きっと どこかで
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2004年06月30日(水) 薬飲み忘れ

我が子は、毎朝、薬を飲んでから、学校へ行っている。我が子特有の多動が治まり、集中力が増す薬なんだとか。でも、たまに、飲み忘れることがある。いつまでも、飲ませるものではないそうなので、様子がよければ、ボチボチ飲まずに学校行ければなあと思っているのだけど、調子が悪かった時もあったようだし、案外、調子よかった時もあるようだ。

本人のやる気次第ってところもある。本人が好きなこと、やらないといけないと思っていることは、薬を飲まなくても、やれるようだ。そうでない、それほど好きでないことでもやらないといけないことも、学校に行けばある。そういうのが、出来ないようだ。まあ、気持ちは私も分からないでもないけどね。でも、普通は、そういう場合でも、なんとか、やりすごすもの・・。薬を飲んでその場にうまく適応できた自分の状態を、薬を飲んでいない時でも、出来ればいいんだろうけどね・・。なかなかまだ、難しいらしい。とりあえず、薬は効いているらしく、学校での授業態度は、薬を飲む前とは、かなり違って見えるらしい。

この子に薬を飲ませる事を、朝、熱心にしていたら、ある日、私自身が毎朝飲む、持病の薬を飲むのを忘れてしまった。まあ、薬は持ち歩いているので、職場についてから、薬は飲んだのだけど、朝1錠しか飲まない薬はその日は飲まずに過ごした。昼間は、特につらいというのはなかった。でも、夕方頃になり、気分が悪くなり、その日の夜行く予定だった、ゴスペルのレッスンを欠席した。(ただでさえ、最近月1回しかレッスンに行けない状態なのに・・)帰ってから、薬を飲み足した。気分の悪いのは、スーっと消えて行く感じだった。

私自身も、まだまだ、薬なしでは、ダメなんだなあと、思った日だった。調子が悪くなるとしばらく続く。次の日の朝は以前と同じように薬を飲んで行ったが、また、その日の夜気分が悪くなった。薬を飲み足すと、楽になった。

気分が悪くなるのを抑えるのが主目的の薬ではないんだけど、気分の悪いのとか、頭痛などにも良く効く。


2004年06月29日(火) 「光とともに」第11話(最終回)

「光とともに」のドラマは最終回で終わった。でも、エンディングは、普通のドラマみたいに、なんとなく終わるってパターンでもなかった。これから、光くんが利用できる施設の紹介のようなものもあったし、学年が上になり、担任の先生も変わり、また、仕切り直し、って感じ、現実感あるなあと・・つくづく思った。

光くんは、1年生を終えるまでに自主登校するという目標をつくり、それに向けて親子共々、毎日少しずつ、自分で判断して歩けるように、訓練をしていく。1年生もようやく終わりに近づいた頃、やっと、ほとんど自分一人で登校しても大丈夫になるまでになる。

担任の先生とは、お別れ。お別れの日、交流学級の子供達も一緒のお別れ会をする。そこで、一人づつ、将来の夢を発表する。光くんの場合は、言葉が話せないのでママが話しをする。将来の夢は、立派に働く大人になります、だったかな。

障害児を預かってくれる施設に、光くんを預けて、ママと担任の先生は、二人で映画を楽しむ。子供の扱いにも慣れている様子で、光くんも、行ってすぐに、そこの方と、楽しく遊び始める。

後任の先生は、校長先生が、障害児教育に熱心そうな先生を捜して連れてくる。その先生が後任になるかと思いきや、校長先生が急病で入院、後任の先生も違う先生となる。障害児教育のことなど、あまり理解がなさそうな先生。前途多難が予想される・・。で終わりとなった。


この日は、いつもより、時間を少し延長しての放映だった。何があるのかと期待していたのだが、中身は、どんでん返し。まあ、光くんの場合は、最初にいい先生に当たったんだよね。学校は、担任の交代というのがある。いつも、自分の子供と相性のいい先生ばかりじゃないってことかなー。

前任の先生が、書いてくれていたノートを見て「えーこんなこと、面倒くさそう」とか言って、壁に貼ってある写真などもはがしてしまった。まあ、こういう先生もいるんじゃないかな。前任者のやり方をあまり考慮しない先生。自分のやり方でやろうとする先生なんじゃないかな。

それに、光くんがうまく適応できればいいんだろうけどね。ママの反応は、不安そうだった。

これを見て、以前、とあるLD関連の親の会で、ある保護者の方が話をされていたのを思い出した。その方はこう言われていた。
「担任に当たりはずれがあるって言い方される方いますけど、それは、親のもって行き方で、良くも悪くも変えられるんですよ。私は、今まで、どの先生も、良い先生だったと思っています。最初、自分の子供の事に理解がなかったり、対応が悪くても、いろいろ話をする中で、わかってくれて、最終的には、いい対応をしてくれました。」

