きっと どこかで
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2005年12月30日(金) |
Kinki Kids H album H・A・N・D |
前の日記でも少しキンキ・キッズの歌の事について触れたが、最近、キンキ・キッズもいいなあと思っている。職場や、知り合いで、キンキ・キッズの曲好き、とか、いい、とかいう人がいたので、CDを買って聴いたりするようになった。機会があれば、他のCDの中の、好きな曲についても触れたいが、今回は、最近出たCDについて、書こうと思う。
キンキキッズとは、堂本剛くんと堂本光一くんの二人のコンビである。所属はジャニーズということなんだけど、この二人は、歌がうまいなあと思う。剛くんの声や歌い方には、セクシーな色気がある。光一くんは、最初の頃はかわいらしい感じの歌い方だったが、このアルバムでは、結構聴かせてくれる。
今回も、音楽的には、ちょっと哀愁ただよう曲想の曲、私のイメージでは、南欧か、北欧風。使われている楽器も、アコーディオンがあったり、北欧の民族楽器のようなものが使われていたりする。
今回は、剛くん、光一くんのソロ曲が一曲ずつ(剛くんソロ「Breath」光一くんソロ「Love Me More」)がある。それと、剛くん作詞、光一くん作曲の曲「恋涙」がある。シングルにもなっている曲「Aniversary」は歌詞も曲もいい。【AOZORA】はバラード曲だが、これは、光一くんの歌唱力が光る曲。「駅までは同じ帰り道」は歌詞が親しみやすい曲。その他の曲も、名曲ぞろい、と私は思う。「未完のラブ・ソング」はクイーンの曲にアレンジがちょっと似ている気がした。(音に厚みがあるアレンジ)「ビロードの闇」はステップ風の音が入っていたりして、スペイン民謡のイメージかな。
今回私が買ったのは初回限定版で、これには、DVDもついている(実はまだ観ていない)このDVDは初回限定版のみということである。
最近この手の売り方をするCDが多いと思う。すなわち、初回限定版と通常版の二つを作って、ちょっとだけ差をつける、ということ。どちらがいい、とも完全には言えないのだけど・・。このCDも、通常版になると、DVDは付かないらしいが、収録される曲は、増えるらしい。アルバムジャケットも変わるらしい。まあ、初回限定版は、ほんとに初回、のみなので、これを逃したら買えない、と思うと、思わず、予約したくなる。現にこのCDは、予約でCDショップで購入した。これが、売り手の狙いなのかなと思うけどね。たまたま、別のCDを買いに行った時に、目について、思わず予約してしまっていた。初回限定版のみの特典というのに惹かれてね。
結構いいです。キンキ・キッズ。ジャニーズ系の中では私の今一番のお気に入り。
2005年12月29日(木) |
「県庁の星」映画ロケ |
もう先月の話になるんだけど、「県庁の星」という映画のロケが、地元、香川県で行われたんだそうだ。ロケは、香川県庁、天満屋(デパート)などで行われていたのだそうだ。香川県庁の、県の中心地に位置するという場所と、細高い建物が、映画のイメージとよくマッチしたからだそうだ。香川県庁には、最上階には、展望室もあり、そこからの眺めは、天気のいい日は、なかなかいいものである。
出演は、織田裕二さん、柴崎コウさんなど。地元でロケがあったということ、出演する役者さんも、結構好きだったりするので、公開されたら、見に行きたいなあと思う。
四国新聞ニュース 県内ロケ撮影順調ー映画「県庁の星」
映画 県庁の星
2005年12月28日(水) |
来年度の給料などの話 |
まだまだ早いのだけど、来年度の給料などの話が、今日、上司からあった。実は、上司自身も、自分の給料の協議も今頃の時期にしており、それと併せて、私の給料等の事も考えたようだ。
結論から言うと。来年度は、今年度と全く同じ。人事院勧告では、引き下げになっているが、私の勤めている職場が参考としている香川県の職員の給料等については、今年度は引き下げは行わない(去年度より、様々な給与改革を行っているためとのこと)との事で、その代わり、ボーナスの率も、人事院勧告の方ではなく、香川県職員の基準に合わせるとのこと。それだと、率が人事院勧告より低くなるが、給料自体の引き下げがなされないので、それで行くとのこと。
