きっと どこかで
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2004年09月24日(金) 夕食作りなど

母が入院、退院してから、我が家の夕食を毎日作ることになった。そう、実は今までは、実母に作ってもらっていたんだよねー。

実父には、「大丈夫かあ〜」と心配されたんだけど、子供を出産する前までは、結婚してからずっと、夕食も作っていたし、お昼のお弁当も作っていたんだからね。それを言ったら、「そうか、そういや、そうだったな」との返事。

今までは、帰宅したら、即夕食を食べて、それから子供の宿題などをみてやっていたが、それらが、出来なくなることが予想された。子供のうちの一人は、いつも言うまでしなかったので、心配だったが、もう、今までのような手助けは出来ない。旦那の帰りも遅いし、私も仕事が終わって帰宅したら、すぐ夕食づくりにとりかからなくてはならない。夕食づくりも、朝の片付け&旦那の遅く食べた夕食の片付けから始まるので、時間がかかる・・。

もう長い間平日の夕食づくりをしていなかった。(土日などの休日は作っていたけど。)それと、帰りの買い物も・・。ということで、夕食材料の宅配を頼むことにした。実はここは、私が子供の時、自分の家でも利用していたところ。

夕食時間は、子供にしてみれば、今までより2時間くらい遅くなることになった。私が帰ってくる前には食べ終えていたので・・。

私の場合は、帰ってきたらまず夕食作り、出来たらみんなで食べて、それが済んだらお風呂の準備、洗濯、食器の片付け。まあ、子供が産まれる前はしていたんだけど、実際、また始めてみると、子供の分だけ、何でも多くなってる・・まあ、当たり前だろうけどね。

久々の夕食作りなどの家事、私としては結構楽しんでやっている。宅配のメニューは結構バラエティーに富んでいるし、必要な材料だけ、その日に配達してくれるので無駄がないと思う。値段は、高めになっているのかもしれないけど・・。

それで今ちょっと困ったなあと思うことがある。夕食の時間がずれたので、その時間帯は子供達はいつもテレビをみていたので、テレビを消して、と言いにくい事情がある。テレビを見ながら食べている状況である。食事もゆっくり食べるので、終わる時間も遅くなってしまっている。

思いきってその時間だけテレビを消してもいいんだろうけどね。実は私も見たいテレビだったりするわけでね。困ったモンだ。


2004年09月13日(月) ステージア(エレクトーン)での初演奏

先日、私がピアノのレッスン(大人のピアノ)を受けている音楽教室で、ちょっとしたミニコンサートがあった。場所は、郊外の某大型スーパーの店頭。楽器は、発売になって少しの、エレクトーンの新型機種「ステージア」。「スマートメディア」という記憶装置を、以前のFD(フロッピーディスク)と同じように使うのらしい。でも、以前のFDのデータも使えるらしい、ということで、それで参加させてもらうことにした。

今回は、I Withの「明日への扉」。さわやかな曲だ。1週間前、「ステージア」で、以前の「EL900」という機種用に作ってあったFDで演奏してみた。どうも同じようにはいかない・・。指導してくれている先生には一応話した。私は、そういうのを気にするほどの腕前じゃない、からそのまま弾いてもいいです、と話した。

右手のメロディーは、レガートがきれいに聞こえるような音になっていた。このあたりは、弾いていて気持ちがいい。あと、後半部分は、音が一部出てないところがあったが、そのまま弾いた。

今回は、だいぶ慣れてきたのか、あまり緊張しなかった。リズムに乗って、楽しく弾けた。


2004年09月12日(日) 母退院

検査、手術のために入院していた実母が先日退院した。後は、自宅療養とのこと。抗ガン剤を飲みながら、通院治療となる。

そう、母はガンである。このことは、お医者さんから、本人へも知らされたのである。「昔はガンだってこと、本人には言わなかったのにねえー」と実母も不思議そうだった。

私にとっての救いは、子供達がある程度大きくなっていること。もう、母の手を借りなくてもなんとかやっていけそう。まあ、ちょっと手のかかる子もいるけど。その子も、最近よくなってきているように感じる。

思うようにならない、とはこのことか。出来れば、母の食事なども私が作ってあげられればいいのだが、外で働く仕事を持っている関係上、私も、自分の家のことで精一杯で、とても無理だ。せめて、旦那の帰りがもう少し早かったらと思うのだけど、これは、何度も話しているのだが、早く帰って来てはくれない。

まあ、今は実父が元気なので、面倒を見てくれるということになった。


2004年09月08日(水) 台風被害(高潮)

前回の台風で、香川県など、高潮の被害がかなり出た。(床上浸水、床下浸水など)高潮は、単なる水害だけでなく、塩分を含んだ水が来た、ということで、電気系統がダメになったものがたくさんあった。私の職場のあるビルも、1階は浸水の被害を受け、1階の事務所は、電気系統はダメになるし、パソコンなど電気機器も壊れてしまっていた。

なにより、驚いたのは、朝、通勤で道を歩いていると、道路が水であふれている。家も水につかってしまっている。どうも、夜中に浸水があったらしい。朝でも、70cmくらいは、水かさがあっただろうか。それが、なかなかひかないのだ。

道路は車で大渋滞していた。あちこちで道路が通行止めになっているものだから、迂回する車で、混雑していた。どこが通れるところなのかもわからず、迂回しているようだった。電車も一部止まっていた。

翌日から、復旧作業。家庭では、塩水に浸かって使えなくなってしまった、電気製品、においがひどくてもう使えない、ふとんやタンス、その他、いろいろなものの運び出しが行われていた。畳も取り替えないといけないので、それをはずして家から外へ運び出していた。

近くに競輪場があるのだけど、バンクの中に水が入ったらしく、ホースを使って外へ排水していたけど、3日ほどかかっていた。こんなこと、同じ市に住む人でも、地域が違うと実感がないようだ。実際間近で見ないと、わからないことなのかな。

2日目くらいから、自衛隊の人達も加わって、荷物の運び出しや、運送をしていた。その後、消毒作業を行う。そのにおいも結構きつい。

まあ、浸水する時に、下水や、トイレの水なども上がってくるのだろうから、そのにおいも加わるし、中の物体自体も上がってくるのだそうだ。(特に床上まで浸水している場合だろう。)

そこへまた、もう一つ、同じようなコースでの台風が来た。今回は、「土のう」を積んだりして、対策をしているところが多く見うけられた。前回よりは被害は少なかったようだが、それでも、また、浸水したところもあったようだ。

私の旦那は車のディーラーに勤めているが、先週は、塩水に浸かってしまった車の運送の手伝いをしていて、真っ黒に日焼けして帰ってきた。修理不可能な車も結構あるのだそうだ。修理費用の方が、購入費用より高くつく、ということだそうだ。だからといって、すぐに次の車が買える人はそういない。たいてい、家の修理や、生活必需品(冷蔵庫など)をまず、買い揃えるところからだし、今日現在でも、まだ、家の片づけが出来ていない家もまだあるそうだ。(手伝いなどの人手がないところなど)

地元では雨はそんなに降っていないと思っていただけに、高潮の被害には、突然で、ビックリしたところも多かったようだ。


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