世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドを読了。レキシントンの幽霊も全部読了。
次はノルウェイの森である。その次は何だろう。 村上春樹強化期間はまだしばらく続く。 ここしばらくいなかったのは忙しかったからです。読書や、レポートや。 バイオリズムというかテンションというかは、非常に高めでわたしはごきげんな日々を送っていたのですが、うーん。どうも。どうもなぁ。 多少だけど陥落の兆候が今の自分に見て取れる。多少ね。 年末のGLAYさんのカウントダウンライブのチケットがとれた。高1からの、気の置けない大好きな友人と行きます。行きます。うわーい。 人生はダイナミックです。幸も不幸も全部不意打ち。せっかくだからいちいち全部、感動したり打ちのめされたりしながら生きてこう、かな。どうしようかな。なんだろうなぁ。 目の前に積み重なってる時間はともすれば私をも押しつぶしそうである(かもしれない)。 この、重く堆積した時間を。 正しくかき分けて先に進んでゆけるかな……。
HYDEの出した新曲をツタヤで借りてきた。
穏やかでよい。すてきだ。 hydeの曲は私に染み込む。好きなのだ。近しいと思うのだ。 どれくらい近しいかというと、たぶん透析のための溶媒に使えるくらいに。 クラスの友達の貸してくれた、スプートニクの恋人を読んでいる。 とりあえず村上春樹をたくさん読むことはむしろタスク的です。 しかし最近思う。私は本を読むのが別に速くなかった。 去年は受験で読書を非常に自制していたけれど、受験明けてからかなぁ。速いスピードで本を読むことをあまり出来なくなった。もしくは昔からそんな速くなかったのかもしれないけれど。 例えばエッセイの上手な好きな作家さんのエッセイを(くどい文章だな)読むときなどは、どうしても、読み終わってしまうのが勿体なくて、スパン開けながら3,4度に分けて読んでしまう。薄い文庫本一冊を、です。うん。私の恋人はきっと「遅いなぁ」と思うだろう。あの人はひどくひどく本を読むのが速いから。 恋愛感情というものをこの手に持って色を眺め実際に触ってみたい。
新潮文庫から村上春樹の短編を3こ(3さつではない)読んだ。
部屋の机周りの構造改革をした。パソコンデスクを解体した。 友達と、親戚づての一日バイトにいった。 ダンサーインザダークを見た。 プレゼンの準備やレポートが一段落した後の週末である。 焦って時間を過ごさなくて良いのである。 昨日まではひどく忙しかった。実質的にはそうでもないのだが、私の心境的に。程度の高い『やらなきゃいけないこと』には、弱いのだ……。 ダンサーインザダーク。 泣いた。泣き続けた。中盤からずっと。 これでまぁとりあえずNASAには通報されないで済む。(内輪ネタ)
不調の原因。なんなのだろう。
バイオリズムかなぁ。バイオリズムなのかなぁ。 休みたーい。風邪引いて一日寝ていたい。好きな音楽聴いて一日寝ていたい。 まぁ、ホントに無理してるんだったらそのうち体のほうが悲鳴あげて風邪でも引いてくれるだろう……。 ……って、自分の身体を試験紙にするのは止しなさい私。 現在のタスク。部活に油絵F30号。化学実験のレポート。物理実験のレポート。英語のスピーキングのプレゼンの準備。学部のほうの自主ゼミのプレゼンの準備。バイトバイトバイト。日々の勉強、微積だとか有機だとか化学だとか英語、チャイ語、あぁっ、もう。 趣味的なことでは、読書。借りた本は特に。あと、HPのリニュアル&移転。くぁーやりてぇ。日がな一日だらだらと久々にマンガ絵描きてぇ。ていうか、うん。そのうち移転しマース。よろしくデス。
ビョークの一番新しいアルバムを買った。
駅の地下街にヴィレッジヴァンガードが出来てた。今日知った。 今日は大好きな友達の誕生日である。 わたしはふらふらしている。 ダンサーインザダークを借りてきた。いつ見よう。 陰陽師の映画もいつ見よう。 わたしはふらふらしている。 泣いても何にもならない。何にもならないのだ。 泣いて何とかなるのならいくらでも泣くのに。 涙を流すことで、ここに醜く打ち付けられたものが 溶けて きれいにほどけて 透けて空気になって空へと いってしまってくれるのなら 祈りが届くのなら 喉を引きちぎるような涙の先にあるのは暗く赤い停滞への衝動でしかなく 知ってるくせに わたしがどう思うか わたしには行くところがある 行くところがあるのだよ わたしには恋人がいます。 唯一の人。不安になることなどはなにもない。
なんか、なんでも、物を書いているときは平寧とした状態でいられる。
