French Wolf の日記
DiaryINDEXpastwill


2001年02月28日(水) 晦日


ついに最終日。天気はすぐれないものの、気分は…。やっぱりすぐれない。

仕事をそつなくこなし、風呂に入り、髭を剃り、オケの練習への準備を整えた。



オケの練習では、これまで練習参加率が極めて低かったホルン セクション。今日は 3 人ものプレーヤーが揃い、美しいアンサンブルを楽しめた。


明日からどうしよう。まずは、読みたい本がある。というか、正直に言うと何か本を読んでみたい。それから、オケで演奏することに決まった曲の CD を借りて、CD-R に焼き付けておきたい。ホームページの大規模な工事にもそろそろ着手したい。プライベートの仕事も引き受けておかないと、後々苦労するだろう。

考えだけが先行してしまう。


2001年02月27日(火) バリウム + 白いう●ち


昨日約束したとおり、今日は朝一番で病院に行った。以前、そうだなぁ、去年の 10 月頃かな、胃腸の調子が悪く、今と同じようにげろげろ大魔王になっていた時期、インターネットで見つけた地元の内科のお医者さんである。女医さんで漢方 (半夏厚朴湯)を処方してもらった、と聞いて思い出す人もいるかもしれない。

今回はただし男の医者だった。問診は普通だったのだが、彼には漢方の素養はないらしく、検査をしてから薬を処方するとのことだった。X 線、それで原因がはっきりしなければ、胃カメラということらしい。

本来ならば、予約を入れて検査、という段取りを踏むはずだったのだが、朝から覚悟して何も食べていなかったので、「今日検査受けるわけにはいかないでしょうか?」とダメでもともとで聞いてみた。あっさりと、OK されて、バリウムを飲んでの X 線検査とあいなった。その結果次第で、胃カメラの検査をするかどうか決めるらしい。

さらに、医師から「最近、血液検査やりましたか?」と尋ねられ、しばらくやっていなかったので、そう答えると、「じゃ、血も調べておきましょう」だって。まぁ、この際だからいろいろと調べてもらおう、ということでやってもらう旨同意した。(病気がらみの検査ではないと、保険が適用されないし、ちょうどよいチャンスだったということもある。)

さて、いよいよ血を抜かれた。これはたいしたことなかったのだが、次に抗コリン剤というのを注射された。胃の痙攣を抑えるための薬らしいのだが、筋肉に注射したようで、針が刺された後の方が、刺されたときよりも 100 万倍痛い。もっとも、一昨年の年末頃に経験した、歯の痛みに比べたらたいしたこともない。(当時は、これなら自分がもし間違って妊娠しても、分娩の痛みに耐えられるに違いない、と勘違いしたほどである。)

次に X 線の部屋に通され、発泡剤と水を飲んだ。これで、食べ物の入っていない縮小状態にある胃を膨らませるらしい。苦しくてもゲップはいけないと言われてが、ちょっぴりバレない程度に、プチゲップをしていた。これはツーにならないとなかなかできる技ではない。ゲプッときても口を開かずに、鼻からそぉっと息を吐くのである。それから、バリウム。噂には、イチゴ味とかレモン味とかいろいろ選べるみたいなことを聞いていたのだが、この診療所ではそこまでしてくれないらしく、ヨーグルトっぽい液体がでてきた。レントゲン技師の人も言っていたが、ゆっくり味わったりすると全部のみきれないから、味わうことなく一気に飲むのがコツらしい。

そう言われたのにもかかわらず、「はいそれでは一口飲んでください」との指令が下る。おいおい、さっきは一気に飲めっていっただろうがぁ。そこできっと、最初の一枚を撮ったのだろう。そして、「はい。結構です。次は、口に一口含んで、空気もいっしょにゴクリと飲んでください」ときた。おいおい、口の中いっぱいにバリウムのまずさが広がっているというのに、一気のみさせてくれないとは、まさに生き地獄である。そして、いよいよ「はい、それでは残りを全部一気に飲み干してください」とお鉢が回ってきた (またまた用法に誤りが…)。

その後はもう猿回しのサルさながらだった。最初は立位での撮影だったのだが、ベッドが自動的に水平になり、いろいろな角度から撮影された。しかも、ときどき、「向こう側を回って、うつ伏せになってください」とか、「こちら側から、なるべく早く 2 回転してください」とか曲芸のようなことをやらされたり、「はい、腰を突き出して、手は後ろの支えのあるところに置いてください」とか、自分でこれがエロ雑誌にでも登場したら面白いんだろうな、なんて考えて思わず吹き出しそうになってしまった。

結局 20 分くらい、ぐるぐるやっていたのだろうか。無事全部終了して、下剤をもらった。どうやら、このバリウムというやつは、体の中で固まると大変なことになるらしい。早速 2 粒飲んで、明日までに白い便が出ないようだったら、もう 2 粒飲んでください、という指示を受けた。



