ずいずいずっころばし
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2005年07月25日(月) |
逆境にたってみえるもの |
人生の中で絶望の淵にたたされるときがきっとあるだろう。ないままに一生を送れる人は本当に幸せといえよう。 絶望の淵とは?病だったり、職を失うことだったり、身体のどこかに障害をもつことだったり、・・・などなどさまざまだろう。 「左手のピアニスト」館野泉さんは脳梗塞で右手に麻痺が残った。 ピアニストが弾けなくなったとき、それは死を意味するに近い。 しかし左手で再度よみがえった。 画家のモネは白内障をわずらい、視力を失った。(後にわずかながら見えるようになったが) その視力を失った時に描いた絵が凄まじい作品だった。 それは「橋」という題で、自宅の池に架かっている日本風の太鼓橋を描いたものだった。 題をみてかろうじて「橋」だと分かる程度のもので幾重にも色を塗り重ねた分厚い色の塊であった。およそ淡いタッチの印象派のモネの絵とはかけ離れた作品だった。 画家から視力を奪って何が描けるというのだろうか? そんな絶望との葛藤が絵からにじみでている。見えない目に淡い色の絵の具はもはや無色に近かったのだろう。何層にも赤や黄、緑、黒、などを重ねた「橋」を池に架けたモネ。
10年に一人出るかでないかと言われた名人能役者、友枝喜久夫。 彼も晩年視力を奪われた。そしてこの盲目の能役者友枝喜久夫が演じた最後の能舞台が最も難曲と言われた「影清」。役柄は奇しくも盲目の役。 主人公「影清」は平家の侍。今は落ちぶれ盲目の老人。一人住まいのボロボロの家に娘が都から訪ねてくる。娘に自分がかつて武人として活躍した様子を語り、娘を鎌倉に帰してしまう。 盲目の悲哀と零落の身を悟られまいとする父。老いさらばえた我が身の悲哀とかつての猛々しさとを演じわけるのは至難のわざ。 それを本当に盲目になってしまった友枝さんが能舞台で舞って謡って演じる姿は孤高にして名人の極みの至芸だったとか。
聴力を失ったベートーベン。盲目になった能役者友枝喜久夫。視力を失った印象派画家モネ。 左手だけのピアニスト館野泉。
市井の名もなき人の中にも障害を持ってなを強く生きていく人は多い。 作家で精神科の医者であり、詩人、母、妻であった神谷美恵子さんはかつて「ハンセン病の人に」という詩の中で
あなたは黙っている。 かすかに微笑んでさえいる。 ああしかし、その沈黙は、微笑みは 長い戦の後にかち得られたものだ。
運命とすれすれに生きているあなたよ、 のがれようとて放さぬその鉄の手に 朝も昼も夜もつかまえられて、 十年、二十年と生きて来たあなたよ。
何故私たちでなくあなたが? あなたは代わって下さったのだ、 代わって人としてあらゆるものを奪われ、 地獄の責め苦を悩みぬいてくださったのだ。 (省略)
私はこの詩を読んで衝撃を覚えた。 「なぜ私でなくあなたが?」と思う神谷さんに動かされた。 神谷さんのことはそのうちじっくり書いていくつもりだ。
館野泉さんの脳梗塞から立ち上がって左手だけでコンサートを開いたことは、多くの人に感動を与えた。 逆境から立ち上がって復帰した人への心からの拍手であり、その音楽への情熱のありように打たれた。
見えない目で絶望との葛藤がにじみ出ている「橋」を描いたモネ。あのすさまじい厚塗りの赤や青や黄で彩られた絵を見てからはかつての美しい「睡蓮」が物足りなく見えてくる。
人生とは皮肉なものだ。目が見えなくなってから初めて見えてくるものがあり、無一文になって初めて知る真の友。 傲慢な人間は病を得てはじめて知る健康のありがたさ。謙虚な心で人生をみつめなおしてみたい。
槿(むくげ)の花の季節となった。 槿の花は「一日花」とも言われて朝咲いたかと思うと夜にはしおれて散ってしまう。 「木あさがお」とも呼ばれ朝鮮から渡来したという。
