ずいずいずっころばし
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2008年2月29日 快晴
うるう年の二月も今日でお別れ。
明日からは弥生三月。
桃のお節句である。
お雛様というとほのぼのとした話を思いだす。
塾の教師をしていた頃のこと。
塾では子供たちは休み時間に教師にいろいろなことを話してくれる。
女の子はファッションこと、男の子は笑い上戸の私を笑わせようと競って面白いことを言う。人生相談めいたことも持ちかけられることもある。
そんな中ちょうどお雛様の頃だった。 一人の女の子が「家では弟ばっかり可愛がられてつまんない!」と言い出した。 すると他の女の子が「うちもそうだけれど、私はお雛様を見るといつもお母さんの愛を感じて嬉しくなる」と言い出した。
クラスのみんなは「え〜?何でお雛さま?」と聞いた。
するとその女生徒は「お母さんは、私がお腹にいた頃こう思ったんだって」「お腹の子が女の子だったら自分の手でお雛様を作ってあげたい」と。
産まれて見たら女の子だった。 それから母親は育児の合間にこつこつと木目込み人形のお雛様を作ったという。
何年もかかってしまったらしいけれどお母さんの愛情がこもったお雛様は完成!
毎年そのお雛様は飾られ、産まれる前からのお母さんの思いが話題に上るそうだ。
女の子はいじけたりひがみそうになるとそのお雛雅の話を思い出して気持ちが温かくなるという。
母の愛が形となってその子を守って育てているのだ。
その話を聞いてしみじみ母の愛を思った。
昔の人は女の子が生まれると庭に桐の木を植えたそうだ。 ちょうど成人した頃桐は大きくなってそれで嫁入り道具を作るのだろう。
私の友人は鎌倉彫を趣味としている。
娘が産まれた頃から鏡など嫁入道具を一つ一つ心をこめて彫っているという。
体の弱かった母は年をとってから私を産んだのでいくつまで生きれるだろうかと心配ばかりしていた。 ある日まだ私が小学校の5年生ぐらいの頃、登校前の私を捕まえて顔にお化粧をして口紅を塗った。気持ち悪がって抵抗する私の顔をつくづくみて「きっと綺麗な娘になるわ」と言った。
意味が分からない私は顔をぷるんと洗って学校へ急いだ。
今思うと、母は私が成人するまで生きていることができないと思ったのだろう。
お化粧した美しい娘の顔を見ルことができないかもしれないとまだ小学生の私にお化粧をほどこして成人した姿を想像したのだろう。
塾の生徒のお雛様の話を聞きながら私は母が小学生の私にお化粧した意味がそのときやっとわかったのだった。
お雛様。
それぞれの家庭の両親がむすめの幸せと成長を願ってひな祭りしているのだろう。
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