ご飯食べてるときも。寝ているときも。 なんだかバイオリズムが下がっている。特に外的要因も思いつかないので、多分オンナノコリズムの所為だろう。 天気も悪いし。荷物も多いし。 あぁ身軽になりたいなぁ。冬は上着などが煩わしい。 バイオリズムが下がっているときに本屋に行くと、いいやーって思って本を買ってしまっていけない。 お金ないのに。(苦笑) そういうわけで、ミヒャエルエンデのモモの英語版のペーパーバックス(かな?)を買った。 それで、ドーキンスの利己的な遺伝子は半分くらいまでしか読んでないけど断念して図書館に返した。 今の私は残念なことにあまり興味深さを感じなかったので。 biologyのうちで興味深いなぁとうきうきできるのは、分子生物学あたりの話が非常にそうである。 でもそれはすなわち化学への興味の延長線上の話であって、自分の知的興味の発信基底が増えたわけではないのだ。 知的興味の発信基底を多く持てたらそれはすごく強みであるだろう。幅広い範囲に対して強いモチベーションが生じうるのだから。 私の興味の発信基底。ものすごく突き詰めたら、私は、イメージ、概念、観念などの表現ということについて非常に興味を抱いているかしら。
B'zをウォークマンで聞きながらネットとかしてると独り言が大声になっていけない。
日々叫んだり歌ってたり泣いてたりするから、マンション隣人の方々には怪しまれてンかなぁ。やれやれ私。(苦笑) 後期の英語の授業が二つあるんだけれども、我が選択の結果として、二つともオーラルだとかスピーキング系の授業になった。授業の時間中、英語で友達と議論とか会話とかをネイティブの先生に導かれつつ行うのである。 私は英語が好きだ。一つには小学校〜中学校の頃に通っていた塾の先生のおかげで。大学受験にまで使えていける文法の骨をしっかりとたたき込んでもらったから。もう一つにはおそらく私の特性として。 英語で喋るというのが楽しいのは、多分、多分にそれが私にとって「目新しいこと」なのであるからなのだろう。 覚え立てのツールを喜んで使っているようなものだ。 こういうときは半ば躁状態であって、おそらく、調子に乗っちゃってるのであって、周りのみんなに不快感を与えたりしそう……だなぁ。 はぁ。 英語の授業があるのは水曜と木曜。ついでに言うと水曜は体育もあって、私は後期体育にバドミントンを選択した。バド、激ラブ。激ラブ。弱いんだけど。 あー、だから下手したら体育の時間も調子のりそう。 やだなぁ。後でうんざりしてしまう。じぶんにうんざりしてしまうのだ。 英語についてもう少しー。 私の思考回路は、多分けっこう、英語の使用に適応するものであると思う。 江國香織さんがNHKのラジオ英会話のテキストに去年の何月かにインタビューされていたけど、そこで、「私は英語で話しているときの方がきっぱりした性格になります」って言うようなことを言っていた。 そういうのって非常に理解できる。私は今、英語はなす事が目新しいことであって調子乗ってしまう部分が多分にあるのだけれど、ちゃんと取り込めて自分の範疇内に落ち着いた頃、「英語ではなし英語で考える自分」というのが見えるようになるのだとしたらそれはどのような物かしらー、と思うのです。 外国語を学ぶのは、すき。ポエットとしてすき。 別の言葉の枠組みから、世界の意味を捉えられるようになるというのは、非常に、非常に、大きいことだ。そう思う。 うん。旅にゆきたし。 詩でも引用してそんな心を慰めるに試みる。 旅上 ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し せめては新しき背広を着て きままなる旅にいでてみん。 汽車が山道を行くとき みづいろの窓によりかかりて われひとりうれしきことをおもはむ 五月の朝のしののめの うら若草のもえいづる心まかせに。 萩原朔太郎っ。
新しくマフラーを編みまーす。
私の好きな色で。えんじとかワイン色とか彩度の低い薄黄緑とかで。 4年前からだらだら編んでいたマフラーが、気づけばようやくマフラーとして足る長さになった。 絹の混ざった手触りの良い毛糸で丁寧にシンプルにゴム編みして仕上げた。 このマフラーは、誰にもあげないのなら誰にもあげられません。 だから私自分で使うね。 しかし、編み物が出来るのだなぁと言う実感は、すなわち、もう受験終わったのだなぁという実感につながる。 その気になれば毎年一本ずつマフラー編んだりとか出来るわね。わぁ。楽しい楽しい。 私は編み物が好き。あの単純作業がすき。じわじわとだが成果が目に見えてわかるところ、作業に場所がいらないところ、ごみがでないところ、が、すき。 単純作業に熱中すると言うこと自体が、一つ「すきなこと」なのだけれども。それに加えて、私にとって編み物は、いろんな観点から言ってかなり良質である。 良質なな単純作業。 吉本ばななの、「うたかた」での、お母さんのやっていたけん玉に相当する。 3連休は、穏やかに充実して過ごせた。友達とも遊んだし。一人でぼぅともしたし。 昨日少し親と弟が来た。ひさびさ。 暇が出来たらふらりと地元に帰るのもいいなぁ。わざわざ6時間以上かけて普通列車乗り継いで帰るとかやりたいなぁ。