その方は、ある会の、お世話役をされていた方なので、さすが、そういったことが出来たので、会のお世話役もしているんだろうなと思った。

我が家の場合はどうだろう・・。結構、悪くないんじゃないかなと思った。私の場合は、子供が訓練を受けているリハセンターの方に学校に来ていただいて、校長先生や担任の先生に話をしていただいたというのもよかった、今の校長先生は、私が所属している親の会の代表の方をよく知っている様子だったし、今の担任の先生も、我が子のような子供の教育に熱心な先生(校長先生のお話にもあった)だなと感じられる。

保育園の時も、初めの頃こそ理解してもらえず、それこそしつけがおかしいのでは、という感じのいい方をされていたけど、終わりの何年かは、我が子に根気良く教えてくださる先生方が担任についてくださった。園長室大好きの子供でしょっちゅう園長室に出入りし、園長先生にもかわいがっていただいていたのではないかと思う。ちょっと迷惑だったかも、だけど。

我が子の場合は、あと、兄弟もいるし、いとこも同じ学校、保育園からの友達は理解してくれている。しかし、そうでない、あまり我が子のこと知らない子供達は、我が子の行動に、理解できないところがあるようだ。「不思議だなあー」といった感じで見ているそう。(いとこ談)

このいとこのクラスの子との間で先日ちょっとしたトラブルがあった。単なる子供どおしのけんか、程度にまわりは考えているようだけど、どうなのか。

これから、こういったトラブルは増えてくると思われる。のりこえる力を身につけた子に育ってほしいと思う。


2004年06月22日(火) もう一人の子供について

我が家には、発達障害の診断を受けている子供の他にもう一人子供がいる。あまりこの日記に登場することはなかったんだけど・・。というか、プライベートなことは、最近書くのはちょっと控えているせいもあるけど・・。結構、私を知っている人がここを見ているらしいことがわかったので・・。そんな気はなくても、失礼なことを書いていたりということも、あるようなので・・。それとか、知人のことで、ネットに書いてはマズイことを書いた事とか・・。いや、ひどい、という意味でなく、秘密にしていること(というか、一部の人にしか知らせていないこと)を書きこんでしまったりということもあったので・・。私は、そういうこと(あまり公にしてほしくないことだったこと)を知らなかったものだから・・。いや、注意しているつもりなんだけどね。だから、今は前以上に注意してマス。

さて、この子と、発達障害の診断を受けている子供とは、同性の双子。生まれた時、いや、おなかの中にいたときからずっと一緒。この子は、いつも側にいた。保育園時代は、同じ年ながら、障害を持っている子供の面倒を見てきた。おかげで、よく気が付く、お世話をするのも上手になっていたらしい。去年の担任の先生の話によると・・。「ちょっとおとなしいけど、人の面倒見はいいです。お勉強もよく出来るので、いろんな子が、この子のところに聞きに来て、そのたびに答えてあげて、疲れないかと思うくらいですよ。」とのこと。それと、私は知らなかったのだけど、去年、クラスでテストでの100点の数が、1、2学期、一番多かったらしい。3学期は2番になったんだとか。この子の勉強はほとんど見てやっていない。自分で、自主的にやっている。もう一人に手がかかるから、ほとんど見てやる時間がないのが現状だ。もー、私としては、こちらで手一杯といったところ。

だから、ちょいちょい、通常学級に通わせているのは、親である私の方が、大変だー、と思ってしまうこともある。

もう一人の子は、それなりに悟ってしまっている。困った事があったら、すぐ、言えばいいのに、それが出来ないのではないかと思う事があった。

学校に、検尿を持って行く日。朝、おしっこを、紙コップに取り、検尿用の採取容器に入れる。この子は、おしっこを紙コップにいれるところまでは出来たが、あと容器に入れることが出来ずに、泣いていた。泣いているのに気が付いた私は、どうしたのかとたずねると、容器に入れることが出来ないのだということだった。

すぐ、私を呼べばいいのに、それが出来ないのかな。いつも一人で何でもやっているから、困ったときは人の助けを借りればいい、ということを知らずにいて、たまに失敗して泣いたりしている。別にいいんだよ、そんなこと、失敗したって。失敗しながら、人はいろんなこと覚えていくものなんだよ。失敗のない人なんかいない。失敗したときどうするか、それを生かすことが出来れば、また一つ、成長したってことなんだよ。