無事家に帰ってきて、仕事に戻った。

仕事もいよいよ佳境を迎えている。明日で最後の勤務である。


2001年02月26日(月) テレビのドラマと吐き気


嬉しい話題から。俺のことをよく知っている読者なら言うまでもないと思うが、「新・天までとどけ 2」が今日の午後 1 時から TBS で放送開始になった。この「新・天までとどけ」シリーズについて、自分はかつて、批判的な態度をとっていた。というのも、オリジナルの「天までとどけ」シリーズに mesmerized されていたからである。兄弟姉妹の全員の名前を覚え (それも無意識に)、彼らの成長をビデオに収め、自分ほどの「天までとどけ」フリークはいないだろう、と自負していたのだから当然である。

「新・〜」ができたときも、所詮二番煎じだろう、とたかをくくり、再放送が始まっていることを知った数週間前も、自ら進んで是非見てみよう、とは思わなかった。

ところが、である。実際、「まぁ二番煎じでも見てみるか」と、どういう風の吹き回しか、思い立ったのである。それが、先々週くらいのころ。坂本九がオリジナルだとは知っているが、「涙くん、さようなら」のテーマソングを聞いた途端に、昔のシリーズのハイライト シーンが脳裏を走馬灯のようによぎり、郷愁を誘うというか、筆舌に尽くしがたい感情に襲われてしまったのである。不覚だった。「新・〜」にかぎって自分にそんな影響を及ぼすわけがない、と思っていたのに…。

結果から言うと、やはり「新・〜」にはまってしまった。ここではっきりいえることは、自分が家族愛に対して、大人数の家族に対して、兄弟姉妹間の喧嘩に対して、頼れる・甘えることのできる父親に対して、憧れに似た感情を抱いている、ということが分かったのである。

いずれにしても、自分はまたもや、「天までとどけ」シリーズの虜になってしまったわけである。紛れもない事実。



あともうひとつ、テレビネタ。今日は、「鬼の棲家」というドラマの再放送が終わってしまった。これは昔に見たことのあるドラマだったが、ストーリーをほぼ全部きれいさっぱりと忘れており、復習の意味で有意義なドラマ鑑賞だった。

今日で最終回を迎えたが、ドラマを連続して見ると、最終回にこうした感動がおとずれるものか、という意味で新鮮な気分を味わうことができた。明日からは別のドラマの再放送が始まるが、今ひとつ興味が湧かない。まぁ、別のテレビ番組をつけて仕事に勤しむことにしよう。


さて閑話休題、吐いても苦しさが残ったのは今日が初めてだった。

もちろん、二日酔いでいくら吐いても吐き気が残るという事情とは、まったく状況が異なる。

たまたま友人と電話している最中にこの話題が上ったので、その友人に相談した。やはりかかりつけの医師 (@三鷹) ではなくて、内科・胃腸科を専門としている医師に相談した方がよい、というアドヴァイスを受けた。

自分でもそう思った。明日は病院に行く。そう決心を固めた。


2001年02月25日(日) どん底


気分が低迷している。ここ最近まれにみるどん底である。

泣き喚いた。情けないけど、たまにこうした感情の爆発がおとずれる。これを無視していると昔のように自殺未遂をやってしまいかねない、ということは自分がよく承知しているので、とりあえず爆発させっぱなしにしておいた。

明日起きたときにひどい顔になっているとは思うが、もとがよすぎるから、どう頑張っても顔面土砂崩れにはなるまい。

あと 3 日間。そう思えば落ち着くはずなのに、妙に落ち着かない。いやそれどころか体調が悪くなるとはどうしたことか。仕事がなくなる…これで本来ならば身も心も晴れ晴れとしていいはずなのだが、手持ち無沙汰になるのがやはり恐いのだろうか。このまま仕事に戻れなかったらどうしよう。自分の居場所はどこにあるのか。誰が助けてくれるのか。最悪の事態を思い描く。そんなことを考えていたら、どんどん泥沼に引き摺り込まれてしまった。

感情…。最近は自分以外の人間と話す機会もほとんどない。会社にいても、もちろんお喋りクラブではないのだから、朝から晩まで話しつづけているというわけでもない。が、やはり世間話程度はする。

この先が不安である。自分がこの短い 27 年の人生で積み重ねてきたことなどというものは、たかが知れているが、今回の休職で何もかも失ってしまったらどうしよう。結局自分はすべて中途半端なのではないか。何一つ満足にこなせないまま、おまけに自分ひとりで生きていくことすらできない、ときている。

自虐的になっているのは分かっているし、自分を卑下しているのも分かっているが、止められない…。

これから季節は春になっていく。花粉も恐いが、自分の気持ちとにぎやかになっていくまわりとの対比がいっそう明確になっていくのも恐い。


2001年02月24日(土) 警察か?


結局何一つ生産的な活動を行えなかった土曜日だった。

天気が悪かったのもその一因だろう。

そういえば、夜中の来客が尋常ではなかった。夜 8 時ごろから、10 時半頃まで、何回玄関のチャイムが鳴ったことだろうか?