あーーーー。
泣くことは、怒りの発散手段としてはやはり最適な物なのではない。 自己の中に沈殿されていく。熱いどろどろとした固まりのまま、むりやりこぼしてとかして沈めて。 負荷が大きい。より処理しにくい物に変化する。 それではつらい。現在もつらいし後もつらい。 でも、どう処理するのが適切なのだろう。 適切な方法が、一番きれいに吹っ飛ばしてしまえる発散手段が、私わからないよ。 誰も私から何も奪うな。 私から時間を奪うな。私の時間を奪うな。 ──そう、思うこともある。 うん、私はどちらかといえば、物事は微分化して考える方だな。 微分化というか、物理学的な思考とも言えるかしら……。空気抵抗やなんか、様々な力の働いた結果としての現実の運動の中から、おのおのの力を抽出して考えることが出来るとか、そういう感じで。 でもそれだけじゃやはり弱くて、だからそれにそれにプラスして、個々の基本的な現象を重ね合わせた後の全体の振る舞いのダイナミクスというかそういうのをまた捉えて考察することもできるようにありたいなぁ。 科学は、科学それ自体を内省することは少ない。 だから私は哲学もおおいに知りたいと思うわ。 だってまず「考えること」について考えずにして、「考えること」を行うのは、片手落ちである、でしょう? そういえば、私が初めて哲学に興味を持ったのは、うーん。小学校三年の時かなぁ。 理由は大笑いだよ。 当時すきだった初恋の人の名前に、哲学の哲の文字が含まれていた、から。 それに依っては哲学がどういう学問なのかもほぼ全く知らなかった。ふふ、うん。大笑いだな。(笑) でもよくよく思えば、それとは知らずに、実質的に哲学と言えるような物をリアライズし出したのもその小学三年の頃であったろうな。 小学三年のクリスマス頃に、ミヒャエルエンデのモモを読んだ。それによってだろう、私は「考える」と言うことをそこはかとなくリアライズした。 それって今思えば、とてもtinyだけど、哲学かなぁ、と思う。 はてしない物語も、ジムボタンも読んだけれど、モモが一番すきかなぁ。一番、何か。何か私を染め上げるものがあった。 今再読したら、私の内部にどんな化学反応が起こるのだろうかしら。すごく興味深いのだけれど、再読する時間がなかなかない。 しかし、本当に、何となくだけれど、私が今の私であるということは、細い細い糸を手繰って──本当に簡単に途切れてしまい得た細い細い糸を、手繰って、そしてここにこう在るのだなぁ、と、しみじみしてしまう。 気の遠くなるほどの運命によって、反応のエネルギールートを転がってきた。そしてここにこう在るのだ。何が一つかけても成り立たない。今の私は成り立たない。もう一度同じように生まれたとしても、無理だろう。無理だろう。間違いなく。 私が私としてここにこう在るというのは、うん。何ともすごいことであるよ。 とったものの中で興味深い科目。実験の類。有機II。情報系のやつ。化学。論理学。プラトン。 頑張ってきたいです。本当に。頑張って、いきたいです。
髪を切った。そして染めた。
生まれて初めて髪を染めた。すげー、感慨。私的には大事件である。 黒い髪は、私のアイデンティティだったのだ。 今回はその18年間保ち続けたアイデンティティを少し手放してみた。 抑えめの茶色で、色的にはすこーーしオリーブが入っているクールな感じの色にしてもらった。 なんだか、髪型も含めて見て、すこし少年のようである。
学校が始まると、休みの間よりはずっと、体力を使うなぁ。
バイトもあるから休む暇が少ない。 でもなんとかして、部屋を片づけないといけないなぁ……。 光熱費や教科書代がかさむ。コートも買わなきゃいけないのに、あぁ、やってけっかなぁ……。 だめだぁ、今宵は体力的に本当疲れているわ。(苦笑) とりあえず、風邪は引かないように気をつけよう。
日記でも書くかぁ。
部活の仕事が、とりあえず大きく一段落した。 自分プロデュースの仕事が形になるのは、やはり嬉しい。 こういうことって一度味わったら、なかなか。 続けてしまうのだろうなぁ、どこかで。囚われてしまうかのように、やはりどこかで。 それにしても、自分の絵を展覧会の中に並べるとやはり少しへこむなぁ。 高校の頃からいつも。うーん。(苦笑) まだまだ、だなぁ。それでも、一作一作、多少なり上達してはいると思うのだけれど。 |
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朔月
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