失敗を隠すことも必要ないんだよ。(今は、そういう大人・会社が問題になっているけど)私など、失敗だらけ、隠すこともないので、悪く言われたり、叱られたりすることも人より多いかもしれないけど、(バカ正直ともいうか・・!)私はこうすることでしか生きていくことは出来ない。ウソをつくのは大嫌い。お世辞も苦手。だから、ホントに、いいと思った事はいうけど、おべんちゃらで人を誉めたりっていうのはないなー。(ほんと、損な性格かなって思うけどね)そんな私を分かってくれる人とだけ、付き合っていければいいと思ってる。だから、私のまわりは、口は悪いが、気のいい人が多い。私と同じように、生き方下手な人間なのかもしれないけどね。

そういうことを考えると、結構この子は、私より、利口というか、生き方上手なのかもしれないなあー。でも、困った時は、いつでも話してね、ってこの前この子にも話した。

どうしても、もう一人の方に手がかかってしまって、あまり面倒見てあげられないけど、同じように大切な私の子供なんだからって。

この子には、この子の人生を生きて行って欲しい。もう一人の子供の面倒を見るなど、あまり考えずに、生きていって欲しいと思った。

私自身も、あまり障害を持っている子供のことにとらわれず、ある程度自由に過ごしている・・。仕事をしている時などは、全く子供の事など頭にないし・・。(いや、仕事も結構忙しいというのもあるよ。)

小学校に入る時、クラス分けのことを質問したら、「双子は原則として別クラスにしてます。」と言われた。それで、初めて、二人は別々に過ごすようになったんだけど、今までは、この子が障害を持っている子供の面倒を見てきていたのに、それからは、他の子供達が面倒を見てくれるようになった・・。それを知って、自分の子供の面倒を他の子供がみてくれているの、ちょっと心苦しい思いだった。でも、それは、イヤイヤでなく、子供ながらにも、出来ない子に親切にしたい、という気持ちからなのかな、とも思えた。

今は、障害のある子も出来ることが増えてきて、障害を持っているなどという言いカがなじまないのでは、とも思えるようになってきた。診断名としてある、という程度まで・・。決して、普通の子と同じようにとまでは行っていないけど。

いろんな人のお世話になって・・。

いい出会いも多いなあと思う今日この頃。こういう子供達を授かっていなかったら会わなかっただろう人もいるから。


2004年06月21日(月) ミッシェル・ポルナレフのCD

今日は月曜日で、旦那はいつものとおり、仕事休み。近くの大型スーパーに新しく出来たCDショップに行って来たらしい。何でも、そこは、旦那の好きな昔の洋楽なども揃っているという話を聞いて、一度行ってみたいと思っていたんだとか。そこで見つけて買ってきたのが、「ミッシェル・ポルナレフ」のCD。昔好きでよく聞いていたらしい。私にはあまり馴染みがない。聴いたことのあるような感じの曲もあったけど。歌詞はフランス語だとか。そのCDを聴いた限りでは、曲調は、タンゴっぽい感じの曲、ジャズ風アレンジの曲、ポップス路線の曲といった感じの構成に感じられた。

そこで私も、以前買った、「ジョン・レノン」のCDを出して来て、その後、一緒に聴いた。旦那は、ほとんどの曲を知っていた。何年か前、イマジンという曲がジョン・レノンの曲ということを知り、それで買ったCD。他の曲はその当時はほとんど知らなかった。今日、改めて聴いてみると、聴きなれた曲が結構多い。ここ最近、ジョンレノンの曲の特集番組とかも多かったし、また、CMなどで流れる曲に使われていた曲もあったりして。

どうも、旦那は、昔の洋楽が好きのようだ。

さて、今日の話題といえば、台風の話は避けて通れない気がするけど・・・。

子供達は、天気予報で、警報が出ていたため、「臨時休校」。ちょうど旦那が休みの時でよかった、と私は思ったけど・・。仕事は休みにならないもんね。いつも使う電車も、午前中は止まっていて、旦那に、車で職場まで送ってもらった。

台風の影響があったのは、午前中までで、午後からは、次第に雲も少なくなってきて、帰る頃には、すっかり雨も上がっていた。


2004年06月20日(日) 障害者の過ごす社会は・・

昨日の話の続きのようになるけど、私は、養護学校や、障害児学級を否定するものではない。それが、普通の人達と、離れていて、そういう人達が存在する事すら、私は、子供の頃は知らずにいたのだ。私の小学校にも、障害児学級はあったが、卒業するまで知らなかった。卒業写真のアルバムに、そのクラスの子供達の写真が載っていて、初めて、そういうクラスがあったことを知ったのだ。