後半は寝ぼけていたので、時間も不正確だが、ん?、という感じである。

警察? まだお世話になるようなことはしていないはずだが…。


2001年02月23日(金) カウントダウン開始


仕事をした。

当然である。在宅とはいえ、きちんと仕事しないことには。

ただ心の中で多少ゆとりが生まれつつあるのも事実である。

あと何日で晴れて自由の身になれるというわけである。ただし、あくまでも病気が理由での休職だから、静養して、病気を治す方向に努力しなければならない。

自分としては、自己流森田療法にチャレンジしてみようと思っているが、一人暮らしでそこまでうまく社会生活から切り離された環境を作り出せるか疑問である。まずは、テレビやインターネットといった情報から隔離されなければならない。本来なら、入院するのが一番なのだろうが、そこまでの余裕はない。いや逆に、自分の場合そこまでする緊急性もないのだろう。



床屋にもそろそろ行かなくてはいけないのだが、今日は延期した。なんだか気分が乗らないし。来月保健組合から給付される手当ても通常の給料の 6 割。今はできるだけ節制した生活を送るにこしたことはない。

そういえば、最近お風呂に入るのも面倒くさい。すべてが面倒くさい。これと節制が無意識下で関係しているのかどうかはこの際問題にしないことにしても、本来の自分の性格と在宅勤務 (= 人と顔を合わせないで済む生活を営んでいる状況) と何らかの関係があるはずである。

ん。悩むのは 3 月に入ってからにしよう。



2001年02月22日(木) 吐き師の証


ついに過食嘔吐のシンボルができた。先日大学時代の友人 A (♀) から、吐きだこの話をきいたのだが、自分に限ってそんなことはありえない、と一笑に付した。が、どうだろう。

今日も吐いたのだが、自分の人差し指を自分の歯で噛み切ってしまったようで、擦り傷になってしまった。これが繰り返し行われたり、成長したりするようなことがあると、ひょっとして例の吐きだこになるのかもしれない。く〜。まさか、と思っていただけにショックである。

これで、プロの吐き師になれるのだろうか?


2001年02月21日(水) 体重計 = 占いマシーン


うちの体重計は占いマシーン。

毎日体重が 10 キロも変動するはずない。それなのに、あさ 73 キロだった体重が午後量ると 85 キロになっていたりする。もう当てにならない。

だから本当の体重は誰にも分からないのである。もったいないが、このデジタル体重計はしばらく使わないことにして、もう一台バネじかけのアナログ体重計を購入した方がよいのだろうか…。

先日大学時代の友人 (♀) にメイルで、73.4 キロの件を厳しく言及されたのだが、実際のところそれもうそ臭いのである。

もっとも、体重計がなくてもズボンや自分でお腹や胸のお肉 (こういうと旨そうである) をつまんでみれば、痩せたのか、太ったのかくらいは見当がつく。それにベルトの穴である程度体重も把握できるが、せっかく買ったデジタル体重計があれでは…。

しかも自宅での作業もそろそろ 2 ヶ月である。さらに、あと 1 週間弱で、3月になる。これすなわち、丸々一ヶ月の休職期間に入る、ということである。ただでさえ運動不足なのに、それに追い討ちをかけるようなタイミングでの運動不足にうってつけのチャンス到来。4月に会社に戻れたとして、そのときどれだけ自分が成長しているか心配である。


2001年02月20日(火) 久しぶりの友人との再会


仕事は忙しかった。会社のいろいろな人からメイルで、この翻訳をお願いしたい、とか、あの件はどうなっているとか、いろいろなやりとりで半日が潰れてしまった。

一方自分のノルマは着々とこなしている。



夜は、久しぶりに大学時代の連中と飲んだ。外に出るのも久しぶりで、それほど寒くもなく、気分転換としては上出来だった。

友人たちとも久しぶりに歓談のひとときを過ごせ、楽しかった。

どうやら自分はやっぱり太ったようである。(ショックであるが、ここで泣いていても仕方ない。ダイエットに励むことにしよう。)


2001年02月19日(月) もういくつ寝ると…休職まで指折り


また一週間が始まった。

始まる早々、なんとなくいやな感じの出来事があったが、それは忘れることにした。仕事関係のことなので、それで病状を悪化させてしまったりしたら、せっかく家で働いる意味がない。