上司自身もそうらしいし、他の人達についても、同じように適用されるようだ。給料について、事前にきちんと話をしてくれたのは、今度の上司が初めてだ。今までは、給与の改定をした後で、通知という形で行われたので、話をしても、聞き入れてくれる余地もなかった。そういう点では、誠実な上司なのか、それとも、私自身が、そういう話を聞けるような人間に見られるようになったということか。
今までは、自分に自信も持てず、給料の話も出来ずにいた私だったのだが、最近は、少し自信も持てるようになってきて、それなりに評価してくれてもいいかなと思えるようになってきていた。現に、ここ10年くらいの間に、私の給料の条件は、だんだんよくなってきていた。
ダンナの方はといえば、ここ何年かは、基本給は全く変わっていないとのこと・・。リストラされないだけマシ・・?そんな感じの職場らしい。退職者があってもその補充もないし、リストラで辞めたんじゃないかと思えるような人もいるらしいし・・。そんな中で、ダンナはよく頑張っていると思う。私達家族を支えるのは、ダンナなんだからね、頑張ってよ、と私は、言っている。
ただ、仕事をしてしんどいのは、私も同じなんだ。家事があるから、定時に帰らせてもらってはいるけど、その為に、少ない時間内で効率よく仕事する為にいろいろ工夫していることもある。だから、家に帰ってきたらクタクタになっていることもある。帰ったら家事があるが、それも、すぐには取り掛かれないこともある。こんな生活、いつまで続けなきゃいけないんだろう・・と思うことも。
ずっと続けていれば、楽になると信じて続けてきていたが、そんなことはない、ベテランになればまた、それだけ仕事も増えるし、それがあたりまえみたいに、まわりも思っているみたいで、大変さからは、この仕事を続けている限りは、開放されそうにない。他の人も、大なり小なり同じ思いを抱えながら仕事をしているんだろうな。前の上司は、忙しい人は仕事が出来ると思われている人、暇な人は、仕事を頼みたくないと思われている人なんだと言っていたが、それからすると、とりあえず、私は今の職場では、仕事は出来る、頼れる人とは思われているみたいだが。
そうなら、それを給料という形(昇給)で、表して欲しいと思うが、この時代の流れでは、しかたないのかなとも思う。続けていれば、そのうちまたいいこともあると信じてやっていくしかないかな。苦労はいつかむくわれると信じて・・。
職場の誰かが好きだった、kinki kidsのフラワーの歌詞を思い出しつつ・・。
「こんなに頑張ってる君がいる かなわない夢はないんだ」
先日、ヤマハジュニアオリジナルコンサート(ケン:HNが出演)に行ってきた。アンサンブルが終わってから1ヶ月くらいしかたっていない。練習は、と子供に聞いたら、12月に入ってから始めた、という。それにしては、仕上がりは、よかったと思う。もちろん、暗譜で演奏していたし・・。子供の暗記力ってすごいと思う。
指導してもらっている先生に、「曲の演奏、よくまとまっていてよかったですよ」と話したら、「今回の曲のモチーフはケンくんが考えたんですよ」とのこと。去年は他の子供だったみたいだけど、今年は、我が子の考えたのが使われたのか、と思うと、うれしいのは、親バカだよね。そういうこと全く知らなかった、だから、親も一切手伝いしていない。
ああ、それで、今回は、ケンがメロディーパート担当だったのか、と納得。去年は、伴奏パートだったから。3人編成だったので、メロディーが一人、伴奏&リズムが一人、メロディー&サブメロディーが一人という具合だった。バランスもよく、いい演奏だったんじゃないかと思った。盛り上がるところでは自然に強弱が付けられていたし。
この日のコンサートは、4部に分けて行われた。各部の最後に、アドバイザーの先生から講評があった。その中で、作曲についてのアドバイスもあったので、書いておこうかと思う。
いろんな方法で、気軽に曲を作ってみて欲しい、との話。たとえば、伴奏だけの演奏に、自分の作ったメロディーを乗せて作るのもいい。また、作曲していると、このメロディー、他の曲と似ているなあと思えることがあっても、それは、そのメロディーが素敵であるから似てくるのであって、自分の中でまた新しいメロディーに、なるのだから、かまわない、とのことだった。たとえば、ドーミーソー、とあるメロディーを、ソーミードー、と置き換えるのも、作曲だと言われていた。