そういうのでなく、障害を持っている人を特別な人と考えるのでなく、うまく言えないけど、ごく自然に側にいてもおかしくない、そんな社会になればいいのになあと思うのだ。

障害者扱いすることには、ある問題点も指摘されている。自分は障害者なんだから、出来なくてもいい、となげやりな気持ちになる人もいるらしい。ある意味、それは正しいことなのかもしれない。出来ないこともある、と認めることはつらいけど、しかたないこと。でも、自分にも、できる事があるんだ、ということに気づく事、それにより、自信を取り戻すことが出来るし、それを利用して、社会貢献が出来るし、場合によっては、それを仕事にして、自活することが出来るかもしれない。

結婚前、私の父と旦那は、ある論争をした。不妊治療して子供を持つ事はどうなのか。自然に反する事、と旦那は反対した。父は、子供が欲しいという気持ちがあり、それを助けるために、考えられた事なのだから、と正当化した考えを持っていた。

今障害者が生きていくためには、医学の力の助けを借りていることも多い。それで、障害者が幸せに生きていけるなら、いいのではないのだろうか。人は誰でも、幸せになりたいと思っているし、そうなる権利も、あるのではないだろうか。

なんだか、障害者について考える人みたいになってしまっているけど(最近の日記)そんなに重度の障害者が近くにいないから、そんなのんきなことを言っていられるのだと思っている人がいるかもしれない。

昔、病院で栄養士として働いていた頃、植物状態の方とか、重度の症状の方の食事を作るのは、栄養士の担当だった。経管栄養食とかは、まだ理解できたが、ミキサー食については、どうも理解できなかった。ミキサー食をどのようにして、食するのか。ここの病院のミキサー食は、食事全部をミキサーにかけるというもので、とても食べられるものではない。(味も全部混じってしまっていて)他の方は、そういう指示だから、という答え。私には、こんなものをどうやって食べるのか・・。考えただけで、気の毒になってしまった。おいしくもない・・。

その後、病棟へ行かせてもらった。植物状態で、全く動かず、でも、目だけは開いている方もいた。植物状態とはいえ、感情もある程度あるのではないか、とも思えた。ただ、言ったり態度にしたり出来ないだけで。

植物状態の方は、飲みこむことすら出来ないため、口から管を入れそこに栄養物を流し込み、胃まで送り込む。直接胃に入るのだから、味など関係ないと思っているのか、とその時思った。

看護婦さんたちが、その方達の側に付き添っていたのだけれど、何かをするたびに、話しかけながらしていたのが印象的だった。物言わぬ人に向かって、話しかける、でも、それは、本人にも聞こえていて、何か感じているんだろうなと、思わずにはいられなかった。

看護婦さんに「この状態から、回復することはあるんですか?」というようなことを、その時、聞いた気がする。そしたら、「いや、ほとんどないんですよ。」と答えた。その時、ある植物状態の患者さんが、涙を流したように見えた。やはり、感情のある方もいるんだなあと思って、切なかった。そうでない、ほとんど、眠っているような感じの方がほとんどだったけど。

命の尊厳という言葉がある。植物状態の方についてはどうなのか・・。よくわからない・・今でも・・。やりたいこと、出来ずに生きていくのは、つらすぎる・・。


2004年06月19日(土) 「光とともに」第10話

この日のテーマは、いつも一緒にいる人以外の人と一緒に行動するということと、お金の感覚を学習して、お手伝いをしてお金を稼いで(一応)自分の好きな物を買いに行くということ。

光くんのママがドラマで、以前、「光よりも1日でも長生きしなきゃって思ってるんです。」というセリフがあった。でも現実は、普通に考えると、親は子供より先に死ぬもの。願いはわかるけど、あまり現実的でないなあと思っていた。

そしたら、今回のテーマ。光くんをママなしでも行動できる人間に、他の人のサポートでも行動できるようにという訓練。

光くんは「塩メロン味のお菓子」が大好き。これを、利用して、お手伝いをしたら1回10円もらえ、10個たまったら、光くんが普段一緒に行動していない人と一緒にそのお菓子を買いに行くという計画をたてる。

お手伝いは、お部屋の掃除。きちんとゴミをほうきで集め、ちりとりで取って、ゴミ箱へ入れる。出来たら1回10円。光くんは100円集め、それを持って、小学校の音楽を担当している先生と一緒に買い物に出かける。


今回も、子供と一緒に見た。おかげで、子供は次の日の朝眠そうだったけど・・。

光くんのような子供は、どの程度まで成長するのだろうか。日本の場合は、障害を持っている方は、あまり外で見かけることも少なく、情報も普通の子供を持っている場合は、ほとんど知らないことが多い。