そうなんだ。あと 10 日弱で、3 月いっぱいは休職。あくまでも病気静養が目的だから、遊び歩いてはいられないが、ゆっくりと毎日心安らかに過ごせることだろう。

本当に子供のころの歌「もういくつ寝ると〜♪」ではないが、楽しみである。それまでの仕事は、計画的にこなしていくつもりなので、問題はないはずである。

ああぁ、部屋が散らかってきた。そろそろラスカルをよんで大お掃除大会を開催しなくてはいけないなぁ。そうしないと、鍋もできやしない。

あ、それに 3 月下旬から 4 月にかけて、うちから見られる神田川沿いの桜。これも素晴らしい。お花見企画というのも面白いかもしれない。

明日は、イギリスより臨時帰国中の M たちとの飲み会がある。参加しようかどうか、まだ迷っているところである。


2001年02月18日(日) ヴォーっとした一日


今日も天気はそこそこだった。

一日中何もせずにボーっと過ごしてしまった。

夜は久しぶりに大学時代の友人 O ちゃんと電話。なにやら今イギリスで勉強中の M が一時帰国しているということで、火曜日会わないか、という内容だった。

自分の体調と相談して決めるということで合意。



2001年02月17日(土) 時計の電池交換…天気のよさがなせる業


今日は土曜日。天気もよく気持ちよい。朝起きて、今日は何かしようと思い、病院に出かけることにした。本当は昨日出かける予定だったのだが、やっぱり面倒くさくなり止めてしまったのである。

朝 10 時ごろ家を出発して、三鷹まで出かけた。天気がよかったのは非常によろしかった。

診察のときに、これから襲来する花粉症の人にとって地獄の季節を先取りして、花粉症用の薬もおねだりしてみた。SSRI と普通の抗アレルギー薬はどうやら禁忌らしく、ポララミンという (たぶん若干作用が穏やかな) 薬を処方してもらった。去年もこの薬をもらったのだが、不思議な眠くなり方をする薬なのである。元彼女曰く、前頭葉のあたりがねじれるような、眠気が誘発される媚薬 (??) である。

さて、薬ももらって家に帰ろうとしたのだが、カバンにふと手を入れてみたら、電池の切れている時計が発掘された。これは、俺がアメリカへ行く前に時価 4 万〜 5 万円で購入した大のお気に入りだったものである。ただその後、時計をすると金属アレルギーとか接触性アレルギーとかで、腕に発疹が見られるようになってしまったため、また携帯電話を持っていれば時計を持っていなくても平気になってしまったため、使われることなく、箪笥の肥やしになっていたというわけである。いったいどういう風の吹き回しか、電池を入れ替えて気分をリフレッシュしたくなった。なにもかも、この青空のなせるワザだったに違いない。

お店の人に電池交換をお願いして、カウンターに座って、店員さんが作業するのをじっと眺めていた。どうやら、仕組みが複雑だったらしく、結局 30 分くらいを費やしてようやく、2 つの電池を交換し終えた。

そして、家に帰るのだが、途中でまたコンビニと目が合ってしまった。俺の帰り道に出てくるなよなぁ、という気分であるが、相手は不動産。怒ってもしかたがない。今回は、カレー丼、ミーとソース スパゲティ、大盛チャーハン、ヴァーム (体脂肪を燃やせ、とかいうキャッチフレーズのついている清涼飲料水) である。大丈夫、大丈夫。一度に全部を食べるつもりはない。ただ、冷蔵庫に保存しておきたかったのである。

家に帰ると、取引先の法律事務所からの支払調書が届いていた。よぉし、これで確定申告の書類が書ける! ということで、午後は計算ずくしだった。無事計算を終えると、今度はまた新規の翻訳がある、ということで、別の取引先から連絡を受けた。今度は仕事をセカセカとこなした。

ふ〜。忙しい土曜日だった。充実していたといえば、そうだろう。

でも、つい一週間前のことを思い出すと、ちょっと切ない気持ちになる。そう、先週はホルン アンサンブルの本番があったのである。懐かしい気分。


2001年02月16日(金) 本当の体重は??


なんだかワケが分からなくなってきた。昨日届いた体重計。壊れているのか?

絨毯の上だと正確な計測ができないということで、トイレの中で計測したのが昨日の数値。ところが、今日測ってみると、86 キロ! これはおかしいと思って、今度は玄関で測ってみると、68 キロ! いずれにしても昨日と数字が違いすぎる!

そこで、説明書を取り出して、よぉく使い方を読み直してみようと思ったが、あいにく箱やら説明書やらゴミは昨日の夜燃えるゴミに出してしまったのである。しかも、今日、金曜日は燃えるゴミが収集に来る日。朝 10 時過ぎ、無駄だと思ったのだが念のため、一回のごみ収集部屋をのぞいてみると、やはり中身はもぬけの殻状態。く〜〜。こんなことなら、最初から説明書だけ別に子どもの手の届かぬところに保存しておくのだった…。後悔先に立たず、かぁ。

いや待てよ。そもそもデジタルの体重計の仕組みがよくわからない。バネ式のものであれば、最初にゼロを正しくあわせるツマミというか、なんと呼べばよいのか分からないがそういうパーツがついている。が、デジタルには、付いていない。ということは、内蔵されているに違いない。昨日の夜、空間節約のため、立てかけておいた。とすると、内蔵のビルトイン ゼロ設定メカニズムに何か支障があったのか?