作曲する場合は、曲の形式というのを知らなければならない、(簡単に言うと、AーBーA形式のような)そういうのを踏まえて自由に作曲して欲しいとのことだった。
2005年12月18日(日) |
「浜田省吾」のコンサートに行ってきた(その3) |
浜田省吾さんのオフィシャルサイトに、感想を書き込んできました。それをそのままここに書き写します。
『ここのサイトの皆さんの熱意に後押しされるようにして、チケットゲットして、飛行機やホテルも予約して・・。さいたまスーパーアリーナ行ってきました。(12月10日土曜参加です)
四国の香川県の人間なので、広島や大阪などが近いのですが、日程的に参加困難で、唯一参加可能だったのが埼玉でした。ちょっと遠いですけど、元々、中学校から、関東で過ごしていたので、なじみの地方でもあった、というのもあるんですが。
オープニングの曲が流れた時、ちょっとドラムの音が大きすぎるのでは?と思いましたが、音響さんが調整したのか、途中から気にならなくなりました。
さいたまスーパーアリーナは大きいですね!その大きなアリーナ一杯の人達。
コンサートというといつも、後列ばかりを選ぶ私なんですが、今回も、アリーナ席でしたが後列でした。後ろの方が、ステージ全体を見渡せるし、オーディエンスの様子も見れるし、というのが、後列を選ぶ理由です。選べない時もありますけどね。
そして、今回も、ライブ途中で、オーディエンス達を見回すと、立って、踊ってる・・。今回、アリーナ席だったので、上の方を見上げて上の席の人も踊ってる・というのが見えて、なんだか、こちらまでうれしくなってしまいました!
私は、今年のツアーは、さいたまが初参加だったのですが、周りは、何度も来られている、という方がほとんど。ノリもよくて、周りのみんなと一緒に、私も自然に、かけ声(I am a father、J Boy)や、手フリ(星の指輪、ラストショー)が出来ました。私の場合、ライブが楽しめるかどうか、というのは、周りの人達も同じようにのっているか、というのも、あります。
映像で、印象的だったのは、「君と歩いた道」のバックで映し出されていたものです。
高校生くらいの男女のカップル、女の子が、男の子にマフラーを巻いてあげていました。その後で、老夫婦(おそらくその高校生カップルの何年か後ということでしょう)が同じ場所で、また、女性が男性にマフラーを巻いてあげていました。それを見て、いいなーと涙出そうになりました。
その後、男性一人の映像が出て・・。あれは、どういう意味だったのかな?もう、女性は近くにいない、ということなんでしょうか。ただ、私女性の立場から言うと、老夫婦が同じ場所で、マフラーを巻いてあげるのは、今度は、男性から女性へ、というのもいいんじゃないかな、と思いました。
さいたまスーパーアリーナで、一番の目玉は、「MONEY」の曲の前に出た、火柱でしょう。突然のボワーという音とともに出た火柱。やってくれるじゃないの!最高!と思いましたが、近くにいた人で、怖かった人もいたでしょうね。
センターステージでは、ほんと、省吾さんはじめ、ミュージシャンの方々、楽しんで演奏されている様子で、メインステージとは違うノリに感じました。
省吾さんの歌や、ミュージシャンの演奏もよかったのですが、バックに映される映像などもよかったです。省吾さんや、他の方たちの演奏している様子を、途中で映し出してくれるのも、よかったです。
さいたまスーパーアリーナの周辺は、クリスマスの飾りつけでしょうか、ライトアップされていて、きれいでした。記念写真を撮っている人達も多かったです。
「土日埼玉行くから、仕事休み取って子供見てくれないかな」と、夫に頼んだら、何も聞かずに、休みを取ってくれました。(土日休みでない、サービス業種企業なのです)お留守番をしてくれた、子供達にも、夫にも感謝です。
私の地元でコンサートやる機会などありましたら、その時は、子供達も連れて行きますよ!子供達も省吾さんの曲は大好きなのです。夫は、行けるかどうかわかりません。(なかなか、決まった休みが取れないのです。夜も遅くまで仕事してるし・・。忙しい仕事なんです・・)
ちなみに、子供達のお気に入り曲は、「さよならゲーム」「ラストショー」「MONEY」「陽の当たる場所」といったところです。ノリのいい曲が好きなようです。