それで、子供に障害があると医師から診断を受けた場合、ショックを受ける親御さんが多いのではないか。どの程度まで成長するのか、こういう人達の社会の受け皿はどうなっているのか、そういうことがわかれば、心配も少しは減るのではないかと思う。

アメリカなどでは、障害を持っている人も普通に大学に通っているという話も聞く。

日本の場合は、障害があるなら、通常のクラスでは過ごせません、そういう子供専用の学校があるから、そちらへ行ってください、という対応。それにいい点もあるのだろうが、一般の人は障害者がどのように過ごしているのか、知らずに過ごす。

それで、自分の子供が障害を持っているといわれたら、別世界へ行かなくてはいけないような感覚を持ってしまうのではないだろうか。障害を持っている人達もまわりの人達も、心豊かに過ごしているということ、もっとアピールしてもいいのではないかという気もする。


2004年06月15日(火) 上原ひろみさんのCD

以前から、気になっていた、作曲家&ピアニストのCDを買った。最近私のCDコレクションは増えるばかり・・。もージャンルは色々・・。クラシックあり、ジャズあり、ポップス系あり、あと今習ってる関連でゴスペル系あり・・。

経歴を見たら、ヤマハ出身と書いてあった。この人もなのかー。

演奏は、ピアノをさらりと弾きこなしている感じ。気楽に、楽しく聴ける曲だ。(でも、テクニックはすごいんだろうなと思わせるものを感じたけど。)

ピアノ、ベース、ドラムのセッションのスタイルが多い。あとはピアノでなく、シンセサイザーかなにかで音を出しているようなものもあるような気がするけど。

ジャズといってもいろんな演奏があると思うけどこれは、クラシックに近いジャズという感じだ。あまりリズムを崩したりしていないし。

でも、1曲ごとに、アレンジなどが凝っていて、飽きないCD構成になっているなあと思った。

ほんとは、倉本裕基さんのCDを捜しにCDショップへ行ったんだけどね。気に入ったのがなかったので、こちらにしたのだ。

上原さんのCD聴いて、買って損はなかったなあと思った。うちの子も好きそうな曲もありそうだった。子供は、クラシックより、こういう系統の音楽の方が好きみたい。


2004年06月14日(月) 「光とともに」第9話

何回目からか覚えていないのだけど、発達障害のある子供と一緒に、ドラマを見ている。(テレビ好き、夜更かし好きなもんで。)

子供が一緒に見るようになって、2回目くらいの時「じへいしょうってなに?」と聞かれた。(子供は小学校四年生)ちょっとドキッとした・・。何故かというと、この子も、広い意味で、自閉症の仲間に含まれると言われているからである。ある程度は、きちんと教えてあげた。自分と近い部分があるなあと思ったかどうか。

私の説明はこんな感じ。「自分の思っていることをうまく言葉や態度にして表現することが出来ない人達なんだよ。だから、本人も、相手に自分の思っていることを伝えられなくてもどかしい思いをしているし、まわりの人も、その人が何をしたいのか、わからずに、手助けをしてあげたくてもできにくくて、もどかしい思いをしているんだよ。」これ以上は、この子には言う必要ないかなと。

今回は、光くんのモノマネをする女の子が、もう一人の主人公かな。

光くんは、何か動作をするとき、「光、〇〇します。」と言ってからでないと行動できない。それを、交流学級の女の子が、モノマネをしていた。担任の先生は、深刻に悩む。そして、光くんの在籍する「あさがお教室」へその女の子を連れてきて、光くんのその言葉に込められている意味を、説明する。なかなか、言葉も出ない、動作も遅れている光くんに、そこまでさせるのにどれだけまわりの人達が苦労しているのか、それを考えたら、モノマネできるようなものではないんだ、ということを、涙ながらに話す。それを見た女の子は、光くんのモノマネをやめる。「どうして?」と光くんの担任の先生が聞いたら、「それをすると悲しむ人がいるから」とのこと。

また、光くんの担任の先生は、今年度いっぱいで先生をやめ、障害児教育の勉強をするため、大学へ行くのだという話が知らされる。


モノマネ、何気なくしてしまうのだけど、それが、ある人にとって、どれだけ、傷つくことなのか、気がつかずにしてまったのだ。そういうことって、他にもあると思う。イジメも、そういうものかもしれない。相手がどれだけ苦しい思いをしているのか、見た目以上に本人は苦しんでいる。いじめた方は、それに気がついていない。いじめではなくても、ちょっとしたなにげない一言でも、傷つくことがある。