しばらく体重計のことは忘れて、午後、夕方近くにもう一度測定したら、71.3 キロだった。ん。これなら納得できる。一日で 1 キロ以上減ったことになるが、これは俺の場合珍しくない。それに、ウ○コしたり、食ったり、吐いたり、いろんなことをしていれば、当然それくらいの体重の変動はあってしかるべきである。

それにしても、体重計の謎は深まるばかりである。



夜は、食いすぎた。コンビニに行くとついつい、買いすぎてしまう。

それに最近やたらと新製品が多い。特に惣菜系のパン。今まで販売されていなかった方が不思議なくらい、当たり前といえばそれまでの商品なのだが、ついついいろんなものに惹かれてしまう。

* スティックメンチカツパン
* ナポリタンロール
* クリスピーフライドチキンサンド
* 頭のよくなる (確かそんな名前だったと思う) カレーパン
* そばめしパン

等など…。気になるものだらけである。その上、インスタント麺も種類を真面目に考え始めたら、枚挙に暇がない。

欲張りだから、全部買ってしまう。そして、冷蔵庫に入るものは入れておき、入らないものは、テーブルに並べておく。必然的に、消費期限なるものが各々の食料には割り当てられており、食べるか捨てるかしなければ、大変なことになる。こんなことは、ドラえもんのバイバインどころの話じゃない。

買いすぎる --> 食べ物が貯まる --> 消費しなければならない --> 食べる --> 食べ過ぎたことで罪悪感を感じる --> 吐き出す --> 落ち着く --> Da Capo ad infinitum… である。

ということで、今日も吐いた。もう吐かずにはいられない体になってしまったのかもしれない。吐くことで、食事を終えた、というメッセージが脳に伝達される仕組みが形成されてしまったのだろうか? となると、今後の社会生活を営む上でもろもろの問題が浮上してくる。朝ご飯、昼ご飯で、吐くことは、めっきり少なくなったが、夜はやっぱり吐く。となると、合宿に出かけても、夜はトイレで一人こそこそとゲェゲェやっていなくてはならない。友だちと出かけても、ゲェゲェ。朝まで夜遊びするときも、途中で「ちょっと待っててくれ。吐いてくるから…」といって、ゲェゲェ。友だちが家に泊まりに来てもゲェゲェ。結婚してもゲェゲェ。子どもができてもゲェゲェ。おじいちゃんになってもゲェゲェ。何も食べなくてもゲェゲェ。

そら恐ろしい!

今不安になっても仕方がないことか。


2001年02月15日(木) 体重減少中!!


自宅作業の日々である。

今日は先日インターネットで注文した体重計が届いた。ワクワクしながら開封してみると、なんとまぁ、電池が入っていないではないか! そう、デジタルの体重計を買ったのである。体脂肪率測定機能付きのものもよかったのだが、噂によると、体重計についている体脂肪率表示機能はインチキが多いらしい。両手を前に伸ばして測定するタイプの方が正確らしいということである。また予算も限られていたこともあり、デジタルタイプのものにした。

普通最初の寿命は多少短くても、電池くらいサービスで入れてくれるものじゃないのか! なんて腹を立てつつも、自宅に体重計が来た喜びでそんな怒りは一笑に付された。(またもや語法に誤りが…。)

昼ご飯を買いに行くついでに電池も買って、早速測定開始。なんと! 思ったよりも太っていなかったのである。体重、〆て 73.4 キロ。もちろんまだまだデブであることに変わりはない。が、最近毎晩せっせと吐いているおかげもあり、また健康食品が奏を効しているようである。

これから毎日体重測定が楽しみになりそうな予感である。


2001年02月14日(水) ひとりだけのヴァレンタイン デー


テレビでは、今日がヴァレンタイン デーであることを繰り返している。

去年の今ごろは…という思いが脳裏をよぎる。ちょうど、前の彼女と新たな出会いをし、新しい自分を見つけ、そして転職など、さまざまな事柄が目まぐるしく自分の周りで変化していったのである。

今年は、家でおとなしく仕事をした。

当然である。


2001年02月13日(火) 緊急の仕事でプレッシャー


いつもどおり家で仕事をしていたら、上司からちょうどお昼頃電話がかかってきた。

急ぎの契約書の翻訳をお願いしたい、ということだった。明日までに何とかなるか、ということだったのだが、中身も見ないうちに返事をしてしまい、大後悔。夕方、やはりもう一日延ばしてくれるようにお願いした。

仕事で忙しいのは、他のことを一見考えなくて済むように思われるが、そうでもない。忙しいときは忙しいときなりに、いろいろとくだらないことに頭を回してしまい、結局考え込んでしまうのである。

んん〜。よいのか悪いのか、今の仕事の意味でのスタイル、悩んでいる。



夜はプライベートの仕事が舞い込んできた。それほどたいしたものでもなかったので、小一時間で仕上げたからまったく問題はなかろう。


2001年02月12日(月) 燃え尽き症候群


本当に何もしないで寝ていただけの月曜日だった。

せっかくの振替休日だというのにどうしたものだろうか。

鬱の症状がまた出てきているのかもしれない。

本番がひとつ終わると、燃え尽き症候群のようなものが襲ってくる。

誰でも同じような経験をしていると思うのだが、自分の場合は特に顕著である。

ホルン アンサンブルは、去年の 10 月、11 月くらいから参加した団体である。しかし、気の置けないメンバーに囲まれ非常に楽しい練習を一緒に過ごし、練習後の飲み会も非常に楽しいものだった。あれだけ大人数が集まっても、嫌なヤツというのが一人もいなかったのも珍しいことだろう。それなりにみんな個性はあるものの、相手の気分を害するような悪質なタチのやつは誰一人いなかったのである。