「陽の当たる場所」は「愛だけ 愛だけ見つめ 季節は過ぎてゆく」のフレーズが好きらしいです。 (歌詞の深い意味には気づいていないと思います)
では、またお会いできる日を、楽しみにしています。 』
2005年12月17日(土) |
「浜田省吾」のコンサートに行ってきた(その2) |
開演前の会場では、浜田省吾さんが好きだと言う、オールディーズの洋楽が流れていた。私の知っている曲も、何曲かはあった。(スタンド・バイ・ミーなど)誰とも話できず暇だったので、知っている曲は、軽く口ずさんでいた。浜田省吾さんのコンサートは定刻開演が多いと聞いていたが、この日は、15分ほど遅れて始まった。
最初の曲は、「ある晴れた夏の日の午後」最新のアルバムのラストの曲だ。アルバムラストの曲をオープニングに、というのも、不思議な感じだ。にぎやかな曲をオープニングに、というのが、コンサートでは多いのだが、スローバラードで始まる、というのも、なかなかいいもんだなと思った。「光と影の季節」「この夜に乾杯!」「旅立ちの朝」と最新アルバムからの演奏が続いた。
その後は、ちょっとテンポの早い曲が続く。「HELLO ROCK & ROLL CITY」「終りなき疾走」これは、ライブの定番曲のようになっているようだ。その後「19のままさ」「片想い」「青空のゆくえ」「さよならゲーム」「君がいるところがMy sweet home」割と人気のある曲が続いた。
ここで、1部終了。15分ほどの休憩あり。
続いての曲。「Darkness in the heart」浜田省吾さんの、間奏前のギターを持っての決めポーズ、かっこいいなーと思いながら聴く。(歌詞は結構暗いのだが)「Thank you」これも歌詞の内容は結構重いのだが、明るく歌っていた。続いて、父親が主人公の歌「I am a father」「花火」、娘を思う父親の歌という、「Sweet Little Darlin'」と家族、親子をテーマにした歌が続いた。
その後である。突然のボーという音とともに、ステージ後方で火柱が何本も上がる。この流れでは次の曲はこれだな、と思っていたらやはり、「MONEY」だった。これは、やはりライブでやると盛り上がる曲なんだなあと思った。
次は「J.BOY」前の曲「I am a father」でもそうだったのだが、この2曲は、オーディエンスによる曲に合わせての手を挙げてのかけ声があり、私も参加させてもらった。(結構楽しかった)
「家路」「日はまた昇る」スローバラードの2曲を歌って、ひとまず終了。
次が、センターステージでのアンコールになるのだが、これが、結構長い。第3部とも言ってもいいくらい曲も多かった。センターステージというのは、アリーナ席中央あたりにステージがあり、そこで演奏する。客席の真ん中で演奏するようなものである。こういうところで演奏しても、音は、メインステージでしていた時と、全く変わらず聴けた。音響さんの技術には、素晴らしいと思わされた。
「初恋」今回のツアーのテーマ曲。「恋は魔法さ」「バックシート・ラブ」楽しいアップテンポの曲が続く。「星の指輪」「ラストショー」この2曲は手フリがあり、これにも参加させてもらった。「星の指輪」の手フリは聞いていたが、「ラストショー」での手フリは予想外だったが、「さよなら〜」の歌詞で始まる曲だから、手を横に振ってるのかな、と思った。「さよならの前に」で、センターステージは終了。また、メインステージに戻って、浜田省吾さんのドラムで「AIDOのテーマ」を演奏。「君と歩いた道」では、バックに流れる、映像にじーんときた私。最後は、「ラスト・ダンス」
ざっと曲を書き並べてみたが、結構多い・・。6時すぎに始まって、休憩や途中のMC(しゃべり)も入れての時間になるが終了したのが、9時30分くらいだったかと思う。3時間半くらいだ。結構動きの激しいロック調の曲もあるのにこんなに長くライブできるとはすごいと思う。
曲の合間でのMCについては、私は最近の省吾さんのコンサートを知らないのだが、以前に比べ明るくなった、と好評らしい。いや、省吾さんって、昔から面白いと思っていたけどな・・。(省吾さんの深夜放送聞いていた私)