言い返したりすることが出来る状態ならいいが、それが出来にくい状態もあると思う。それが、その本人に対して出来ずにつらい思いをしているなら、それを吐き出す場所が必要だ。親に話が出来るなら親に話をすればいいし、日記でもいい。いじめられているなら、それを日記に書くことを私はすすめる。いじめられたことが原因で、自殺、病気、不登校、退職などした時、そういうことが、参考になると思う。

いじめられたからといって、やりかえす、という方法もあるけど、それは、最近は危険だ。暴力をふるった方が、悪者にされてしまう。

他の方法での仕返しを考えるのだ。仕返しできないなら、いじめなどされないような人間になればよい。いじめられてオロオロしているとよけいいじめられる。いじめなど何とも思ってない、というフリをするのも一つの方法。

でも、なんと言っても、いじめている人自身が、そういう意識をもたずにしていることもあるということだ。何気なくしていることが相手を傷つけていることに気がつかないというのが一番おそろしいなと思う。

ふざけて何かするのも、ほどほどに、ってところだろうか。


2004年06月11日(金) ここ2日ほどの子供の調子について

先日、発達障害のある子供の方が、いつも常用している薬を飲まずに登校した。飲まずに、というより、飲み忘れ。出かけてから、飲んでいない事に気が付いたのだが、しかたない。担任の先生からは、旦那の方に、一度、最近調子がいいようなので、たまには、薬を飲まさずに登校させてみてもいいかも、というようなことも言われていたらしいので、ちょっとテストするのにいい機会かな、とも考えていた。でもやはり心配。

帰ってから、子供のランドセルから、連絡帳を捜すが入っていない。やはり何かおかしい。まだ、先生が学校にいる時間と思われたので、学校へ電話した。担任の先生と話をした。

やはり、先生の話し方もいつもの元気さがない。それだけで、相当大変だったのかという気がした。(でも、よく見てくださっていたんだろうなと感じられたが。)話の内容は、昨日今日と、授業に参加している様子が全くなかったとのこと。それで、ちょっと居残りをさせて、授業でやってなかったことの補足のようなことをしていたとか・・?話し方も、ハッキリせず、内容もつかみにくいモゴモゴしたしゃべり方・・。いや、別に先生に苦情を言っているんじゃないんだけど。

そこで、今朝は薬を飲み忘れていたので、そのこともあり、いつもと様子が違っていたのではないかと気になって、電話したのだと話したんだけど。

子供の方は、結構元気で、授業が終わった後、居残りがあり帰りが遅かったにもかかわらず、その足でちょっと寄り道。

最近、私の妹の子供が、我が子が以前行っていた保育園に入園した。そこに、ちょくちょく、学校の帰りがけに寄っているらしい。その日も行っていたらしい。それで、妹の子供のお迎えは、私の父が行っているのだけど、そのお迎えの時間まで保育園にいて、一緒に帰ってくるらしい。

私の親の方からは、その前2日、私の帰りの遅かったことが指摘された。(1日は、この日記にも書いてあるけど、ピアノリサイタル。もう1日は、発達障害関連の親の集まり出席のため。)

私の親がいうには、母親の私の帰りが遅く、2日夜面倒をみてやっていないから、調子が悪かったんだろうということだった。それもあるかもしれない。でも、たまにコンサートに行くぐらいいいじゃないか、ほんとに、何年かぶりのコンサートで・・。あともう1日は、この子のための勉強会でもある集まりなんだから・・。

でも、現に子供の状態がよくなってきていないと、「出席しているだけで役にたっていない」と言われてしまう。

よくなったり悪くなったりというのはわかっているはず。2日とも私の親に頼んで夜出かけたのだけど、私の親も大変だったのかも・・。

勉強会で言われたことは、具体的で実生活でも役に立つことも多い。すぐには成果は出なくても、出来ることはやりたいという気持ちで、やってるんだから、それは、私の親にも認めてほしいと思ったが。

私自身の体調も、そんなによくなく、以前からの薬(PD関連)を服用しながらの生活である。あまり無理は出来ない状態。というか、薬が、私自身に、無理をさせないように、というふうに働くような気がする。あまり無理をしすぎて、こういう病気になってしまったのかもしれない。だから、薬が私の無理したい欲求を抑えてくれて、それでちょうどいいのかもしれない。

子供のことも、以前と比べるとほんとに良くなって来ていると思うことが多い。素直で明るく元気に育っているのだから、いいのではないか、とりあえず、そんなに私のやってきたことは間違ってはいないのではないか、と思う。

