ずいずいずっころばし
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詩について荒川洋治さんの本を再、再読してさらに考える日々。
詩と散文について以前Jさんが大変興味深いことをお書きになりました。 とても印象に残っていてその文が頭に焼き付いて離れなかったのですが、今日フランス文学者篠沢秀夫の第一詩集を読んで、Jさんのことばがより鮮やかによみがえって、その意味の深さに考えをあらたにしました。
Jさんがお書きになった文を転載いたしますが、どうぞお許し願いたいと思います。
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こんにちは,ろこのすけさんが恋文について書いていらっしゃいましたので,感想などを少々。
遙か昔ぼくも恋文などを書いたことがありまして,高校生と大学生の頃でしたでしょうか。これは僕だけなのかもしれないのですが,そのふみが散文にどうしてもならないのです。中途半端なものではありますが,あきらかに詩のようなもになっていました。 これはぼく自身に散文にするだけの頭がないのか,それとも恋文というのはそういうふうに感情を詩のような形式で発露するものなのか,どっちなのだろう,と考えたことがあります。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この文がどうしても印象に残って頭から消えませんでした。 それはつまり「散文と詩」の働きの相違についてです。
篠沢教授が刊行当時69歳という年齢で第一詩集を出したことは意味が深いと思いました。 さらにその詩集のあとがき「詩のあとで」を読むとこうかいてありました。
「それまで息子の死に触れたことがなかった。雑誌やインタビュー、エッセイ、人正論的著書などにおいて、一切触れなかった。 昭和五十年(1975年)八月二十九日、十五歳の誕生日を十月に控えて、九十九里浜に呑まれた長男玄(げん)の事故死について、十年は個人的な場でも口にすることができなかった。そのあとの十数年も隠そうとするのではないが、触れたい気がしなかった。しかるに詩を書くとなるとそれが出て来る!それはまた自分の死を含めて、死の想念に広がる。」 「誰にも語れなかった悲劇について、散文で書いたり語ったりはできなかったのに、それまでほとんど書いたことのない「詩」でなら書けることに気がついた」というのです。
荒川氏は詩と散文の違いについてこう書いています。
「詩は、そのことばで表現した人が、たしかに存在する。たったひとりでも、その人は存在する。でも散文では、そのような人がひとりも存在しないこともある。いなくても、いるように書くのが散文なのだ。散文はつくられたものなのである。」と。
篠沢教授が誰にも語ることができなかった愛息の死を真正面から語ることができたのは「詩」だったからです。 実際、篠沢氏は「誰にも語れなかった悲劇について、散文で書いたり語ったりはできなかったのに、それまでほとんど書いたことのない「詩」でなら書けることに気がついた」と書いています。
恋と死とを同じ線上で語ることはできません。しかし、どちらも心の真ん中にある大切な感情です。 ひと言でもつくりものであってはならず、間違いのないまっすぐな自分の心をあらわすのは「詩」の形なのです。 荒川氏の説く「「詩は、そのことばで表現した人が、たしかに存在する。たったひとりでも、その人は存在する。でも散文では、そのような人がひとりも存在しないこともある。いなくても、いるように書くのが散文なのだ。散文はつくられたものなのである。」がその答えになっているでしょう。
篠沢教授の第一詩集の書評を書いてしまいましたが、もしかしたら載せるべきでなかったかもしれません。 私ごときものが安易に感想を述べるような作品ではなかったと思いました。 子を亡くしたその苦しい年月と慟哭を詩の最後「白い波」に見たとき、ことばを失いました。
まさに「詩」は心のまんなかを貫くもののあらわれです。 Jさんの真摯な問いに応える事ができなかった不甲斐ない私でしたが、荒川洋治さんの「詩とことば」を読み、篠沢秀夫さんの「彼方からの風」を読んでその答えをみつけました。
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