みんなほとんど立ちっぱなしで、曲に合わせて踊っていることが多かった。でも、立ちっぱなしに疲れて途中で座っている人もいたが。私も、途中で何回か座ってもいた。だが、まわりが立っているので、座ってしまうと、ステージなど全く見えなくなってしまうのだ。(特に段差のないアリーナ席だからかな)でも、ステージの後ろのスクリーンに、省吾さんや、他のミュージシャンの様子を大写しにしてくれていたので、それが出ている間は、それを見ていることが多かった。そちらの方が、大きく出て、よく見えるので。
私の周りにいた人たちは、今年のツアーに何回か来た事ある、という人がほとんどだった。だからかな、ノリもよくて、こちらもそれにつられて、という感じで、共に楽しく、過ごす事が出来た。
2005年12月14日(水) |
「浜田省吾」のコンサートに行ってきた(その1) |
7年ほど前にパニック障害という病気になったのと、子供が出来て、自由に一人での外出が出来なくなったため、コンサートなどにしばらく行っていなかった私なのだけど、先日、「さいたまスーパーアリーナ」で行われた、「浜田省吾」のコンサートに行ってきた。
パニック障害の症状も落ち着いて来ていて、かかりつけの医師からも、もう、そろそろお薬なしでも大丈夫だと思いますよ、とも言われている。また、子供も、私がいなくても、家で留守番も出来る年になった。
それで、私の住んでいる地元香川からはちょっと遠いが、埼玉まで行くことにした。他の地方でも、コンサートはあったのだが、私の仕事の日だったり、子供の習い事の行事があったりなどして行けず、この土曜日の埼玉のコンサートなら、日程的に大丈夫だったのだ。ただ、埼玉の場合は、日帰りは無理なので、一泊することにした。土曜日は、近くに住む、実父に、子供を頼んだ。日曜日は、ダンナに、休みをとってもらって、子供達の面倒を見てもらうことにした。
さて、朝の飛行機に乗って、羽田で降りて、まず、宿泊先のホテルへ向かう。荷物を部屋に置いて、軽く食事をしたり、部屋で休憩したりした後、コンサート会場である、「さいたまスーパーアリーナ」へ向かった。すでに、駅前から人で一杯だった。もう12月ということで、駅前から、クリスマスの飾り付けがしてあって、きれいだった。入り口のグッズ売り場は、人で一杯。並んでいる状態。あきらめて、会場の中へ入る事にした。
手に入れた席は、アリーナ席。でも、後ろの方の席なので、おそらく、ライブが始まったら、みんな立ち上がってしまって、ステージはほとんど見えなくなるだろうと思ったが、パニック障害の持病のある私としては、後ろの方の席の方がいいのだ。2階席でもチケットとれそうだったのだが、どちらがいいか悩んだが、結局こちらにした。2階席以上の席は、途中の移動がしにくい、とあるサイトに書いてあったので。
会場内に入ったのは、開演1時間前。それでも、結構多くの人が中に入っていた。私の隣の席は、20代か30代くらいの男性2人組。その他は、夫婦らしき男女・・。開演前に話出来そうな人いないなー、と思ったが、しかたないな、と思った。
2005年12月13日(火) |
軽度発達障害者支援の動き |
今日の朝日新聞香川欄のところに「軽度発達障害者支援の動き」と題した記事が載っていた。
(該当の記事は、朝日新聞社のHPでも参照出来ます。) asahi.com MY TOWN香川「軽度発達障害者支援の動き」
私の地元の、軽度発達障害の最近の支援の進み具合を書いてある、といったところかな。でも、こういうものを、記事として、取り上げてくれる、というのはありがたい。知識を持ち、また、正しく理解してくれようという人が一人でも増えれば、私達家族も、本人も、過ごしやすくなるのではないかと思う。
本人や家族の努力だけでは、どうにもならないことがあるのだ、ということを理解してほしい。また、同じように悩んでいる親御さんには、適切なアドバイスをしてあげる人が一人でも多くなれば、いいのにと思う。
最近、こういうセミナーが地元で開催されるようになったり、感心を持つ人は増えてきているようだ。やっと、行政サイドも動き出した、という感じだ。これは、私達の先輩方が、あちこちへ働きかけをしてきた成果が今頃ようやく出てきているのかもしれない。
新聞によると、「最近こういう子が増えてきたと思う。」という話。これは間違いだと思う。気が付かなかっただけだ。私の母は昔保育園で働いていたが、昔からこういう子供は、少なからずいた、という話だ。でも、バカにされたりして、十分なケアが受けられない状態だったらしい。