1日1日の積み重ねで、日々が過ぎていくのだから・・。長い目で見て欲しい。この子を、良識のある社会人として、世の中に送り出していく、普通のお子さんより時間がかかっても、この子をわかってくれる人も見つけて・・。

こういう障害を持っていると、つらい思いをすることは他の人より多いかもしれない。でも、その分、人に優しくなれるんではないか、という気もする。この子のいいところを認めてくれる人に多く出会えるといいね。これから先。


2004年06月08日(火) ピアノリサイタル(及川浩治)

子供が習っているピアノの先生から、リーフレット(案内)をもらっていた、ピアノリサイタルに行って来た。チケットは、楽器店で前売り券を購入していた。

演奏者:及川浩治

プログラム「ショパン&リスト」

ショパン:ワルツ「華麗なる大円舞曲」
リスト :「ラ・カンパネラ」
ショパン:「革命」
ショパン:「木枯らし」
リスト :「狩り」
リスト :スペイン狂詩曲
−−−−−−休 憩−−−−−−−
リスト :コンソレーション
リスト :愛の夢
リスト :メフィストワルツ
ショパン:子守歌
ショパン:マズルカ第41番
ショパン:マズルカ第38番
ショパン:「幻想ポロネーズ」
−−−アンコール−−−−−−
ショパン:「別れの曲」
もう1曲は曲目分からず・・。

この日は、職場の割と近くのホールだったので、ギリギリくらいの時間に職場を出た。すでに、ホールの中は、お客さんでいっぱいで、空いた席を探すのに一苦労。ようやく、探し当てたのが、一番前の中央の席。まあ、いい席、とも言われるところだけど、前の方で聴くのは、あまり好きではないんだよね、私。でも空いてないからしょうがないか、とそこに座った。

ホールでのコンサートなどで、一番前で聴いたのはおそらく今日が初めてじゃないかな。演奏者の息遣いまで聞こえてくるんだなあと感動。でも、あれほど激しく動き回ってピアノを弾くものなのか?と思ったんだけど。

演奏は、とにかく、ダイナミック。演奏に、引きこまれるような感じだった。そんな中にも、繊細さも感じさせた。技巧練習曲を多くプログラムに持ってくるあたり、すごいなと思った。

最近、コンサート関係は、行きたいのだが、行かずにガマンしている私なのである。結構お金もかかるし、だから、その代わりに、CDを買っている状態。その方が、同じ位もしくは安い料金で楽しめるし、何度も聴けるしと思っていた。でも、生演奏の迫力とは違うなあと思ってきた。

今回はちょうどタイミングよく、リサイタルの案内があったので、久しぶりに行ってみようかな、と思ったのだ。オーケストラ、吹奏楽などは何度かあったが、ピアノのリサイタルは、新婚旅行で行ったウィーン以来。あの時も似たようなプログラム、確か「オール ショパン プログラム」だったような・・。
(ええ、音楽好きの私の願いで、旅行のプログラムにいれたのだー。ウィーンに言ったらコンサートに行きたいっていう・・。)

帰り際、CDを1枚買った。今日買うと、及川さんがサインをしてくれるというので・・。それと、演奏自体も、とても素敵だと思ったので。

サインをして、及川さんは一人一人と握手をしていた。私は、思わず「今日の演奏素敵でした。これからもがんばってくださいね」と言っていた。及川さんはニコっとしてくださった。(ような気がした・・)


2004年06月06日(日) 映画「機関車先生」先行ロードショー

映画「機関車先生」を観て来た。地元オールロケとかで、全国に先駆けて先行ロードショーをしている。職場で、チケットをもらったので、家族で観に行った。旦那は、見終わった後で「この手の話は弱いなあー」という。泣いてしまったとか・・。子供と一緒に観たので、席が離れていて、泣いていたとは気がつかなかった。ふーん、旦那も以外と、優しいところあるのかなと思った。(いつも、家のテレビではアクションものの映画ばかり見ていることが多いので)私はというと、メロドラマ大好き人間なので、家で一人で見ている時は泣いていることもあるけど、誰かと一緒だとちょっと恥ずかしいかなと思って、こらえていることが多いかな。

あらすじについておおまかに書くと・・。

「葉名島」という瀬戸内海の島(小説上の架空の島)へ、一人の男性教師が臨時教員として赴任してくる。ある事情のために、話すことが出来ない。そんな教師に、子供達は、「口がきけん、口をきかん、機関車先生だ」とアダ名を付ける。でも、話すことは出来ない先生と一緒に過ごすうちに、子供達は、思いやりの気持ちを持つようになっていたり、言葉では直接やりとりできなくても、心を通わすことが出来るということがわかってきたりしてくる。

