさえ分からず他人の手によって心理分析してもらったり、精神分析してもらったりする。

一方見えないのに分かるときがある。
それは動作からであったり、表情からその心を読み取ることができる。
目は心の眼(まなこ)という喩えがある。
嘘をついている人の目は「泳いでいる」。
「顔に書いてある」などとも言う。
子供の頃小さな嘘をつくと母が「顔に書いてあるわよ」といわれてわざわざ鏡を見に行って「書いてなかった」と言ってばれたことがあった。
キョロキョロと落ち着きがなかったり、薄ら笑いを浮かべたりからも分かることがある。
また分からないはず、見えないはずの心も体全体で表していることがある。
それは「恋」している人の心。
平兼盛(たいらのかねもり)の有名な歌。

・しのぶれど色にいでにけりわが恋は物や思ふと人のとふまで

恋している人は隠しても隠しても体全体が笑っているようにみえることがある。
大学入学してすぐの五月。
五月の連休が過ぎてすぐのこと。授業が始まる前に二人の女子大生がいきなり「私名前が変わりました。結婚しましたので!!!」と言い出した。
「うっそ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」
お相手は二人とも医者。年齢は一回り以上も離れた人。
一人は何とお見合い結婚だというからなおさら驚いた。
大学に入ってこれからいっぱいいろいろなことを学び、遊び、友と語らってという青春の真っ只中に結婚だなんてと驚いた。
ドイツ語の宿題に四苦八苦している頃、新婚さんが私に聞いてきた「ねえ、ポテトサラダの作り方教えてくれない?」
お料理したこともない私だと知っているくせに!こりゃおのろけなのね!!
そんな料理のレシピなんぞ「das des dem das」
この二人の背中はいつも笑っているように見えたから不思議だった。

そして時が経って
人の心の奥底に秘めたものについて考えるようになった。

人は自分の心の奥底にあるものをいつどのようにして表出するのだろうか?
短歌を詠むことから自らを鼓舞したり慰撫したり励みにしたりすることがある。
そしてそれを読む側もその歌に共感し、それが増幅して感動となって自らの励みとしたり慰めとなったりする。
詩もそうである。

篠沢秀雄氏がその第一詩集『彼方からの風』を刊行したのは
篠沢教授が誰にも語ることができなかった愛息の死を真正面から語ることができたのは「詩」だったからだった。

では私の場合はどうだろう?
詩でもなく短歌でもない。
ブログを書くようになって自分の心が見えてくるようになった。
ブログ日記で日々自らの心の一端を吐露してきた。
気がつけば亡き父や母の想い出が多くなった。

両親が亡くなって法事などで姉たちや親類と両親の思い出を話し出すと私は必ず席をたち、語ることができなかった。私の中で両親の死を認めることができなかったからでもあったし、自分の中にある父や母の思い出は自分だけのものであったからだった。
心の奥底にある慟哭を言葉で表すことができないと思った。
しかし、ぽつぽつとブログで誰へともなく書き連ねていくうちに自分の心が見えてくるようになった。
自分で自分にマスクしてきた部分も含めてしだいに自分の心の林を分け入っていった。
自分で書いているうちに「あぁ、私ってこんなことを考えてきたんだなあ」と気付くようになった。
しかし、こんなことは自分だけのカタルシスであってよそ様にはなんのたしにもならないのである。
もっと人の為になるようなことを書かなければとためらいが湧き上がった。
そんなとき、友人がこのブログを読んで自分の父の事、母のことなどをあらためて考えるようになったとメールを寄せてくれた。
そして長い邂逅があった。
独り言ばかりの私の日記も誰かのお役に立つことが少しでもあるのなら嬉しい。
私のブログ日記が、友のうっそうとした心の森に分け入って亡き父上のことや、今介護にある母君に思いを寄せ、来し方の自分を見つけ出す一助になったのなら幸いである。

人は日常に埋没して心の奥を見る機会がないまま打ちすぎていく。
言い換えればそれは幸せな証拠でも在る。
なぜなら心の奥を見つめようとするときは必ず何かのきっかけがある時で、それはかならずしも良いときばかりはない。

人の心は見えない。
その見えない心を「言の葉」が潤し慰め鼓舞し励ますことができるのなら、「言葉」が単なる情報の伝達手段でなく「こころ」の「在り処(ありか)」の表出となり、心を支え潤す「泉」にもなる。

「はじめに言葉ありき」は聖書の言葉だったろうか。

「言の葉」が心を繁らせ実りあるものにできるのならそれはまたとない美しい葉である。


2008年02月28日(木) お雛様と母の愛

2008年2月29日 快晴




うるう年の二月も今日でお別れ。

明日からは弥生三月。

桃のお節句である。

お雛様というとほのぼのとした話を思いだす。

塾の教師をしていた頃のこと。

塾では子供たちは休み時間に教師にいろいろなことを話してくれる。

女の子はファッションこと、男の子は笑い上戸の私を笑わせようと競って面白いことを言う。人生相談めいたことも持ちかけられることもある。

そんな中ちょうどお雛様の頃だった。
一人の女の子が「家では弟ばっかり可愛がられてつまんない!」と言い出した。
すると他の女の子が「うちもそうだけれど、私はお雛様を見るといつもお母さんの愛を感じて嬉しくなる」と言い出した。

クラスのみんなは「え〜?何でお雛さま?」と聞いた。

するとその女生徒は「お母さんは、私がお腹にいた頃こう思ったんだって」「お腹の子が女の子だったら自分の手でお雛様を作ってあげたい」と。

産まれて見たら女の子だった。
それから母親は育児の合間にこつこつと木目込み人形のお雛様を作ったという。

何年もかかってしまったらしいけれどお母さんの愛情がこもったお雛様は完成!

毎年そのお雛様は飾られ、産まれる前からのお母さんの思いが話題に上るそうだ。

女の子はいじけたりひがみそうになるとそのお雛雅の話を思い出して気持ちが温かくなるという。

母の愛が形となってその子を守って育てているのだ。

その話を聞いてしみじみ母の愛を思った。

昔の人は女の子が生まれると庭に桐の木を植えたそうだ。
ちょうど成人した頃桐は大きくなってそれで嫁入り道具を作るのだろう。

私の友人は鎌倉彫を趣味としている。

娘が産まれた頃から鏡など嫁入道具を一つ一つ心をこめて彫っているという。

体の弱かった母は年をとってから私を産んだのでいくつまで生きれるだろうかと心配ばかりしていた。
ある日まだ私が小学校の5年生ぐらいの頃、登校前の私を捕まえて顔にお化粧をして口紅を塗った。気持ち悪がって抵抗する私の顔をつくづくみて「きっと綺麗な娘になるわ」と言った。

意味が分からない私は顔をぷるんと洗って学校へ急いだ。

今思うと、母は私が成人するまで生きていることができないと思ったのだろう。

お化粧した美しい娘の顔を見ルことができないかもしれないとまだ小学生の私にお化粧をほどこして成人した姿を想像したのだろう。

塾の生徒のお雛様の話を聞きながら私は母が小学生の私にお化粧した意味がそのときやっとわかったのだった。

お雛様。

それぞれの家庭の両親がむすめの幸せと成長を願ってひな祭りしているのだろう。


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