障害、ということへの理解。どんな障害を持っている子供でも、適切な時期に、その子にふさわしい教育を授ければ、立派に育つのだ。そういうことが、最近、ようやく理解され始めた。そりゃ、普通の子供と、全く同じところまで、というのは、無理にしても、その子の持つ可能性というのは、どこにあるかわからないのだから、それを見つけ出すのも親や教育者の腕にかかってくるのかな。
教育関係者の、軽度発達障害児への対応については、まだ、みんなで話し合っている状態。どうするかは、個々の対応にまかせられている状態だ。当然、場所により、差があるだろう。いい教師に当たればラッキー、そうでないなら、親子共々、泣き暮らす・・そういうことも起こりうるのでは。
そういう事態を少しでも少なくするよう、現場の先生方には、頑張ってもらいたいと思う。親は、どの親も一生懸命だ。子供の事を真剣に考えている。そのやり方についても、適切なアドバイスの出来る人の増える事を、望む次第である。
今日は、ダンナと私、どちらも、ボーナスの支給日だった。
ダンナの会社は、数年前から、ボーナス支給日は、朝7時出勤、現金支給だという・・。遅刻するともらえないかもしれないから、と早起きして、出かけている。
ボーナス、普段の給料以外に支給されるもの・・。なんだかうれしい。ボーナスでは、ピアノを買ったり、パソコンを新しいのに買い換えたり・・普段の給料だけでは買えないものを買うのにあてている。最近は、秋頃に買い物しても、ボーナス払いでもかまいません、と言うのもあるけど。ただ、ボーナスは、もらうまで、どのくらいか、わからない。給料の何か月分、と決まっている職場もある。そうでなく、役員会など(?)で決めている職場もあるだろう。
人によって違う、という職場もあるんだろうか・・。
さて、ボーナス!と浮かれている私達の職場に、来年度の給与関係についての書類が来ていた。具体的な事は書かれていなかったが、給料表を改定することとなどが書かれていた。まだ、具体的な話は決まっていないような感じではあったが。国家公務員の給与関係が改定されるので、それに併せて、この職場も改定されるようだ。すでに香川県の職員の給料表の翌年度分は作成されていた。
昇給の金額は少なく、長期に渡り勤めても給料があまり増えないように(財政を圧迫することのないように)階級も、あまり多くしない、給料表でも実質使われていないところは削除する、などが書かれていて、今現在勤めている人の給料は、新しい給料表に併せるため、しばらく昇給停止なども考える、というようなことが書かれていた。実際、どこまで、私達の給料に反映されるのかはわからないが・・。
香川県人事委員会
このHPの「平成18年度給料表・切替要領」を見ていただくと、そういう話がもう具体化されているのだな、と感じる。
2005年12月08日(木) |
今日はジョン・レノンの命日 |
ジョン・レノン/ワーキング・クラス・ヒーロー JOHN LENNON/WORKING CLASS HERO:DEFINITIVE LENNON(2CD)
今日は、ジョン・レノンの命日だそうだ。テレビの朝のニュースでも、新聞のコラム欄でも、書いてあった。
ジョン・レノンは、ダンナと私で、共通に好きなミュージシャンなのだ。私の場合は、「イマジン」という曲を、私の知人が、オーケストラアレンジで演奏しているのを聴いたのが、最初。それで、元の歌(ジョン・レノン)はどんなのかな、と思い、聴いたのがきっかけ。後は、以前、ちょっとだけ、ゴスペルコーラスに参加していた時、「パワー・ツウ・ザ・ピープル」を歌ったのだが、それも、ジョン・レノンの曲と知った。メッセージ性の強い歌詞を書くミュージシャンなのだなと次第に思うようになった。そんなきっかけで、聴き始めた私なのだが、ダンナにジョン・レノンの話をしたところ、ほとんどの曲を知っているという。私以上に詳しいらしい・・。
今日は、命日ということもあって、あちこちでとりあげられていたが、ここでアルバムジャケットを紹介しているものは、リマスタ版として、今年出された、2枚組のCDである(私も昨日知ったばかり。
私が持っているのはこちら。
ジョン・レノン/レジェンド JOHN LENNON/LEGEND
先々週くらいの日に、ユウ(HN)の担任の先生と、面談をした。これは、以前、担任の先生に、ユウは、発達障害に関係する、再検査をすることになっている、ということを、話したところ、結果が出たら、教えてくださいね、と言われていたため。