底紅の花は、千宗旦が好んだゆえに宗旦槿(そうたんむくげ)と呼ばれて白地に花芯がほの赤く美しい。 利休居士がそだてて咲いた朝顔(むくげ?)を秀吉に、ぜひ見たいと所望され、実現したのがあの有名な「朝顔の茶会」。 朝顔とは、槿(むくげ)の花だという説がある。
※「朝顔の茶会」
利休の庭に、朝顔の花が一面に咲く様子が大変美しいという噂を聞いた秀吉は、利休に「明朝、朝顔を見に行くから」と言いつけた。 翌朝、秀吉が利休の屋敷へ行ってみると、朝顔の花などどこにも咲いていない。 あの噂は偽りだったのかとがっかりし、腹を立てながらも、躙口(にじりぐち)を開けて茶室を覗いてみると、床に一輪の朝顔が生けてあった。それを見た秀吉は、庭一面に咲いている朝顔とは違う、独特の美しさに深く感動したという。 利休は前日に庭にある朝顔を全部摘み取ってしまい、一輪だけ残しておいてそれを活けたのだった。
金ぴかの黄金の茶室を、得意そうに見せびらかしている秀吉に対して、一輪の花が持つわびた美を示した利休の無言のいましめか、はたまた本当の茶人の「もてなしの心」のあらわれか?さてどれだろうか?私はその両方のような気がする。
千宗旦が好んだゆえに宗旦槿(そうたんむくげ)と呼ばれる槿の花は美しい。 これを籠に「矢はずすすき」と共にすずしげに活けると茶室は一気に夏が来る。
Sさんの見事なレビューを読んで『神屋宗湛の残した日記』 井伏鱒二を読んでみたくなった。
一瞬「宗湛」は千宗旦かと思ったが、これは違ったようで博多にすむ茶人のようだ。
茶会を催すと必ず、「茶会記」「会記」なるものを書き表すならいである。 それには茶会で扱ったお道具(釜、茶碗、お茶器、茶杓など)、掛け軸、茶花、お菓子などすべてを書き表す。
その会記を読むとその茶会に行かずとも亭主(茶会を催した席主)のもてなしの心を読み取ることができ、茶会の様子などがうかがい知ることができ、大変趣のあるものである。
会記にある道具の取り合わせはその席主の「もてなしの心」が百の言葉であらわさずとも読み取ることができる。 『神屋宗湛の残した日記』 井伏鱒二はまだ読んでいないのでどんなものかはわからないけれど、茶人宗湛が私心を交えず書いた日記とは、会記に近いものなのだろうと私は推測する。 茶の道をかじるものにとって「会記」を読むことは非常な楽しみであり、あれやこれやと茶会の席を想像する手がかりとなるものである。
その会記に近い日記(Sさんはこれを乾いたとあらわしていてすばらしかったが)を読んでこれまた骨董や茶道具にうるさい井伏鱒二がそれを読み取って解説するのは趣がある。
ことに席主が秀吉とくればなおさらである。 秀吉と茶会には逸話が山のようにあって、それこそ文才があれば、それにちなんだ物語を創造したくなるの難(がた)くない。
先にあげた「朝顔の茶会」の後、秀吉は利休の茶の心に感嘆の声をあげたと共に内心、また「やられた!」とも思ったのではなかろうか。 仕返しに似たことをやってのけた秀吉だった。
※ある日、水のいっぱい入った大きな金色の鉢を用意させた秀吉、そばには紅梅一枝を置かせた。 利休を呼ぶと「大鉢に、この紅梅を活けよ」と命じた。普通に活けたのでは、紅梅の枝は鉢の中に全部沈んでしまう。 さて、どうなることかと内心懐手をしながらにやにやする秀吉。 利休は澄ました顔で「かしこまりました」と言うと、やおら紅梅を手にしたかと思うと逆手に持ち替え、片手でそれをしごき、紅梅の花びらや蕾を水面に浮かべた。
金色の鉢に映える紅梅の花びらを見た秀吉は、あまりの美しさに声をあげて驚いた。同時に一瞬のうちに「美」を見抜くことができ、利休の臨機応変さに、頭を下げる思いになったという。
「秀吉と茶」。「会記」から読む茶席。井伏鱒二が読む『神屋宗湛の残した日記』。 面白いこと極まりないではないか。
時の宰相や主君にまつわる逸話に「紅茶」や「コーヒー」があるだろうか?