そんな楽しいイベントが終わってしまった。寂しいし、哀しい。

こんなとき、普通の人なら次の楽しいことを期待するのだろうか。

今の自分にはそんな余裕はない。悲嘆に暮れる以外、どうやってこのこころの隙間を埋めればよいのか、見当がつかないのである。






2001年02月11日(日) 建国記念日なのにげろげろ大魔王


昨日飲み過ぎた。ご飯もろくに食べずに、酒におぼれていたせいに違いない。

家に帰ってきたのは午前 3 時くらい。コンタクトをはずし、そのまま布団に直行したのだが、朝 6 時ごろから、例の吐き気・下痢・頭痛の三重苦に苛まれ、大変な思いをした。自分はこのまま死ぬのではないかというほどである。

ほとんど食べていないのだから、当然吐かれるべきものなんか、胃の中にあるわけもなく、吐いても吐いても、出てくるものは、胃液である。おかげでトイレ掃除ができてしまったほどである。(そう考えると、胃液の酸性度はものすごいんだろう、と思う。誰かが、あんまり吐いていると、歯が溶ける、と言っていたが、実感を伴って身震いを引き起こした…。)

8 時ごろにもまた山がおとずれ、今度は下痢の嵐である。二日酔いのときにありがちなのは、下から排泄するものなどなくても、便意を催すのである。きっと脳の回路がおかしなことになっていて、「今ウンコしないと、大変なことになるぞ」という誤った信号を送出しているに違いない。

次に来た波は 10 時ごろ。顔面蒼白になり、貧血、脱水症状も近いと本人もようやく意識し始め、吐くのはわかっていたが、とりあえず、水分を補給。そうすると、吐くのはラクになるのだが、やっぱり出ていってしまうため、あんまり水分は補給されないことになる。息を乱しながらも、布団に戻って、なんとか横になり、布団をかけると、いつの間にか意識を喪失。

最後に目覚めたのは、14 時。やっと、吐き気は消え去った。コンビニに出かけて、食べ物、いやより正確には水分補給として適切なものを買出した。胃が弱っていることをもうちょっと考慮に入れるべきだったのだが、コンビニにお弁当コーナーで「とり天丼」なるものと目が合ってしまい、買わざるを得ない状況に追い込まれた。あとは、ビタミン、カルシウムの配合された健康的な清涼飲料水、牛乳、野菜ジュースを買って、さらに夕食時に必要になるであろう、サンドイッチ、おにぎり 1 個 (なんと、焼きおにぎり、醤油風である -- 焼きおにぎりは俺の大好物!)。

食べたらまた眠くなり、寝た。起きたらもう 18 時。吐き気・下痢はすっかりよくなり、ちびまる子ちゃん〜など、お決まりの日曜のコースをたどった。

夜は、昨日のコンサートにも来てくれた N と電話。

酒を飲まずに一日を過ごしたのは、本当に久しぶりかもしれない。でも、ここで迎い酒をしてしまうと、またあとが恐ろしいことになるに違いない、と思ったためであって、きっとこれは正しい選択肢だったのだろう。





2001年02月10日(土) ホルン アンサンブル本番の日


ついにホルン アンサンブルの本番である。ステージ リハーサルが 12 時 50 分からはじまる予定になっていたのだが、その前にランチを楽しむ会があったため、11 時 50 分に東陽町に集合だった。

あさ 9 時過ぎに起きれば十分、シャワーを浴びて準備をできるはずだったのだが、昨日早く寝すぎたせいか、5 時半に目覚めてしまった。興奮していたのだろうか。

朝ご飯をゆっくり食べても、また時間が余ってしまい、途方に暮れていたので、手当たり次第電話をかけまくった。みんな当然寝ている時間だったが、そんなことはお構いなしにベラベラとしゃべり、時間をつぶした。

家を出発したのは 11 時ちょっと前。自宅から東陽町は思ったよりもずっと近く、集合時間の 20 分くらい前に到着してしまった。が、もうそこには、待っている人が 2 人もいた。後は A ちゃんを待つのみ。比較的暖かく待つのも苦にならなかった。

ランチはイタリアン。パスタのランチセット。980 円でパスタ、デザート、飲み物がついているのはなかなか安くてよい。一番カロリーが低いと思われるキノコのアンチョビのパスタを注文し、デザートには珍しくチーズケーキを注文した。

時間となり、会場へ移動。椅子を並べたり、リハーサルをしたり、パンフレットの折込作業をしたり。あっという間に、本番の時間。

出来はまずまずだった。会場に駆けつけてくれた友人も合計で 8 人。高校時代の友人が 5 人。大学時代の友人が 2 人。今の会社の人が 1 人。ありがとう!