約束は4時頃にしていたのだが、ちょっと遅れて、4時半くらいに学校に着いて、職員室に入ろうとしたら、ちょうど、職員会議をしているところだった。しかたなく、入り口近くの廊下で終了まで待つこととした。しかし、会議は以外に長い・・。そう思って待っていたら、中から、他の先生が出てきて、担任の先生を呼び出してくれた。
私「会議中だったんでしょう、終わってからでもいいですよ、待ってますから」 先生「いや、いいんですよ、まだ、しばらくかかりますから。」
ということで、近くの部屋で、話をすることに。
まず、私から、今回、病院の先生から言われた、診断名を告げた。先生の反応は、「なんだか聞いたことない名前」という感じ。私も、その診断名を聞いたとき、そう思ったんだから、同じである。まあ、いろんな診断名があるもんなんだなあ、と思った。
先生としては、学校で、ユウとどのように接したらいいのかの参考になる話を聞きたいようだった。私も、病院の先生と会った時、家で、ユウとどのように接したらいいのかの参考になる話が聞きたかった。お医者さんの仕事は、診断すること、そういう医師もいるが・・。でも、診断の他に、どのように接したらいいのか、それが、最も知りたい事なのだ。
そういうことは、お医者さんに聞くべきことではないのかもしれない。でも、そういうことを聞けるのは、こういうところだけという人も多いと思う。そんな訳で、お医者さんも、頼りにされてしまうだろう。でも、こちらが思うほどの話は聞けない、というのが正直な感想。まあ、いくら専門家とはいっても、子供をちょっとみただけで、あれこれアドバイスする、この危険性をよくわかっているから・・?
お医者さんが話してくれたのは、今のユウの発達の状態について。それを、客観的に話してくれた。(あまり詳しいことを書くのは、差し控えさせていただくが・・。)
ただ、今回、ユウの担任の先生と話していて気になったことを書かせていただく。病院の先生から、学校側でユウに、こういうふうな配慮をしてもらえたらいい、という話を聞いていたので、それを話したところ、通常の学級で、40人近くの子供を担任一人で見ている状況では、難しい、という答えだった。それは、今までいろんな先生と話してきて、もう、わかっている。
通常の学級で無理なら、それに替わるものを、何かユウには配慮してもらえないのか。そういう話を、ユウの小学校入学以来、ずっと、学校側に話をしてきている。校長先生にも、異動があるたびにお会いして、ユウの様子を理解してもらっているか、確認している。
我が家では、ユウには、障害児学級も視野に入れつつ、話し合いをしている。入学当初は、そういう話には、全く理解のなかったダンナも、ユウの学校の様子など話していくにつれ、だんだん、理解を示してくれるようになった。というか、ダンナの場合は、通常の学級でユウを過ごさせる為の、家庭でのユウへの指導が、自分(ダンナ)には、普段は帰宅も遅く、ほとんどできないから。私自身も、ユウにとって、今の学校での状態は、決していいとは思えない。勉強の事を考えるなら、ユウのペースに合わせた指導が期待できる、障害児学級がいいと思うし、それなら、その学級の子供だから、とユウの変わった行動に対する周囲の見方も違うだろう。
ただ、ユウは、障害児学級に入る基準を満たしていない。それで、入学後の話でも、断られてしまった。このあたりの話は、担任の先生にしておかないと、誤解されるおそれがあるので、今回、きちんと話をした。通常の学級で対応すると、学校側から言われているということを。
もちろん、今年の担任の先生も、ユウには、手をかけて指導してくださっている様子は、十分伺えるので、今のままでも、十分とも思えるのだが・・。気にかけてくれて、指導してくれる、それだけでも十分。ただ、ユウに合った指導の仕方かどうか、普段のユウをみている親の側からの確認は必要かと思うが。
担任の先生は、障害児学級については、今のユウの状態を見る限りでは、反対と、今までのどの先生も言う。勉強のことだけ考えるなら、個別指導も期待できる障害児学級がいいだろうが、ユウが身に付けるべきは、友達との関わり方とか、集団行動ができるようになることだろうと言われる。実は、勉強は、まあ、普通程度には出来ている様子なので。ただ、「集団での行動」に困難をもつユウ・・。小学校入学の時からを考えると、ずいぶん成長してきているなあと思うが・・?