美しい日本に茶の道があり、花がその美しさに「花を添える」。 利休が丹精こめた朝顔の全てを摘んでしまってただ一輪活けた床の間の花。そこに「侘び」の美を見出す茶の心。
「侘び」を外国人に説明するのは難しい。日本人ですらいまやその心を知るのは難しい。 せめて夏のひと時、槿の花をめでることにしようではないか。
「言葉は文化なり」などと言われて久しい。
最近、言葉、文に関わる人と交流する機会が増えて感じる事はアマチュアにせよ、プロの物書きにせよ滋味あふれる文を書く人は、文からにじみ出るのと同じように好人物が多く、嬉しくなる。 ユーモアと機知を愛する高雅な人、向井敏さんの文は気の利いた諧謔を交えていて実に胸がすく。しかも誠実で品格をそなえた本物の紳士である。しかし、筋違いの文学論や偏見などに出くわした時などは憤怒に燃え胸のすくような啖呵を切ってみせてくれる。 こうでなくっちゃとばかりに私は「やんや、やんや」と快哉を叫ぶのである。と言っても勿論ご本人様に私の声が届くわけなどもないけれど。 そしてまた、私が敬愛してやまない堀江敏幸氏の作品「いつか王子駅で」に至っては、その作中の文、島村利正の短編集「残菊抄」で、篠吉の胸中をとらえた文、 「篠吉の胸の中に子供心に似たほのかな狼狽が走っていくのが感じられた」 を引用し人の心の震えに光を照射し、“こうした「子供心に似たほのかな狼狽」を日々、感じ得るか否かに人生のすべてがかかっている” と言わしめた堀江氏の言は随分含蓄があって「言葉」の深みについて十分咀嚼し反芻するにたる極上の言葉であると痛く感じ入るのだ。
さて一方、素人の文においても軽妙な語り口と小じゃれた警句を弄し、時には人情篤き部分をひょいと覗かせてくれる人などに出逢うと、もうすっかり「ほ」の字になってしまったりする。 さてもさても、「文は人なり」と称される恐ろしきものでもある。 言葉は魔物でもあることをゆめゆめ忘れてはいけない。 私なんぞは未熟で浅薄な人間性が露呈して大失敗をやらかすことがあるゆえ気をつけねばならない。『「言葉」に傷ついた』などとうっかり言ってしまいがちであるけれど、そう言う自分はどうなのだろうと振り返ってみる。無意識な「言葉」で人を傷つけている。「無意識」であるがゆえに罪は深い。
文章修行は人生修行でもある。 巷には「文章教室」「文章読本」などが売れている昨今、書き方のコツだけをすくい上げて、ある程度の文をこなせるようにはなるだろう。 しかし、「文は人なり」の如く、中身のない人間がこじゃれた文を、さかしらに書いてみたところで、虚ろなさみしさが漂うだけである。 文は書き方のコツでなく、生き方が問われるのである。 文はその人の人となり、いきざま、思考のありようが問われる。 心豊かに滋味あふれる文を綴るのは容易でなく一朝一夕のしわざではない。 もっとも、これは文だけに限らない。 一朝一夕で全てを了することはかなわない。 ただ、極上の音楽と極上の文に出逢えた日などはふと心に灯りがともる。 温かないっぱいのスープが凍えた体と心を温めてくれるように、一編の詩が数行の言葉が明日へと繋げてくれ、心に灯りをともしてくれる。 言葉は心のまんなかから出るとき初めて言霊がやどるのではなかろうか。 心のまんなかを如何に豊にするか。それがその人の豊かさに繋がり、言葉を発するとき、まあるく、広いやさしさが辺りを満たしていくのだろう。
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