あんまり書くと、これから映画を観ようと思っている人には、面白みがなくなってしまうのでこのくらいにして・・。

私が感心したのは、話す事が出来ない、この男性教師に対して、周囲の方が、とても自然に接していたことだ。まるで、話せないことなど感じさせないふうだった。男性の方は、表情、しぐさ、ジェスチャー、手話(授業の時は、黒板に書いて)で気持ちや言いたい事を伝えていた。

それにしても、この男性教師、事故により話すことが出来なくなってしまったのだけど、それ以外のことでは、とても優秀な先生だなと思わせるような場面がいくつもあった。心の教育もそうだし、それ以外でも、教材の使い方とか、オルガンや、剣道の竹刀を自分で直してしまったりとか。そこまで出来る人間はそうはいないなあと思った。

ちょっと地味な映画かもしれないけど、感動させられる映画だと思う。

地元以外は、夏休みからのロードショーになるそう。


2004年06月05日(土) 「光とともに」第8話

前にも書いたけど、最近1週間の経つのが早い・・。連ドラの感想を日記に書くようになってからは気が付くともう日にちが経っていたりして。私の場合、毎日PCの電源を入れているわけではないのです。(だから、メールくれても返事が遅かったりするのは、そのせいもあるのです。なので、急ぎの連絡は、電話か携帯の方へってお願いしてます。)

さて、光とともにテレビドラマ、今回は運動会。こういう運動会、障害を持つ子供の親にとって、理想ともいえるかもしれないなあと思ったけど、現実は、そういうわけにはいきません。障害を持っている子供はあくまで少数派なのですから、そうでない多数派の子供に合わせた内容になりますよね。

運動会でまず、ネズミマーチを踊るところ。通常学級の1年生全員が、それぞれの場所に広がったところへ、光くんは、障害児学級担任の先生に手を引かれて、光くんの指定位置のところへ、到着。ネズミマーチが始まる。でも、学校でも家でも練習らしきものをしてなかったのだから(練習をいやがっていたので)踊れるわけはないのだ。でも、身体を揺らしてリズムをとったりということが少し出来ていた。しかし、それも長くは続かず、途中で嫌がるそぶりを見せたため、担任の先生が手を引いて途中で退場。

次にかけっこ。光くんは一人でスタートラインにたつ。旗が振り下ろされて、スタートの合図が出された。なかなかスタートしない光くんに周囲は、疑問を感じている様子。そこを、校長先生のアナウンスでフォローする。そんな中、光くんは、一人で、スタートからゴールまで、ゆっくりではあるけど、行く事が出来た。

そして、この日のもう一人の主役とも言えたのが、同じマンションに住む萌ちゃんという女の子。厳しいお父さんらしく、運動会のかけっこでは、「絶対1等をとれるようにがんばりなさい」と言うが、それが本人にはプレッシャーになってしまって、当日、体調不良を訴える。ねずみマーチの時は、見学をしていた。

でも、かけっこは、走りたい、というので走ったが、途中で転んでしまい、かなり遅れてゴール。

それを見ていた萌ちゃんのお母さんは、萌ちゃんが、転んでも、がんばってゴールしたことを誉める。


光くんは、運動会の競技、予定していたもの(ねずみマーチ、かけっこ)に出れた。それだけでもすごいことだ。かけっこも、歩いてではあるが、ゴールまで行く事が出来た。それもすごいことだ。

普通の人なら出来て当たり前の事、でも光くんにとっては、今まで出来ていなかったことだ。出来るようになったことは、とても素晴らしい事だ。

普通の子供なら出来てあたりまえのことが、障害を持つ子供には出来ないことがある。手足が不自由なら、それは見てはっきりわかることだが、発達障害の場合は、外見上は、一般の方にはわからないことが多い。(私達のように、発達障害の子供などと接する機会が多いと、ぱっと見てわかることもあるけど)

だから、普通の子が出来て当たり前のことが出来るようになっても、障害が軽度の場合は、「やっと出来るようになった」という安堵感のみ、ということがあるかもしれないのだが、そういう時こそ、誉めてあげなくてはならない時。がんばったことを誉めてあげたい。

何かをきっかけに人は変わるものかもしれない。我が子もがんぱって今まで出来なかったことが、少しずつ、出来るようになってきてから、変わってきたように思う。今まで、あまりやる気を見せなかったことへも、がんばろう、という気持ちが出てきているし、今までは出来なくても平気、だったのが、出来ないとくやしい、と思い出したようだ。←それを、うまく利用して、やる気を引き出せたら、と思っているところである。


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