ずいずいずっころばし
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子供の頃から庭を眺めるのが好きだった。
どこにいるのか捜すのに苦労はいらなかった。
窓辺にもたれて庭をながめているのだから。
広大な庭でなくてもいい。一坪の庭でも良い。
植え込みと木と花があり、鳥が鳴く。それは自然の一こまを切り取ってきたささやかな慎ましい空間なのだ。風を感じて雨に打たれる。
母が花達にかける声で朝は目覚める。
「あら、こんなに小さなつぼみをつけてるわ!」と誰に語りかけるともない母の植物との会話。小さくて地味な「シュウカイドウ」の花にそっと語りかけるのを聞いたことがあった。
「あなたって、可愛いのね」と。
そしてつるせいの草には、からみつく杭を立ててやって育てる。雑草なのに青々と美しいそのつる草にも声をかける。「綺麗な涼しげな葉っぱね」と。
幼い私は窓辺のカーテンのひなたくさいにおいをかぎながら、なぜかそんな母の様子が好きでならなかった。
そんな幼い時の記憶があるからだろうか、私は声のない声でいつも窓辺にもたれて花たちや、草に、雲に、風に語りかける。
いつのまにか、心模様を自然に投影していく癖が根付いた。
同じ庭の風景でも部屋によって違って見える。
それは額縁の差のようなものかもしれない。
青柳氏は無為にぼんやり過ごすことほど贅沢なことはないとおっしゃるが、私には良くその気持ちが分かる。
都会っこだった私は、絵画教室で行った遠足で、黄金色に輝く稲穂が金色の波のように風になびいている様子に感動して動けなくなったことがあった。帰宅の集合時間になっても何も描かれてないキャンバスにあきれた先生はご自分でさらさらと黄金の稲穂の波を描いて下さった。また、絵画教室の屋根裏部屋が大好きな私はそこから見える風景を堪能するとうとうとと眠ってしまって、夕方母が迎えに来てもまだそこで眠っていたことがあった。
先生はリスのようなまん丸な黒い瞳を輝かせて「ゆりちゃんはこのままで大人になってほしいなあ」とにこにこ笑って可愛がって下さった。
先生のおっしゃるとおりの大人になったかどうかわからないけれど、あいかわらずぼんやりと外を眺める癖はなおらない。
今日も窓辺にもたれてブルーセージにあつまる種々の蝶々をあかずに眺めている。
キャンバスには私の心象風景まで見えない絵筆で描いてあるのを誰も知らない。
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