本番が終われば当然打ち上げである。予定よりも後片付けが素早く終わってしまい、寒い空の中でしばらく待たされてしまったが、楽しくレセプションが繰り広げられた。アンサンブルのメンバーとその家族や友人が集まって、20 人ほどの大宴会になった。

飲み会担当の I さんの企画でいろいろと楽しい企画が用意されていた。自分が乾杯の音頭をとることになったのには、驚いたが、なにより演奏会が成功してよかった。

12 時過ぎくらいまで宴は続き、帰りは K タクシーと呼ばれている、団の代表の K さんの車で新宿 3 丁目まで送ってもらった。その後、一人で行きつけのお店に顔を出した。久しぶりである。

それにしても、体重計が欲しい…。


2001年02月09日(金) 普通の金曜日


ごく普通の金曜日だった。

今の職場から前の職場に発注する仕事があり、連絡を取り合ったり、いろいろと忙しかった。

また、上司と電話で話をした際、体調のことも聞かれ、予定ではまた話さないことにしていたのだが、3 月一ヶ月休職する可能性が高いことを話してしまった。

ふ〜。


2001年02月08日(木) スーツケース・スーツ ガーメント?


今日は買い物に出かけた。ホルン アンサンブルの本番が土曜日にあるのだが、そこで着る衣装を運ぶためのカバンを買ったのである。

何らかの音楽の団体に所属してると、年に数回礼服を着るチャンスに恵まれる。が、いつも困っていたのは、これをどうやって運ぶかである。普段俺の場合、安さで評判高い、紳士服のア●キやら、○山やらで、スーツ類を買うことが多い。しかし、本番の着替えとして、デッカク「アオ○」って書いてあるケースで行くのは、ちょっと格好が悪い。

今までは前の会社の T さんに高級なカバンを借りていたのだが、転職してしまい (自分がね) もう借りることもできなくなったので、ちょうど潮時かと思い、医を決して購入した。

肩からかけられるようなストラップ付きのタイプがほしかったのだが、ちょうどよくそういうものがおいてあった。ちょっと高めのものになると、靴を収納するスペースがあったりするのだが、それは今の段階では不要と判断し、それでも 2 万円位のスーツ ガーメントを購入した。


2001年02月07日(水) 正しい吐き方の会得?!


ついにマスターしたようである。まずは、結論から。今日も吐いた。今までおぼろげながら、また無意識下で実行してきたことではあるが、心の闇に一筋の光が差し込んできたかのように、明らかになったのである。

まずは、食べた後すぐ吐こうとしても無理である。これは、厳しい。
食後 10 〜 20 分してから、吐くのが理想的である。
この際、食べたものを全部吐き出そうとしてはいけない。
胃袋が空になって、胃液まで吐き出すレヴェルに達すると、吐くのがつらくなるだけではなく、吐いた後も、気分が悪いままになってしまうからである。

こんなこと、いったい誰のために書いているのか…。


2001年02月06日(火) プレゼン翻訳は難しい


火曜日。仕事でまた緊急なものが飛び込んできた。これは、会社の方の仕事。

プレゼンテーションの翻訳だったのだが、これは得てして難しいことが多い。プレゼンだから、画像や端的な表現でうまくまとめられているからだ。発表者が言いたいことをまとめて、自分で作成する場合には何の問題もないのだが、実際の中身を知らずにその端的に表現されたものを心の中で展開し、発展させて、理解した上で、翻訳しなくてはならない。たいていの場合、自分の想像力を逞しくすることで、何とか対応できるのだが、今回のもまた難しかった…。

さて、あとはいつもどおりの仕事。マニュアルの編集作業である。

また、ホルン アンサンブルの本番が今週の土曜日と差し迫っているため、ホルンの練習も少しだがこなした。

夜は、デリバリー サービスをしてくれるケンタッキー ●ライド チキン。もちろん、食後には嘔吐した。ふ〜。ビール酵母は便通にはよく効いている。ダイエット効果の方はどうなんだろうか?




2001年02月05日(月) 過食嘔吐


今日は病院に出かけた。先生に最近ご飯を食べると、罪悪感があり吐いてしまうことを告げた。すると、「あ〜、過食嘔吐ですね」ときた。そういう医学用語があるとは知らなかった。これは一本とられましたね。

女性にはよく見られるらしいが、というか、この過食嘔吐に陥る割合からすると女性の方が多いらしいが、自分は果たしてなんで? デリケートなのだろうか。かつて、過喚起症候群と診断されたときも「比較的女性に多いんですよ」と呼吸器系の医者に言われた。きっとナイーヴなのだろう。

そこで、過食しなくても済むようにダイエットすることにした。病院の帰り道、駅から家までの道のりにはマツモトキ●シがある。そこで、最近大ブームのビール酵母を買ったのである。