でも、集団の中にいながらでも、集団行動がなかなかとれず、単独行動に走りがちのユウ。これを、どうすればいいのか、と担任の先生に聞かれたが、私やダンナの結論としては出来る範囲で対応してください、としか言えない。こうしたほうがいい、と言うと、ユウだけじゃない、大勢の子供を見ているのだから、対応できないと言われるのだから。
まあ、こうやって、話し合いの機会を持とうとしてくれているのは、ユウのことをなんとかよくしたい、と思ってくださっているからだろうと思う。ユウは、ある意味、幸せ者かもしれないなあ。こんなに思ってくれる人がいて・・。将来、そのお返しが出来るのかな、ユウ。
ユウは、心優しい子供に育っている。それは、みんなに優しく接してもらっているお陰であると思う。それは、ユウの財産だ。
2005年12月01日(木) |
エレクトーンジョイフルライブ |
去年まで、エレクトーンフェスティバルと呼ばれていたもの。エレクトーンのアンサンブルのイベントである。去年くらいから試行錯誤していたらしいが、今年から、エレクトーン関係のイベントは、新しいスタイルに変わった。先日行われた、エレクトーンフェスティバル(アンサンブルの部)は、以前は、年齢別の部と、それ以外の部に分かれていたが、その区分けもなくなり、時間別に3部に分かれての開催だった。
今年も、ヤマハで習っている、ケン(HN)と、私は、出場させてもらった。ケンの方の曲は、熱帯JAZZ楽団の「ルパン・ザ・サード」。ケンは、小学校5年生なんだが、今年は、中学1年生の子も含めたグループで参加した。(小学校5年生3人、中学校1年生2人)この曲には、アドリブソロ(実際は楽譜に書いてある)があるんだけど、その部分は、中学校1年の子が弾いた。(サックスパート)
リハーサルの時も、見学させてもらったが、(レッスン会場と違うところでするので、親が連れていかないといけないので)他のグループは、縦の線を合わせるのに苦戦している様子だった。リズム感というのかな、まずこれがいるし、後は、エレクトーンの場合は、リズムは、自動で出るようにセットされているので、これを聴きながら、これにあわせなければならない。リズムパートとちょっとずれたから、リズムパートがメロディーにあわせて直してくれる、なんてことはない。
ただ、これは、いつもの演奏でもいえることなんだけど、お互いの音と言うのは、演奏している人達は、案外聴こえていないのだ。客席ではかなりの音量で聴こえるが・・。そのバランスを調整してくれるのは、音響を担当してくれている方々。リハーサルの時に、だいたいの感じを聴いて、担当の先生が、バランス調整の指示をしているようだった。
私の方は、PE'Zの、「Hale no sora sita 」という曲、ジャンルで言うと、サンバだった。トランペット、サックス、ピアノ、ベース、ドラム、これを、6人用にちょっとアレンジしなおして、演奏した。途中で、パーカッションのリズムの遊びを入れた。すなわち、16小節ほど、パーカッションのアンサンブル、にした。エレクトーンでは、パーカッションの音も出す事が出来るので、そこだけ、レジストチェンジして、全員、パーカッションの音が出るようにしたのだ。
ステージリハーサルは、本番の1日前に行われた。その1日前まで、出張で、4日ほど、全く練習出来てないまま、参加した私。最初の和音を弾くところで間違えてしまったし、それであわてて、メロディーパートともずれてしまうし、リズム音は聞こえなくなってしまうし、散々だった。これは、4日のブランクのせいだ、と思い、リハーサルから帰ってから、ずっと練習を続けた。この最初の和音は、以前は、鍵盤を見なくても弾けたところ。4日練習しないと、もう忘れてしまうんだなあと思った。
そして迎えた本番。和音も間違えず、リズム音も聞こえたし、メロディーパートもなんとなく聴きながら、演奏することができた。本番が一番よかったよねー、が今年の、私達のグループの感想。後は、聴いてくれる人がいる演奏というのも、うれしいものなのである。
ケンの方も、自分では満足できる演奏だったようである。
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