ずいずいずっころばし
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2007年09月02日(日) |
遊びをせんとや生れけむ |
新幹線の回数券を買って、金曜日に飛び乗り東京へ。 月曜日の朝、また新幹線に飛び乗り仕事場へ。
そんな東京⇔名古屋間の看病生活が続いた日々。
やっと平穏な日々が続いたと思ったら舅が認知症に。 姑も病に。 看病疲れのある日、風呂場で昏倒、救急車で運ばれ大手術。 赤や青や、緑のレーザー光線のようなものが飛び交っているのをみたのは幻覚だったのか、あの世とこの世の間だったのか?
そんな月日を経て今があることを感謝する。
いろいろなことを経てみると健康でいられることに深い感謝の念がわきあがる。
当たり前のなんでもない風景、朝ご飯を食べ、洗濯をして・・・ そんな日常が病を得ると限りなく大切なひとときだったことを思い知る。
退院した日、太陽の光、木々の緑、風のそよぎ、街のざわめき、 なにもかもが美しく、「あ〜!生きていて良かった」と思ったものだ。
愛犬の散歩で仲良しになった小さな女の子。 無防備で疑うことを知らない純な瞳。 一緒に並んで原っぱに座る。 大きくなった私が小さかった昔の私に出会ったような錯覚におちいる。 二人とも子どもと大人という感覚がない。
野原でであった友だち 一緒に四葉のクローバーを探し、 夕日と共に別れていく。
ただそれだけ。 そこに意味などふたりとも考えない。 野原の向こうとこちらから 「やぁー」と手を振って転がるように犬とかけてくる。
人間は何かに意味を考えようとするけれど、 日常の一瞬をありのままに素直に過ごせばいい
「さようなら」と女の子と別れるとき ふわりと柔らかな風がとおりぬける
何も考えず犬と遊び 花を摘み 女の子と笑みをかわす
ここちよい極上のひととき。
良寛さんもきっとそんなここちだったのかもしれない。 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ
(梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑)
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