これが、まずいのなんのって…。食べたことのある人なら分かると思うが、「まずさあまって憎さ 100 倍」の勢いである。噛まずに水かお湯で飲んでください、という注意書きの意図するところがよぉくわかる。こんなものをまともに噛み砕いていたら、大変なことになってしまうこと請け合いである。しかも、一日 20 粒も食べなければならない。それには相当の水を飲まなければならない。満腹感が得られるということで、ダイエットに効果があるらしいのだが、それだけ大量の水を飲めばたいていの人は、アップアップして、下手すると溺れてしまうだろう。まぁ、多少大げさなのは、いつもどおりだが。

自分の場合、こういうものを飲んでも、ダイエットにならないことが多いんだよな、というこれまでの経験が脳裏をかすめる。オオバコでダイエットしようとしたときも、腸の働きがよくなり、いつでも快便なのに、さらに快便になっただけで終わってしまった。く〜。



夜は、また吐いた。これは、ビール酵母のおかげなのだろうか? それとも、噂の「過食嘔吐」なのだろうか?

夜中に目覚めて吐き上げるという、久方ぶりのパターンだったので寝る前は悶絶した。明日ははかなくても済みますように。(でも吐かないともう不安なんだよなぁ。実はこれこそが病気なのか?)




2001年02月04日(日) 本当に堕落した日曜日


ここまでだらけることができるのか、というほど、ダラダラした日曜日を過ごしてしまった。

起きたら 12 時前。そういえば、今セヴン○レヴンでは、お弁当と飲み物をセットで買うと 50 円引きになるってサービスをやっていたなぁ、と思い出し、コンビニで買い物をした。

いつの間にか外は暗くなり、洗濯をする間もなく夜になっていった。夜といえば、ゲロである。今日は 2 セッションほど吐きあげた。(すごい動詞の使い方。「こみ上げる」の親戚だと思ってくれればよろしい。)

それにしてもこのやる気のなさはなんとかならないのだろうか。早めに部屋の電気を消して、そうだなぁ、だいたい 8 時ごろだったろうか。横になって、精神病関連の本を読み漁る。本当は誰か自分を助けてくれる人にこういう本を読んでもらいたいんだよな。でも、それは当分無理だろう。





2001年02月03日(土) 節分の豆まき


今日は節分。そんなことはお構いなしに、土曜日が始まった。

朝はちゃんと早起きして、病院に行く予定だった。しかも、その後夜に控えていたホルンの練習までの間、大学のオケの練習にまぎれて、楽器の練習をする心づもりだった。

が、結局は病院も午後の自主的個人練習も割愛した。

夕方になってお風呂に入り、ホルンの練習に向かった。練習は順調で、来週の本番もほぼ問題なく迎えられるだろう。驚いたのは、大学の先輩である S 田氏が練習を見学しに来ていたことである。S 氏と会うのはほぼ 1 年ぶり。なにやら、本番に来ることができないため、練習を見に来たそうだ。

練習後はもちろん飲み会。S 氏がいたこともあり、また昔から馴染み深い居酒屋「○休」では、魑魅魍魎とした宴 (どんな宴じゃ?) が開かれた。

面白かったのは、お通しに豆がついてきたことである。えてしてガキ根性を発揮したがるホルン アンサンブルの面子。封を切るなり、俺をめがけて豆を撒き散らしてきたのが、T ちゃん。まったくもぉ、いい年して、ガキみたいなことを本当に嬉しそうにするんだから…。

宴もたけなわ、と思いきやもう時計は 12 時を回っていた。師匠である K さんの車に乗って、練馬近辺に住んでいる美女と野獣、板橋のまた別の野獣と俺の5人が便乗し、夜中の東京を東奔西走した。K さんには感謝の気持ちを伝えたい思いでいっぱいである。

家に着いたときには、もう 2 時前。ふ〜。今日は、午前中はダラダラとしていたものの、後半で挽回したため、全体的には有意義に過ごせたなぁ。

よかった、よかった。





2001年02月02日(金) やっとの思いで金曜日


ようやく金曜日である。

最近のぶるぶる〜はいったい何が原因なのだろうか。
疲れている。そこはかとなく疲れている。

そういうふうに考えると余計に疲れる。
頭をしばらくはたらかせないほうがよいのだろうか?

土曜日は練習。
病院も行きたい。しかし、病院は午前中しか診察していない。
練習は、夜の枠。同じ、三鷹・吉祥寺方面だからうまく
連携させたいものだ。大学に遊びに行って、楽器の練習を
してみるのもよいのかもしれない。でも、昔とはシステムが
違う可能性もある。となると、楽器を持って、数時間も
ウロウロしていなければならない。それは、苦痛である。

ふ〜。どうすべきか。




2001年02月01日(木) 倦怠感との闘い


自宅作業にも疲れてきた。

仕事すること自体が自分にダメージを与えている気がする。それくらい、心身ともに疲労困憊しているのだろうか。

やはり在宅の期間が終わったら、休職したほうがよさそうである。

ふ〜。


French Wolf |MAIL

My追加